VOICE.4 五歳と六歳の大冒険 後編
5
翌日になって、ようやくはじめての取り調べをうけることになった。
「……」
といっても、無言が続いていた。
「なにも話さないんですか?」
状況がわからない第三者が眼にしたら、取調官と容疑者が逆だと感じるだろう。容疑者のほうが、取調官の黙秘を指摘している。なんとも奇妙な時間だ。
「時間をかせぎたいわけですね?」
世良は言った。
「……」
やはり返答はない。ここまで一言も発していないから、相手がだれなのかもわからない。足音から男性だと考えられるが、これまでに会ったことがある人物なのかどうか……。
「弁護士を呼んでもいいですか?」
知り合いの弁護士などいないが。
「……」
さすがにそう言えば、なにかしらの反応があると思ったが、あてがはずれた。表情もわからないから、今後の展開も予想できない。
「おかしいとは考えないんですか? 警察官として、なにも疑問は感じませんか?」
「……うるさい」
ようやく、静かな声が返ってきた。はじめて聞く声だった。
「あなたに指示を出しているのは、署長ですか?」
「……そんなこと、関係ない」
「ですが、あなたの将来にとっては重要ですよ」
声質から判断すると、三十代のどこかになるだろう。階級は巡査部長といったところか。これに関しては、かなり適当な予想になる。
「子供たちの未来を考えるなら、おれを釈放したほうがいい」
「だまれ!」
もちろん、こんな説得でこの男が動くとは考えていない。
「キャリア署長は、すぐに出ていくんでしょう?」
「……そんなことは知らん」
この声を読み解いていく。些細な感情の揺れも聞き逃さない。
「異動したら、ここの署のことなんてすぐに忘れる」
「それがどうした……」
「おれのことも調べてるだろ? どんな評判だった?」
「……いろいろ活躍してるようだな」
感情の乱れは、予想よりもない。
どういうことだ?
この男にとって、署長は不安要素ではない。
「このまま泥船に乗りつづけることはない」
「なにが泥船だ」
取調官は、吐き捨てるように言った。
余裕をもちはじめている。
どうやら、見当がはずれているらしい。
《かかし》の言葉を思い出していた。今回のこと、陰謀というレベルではない──。
「ん?」
部屋の外が騒がしくなった。
数人の足音に、言い争う声もする。
「なんだ?」
取調官も、事情がわかっていないようだ。
扉が開いた。
「世良王海の身柄は、こちらで引き取る」
知らない声だ。
「なんだ、あんたらは!?」
「本庁だ」
「本店!?」
この場合の本庁は、二通りのケースが考えられる。刑事部だった場合、桐野が手をまわしてくれた。ただし桐野の性格では、人を動かすのではなく、自分自身でやって来るだろうから、ちがう可能性のほうが高い。
もう一つが、公安部。ここ最近は、必ずしも敵対するわけではないが、あまり好ましくはない展開だ。
「なぜだ? なぜ身柄をもってくんだ?」
取調官はゴネてみせるが、どこかにあきらめムードを漂わせている。本庁の方針に所轄が口を出せるわけがない。
「これは誘拐事案なんだろう? だったら、うちがやるべきだ」
「本店が捜査をしてるのか!?」
本庁から来た人物は、その問いを受け流した。
「もってくぞ」
「だれからの指示だ?」
世良は確かめた。念のため、それは知っておくべきだろう。
「もちろん、一課長だ」
ということは、刑事部主導ということになる。もちろん、と付けたのは、襟元に赤バッジをしているからなのだろう。
「あ、失礼……あなたには、見えませんね」
本庁の男が、そう続けた。本当にバッジを強調していたようだ。
では桐野が、捜査一課長に進言したのだろうか?
「桐野さんではありませんよ」
世良の考えを読んだのか、本庁の男が言った。
「桐野さん、今日は非番ですから」
「では、だれが?」
「ですから、一課長です」
捜査一課がこの件を把握していたとは思えない。そもそもこの署が、本庁に報告をあげていないだろう。
「……これは憶測ですが、この指示をうけるまえに一課長は、刑事部長から呼び出されてました。いまの刑事部長は、悪い意味でのキャリア官僚ですから、無用なトラブルは避けようとするでしょう」
それはつまり、部長の発案でもない、ということを示唆している。
「さらに憶測のむこう側を話すのなら、ここ最近の噂に関係してるんでしょうね」
意味深な言い回しをしていた。
「なんの話だ?」
取調官が、負け惜しみのような声をあげた。
「聞いたことないですか? 警視総監でも頭が……ってやつですよ」
「……」
もう取調官は、なにも言えなくなったらしい。衣擦れの音がした。おそらく、どうぞ、と手を振ったのだ。投げやりになっている顔が想像できた。
「行きましょうか」
世良は立ち上がった。
取調室を出て、廊下を進んでいく。
「だれからの伝言なのか、それは知らされていません」
捜査一課の男が、口を開いた。
「これで貸し借りはなしだ──そう伝えろと」
「……」
「本当に、総監からの伝言かもしれないですね」
そうだとしても、この件を把握している理由にはならない。この署のだれかが、本庁に密告したのならべつだが。
「それと……」
一課の男は、続きをためらっているようだった。
「この指示をうけたのは、今朝になってからなんですが……どうも本庁内が騒がしい。いままで交流のなかった人間から電話がありましたよ。組対だと名乗ってましたが、どうもしゃべり方がね」
「公安ですか?」
「おそらく」
「どんな内容ですか?」
「世良王海に関する問い合わせです。なにをやって拘束されたのか、どういう状況なのか。もし総監からのトップダウンなら、公安部長にも話がいっていない可能性がある。だから情報が欲しいんでしょう。ハムとあなたの確執は有名ですからね」
確執があるわけではありません──と反論したいところだが、似たようものなので言葉をおさめた。
「私は、久保田といいます。桐野さんには、お世話になってます」
「桐野は、このことを?」
「非番なのは本当ですから、たぶん知らないと思います」
外へ出て、車に乗り込んだ。
「これから、どこへ?」
本来なら、警視庁本庁舎へ移送されるはずだ。
「事務所に送りますよ」
助けに来てくれたのは、嘘ではなかったようだ。
「無罪放免で釈放ですか?」
「そもそもわれわれは、あなたが逮捕されたのか、参考人で呼ばれただけなのかも把握してません。乱暴な言い方をすれば、これはあなたとあの警察署の問題です。まあ、勝手にやってください」
清々しいまでの発言だった。
事務所に到着したのか、車が停まった。
「伝言はつたえましたよ」
念を押されてから、車を降りた。
まだ油断はできない。ここが本当に事務所の近くなのか……。
「王海さん!」
峰岸の声がした。疑念は、杞憂だったようだ。
「無事でしたか?」
「ああ」
「いまのは?」
「捜査一課の人間らしい」
「じゃあ、桐野さんが?」
「いや……」
久保田と名乗っていた。
「……」
「王海さん?」
まだ疑惑は晴れていない。あれが芝居である可能性が残っている。捜査一課というのは嘘で、やはり公安なのかもしれない……。
公安なら、今回の一件について把握していても不思議ではない。つねにこちらを監視しているのだろうから。
自分が疑り深くなっているのも、ここ最近の流れを紐解けば、仕方のないことだ。
「車を出してくないか?」
頭を切り替える。
「どうするんですか?」
「一気にカタをつけようと思う」
すぐに峰岸が運転するワゴン車で、香川家に向かった。
その途中、電話でさゆりに釈放された報告をした。すぐに彼女の部屋へ顔を出さないことに、やはりご立腹の様子だ。
二人の子供たちは、元気にしているそうだ。世良の心配はしていなかった、と嫌味にもとれることを口にしていたのは、さゆりなりのストレス発散だったのかもしれない。
「さゆりさんがはずせない仕事の時間は、ぼくが面倒みてたんですからね」
峰岸からも、鋭いひと突きがあった。
「で、作戦は?」
「今回のことでわからないのは、二つだ」
「一つ目は?」
「だれが黒幕なのか」
「それは、香川夫妻の後ろにいる人物って意味ですよね?」
「ああ」
「あの島袋って悪徳警官じゃないんですか?」
「その後ろに、もっと大物がいるはずだ。目黒署長だと疑ったんだが……」
「あの女署長さんですか?」
「ああ」
「その言い方だと、考えが変わったみたいですね」
やはり、キャリア署長が手を染めるような案件とは思えない。多額の報酬に眼がくらむことがあったとしても、将来を棒に振るかもしれないリスクを負うだろうか?
「もう一つは、なんですか?」
峰岸のほうから、話を進めた。
「香川夫妻の態度の変化だ。最初は、むしろこっちとあっちの利害は一致していた」
あの子たちが成人するまで、という期限付きだが。
「なにか、もっと後ろめたいことがあるんだと思う」
「王海さんのことだから、もう目星はつけてあるんじゃないですか?」
「まあね」
それから三十分ほどで、目的地についた。
「たずねますか?」
「あのときの盗聴器は?」
「あのままです。はずされてなかったら、ですが」
峰岸のことだから、すぐに見破られるところには仕掛けていないはずだ。
「聞きますか?」
世良はうなずいた。
峰岸が後部席に移った。車内のスピーカーから、ノイズが聞こえた。
なにも会話はない。
正確には、テレビCMと思われる音声が、雑音のむこうで流れていた。
「ゆさぶりをかけようか」
「どうするんですか?」
「おれが自由の身になったことをアピールしよう」
「やっぱり、たずねるんですか?」
「いや、島袋の名刺をもってるよね」
「はい。じゃあ、島袋にかけますね」
数秒後、
『どちらさまですか?』
そんな声が耳に届いた。
「王海さん」
携帯を渡された。
「もしもし、島袋さんですか? 世良です」
『お、おまえ……』
「どうですか、おかわりありませんか?」
わざと、そんな言い方をした。
『く……』
「刑務課だったんですね。てっきり、刑事課かと思ってましたよ」
『……いまどこにいるんだ?』
「事務所ですよ」
『バカな……本庁に身柄をもってかれたはずだ』
「もうそのことを知ってるんですか。このとおり、すでに自由の身です」
『そんな……嘘だ』
「こうやって電話をかけてるんです。拘束されたままなら、できないことだ」
『本当に……釈放されたのか?』
答えないままに、峰岸へ返した。峰岸は、すぐに切った。
「これで、動きますかね?」
五分ほど経って、スピーカーから携帯の着信音が鳴り出した。
『どうしました?』
香川の声。
『釈放? どういうことですか?』
相手は島袋でまちがいないようだ。
『子供たちを取り返してください!』
『かして!』
夫人の声が割って入った。
『あの探偵を殺して!』
物騒なことを口にしている。
『そちらも片足を突っ込んでるのよ!? なんですって!? とぼけるつもり!?』
これまで夫人のほうは、世良との会話には加わることは少なかった。だが本当の首謀者は、夫人のほうなのかもしれない。
『あれをとってるんだから!』
しばらく、静まりかえった。ノイズ音だけが続く。
『いいわね、どうにかして』
そこで通話は終わったようだ。
いまの会話の内容を、峰岸に説明した。
「とってるって、なにかを録画しているということですかね?」
「録音なのか……」
島袋とのやりとりを、保険として記録しているのだ。それとも、ゆすりのネタとして。
「どんな内容ですかね?」
「証拠だろうね」
「証拠?」
「そうだ。あの子たちの両親を殺害した」
「え!?」
さすがの峰岸でも、絶句したようだ。
これが最悪の想定だ。
「だから、おれたちの介入を避けたかったんだ。同じ元警官でも、不祥事をおこしたような人間なら取り込もうとしたんだろうが」
「じゃあ、警察官が両親の殺害に協力したってことですか?」
「そういうことになる。隠蔽にも、まちがいなく協力しているだろう」
「その証拠が、この家にあるってことですね」
峰岸はきっと、ルリたちの家の方向を見ているのだろう。すでに買い手がついている場合は、あの子たちの家ではなくなっていることになるが。
「どうやって、その証拠を手に入れましょうか。警察に踏み込んでもらいますか?」
ここでいう警察とは、島袋のような問題のある警官ではなく、まともな警察官という意味だ。
「さすがにムリだ。桐野でも動けない」
「じゃあ、忍び込みますか?」
「それこそ、本当の犯罪者になってしまう」
「打つ手なしじゃないですか……」
その声は、責めているような色がふくまれている。ただし、その奥には期待の感情も見え隠れしていた。
「まともな警察官は動かせない。ならば、まともじゃない警察官に動いてもらえばいいんだよ」
「……だんだん、悪さに磨きがかかってきましたね」
楽しそうな響きがともなっていた。
「また島袋さんにかけるんですね?」
「たのむ」
「お安い御用です」
再び峰岸がかけて、世良が出た。
『……なんだ、まだ用か? さっきは勝手に切りやがって!』
「すみませんね。電波が悪かったもので」
『嘘つけ!』
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないですか。それよりも、耳寄りな話があるんですよ」
『ふざけるな! 切るぞ!』
「いいんですか? 島袋さんにとっても、悪い話じゃないと思うんですがね」
『……なんだ? くだらないことなら、許さないぞ!』
不安になっている人間は、藁をもすがりたい心境なのだ。
「香川さんから、交渉をもちかけられました」
『交渉?』
「こちらを取りこもうとしているみたいです」
『……なんて言われた!?』
「どうやら、あなたと組むよりも、こちらと組んだほうが得だと心変わりしようだ。子供たちは、こちらで保護していますからね」
『嘘をつくな……』
「こちらとしても、最終的には金になるほうと組みたい」
『正体をあらわしたな!』
「聞かせてくれるみたいですよ」
『聞かせる? なにをだ!?』
「いや、それは映像なのかもしれない。とにかく、あなたとの癒着の証拠なんでしょう」
『……』
「むこうは、一千万を提示してきましたよ」
『う、嘘だ……』
「あなたは、いくら出せますか?」
『警官の給料なんて、おまえもよく知ってるだろう!?』
「あなたの後ろにいる人物に、お願いしてはどうですか?」
『な、なんのことだ……たとえそんな人物がいたとしても、出せるわけないだろう!』
それはそうだ。香川夫妻が、ルリたちの遺産を横取りしないかぎり、資金は生まれない。島袋たちは結局、その利益にむさぼりついたハイエナなのだ。
「金じゃなくても、こっちに利益があればいい」
『具体的に言ってくれ』
「それは、そっちで考えろ」
世良は突き放した。
『わ、わかった……検討する』
「よく考えろよ」
通話を切った。
「すっごく悪者でした」
峰岸の声は、とても楽しげだった。
「王海さんの思惑どおりに動いてくれますかね?」
「やつらが天秤にかけるとしたら、まちがいなく香川夫妻といままでどおりの関係を続けようとする。そうでなければ、なんの儲けにもならないからな」
「それじゃあマズいんじゃないですか?」
「ただし、香川夫妻のもっている癒着の証拠が邪魔になる。それがおおやけになれば、身の破滅だ。とすると、香川夫妻からそれを奪うしかない。その証拠は島袋だけではなく、香川夫妻にとっても身の破滅を意味するから、奪ったあとは夫妻を支配するための道具にするつもりだ」
「なんだか、不毛な争いですね」
おたがいにとって、証拠は諸刃の剣なのだ。
「香川夫妻からイニシアチブを奪ったら、今度はおれたちと交渉するはずだ。あの子たちは、こっちにいるんだから」
「もう勝手にやってろって感じですね」
峰岸の発言には同意するが、自分たちもその愚かな行為に加担してるのだ。
「じゃあ、しばらく静観するんですね?」
世良はうなずいた。
島袋が、いつ行動をおこすか……。
6
想像よりも、行動が早かったようだ。
その日の夜に、ルリたちの実家──香川夫妻の住む家に、侵入する影があった。
悟られぬように、離れた場所で世良たちは待機していた。家の周囲には、いくつもマイクを仕掛けてあるから、行動がまるわかりだ。
「このまま盗んでくれるのを祈りましょう」
峰岸の言うとおりなのだが、犯罪行為を見過ごしていることになる。
さらに懸念材料として、すんなり盗み出してくれればいいが、もし手間取って香川夫妻に発見された場合、争いになって傷害事件、さらには殺人事件にまで発展してしまうかもしれない。
悪人同士が傷をつけあうぶんには、同情しない。とはいえ、死なれても困る。
「ところで、島袋さんはブツのありかをわかってるんですかね?」
ブツという言い方に、悪だくみ的なものを感じた。
「どうだろうね」
そもそも、録画なのか、録音なのかもわかっていない。携帯電話ならどちらでも可能だが、ICレコーダーかもしれないし、デジタルカメラなのかもしれない。
カシャン!
なにかが割れる音が響いた。
さらに、夫人の悲鳴。
「まずい事態ですね」
慌てた様子もなく、峰岸が言った。これまでよりも多くのマイクを設置している関係上、峰岸の耳でも聞き取れるほどに大きい。
「しょうがいなから、助けに行こうか」
「もう少し待ったほうがよくないですか?」
島袋が確実にブツを手に入れるのを待ってから、との主張だ。
「ん?」
世良の耳が、かすかな物音をとらえた。
どういうことだ?
トントン、と激しいノックの音。
『香川さん! 何事ですか!?』
島袋の声。
「なるほど」
世良は、悪い意味で感心した。
「なにがおこってるんですか?」
「島袋は、自分で盗みに入らなかったんだ」
「え?」
「だれかにやらせた。そして何食わぬ顔で、そいつを逮捕する」
「うまいやり方ですね。犯人は、闇バイトで募集したんですね」
「たぶんね。これで、盗んだものを合法的に入手することができる」
厳密にいえば、押収品をネコババするわけだから、犯罪行為ではあるが。
「出遅れちゃいましたね。このまま、島袋さんに奪われちゃっていいんですか? まあ、計画では盗みに入った島袋さんから譲ってもらおうとしてたんですけどね」
譲ってもらう、というのは上品に変換した表現だ。
が、それをするには島袋が違法行為をしていなければならなかった。正規の警察官としての職務なら、弱みにつけこむわけにはいかない。
「でも、島袋さんは刑事課じゃないんですよね?」
その考えを伝えたら、峰岸がそう指摘した。
「たとえ経理担当でも、警察官は逮捕権をもっている。現行犯なら部署も管轄も関係ない。事務職採用の警察職員なら話はべつだが」
正確には、警察職員でも現行犯ならば逮捕することはできる。というより、一般市民でもそれはできるのだ。
「横取りは、どうするんですか?」
「難しいな……」
どうするか思案をはじめたときに、数台の車が香川邸の前に停まる音が聞こえた。大勢が降りて、島袋を取り囲んだようだ。
「なんですかね?」
家のなかにも入り込んでいるはずだ。
『確保しました!』
どのような光景なのか、まだ理解はおよばない。
『島袋さん、あなたからも事情を聞かせてもらいます』
侵入犯と島袋が確保されたようだ。
「王海さん、どうします?」
「行ってみよう」
世良は、ワゴン車から降りた。
峰岸とともに、香川邸──ルリの実家の正面に急いだ。
「大勢の捜査員がいます。島袋さんは、おとなしくしていますね」
声を出していれば、世良にもわかるのだが。
「犯人どこだろ……あの、おとなしそうな人かな?」
そのとき、背後から足音がした。男性のものではない。ヒールの音がするから、女性のはずだ。
「遅いご登場ですね」
目黒署長だった。
世良は振り返った。振り返っても眼には見えないが。
「どういうことですか?」
一応、説明を求めた。
「知りませんでしたか? わたしの叔父は、警視総監なんですよ」
総監?
すると、本庁に情報を流していたのは、この署長だったことになる。
「あなたが、島袋の後ろにいたんじゃないんですか?」
「やめてよ。そんなことして、わたしになんの得があるの? あなただったら、それぐらい推理していたんじゃないの?」
そのとおりだ。それは考えていた。そして、総監の親族であるとわかったいまは、より一層、その思いが強くなった。総監の親族が裕福な家庭であるときまっているわけではないが、小銭を稼ぐために犯罪行為に手を染めるのは、どう考慮してもナンセンスだ。
「もし、そのことに思い至っていなかったのなら、世良王海という男には失望するわね」
「悪評だったのでは?」
「評判の良し悪しは、それとは関係ありません」
よくわからない理屈だ。
「では、島袋の後ろにいるのは?」
「あなたも会ったでしょ」
「会った?」
「あなたふうにいえば、声を聞いた……ってことかな?」
思い当たったのは、副署長の新藤だ。それならば納得がいく。お飾りであるキャリア署長よりも、実権を握っているのは副署長のほうだ。
「黒幕は、副署長か」
「すでに拘束してるわ」
ということは、副署長の汚職を糾弾していることになる。
「あなたのキャリアに傷がつくのでは?」
「心配無用よ。おじさんがどうにかしてくれる」
そういうところは、典型的な権力者思考だ。これで悪事に加担していたら、それこそ最悪な暴君となっているかもしれない。
会話に近づく気配があった。
「証拠は回収した?」
近づいてきた人物に、署長が声をかけた。
「はい」
その返事の直後に、香川夫妻の嘆き声が耳に届いた。これまでは家のなかにいたようだが、いてもたってもいられずに出てきたのだろう。
「それは、おれたちのものだ!」
署長は意に介したふうもなく、再び世良との会話を再開した。
「で、これの正体は?」
重要な証拠であることはわかっているようだが、それがなんであるのかまでは知らないらしい。
「見た目は?」
「スマートフォンね」
「それは、むかし使ってたやつよ! いまは使用してない!」
香川夫人が、金切り声をあげた。
「つかってない携帯を大事にしまってたの?」
「そういうこともあるでしょう!?」
署長は夫人を受け流して、世良に質問を投げかけた。
「これが、なんの証拠になるの?」
「そのなかに、画像か音声データが入っているはずです」
「そんなのはわってるわよ。なんのデータなのかを知りたいの。もったいぶらずに言って」
この場で確認すればいいことだ。しかし、キャリア署長に自ら行動をおこすという概念はないのかもしれない。
「おそらく、島袋さんが関与した証拠ですよ」
「それもわかってる。なにに関与したの?」
イライラした感情が伝わってきた。
「殺人ですよ」
場が凍りついたのを肌で感じた。
「殺人? だれを殺害したというの?」
「この家のもとの住人です」
「まさか……」
「事故じゃなかったんだ。香川夫妻が仕掛けた。そして、それを隠蔽するために島袋が協力した」
「まってよ。島袋巡査部長は、刑事課でも交通課でもないのよ。なにを協力したっていうの?」
「最初にあったときから、匂いがした。オイルの匂いだ」
「オイル?」
「たぶん、車をいじるのが趣味なんだろう」
署長から衣擦れの音がした。島袋のほうを向いたのだ。
「それじゃあ……」
「車に細工をして、事故にみせかけた」
「……なんてことを」
目黒署長の声は、むしろ呆然としていた。
「う……」
島袋は、呻きのような声を一瞬だけもらした。香川夫妻は観念したのか、無言だ。
「捜査は、そちらにおまかせします」
世良は言った。
「どのみち、探偵に捜査権はない」
少し強気をとりもどした目黒署長が言い返した。
自分の署で殺人犯を出したとしたら、さすがに警視総監の姪でもキャリアに傷がつくだろう。
だが世良にとっては、このことが依頼目的ではないのだ。まだやることが残っている。
7
数日後、ルリたちをあの家につれてきた。さゆりと、峰岸もいっしょだ。
香川夫妻は、殺人の容疑で取り調べをうけている最中だ。すでに島袋が殺害への関与を認めているから、夫妻もじきに逮捕されるだろう。
ただし、今回の警察側の黒幕ともいえる新藤副署長は、べつの署に異動しただけで、なんのペナルティもうけなかったという。屋上で会った制服警察官に扮していた二人の刑事たちも、なにごともなく職務を続けているということだった。そこは釈然としないが、女署長としても、これ以上の大量処分者を出すわけにいかない裏事情もあったと推察できる。
二人の子供たちは、施設に入ることになった。この子たちの両親を殺害したことで、香川夫妻に遺産が転がり込むことはなくなったとみていいだろう。出所するころには、ルリたちは、とっくに成人している。それどころか罪を考えれば、一生出てこられないかもしれない。
「……でも、この家はもう売却されてるんですよね?」
峰岸が静かに言った。彼にしては、元気のない発言だった。
ルリの消沈した表情を予想した。
「ああ。ある資産家が、五億で購入したようだ」
これまでに知り得た事実を伝えた。
ギュッと、ルリの手をさゆりが握ったのではないだろうか。
「だから──」
が、この話には続きがあった。
「さらに五億を出して、おれが買った」
一同から、なにも反応がなかった。
数秒遅れて、
「王海さん?」
「だから、五億をさらに出して買ったんだ」
「さらに五億?」
まだ意味が理解されていないようだ。
「え、まってください……五億で売れたこの家を、さらに五億を出して買った?」
「そう」
「まさかとは思うんですけど……それって十億でここを買いもどしたってことですか?」
「そうなるね」
「ええ!?」
峰岸の大きな声が、場の静寂を壊した。
「十億って……どこにそんなお金が……」
「《かかし》から、誘拐事件のときの報酬受け取りを迫られていたからね。それを使わせてもらった」
「浅田光次郎のやつですよね……あれ、そんなに高額だったんですか!?」
「そういうことだ。だからこの家は、きみたちのものだ。大人になって施設を出たら、もどってくればいい」
「……ありがとう」
ボソッと、ルリが言った。
「でも、コテイシサンゼイとか、はらえない」
その返ってきた言葉に、世良は顔をゆがめた。
「子供は、そんなこと心配しなくてもいいのよ」
さゆりが、言葉を添えた。
「よくそんな難しいこと知ってるね……」
峰岸も引いているようだ。
「大丈夫だよ。名義をおれのままにしておけば、税金は浅田光次郎の遺産から支払われる」
今回の迷惑料として、《かかし》から提案があったのだ。
「だからこの家は、きみたち二人のものだ。大人になったら、ここに住めばいい」
やさしい風が吹いた。
それほど強い風ではないのに、子供たちの容姿を脳内に浮かび上がらせてくれた。
それは一瞬。
世良はその不思議な現象を、事件を解決させたご褒美だと思うことにした。
* * *
数日後、世良は《かかし》と対面した。
「噂を聞いたよ。どこかの副署長と、警察官数名が、暴漢に襲われたってな。重症を負ったそうな……」
おもしろがるように、《かかし》はそう発言した。
「そうですか」
「おまえさんが関与したんじゃないのかな?」
「いいえ」
それは本当だ。
「そうか……では、どこかの奇特な人物が狙ったのか」
「たぶん、天罰がくだったんじゃないですか?」
「天罰か……」
今日は、世良のほうから会うことを望んだのだ。
「あなたの言葉が引っかかってました」
世良が切り出した。
「この歳になると、どんな人間でも孫が可愛い──」
「そのようなことを言ったかもしれんな」
「それはたんに、あの子たちのことだと最初は思いました。いえ、それもあったんでしょうが、もう一つの意味に気づきました」
「ほう」
「ですから、調べさせてもらいました。一応、これでも探偵なので」
「なにを調べたのかな?」
「あなたのことではありません」
この男のことを調べたところで、なにもわからないだろう。
「目黒署長です」
目黒署長の家は、曾祖父の代からの名家といえる。署長の父親は婿養子で、母親が目黒家の実子ということになるようだ。しかし本当は、母親とその両親──署長の母親と祖父母とは血のつながりがないらしい。
「目黒署長が、あなたの孫なんじゃないですか?」
署長がその事実を知っているのかわからない。が、たとえいまのつながりがなくても、目黒家との関係が消えていなければ、警察署に侵入できた理由にもなる。叔父が警視総監なのだ。
「わしのような人間は、家族をもってはいけないんだ」
それは否定なのだろうか、それとも……。




