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遠い声Ⅲ  作者: てんの翔
11/16

VOICE.4 五歳と六歳の大冒険 中編

       2


 翌朝、峰岸にむかえにきてもらって、子供たちの家へ向かった。

 子供たちと、いっしょに行くわけにはいかない。ルリの言っていたことが子供独特の妄想か、考えすぎであることがわかるまで、二人にはそのまま、さゆりの部屋にいてもらう。夜からナレーションの仕事が入っているそうだが、それまでにはもどれるだろう。

「大きいです。かなりの資産家みたいですね」

 ルリが語った住所に、まちがいはなかったようだ。

 なるほど。遺産の話の信憑性が増した。

 高級住宅地と呼ばれる場所だ。たずねると、あの子たちの新しい両親に会うことができた。

 子供たちの話をしても、ああそうなんですか、としか口にしなかった。平日のこの時間に在宅しているということは、どういう仕事に就いているのだろう。

「失礼ですが、ご職業は?」

「会社の経営をしています」

 午後からの出社でいいそうだ。絵にかいたような殿様出勤だ。

「で、あの子たちは元気にしてますか?」

 他人事のような発言だった。

「心配ではないのですか?」

「あなたのような立派な方に保護してもらえるのなら、心配なんてしませんよ」

 こうして探偵がたずねてきて、あなたのお子さんを預かっていると告げたら、普通はこういう反応にはならない。それこそ警察沙汰になるだろう。

「ルリさんが、どうもあなた方に殺されるのではないかと心配しているようなんです」

 常識が通用しない相手なら、遠回しな表現は必要ない。

「ははは、あの子は妄想癖がありますので」

 二人は、笑い飛ばした。

「すぐに殺されないことはわかっているようです。あの子たちが成人したら、殺されてしまう──だから、そのまえにあの子たちは自ら命を絶とうとしている。あなたたちに遺産が渡らないように」

 さて、どんな表情に変わっただろう。

「おそらく、あの子たちが成人するまえに死亡したら、遺産はべつのところに消えてしまうんでしょうね。その成人が二十歳なのか、十八歳なのかはわかりませんが」

「当たってるみたいです」

 峰岸が、二人の顔色からそう導き出していた。

「あの子から、なにを吹き込まれたのか知りませんが……からかわれてるんですよ」

「まだしばらくは、あの子たちは安全のようですが、こんな家に住むのはどうなんでしょう」

 遠慮せずに世良は言った。

「あなたたちにしてみれば、成人するまで死にさえしなければ、どこにいてもいいんでしょう?」

「……乱暴な言い方ですね」

「とりあえず、もうしばらくこちらで保護しますよ。いいですね?」

 二人から反論はなかった。

「なにか話があるときは、こちらの番号にかけてください」

 世良の携帯番号を記した紙を渡した。

 家を出て、周囲で聞き込みをした。

 もともとこの家の主だった夫婦は、セキュリティソフトの開発で財を成したようだ。自動車事故で死亡した時点で、ともに四十代後半──あの子たちの年齢を考慮すれば、歳をいってからの子供だった。

 今日会ったあの二人は、死亡した夫婦──妻のほうの弟夫婦のようだ。いつのまにかあの家に入り込み、ルリたちの親になった。

 法的にどのような親子関係になっているのか近所の人は把握しておらず、遺産の話も知らないようだった。

「ちゃんとした親族なら、いまの親はあの二人で有効なんですよね?」

「ちゃんとした、ならね」

「でも、ずっとその子供たちをあずかるんですか?」

 まだ峰岸は、ルリたちには会っていない。

「どうだろうね……」

「不適格な親なら、施設に入れることも考えたほうが」

 峰岸の言うとおりだ。

 その日も、さゆりの家に子供たちは泊まった。彼女ばかりに負担をかけるわけにはいかないので、世良もいっしょだ。ただし、さゆりの負担がさらに増しているようで、気が引けたのだが。

「イヤなひとたちだったでしょ?」

 ルリにきかれた。

「なんと言えばいいかな」

 答えに困った。

「ほら」

 頭の良い子だ──素直に思った。

「いかりんぐ」

 弟のハルトのほうは、無邪気に食事をしている。さゆりが揚げ物をつくっていたことはわかっていたが、イカリングだったようだ。

「すきなの」

 ルリが言った。この子の好物を事前にさゆりは聞いていたのだろう。

「ほかにも、エビフライがありますよ」

 いまは難題をわきに置いて、食べることに集中しよう。

「いかりんぐ」

 家族をもつということは、こういうことなのだろうか。ふと世良の脳裏に、そんなことが浮かんだ。

 考えたことはなかった。

 眼をつぶされたときに、こういう幸せはあきらめた。いや、もしかしたらそれは、公安部に配属されたときだったのかもしれない。

「どうしたんですか?」

 さゆりの声で、思いを振り切った。

「なんでもないよ」

「こういうの、ひさしぶり」

 ふと、ルリが感想をもらした。

 本当の両親が亡くなって、いまの新しい両親では、このような食卓は望めなかっただろう。

「遠慮なく食べてね」

「いかりんぐ」

 この食卓も、結局は疑似家族だ。それでも、いまだけは頼れる親だと信じてもらいたかった。



 食事を終え、今夜はベッドでさゆりと二人の子供たちでいっしょに眠ることになった。世良だけはリビングだったが、ベッドの広さ的に仕方がない。

 翌朝、世良の携帯に、新しい両親から連絡があった。話がしたい、と短く言われた。どんな内容の話し合いであれ、行くしかないないだろう。

 峰岸の到着を待って、ルリの家へ向かった。

 今日は、さゆりが完全オフということなので、時間を気にする必要はない。

「なんの話ですかね?」

「懐柔してくるか、脅してくるか」

「懐柔って?」

 じつは、両者の思惑は途中まで一致している。世良も、あの子たちの死は望んでいないし、新しい両親にとっても、成人するまでは生きてもらわなければならない。

「──だから、協力をもちかけてくるかもしれない」

「脅してくる場合は?」

 大人の協力者があの子たちのそばにいれば、いろいろマズいと考えた。子供たちを返せと圧力をかけてくる。

「周囲に異変はない?」

「どんなことですか?」

「停まってる車は?」

「あります」

 自分たち以外に来客があるということだ。

 家のなかに入った。案内された部屋には、両親以外の気配があった。オイルのような機械的な匂いがする。

「こちらは、刑事の島袋さんです」

 そう紹介された。峰岸が名刺を受け取ったようだ。

「探偵、ということでしたね?」

 太い声だった。

「こちらの家のお子さんたちをあずかっているとか」

「はい」

「とりようによっては、誘拐にもなりますよ」

「逮捕しますか?」

 世良は、余裕を崩さずに言った。

「それは、香川さんの意向によります」

 香川とは、新しい両親の苗字になる。ルリたちの母親の弟夫婦だから、もともとこの家はべつの姓だったはずだ。

「こちらは、かまいませんよ」

 世良は言った。

「どういう意味ですか?」

「誘拐として被害届を出してもらっても」

 数秒、沈黙がおとずれた。

「すごい自信ですね。摘発されないと考えているようですが、警察は甘くないですよ」

 世良は、笑みをこぼした。

「なにがおかしいのですか?」

 島袋の声には、少し怒りがこもっていた。

「いえ、失礼しました。ですが、甘くないというのなら、この時点で動いていなければならないはずです」

「いいんですか、それで?」

「ええ。ですから、かまいませんとお伝えしているんです」

「警察が動けば、そちらの免許もなくなりますよ」

 正確には、探偵業に免許制度はない。警察署へ届けを出して、公安委員会から営業の許可を得ることになる。そして『探偵業届出証明書』が交付される。そのことを免許と呼んでいるのだろう。

「こちらに不正があれば、それは仕方のないことです」

 まさか堂々と言い返されるとは考えていなかったようだ。数秒間、島袋は押し黙った。

「……探偵なんて、叩けばほこりが出るんじゃないですか?」

 ぷ、と峰岸が吹き出していた。

「そんなにおかしいですか?」

 怒りを隠すこともなく、島袋は追求した。

「助手が失礼しました」

 世良が冷静に受け流した。

「そちらが刑事さんをつれてきた意図は計りかねますが、こちらは叩かれても不都合はありません」

 きっぱりと伝えた。

「ほう……」

 余裕を演出しているようだが、声音の奥に波紋が広がっている。こうまで屈しないとは想定していなかったのだろう。

「お話はわかりましたので、これで失礼しますよ」

 世良は立ち上がった。

 玄関扉から出ると、峰岸が車とは別方向に歩き出した。世良はそのまま、車に直進する。

 峰岸は、すぐにもどってきた。

「仕掛けました」

 ワゴン車を発進させ、しばらくして停まった。

 二人して、後部席に移動する。

「窓の外ですから、王海さんしか聞き取れませんよ」

 盗聴器──と呼ぶと犯罪チックだから、マイクということにする。

「室内じゃないから、ギリギリセーフですよね?」

 世良は、笑みで答えた。ギリギリアウトなら、まだいいほうだろう。

『ジー……なんです……ジー……あの男──』

 窓の振動で音をひろうタイプのマイクだ。雑音が激しい。

「ちょっと待ってください」

 後部席には峰岸が厳選している機器が設置されている。微細な調節で鮮明な声をさぐっているのだ。

『──ああいうのは、裏にヤバいのがいるのかもしれない』

 ハッキリと聞き取れた。ただし、あくまでも世良にだけだ。

『裏って、反社とかですか?』

『ええ。おれにビビらなかったってことは、元警官かもしれない。やめて探偵ってのは、そういうのが多いんです』

『危険ですか?』

『警備会社に入るのは、円満退社だ。探偵は、不祥事でやめたやつが多い』

 偏見に満ちた言葉だった。

『大丈夫なんですか?』

『薄汚いやつなら、このあと取引をもちかけてくるはずです』

『どうしたほうがいいですか?』

『遺産というのは、どれぐらいなんですか? その額によっては、交渉に応じたほうがいいかもしれない』

『百万ぐらいなら、かまいませんが』

 なんとも生々しい会話だ。

『とんでない金を要求されたら?』

 それまでは男たち二人の話し合いだったが、女性が入り込んだ。香川の妻だろう。

『恐喝で逮捕できませんか?』

『できますが……いいんですね?』

 つまり、あなたたちの後ろ暗いところを突っつかれますが、それでもいいんですね──と確認をとったのだ。

『それはまずい』

 夫のほうが言った。

『とりあえず、あの探偵がどう出るか様子をみる必要があります』

そこで悪だくみは終わったようだ。

「どうしますか?」

「とりあえず、事務所にもどろう」

 口にして気がついた。島袋の「とりあえず」がうつってしまったのだ。

 世良は吹き出しそうになったが、むこうの会話は峰岸には聞こえていなかったので、なんとかこらえた。


       3


「次の作戦は考えてるんですか?」

 事務所でのんびりしていたら、峰岸から質問された。

「まあ、いまはむこうの出方しだいだね」

「そんなことでいいんですか? むこうも、王海さんの出方を様子見してるんですよ」

「だからだよ」

「……問題の子供たちは、きっと不安でしょうね」

「ああ」

「はやく解決してあげたいですね」

 ここで重要なのが、なにをもって解決とするのか──。

「王海さんのことですから、どうやって幕を引くかは、もう考えてあるんでしょう?」

「うーん」

 返事に困った。

 峰岸は、世良のことを絶対的なスーパーマンだとでも思っているようだ。

「引っかかることがあるんですか?」

「まあね」

「聞かせてください」

「……彼らは、警察が介入することに拒否感があった」

「といっても、あの島袋という人も刑事ですよね」

「まともな、ってこと」

「買収されてるんですかね?」

「そうだろうね」

「でも、だとしたら……遺産を手に入れなくても、けっこうな資産家なんじゃないですか?」

 そういうことかもしれない。そもそも、あの子たちへ残された遺産を横取りしたとしても、それはまだ何年も先の話だ。

「調べたほうがいいですかね?」

「うん」

 わざと曖昧に返事をした。

 それよりも考えたいことがあるのだ。

「どうしたんですか?」

「警察を嫌がることがね」

「悪だくみをしてる人たちは、そういうものでしょう?」

 ふふ、と笑ってしまった。そのとおりだからだ。しかし、それだけではないような気がするのだ。

 根拠はない。

 もしその勘が当たっていたとしたら、一つ考えられることがある。それは、とても不吉で、残酷な推論だ。

 あの子たちの無垢な姿が頭に浮かんだ。もちろんそれは、想像の容姿でしかない。

 はずれていてほしい……。


       4


 翌日は、朝からさゆりが仕事だったので、世良が二人の相手をして夕方まで過ごしていた。

 さゆりが帰ってきたところで、ちょうど峰岸がむかえにきた。

「こんにちは」

 峰岸が二人に挨拶をしていた。はじめて会うことになるはずだ。

「……このひとは?」

「おじさんの仕事を手伝ってもらってるんだ」

「ふうん」

 ルリの返事は、気のないものだった。

「どんなかんじ?」

「え?」

「あのひとたち、ゆだんならないから」

「……本当に、子供ですか?」

 峰岸が、困惑の声をあげていた。

「あ、それでいままでぼく一人で聞き込みしてたんですけど」

 ぼく一人、というところを強調していた。

「香川夫妻が資産家ということはなさそうですね。まあ、近所での聞き込みだから、どこまで信憑性があるか、ですけど」

「しさん? かねもちかってこと?」

「うん、そういうこと」

 ルリと峰岸の波長が、ぴったりと合っているようだった。

「あのひとたちは、パパとママのおかねをくいものにしてるの」

「でも、それだと……ニセ警察官を雇ったり、刑事に賄賂を渡したりできませんよね?」

 峰岸は、ルリと世良と交互に会話をしていた。

「それと関係あるのかな、聞き込みで耳にしたんですけど」

「どんなこと?」

「ここ最近……もしかしたら少しまえの話かもしれないですけど、不動産屋が見て回ってるって。何社も来てたみたいです」

「そうか……」

「王海さん?」

 世良は、ルリが気になった。

「なあに?」

 ルリにも、それがわかってしまったようだ。

「……たぶん、家だ」

「家を売却したってことですか?」

 世良は、うなずいた。

「たしかに……あの家なら、かなりの額になったでしょうね」

 ルリは、どんな顔をしているだろう。

「おうち……もうないの?」

 見えなくても、ルリが弟に視線を向けたことがわかった。いまハルトは、車のおもちゃで遊んでいるはずだ。さゆりが買ってきたものだ。

「いや、まだ住んでるから、すぐに出ていく契約じゃないはずだ」

「世良さん……なんとかなりませんか?」

 それまでのやりとりには無言だったさゆりが言った。

「その家は、この子たちが両親と過ごした大切な場所です」

「……勝負をかけるか」

 世良は、つぶやいた。

「王海さん?」

「行こうか」

「幕引きを決めたんですね?」

 返事をせずに、さゆりの家を出た。

「で、どこに?」

「警察署へ」

「そうきますか」

 感心しているような声だが、少し演技が入っているようだ。

 香川家──ルリの実家付近を管轄としている警察署を訪れて、受付で島袋を呼び出した。

「どういったご用件でしょうか?」

 島袋も偽物の可能性があった。もしくは、ちがう署に所属しているか。しかし、ちゃんとこの署に在籍していたらしい。

 峰岸が受け取っていた島袋の名刺には、所属警察署はおろか、階級や警視庁という名称すら書かれていなかった。名前と電話番号だけの簡素なものだったのだ。

「捜査の件で会う約束をしているのですが」

 もちろん、嘘だ。

「あの、お名前は?」

「世良といいます」

「少々、お待ちください」

 五分ほど経過した。

「王海さん……様子がおかしいですよ」

 数人の足音が、こちらに向かっていた。

「島袋のお知り合いでしょうか?」

「はい」

「捜査の件ということですが、どういった捜査でしょうか?」

「……」

 世良は答えなかった。ここは、むこうの言葉を待ったほうが得策だ。

「島袋は、警務課の人間ですが」

 なるほど。だから不審に思われたのだ。「捜査の件」と口にしたのはマズかったようだ。だが、世良にやましいところはない。困るのは、島袋のほうだ。

「いまはそうなのでしょうが、以前は捜査を担当されていたはずです」

 会話の雰囲気だと、生安のイメージがあった。

「島袋さんを呼んでいただければ、嘘でないことはわかります」

「……こちらへどうぞ」

 彼らの先導で、奥へ進んでいく。

「エレベーターです」

 峰岸の助言で、乗り込んだ。

 上昇後、少し進んだ。

「部屋に入ります」

 声のトーンが、少しおかしかった。案内された部屋が特殊なところなのだ。

 取調室?

 いや、踏み込んだ足音の響きが、思いのほか広い空間だと告げていた。

「世良さんですね?」

 部屋で待っていたであろう人物から声をかけられた。年齢は五十歳前後になるだろう。

「あなたは?」

「ここの副署長をしている新藤です」

 部屋には、もう一人いるはずだ。

「こちらが、目黒署長です」

 どうやら、ここは署長室らしい。

「あなたの悪評は聞いています」

 想像とはちがった。若い女性の声だ。

 いっていたとしても三十代、まだ二十代の可能性もある。署長でその年齢だとしたら、キャリアということになるはずだ。

「悪評って……」

 その声をもらしたのは、峰岸だ。

「王海さ……うちの所長は、評判だけはいいんですから」

 それはそれで、毒のある言葉だ。

「良し悪しは、噂を聞く側のとり方によるでしょう?」

 そう言い返されて、峰岸は納得してしまったようだ。

「警視総監でも頭があがらない、CIAからも一目置かれている──それらの噂も知っていますよ。バカげた話です」

 CIAのくだりだは初耳だ。

「それで、どういった用件なんですか? 島袋さんに会いにきたのですが」

 世良は、話を進めた。

「あと三ヵ月もすれば、わたしはべつの署へ赴任するでしょう」

 それが? という顔をして意思を伝えたつもりだ。

「ですから、そういうことです。あなたも元警察官なら、どういうことかおわかりでしょう?」

「おれは、叩き上げなので」

 わざと乱暴な言い回しをつかった。

「あら、キャリアとかノンキャリとか、ずいぶん考え方が古いのね」

 この女署長こそが、古臭くキャリアの威光を存分に享受しているように感じるのは、世良の思い過ごしだろうか?

「要は、あなたがここでの任期をまっとうするまで、経歴に傷をつけたくないということでしょう?」

「わかっていただいて、恐縮です」

 白々しい会話だ。

「世良さん、あなたが眼をつけている島袋という警察官は、こちらで処分しておきます」

「なにをやったか把握してるんですか?」

「いいえ」

 それはそうだろう。普段から不良警察官だったとしても、キャリア署長にそういう情報が入るとは思えない。キャリアには都合の良い報告しかあげないのは、ノンキャリでもわかる常識だ。

「ですが、あなたについては、よく把握しています」

「……」

「警察組織にとっての危険人物……わたしは、そう考えています」

 これまで桐野をはじめとした叩きあげの警察官との交流しかなかったから、さすがにそう思われていることに軽いショックがある。

 いや、そういう見方をしているセクションに思い至った。公安だ。公安も、世良のことを危険で迷惑者だと考えている。

 公安もエリートの集まりだ。自分は、そういう人種との相性が悪いようだ──世良は、自虐的に想像した。

「とにかく、今日のところはお引き取りを」

 有無を言わせぬ口調だった。若いとはいえ、署長を任せられているほどの人物だ。

 世良は、おとなしく退散することにした。

 が、翌朝、事態はさらに混迷することになった。

 またさゆりの家に泊まっていたが、慌ただしい気配に眼が覚めた。

「世良さん?」

 さゆりも起きていた。二人の姉弟たちは、まだ眠っている。かわいい寝息が途切れることはない。

「だれか来る」

 短く言った。

 すぐにインターホンが鳴った。このマンションはオートロックではないから、訪問者は扉の外まで来ていることになる。たてつづけにノックの音。

 さゆりが玄関に向かった。

「はい」

「警察です」

 そう返事があった。

 世良も玄関に急いだ。

「世良さん……見覚えのある顔がいる」

「見覚え?」

 すくなくとも、いまの声は知らない人物だった。人数は五人になるだろうか。さゆりは、インターホンに映った画像で確認したか、ドアの覗き窓から確認したはずだ。さゆりの部屋の設備を完全には把握していない。が、五人のうちのだれかを知っているということだろう。

 島袋だろうか?

 いや、島袋は事件捜査をする部署ではないはずだ。それに、さゆりは島袋に会ったことはない。

 すぐに、ルリたちと出会った夜のことを思い出した。

「まさか、あのときの警官か?」

「そう……」

 どういうことだ?

 彼らはニセ警官ではなかったということか?

 それとも、いま押しかけてきた五人ともが偽物?

「警察です、開けなさい!」

「どうしますか?」

 偽物なら、こんなに堂々とはやって来ないだろう。では、本物だとして……それは、どういうことを意味している?

「開けてくれ」

 瞬時に頭のなかで推理を組み立てていく。

 あれが偽物でなく、さらに捜査部門ではないにしても、島袋という本物の警察官を味方につけている。

 あの香川夫妻のコネクションとは、なんだ?

 扉が開いた。

「ここに香川瑠璃と香川遥斗がいるな!?」

 横柄な物言いが続いた。

「未成年者略取の疑いで、なかをあらためさせてもらう」

「令状はおもちですか?」

 毅然とさゆりが応じていた。

「必要なら請求する。抵抗した場合、公妨で逮捕することになる」

「では、請求してください」

 世良は言った。

「……」

 これで本当に請求したら、すくなくとも背後に警部補以上の警察官がいることになる。

「なんなら、逮捕状でもいいですよ」

 逮捕令状の場合は、請求できるのは警部以上だ。

「いきがらないでもらおう。緊急逮捕ってことでもいいんだ。家のなかに子供がいれば、現行犯逮捕も成立する」

「それは脅しですか?」

「どうとでもとれ」

「……かりに、なかをあらためて子供たちがいれば、どうするつもりだ?」

「保護するにきまってるだろ」

「子供たちは自分の意志で家を出たんだ。また同じことの繰り返しになる。親である香川夫妻とも、話がついてるはずだ」

「そんなことは知らない」

 それはそうだろう。彼らは、命令をうけているだけなのだ。

 わかった。

 彼らのバックにいるのは、あの女署長──目黒だ。所轄署長の階級は、警視正か警視になる。どんな令状であろうと請求することができるし、部下も自由に動かすことができる。

「おれが、おとなしく連行されるってことで手を打たないか?」

 世良は提案した。

「子供の保護が優先だ」

 どうしても、ルリたちと引き離したいようだ。

 世良の介入に、彼らは危機感を抱いている。

「おれを拘束できれば、あんたらにとって悪いことじゃないだろう? そういうふうに、指示を出した人間に言ってみろ」

「……なに言って」

「いいから、おうかがいをたてろって言ってるんだよ」

 世良は、わざと強い口調で言い放った。

「ちょっとまて」

 仲間内で少しやりとりがあってから、一人が連絡を入れたようだ。

「──わかりました」

 新たな指示がおりたのだ。

「……世良王海、署まで来てもらう」

 首尾よく妥協してくれた。

「あの子たちを頼む」

「わかった」

 世良は、彼らとともに警察署へ向かった。

 到着するまでのあいだ、彼らは無言で、世良も話しかけることはしなかった。その時間をつかって考察していたのだが、目黒署長の思惑をつかみかねていた。

 キャリア署長が、たとえ多額の金をちらつかせたとしても、悪事に加担しようとするだろうか?

 まだ事態の全貌が見えてこない。

 それになによりも、まだ香川夫妻は明確な犯罪行為をおこなっていない。保護者としては失格だし、そのことで罪に問われても不思議ではないが、世良の介入で急に焦る必要はないはずだ。こうして警察をも動かしているのだから。

 やはり、まだなにかある……。

 最悪の想像に、また一歩近づいた。

「とりあえす、今日は留置場に泊まってもらう」

 横柄な物言いで、そう宣告された。

「まだ朝のはずですが」

「こっちは忙しいんだ。ほかにもやることがたくさんある」

 言い返してやりたいところだが、それをのみこんだ。本当に、その日はなんの動きもなかった。

 時間の感覚にまちがいがなければ、深夜と呼ばれる時刻になろうとしていた。

 同じ房には、世良以外だれもいないはずだ。つまり独房と呼んでもいいはずなのに、人の気配が突然、わきあがった。

 そんなことができる人間を、世良は二人しか知らない。

「《かかし》だな?」

「左様」

「どうやって、侵入した?」

「こっち側の知り合いがいてな」

 それは、警察関係者に知り合いがいる、ということなのだろう。が、それにしても牢のなかに入っていることの答えにはなっていない。

「今回のことでは迷惑をかけてしまったようなので、その詫びにね」

「あの子たちとは、どうやって?」

「たまたま、みかけただけさ。どんな人間でも、歳を重ねると小さな子供が可愛くなるものだな。孫は可愛いとは、よくいったものよ」

 そのセリフだけを聞けば、孫を見守るやさしい老人のようだった。

「この警察署は、いろいろと問題を抱えているようだ」

 世良は言った。《かかし》にカマをかけたつもりだ。

「おまえさんがそう思うのなら、そうなんだろうよ」

「あの子たちの親……新しい親には、なにがある?」

「それはわからん。だが、人間が考えることなんて、いつの世も同じよ」

 達観したような言葉だ。この男にこそ、ふさわしい。

「ではな」

 どうやら、本当に用事はそれだけだったらしい。

「あ、そうそう、これはわしの勘だがね……今回のこと、陰謀というようなレベルではないようだ。ま、老婆心ながらに──」

 気配が消えた。

 牢のなかから、どうやって出たのか。

 それとも、まだここにとどまっているのか……。


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