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遠い声Ⅲ  作者: てんの翔
1/12

VOICE.1 十五年前のメッセージ 前編

       1


 その依頼人がやって来たのは、平日の午後だった。

 声質からは、四十歳ぐらいの印象をうける。さすがに本人に確かめるわけにもいかないし、この場で峰岸とそういう会話もできない。依頼人の女性は、赤松と名乗った。

 声をさがします、という看板が以前から気になっていたそうだ。

「この声なんです……」

 持参したICレコーダーから、男性の声が流れた。

『届けました。大丈夫ですか? では──』

 留守番電話に記録されていたものをレコーダーに移したようだ。

「この声の主をさがしてもらいたいんです」

「どれぐらいまえのものですか?」

「……十五年ぐらいです」

 答えることに、ためらいがあった。かなりむかしのものだからだろう。

「もともとは、実家の固定電話に入っていたものです」

 現在では両親が他界してしまったので、すでに実家は人手に渡っているということだった。電話を処分するときに、この音声をレコーダーに録音したのだという。

「この方に、心当たりはありますか?」

 見ず知らずの人からのメッセージを大切に保管しているわけがない。

「じつは、恩人なんです」

「どういった?」

「わたしの両親は、小さな金型工場を経営していたのですが……」

 電話のあったころ──十五年前に、銀行に預けなければならないお金を盗まれてしまったそうだ。

「どれぐらいの金額ですか?」

「一千万だと聞いています」

 その当時、依頼人はすでに大学を卒業して一人暮らしをしていたそうなので、詳しいことはあまりよくわからないらしい。年齢の見立ては、ほぼあっていることになる。

「それで?」

「はい……」

 そのお金がないと、工場は倒産してしまう。両親は途方に暮れ、なかば覚悟していたそうだ。

 そんなとき、家にお金がもどってきた。

「この電話は、そのあとにかかってきたそうです」

「この電話の主が、お金を返してくれたということですか?」

「そうなんだろうと……」

 ため息にも似た呼気が、依頼人の口からもれた。

「普通に考えれば、この電話の男性が、お金を盗んだということになりますよね? 犯人をさがしたいということですか?」

「いいえ」

 彼女は、明確に否定した。

「もしそうだとしても、結局、被害はなかったわけですし……」

 五年前に父が、四年前に母が他界したことで、どのみち工場は廃業してしまったという。

「ですけど、そのときつぶれていれば、両親は悔しい思いで死んでいったはずです……」

 本当は、わたしが継げばよかったんでしょうけど──と、依頼人はつぶやくように続けた。

「では、さがしだして、どうするおつもりなんですか?」

 率直に、世良は問いかけた。

「お礼を言いたいんです。父は死の間際まで、そのことを語っていました」

「お父様は、その電話の声が犯人であるという可能性を考えていましたか?」

「考えていたかどうかは……」

 迷うように声をあげていた。

「でも、警察の方からも同様のことを言われていましたから……」

 お金がもどってきたことで、被害届は取り下げている。警察の捜査も、そこで終わっているはずだ。

 しかし担当した警察官の印象としても、金を返却した男性が犯人なのではないかと感じていたということだろう。

「もし犯人だったとしても、感謝していたということですか?」

「そうですね……いまとなっては確認することもできませんが」

 すでに亡くなっている両親の意志を引き継ぎたいという思いなのかもしれない。

「赤松さん、あなたのお気持ちは、どうですか? 調査をする場合、それなりの金額がかかってしまいます。犯人かもしれない相手をさがすためにです」

 世良は、そういう部分を包み隠さず伝えておいた。

「わたしに、わだかまりはありません。それに、じつは……」

 これまでに、べつの探偵事務所に依頼をしたことがあるそうだ。なので、さがしだすのがとても困難なことはわかっているし、高額な費用がかかることも覚悟していると──。

「そうですか……では、お引き受けします」

「ありがとうございます」

 まず世良は、料金の説明をした。

「そんなにお安いんですか?」

 その驚きは、心からのものだった。以前に依頼した探偵事務所は、かなり割高だったらしい。

「うちは二人だけの事務所ですから」

 探偵業の経費は、ほぼ人件費になる。人員の多い事務所は、それだけ費用がかさむ傾向にある。もしくは、ただの悪徳事務所だったのか。

「でも安心してください」

 それを言ったのは、少し後方で立っていた峰岸からのものだった。

「所長の耳は、たしかですから」

 めったに「所長」などとは呼ばない。さすがの彼でも、お客様の前では礼儀をわきまえているようだ。

「電話の声が犯人なのかは、まず置いておきしょう。そのうえで、お聞きします。お金を盗んだ犯人に心当たりはありますか?」

「両親の話では、従業員だった折原さんという人を刑事さんが調べていたということでした」

 つまり、疑っていた。

「赤松さんは、その折原さんと面識はありますか?」

「はい。まだ実家にいたころから働いてましたから」

「従業員だった──ということは、盗まれたときには、辞めていたということでしょうか?」

「そう聞いています」

「その方の住所はわかりますか?」

「いえ……」

 面識があるということは、おそらく声も知っている。なので電話の声が折原という人物ではないのだろう。

 念のため、そこを確かめることにした。

「折原さんの声は?」

「それが……」

 折原という人物は、極端に口数が少なかったらしい。彼女だけでなく、両親もほぼ耳にしかことがなかったのだという。

「では、この声が折原という人かもしれないのですか?」

「そこはなんとも……」

 まず、そのことをはっきりさせるべきかもしれない。

「当時、捜査をしていた警察官の名前をご存じですか?」

「ええーと、なんだったかな……」

 十秒ぐらいかかっただろうか。

「たしか、稲垣さんだったと思います」

「何歳ぐらいの方ですか?」

 年齢によっては、すでに退職している可能性もある。

「まだ若かったと思うのですが……」

 そこは自身がなさそうだった。

「一度会っただけですので」

 一見すると若くても、よく観察すれば、けっこうな年齢であることはめずらしくもない。世良に置き替えても、若い印象の声の主が、実年齢は思ったよりもいっていることはよくあることだ。

 両親の工場があった場所は、足立区の鹿浜だという。管轄する鹿浜署には、つてがある。 


       2


 ただし十五年前ということは、まだ鹿浜署はできていない。そこが不安材料だった。

 まず世良は、かつて鹿浜署に在籍していた警察官に連絡をとった。長山という。いまでは本庁の特命捜査対策室に栄転している。

 それだけを聞けば、まだ若い捜査員のように感じるかもしれない。しかし、警察官としては大ベテランだ。

 直接話すのは、誘拐事件以来だった。

 結論としては、稲垣という人物のことは知らなかった。そのかわり、井上という鹿浜署員を紹介してもらった。

 教えてもらった番号にかけたときには、長山から話がいっていたようだ。

『あ、世良さんですね?』

 知っている声だった。どこかで会っているようだ。誘拐事件のときに鹿浜署内には入っているし、誘拐された少女の父親が拷問をうけたときに何人かの捜査員とは会っている。そのどれかだろう。

『稲垣という警察官について調べてみましたが、十五年前の管轄は西新井署になるので、そこの刑事組織犯罪対策課に問い合わせました。そしたら、かつて同じ名前の方が在籍していました。あ、当時はもしかしたら、ただの刑事課だったかもしれません』

 小規模の所轄では、刑事課と組織犯罪対策課がいっしょになっているところが多くなっているという。公安と地域課しか知らない世良にとっては、あまりピンとこない話だった。

『それで、いまその稲垣さんなんですけど、万世橋警察署の生安にいるみたいです』

 事務所からは、目と鼻の先だ。

 世良は、熱くお礼を言った。

『いえ、長山さんから、いろいろとすごい話を聞いています。警視総監でも、世良さんの頼みなら、きいてくれるんじゃないですか』

 どこまでが冗談かわからないことを耳にしてから、通話を終えた。

「どうしますか? 電話にします?」

 電話の場合、警察署にかけて、稲垣にとりついでもらうことになる。だが素性の不確かな人間がかけても、断られることもある。

「近いから行こう」

 事務所から警察署までは十分もかからない。

 峰岸に先導してもらって、警察署に入った。近いからといっても、ここを訪れたのは初めてだった。

 受付で、稲垣の名前を出した。

 電話でもそうだが、素性のあやしい人間をおいそれと署内に入れてくれるわけでもなく、相手を呼び出してくれるわけでもない。

 が、それは杞憂だった。

「はい、世良様ですね。すぐに稲垣を呼びますので」

 ここでも話は通っていたようだ。

「どうも、稲垣です」

 年齢は、四十ぐらいだろうか。

「世良です。お忙しいところを、申し訳ありません」

「いいんですよ、世良さんの噂は聞いています。警視総監でも断れないと思いますよ」

 峰岸が笑いをこらえているようだ。鹿浜署の井上と同じことを口にしたからだ。

「ここではなんですから、外に出ますか」

 むかしの勤務先での話だからなのか、稲垣はそう提案した。

 彼についていく。

「公園に入りました」

 峰岸が情景を説明してくれた。

「ここに座りますか」

「ベンチがあります」

 世良は、腰をおろした。

 稲垣も座ったようだ。峰岸だけは、立ったままだった。

 ほかに話し声は聞こえるが、園内ではなく、通りを歩く人たちの会話のようだ。

「十五年前の事件ですよね?」

「そうです。覚えていますか?」

「覚えています。奇妙でしたから」

 盗まれた金が全額もどってきたのだ。記憶に残るのも当然かもしれない。

 被害者にお金がもどるのは、普通、犯人が検挙されたときだ。もしくは盗んだあと、罪悪感で返すケースもあるだろう。

 しかし留守電の声は、そういうのともちがう。

「電話の声は、聞きましたか?」

「ええ、聞きました」

「捜査の過程で聞いた声ではなかったのですよね?」

「はい。ですが、金が返ってきたのは三日後でしたから、まだそれほど捜査は進んでいませんでした。あ、四日後だったかな」

「折原という元従業員を疑っていましたか?」

「名前までは覚えていませんが、たしかに元従業員の男性に注目してました」

「会うことはできなかったんですよね?」

 会っていれば、声を聞いているはずだからだ。

「本人に?」

「はい」

 その言い方には、引っかかりをおぼえた。

「本人以外には、会えたのですか?」

「お兄さんにです。でも会ってはいません。電話で所在確認をしました」

「その方の連絡先は、わかりますか?」

「うーん」

 その間は、個人情報を一般人に教えることへの抵抗感なのか、それともたんに思い出しているだけなのか……。

「えーと、折原工務店だったかな? 電話番号は、たしか電話帳で調べたんですよ」

 個人の電話帳はすでに廃止されているし、企業・店舗向けのものも掲載数が縮小されているはずだ。そのかわり、デジタル版が普及している。

 それがだめでも、いまでも会社が現存してれば、個別にホームページをもっているかもしれない。ネット検索すれば、どうにかなるだろう。

「率直にお聞きします。お金を盗んだ犯人は、いまでもその折原さんだと思いますか?」

「そうですね、たぶん」

 が、言葉にはまだ続きがありそうだった。

「ですが……」

 じっと、見えない瞳で、次の声を待った。

「お金を返した人は、ちがうんじゃないかと……いまになって思い返してみれば、ですけど」

「留守電の声ですか?」

「そうですね……それも一つです」

 折原本人の声は聞いていなくても、兄の声は聞いていることになる。まったくちがう声質の兄弟もいるが、顔同様、似ていることもめずらしくはない。

「あと、年齢です」

 世良はまだ、折原の年齢を知らなかった。勝手な想像で、五十歳ぐらいを思い浮かべている。

「元従業員の男性は、五十歳ぐらいだったと思います」

 世良の予想どおりだ。しかし稲垣も、断定はしていない。

「たしか工場のほうでは、年齢を把握していませんでした。履歴書もないみたいで」

 そういうのが緩い職場だったのだろう。つまり、稲垣も想像でしかないのだ。

「兄の年齢も確かめていませんが、声からは五十代ぐらいの印象をうけました。でも録音された声は、もっと若かったですよね?」

 世良の印象では、二十代。いっていたとして三十歳がいいところだ。逆に、もっと若い可能性すらある。折原本人でなければ、共犯者なのか、それとも無関係な第三者なのか……。

 世良は厚くお礼を言って、稲垣と別れた。


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