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第1話〈1〉 天使ちゃんは平穏無事に暮らしたい

「――さぁ、結界を張るよ」


 京都市内でも高いビルの屋上、吹きすさぶ風。

 今宵は14番目の月。

 銀髪をした黒ずくめの青年が、コートを脱いで空を覆う。

 刹那、時が遅く過ぎるのを感じる。

 目がチカチカして暗がり、耳の奥で不思議な扉が開くような音が聞こえる。

 これは夢か現か。

 青年は契約書を取り出し、目の前に現れた人物に問うた。


「君は、契約する? しない?――」





 7月、この街は初っ端から何となくそわそわとし始める。

 祇園祭のニュースは毎年市街地をゆるゆると山鉾が巡行していく場面しか取り上げられる事がないけれど、丸々1ヶ月間に渡るお祭りだ。

 メインの四条通りなんかの山車を管理している鉾町では、7月に入った途端、コンチキチンのお囃子の練習なんかが夜に聞こえてくる。


 とまぁ、そういうと風情があってよろしいのだが、あまりの暑さと夕立ちで祇園祭は風情の言葉も出ない程、猛暑中のデスパレード。

 これぞ盆地の本気、湿気の息苦しさたるや金魚鉢をひっくり返した中で生活をしているようである。

 それでも女子たちはここぞと浴衣で着飾って、意中の男子諸君ときゃっきゃうふふな宵山デートしたいものなのだ。


 そんな中、優里ゆりは涙目で浮わついた繁華街の四条通りを歩いていた。

 控え目ではあるけれど、浴衣で少しおしゃれをして。

 なんたって、人生初めて気になっている先輩とお祭りデートの予定だったのだ。

 と、タイミングが悪いことに夕立ちの気配。瞬く間に大きい雨粒が地面に水玉模様を作っていく。


「あ、やば、また()()んだけど…」


 びしゃびしゃになった下駄に気を取られながら、通りのビルの隅から何か気配がするので嫌な予感がして目を向けると、うっすら闇にうごめく人影を見つけてしまった。

 見えないふりをして、目線を外して早足で通り過ぎる――




 ――天使あまつか優里ゆり

 ここ京都に生まれ育ち、普通の高校の普通科の文系コースに通う、これまた趣味が読書という普通極まりない、どこにでもいる地味な高校1年生である。

 当然ながら見た目も肩までの黒髪、小柄ではあるが特筆すべきビジュアルでもない。

 変わっているといえば無駄に厨二感のある苗字のせいで、エンジェルちゃんだのいじられる事があるくらい。

 何になりたいだとか、とくに将来の夢もなく。

 文系コースを選んだのだって、比較的国語が得意で本を読むのが好きだったから、というだけである。


 母は体が弱かったらしく、優里が5歳の時に病気で亡くなった。

 同じ頃、私は私で心臓の病があったとかで病弱だったようだけれど、幼少の事過ぎて覚えていない。ちなみに今は、だいたいテンションが低いぐらいですこぶる健康だ。

 父は東京に単身赴任でずっといない、医療関係の仕事をしているらしい。

 たまに帰ってくるけれど、さほど喋る事もない。

 そんな家庭環境故、母方の実家でずっと祖母と暮らしてきた。


 性格といえば、とにかく何事にも後ろ向きの思考回路は昔から。

 失敗するところから物事を考える癖があるし、幸運な事があると今度は同じだけ不幸がふりかかるのではなかろうか、とか。

 試験を受けても勉強していない所ばっかり出る、とか。

 常に人にマウント取られてるんじゃなかろうか、とか。

 最悪このまま寝て起きたら自分、知らない間に心臓止まって死んでるかもしれないな、とか。

 羅列し出したらキリが無い。

 常に最悪の事態を考えて、ネガティブバイアスをかけて物事を考えてしまうのは、そうなった時に傷つかないように心に予防線を張っているからかなんだろう。

 そう言いつつ、自己肯定感が低いただの豆腐メンタルの臆病者なだけとは理解っているのだけれど。

 プラス思考のウェイ勢からすりゃ、ポジティブに生きなきゃ人生勿体なくないっしょ、なんて言われるんでしょうが、もうそこそこ染み付いた性格ですし、今更どうしようもない。


 とりあえず日々、目立たず平穏に普通にを心掛けて生きているわけで。

 そもそもなぜこういう陰キャをこじらせた《《面倒くさい》》性格で育ってしまったのかというと、きっと原因は――



「あ、やば、また《《いる》》んだけど…まいったなぁ」


 幼少期から、ちょっとしたアレが〈視える〉のである。

 人間だったり、動物だったり、いわゆる霊的な存在のことだ。

 どうやら霊感が人一倍強いらしい。

 祖母もそこそこ〈視える〉人なので、どうやらこの特殊能力は天使あまつか家に代々遺伝しているのだろう。


 よくドラマや映画でみるヘビーでホラーなものというわけではなく、せいぜい幼少期から人間や動物なんかの霊が視えたり、ちょっかいを出されたり程度の目に合うレベルで、たまに追い払ったり祓い退けたりぐらいする程度。

 それでもとにかく取り憑かれでもしたら面倒、できるだけ目立たず無難に生きていこうとして今に至ってしまった。

 幼少期にそれとなく口にしたら酷く友だち達が怖がってしまったから、これは人に知られてはいけないんだなと心に決めた。

 霊は、かまってほしいのか視える人に寄ってくるようだ。そのせいで、周りの人を巻き込んで迷惑かけないようにおとなしくしていようという癖が自然とついてしまった。


 とにかく、誰にも知られないよう波風立てないように粛々と過ごしている日々だったのだけれど。

 中学の時に、どうしても部活に入らなくてはいけなかったので仕方なく入った文芸部で、よく好きな本や作家がかぶっていて仲良くなった3年の先輩がいた。

 彼はあまり人と交わらない優里を気遣って、よく話しかけてきてくれた事もあって、密かにちょっと気になっていた程度ではあったけれど。

 その池田先輩と同じ高校だったことがわかって春先に、帰りしなに本屋でばったり出くわした時に先輩から声をかけてきてくれたのだ。

 誰にでも気さくな優しい人で、高校でも文芸部に入っているらしい。


「この学校、意外と貴重な本なんかも所蔵されているから読ませてもらえるし、もし良かったらクラブ活動見学に来るかい?」


 と言ってくれたので、部室に遊びに行かせてもらう事になったり。


 そんな折、放課後に祇園祭の宵山へ行くお誘いを受けた。

 きっと何となく声をかけてくれただけだろうけど、キャラにもなく私としたことが舞い上がってしまった。男子に声をかけてもらえるなんて人生初の珍事に嬉しかったわけで。


 一足先に家に帰って、母がお気に入りだったという麻の葉柄の藤色の浴衣を借り、祖母に着付けてもらって、祭りの中心地である四条烏丸で待ち合わせをした。

 宵山とは、お祭りメインの山鉾という山車が市内を巡行する前日の前夜祭のようなもので、山車を管理している町内の錚々たる家々で秘蔵の屏風等を入って観覧できるようにしてある。それらを観て回ったり、屋台もたくさん出ていてまさに市内が歩行者天国の夏祭りになるのである。

 凄い人混みの中、合流して、屋台でかき氷を食べたり山鉾を見物したり。

 私のような人間でも人並みのデート(のようなもの)をしてるやん、これぞ青春の1ページ… なんて悦に浸ったりなんかして。

 ただ、こういうジメジメした暑い時期には(カビと同じにしては失礼だが)そういう類のアレが多く現れるのだ。


 ふと先輩に目を向けると、左肩の上に何かいる。

 実態があるのかないのかわからないけれど、黒っぽいもやもやとした霧とともに、松明を持って白っぽい和服を着た若い女らしきものが肩に手をかけているのが微かに視えた。

 角があるから鬼の類かしら。

 もう幼少の頃からこういった存在を視慣れているせいで、怖いとか驚くという事はさほどない。我ながら女子力の低さに笑ってしまう。


「あ、あのですね、非常に言いにくいんですが、左肩重くないですか?」

「そーなんだよね、特に肩こりもひどくて。受験勉強のし過ぎかな、何でわかったん?」

「…ちょっとじっとしててください。あの、霊のようなものが…」


 優里は先輩の肩に掛けている白い手を引っ張って、ごめんなさいねと言いつつその女らしきものを引きずり降ろした。

 ギャッと声を発して、黒い霧とともに、しゅるるとどこかに逃げてしまった。


「多分これで大丈夫かと…」

「何かちょっと変な声聞こえなかった?!? うわ、もしかして霊が視えるとかめっちゃ怖いんやけど… 天使あまつかさんってそういう系?! ごめん、俺そういうの苦手なんだわ… ごめん、今日ちょっと急ぎの用事思い出したんだ、帰るね!」

「あ、いやあの…」


 チーン。

 ですよね〜。

 早々に終了の鐘が響く。

 じゃあね、と先輩は蒼白な顔をして人混みをかき分け早足で帰っていった。

 案の定だ…

 いや親密になる前に逃げられるってどうなの…

 しまった、迂闊だった、いつものように無意識に祓い除けてしまった…

 そりゃあ、変なものが〈視える〉とか普通の人にとったら気持ち悪いよね…

 そうだよね、似合わずいちびってしまった。やっぱりどうせ私なんて…





 気がつくと、市内では珍しく高い商業ビルの屋上、無性に涙が溢れそうだったので空を見上げる。

 誰もいない所に行きたかった。

 さっきの夕立ちはもう止んでいる。

 せっかく着た浴衣も雨に濡れてしまった。


 あーあ、そうでしょうね、普通じゃないですよ…

 こうやって、ずっとわけのわからないものが視えて怖がられて生きていくのかな…

 こんな私なんて生きててもいい事なんてあるのかな…

 そもそも生きる目標もないし夢もない。

 そして、たぶん父なんて私が何してようが何とも思ってない。

 気になっていた人(ちょっとよ、ちょっとだけね?)にも秒でフラれたし。


 きっとこの先、大学受験ったってやりたい事もないままで。

 有難い事に、おばあちゃんは行きたいなら学費なら気にするなって言ってくれているけれど、そんな中途半端じゃ申し訳ないし。

 就職もこんな後ろ向きな性格じゃどこも雇ってもらえないんだろうな…

 

「何でどこも就職やバイトの募集欄には〈明るくて前向きで元気な方〉〈コミュニケーション能力の高い方〉とか書いてあるんだろ、応募する資格すらないじゃないよねぇ… いや、今それ関係ないな…」


 こういうこじらせ陰キャでコミュ力低め人間の、現代に普通に生きるハードルの高さったら…

 いやいや、こりゃいけない、時々襲い来るネガティブ思考の無限ループだ。

 楽しそうに騒めく街を見下ろしたら、何だか色々自分が情けなくなって、また涙が出た。


「私なんかが生きてたって…」


 身投げでもしてやろうかしら。

 あ、でもおばあちゃんが悲しむな…

 なーんちゃって、と呟きながら、冗談で手すりから少し身を乗り出し、楽しそうに騒めく宵山の街を見下ろした。


 と、タイミングの悪いことに空から鳥のような物の怪がやってくると、妙な声でケケケと鳴きながらくちばしで浴衣の袖を引っ張られてしまう。


「やめ…!」


 咄嗟に手で払う。

 同時に、雨で濡れた下駄の表面に素足を取られてつるりと滑る。


「あ、ちょっ…」


 寒気が走る。


 身体が浮く。


 景色がスローモーションで流れていく。


 ヤバい


 ヤバい


 私、落ち――

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