私にそんなことを言っていいのかしら?
よくある、ざまぁ婚約破棄ものです。
楽しく人が吹っ飛ぶかもしれませんが、流血や痛々しい描写は入れていないのでセーフ。
2023/8/19 ジャンル別日間ランキング(恋愛) 2位!読んで頂いてありがとうございます!
「お前との婚約を解消する」
冷たく響く声はいつものこと。
嫌悪も露わに私を見据える婚約者は、一度も優しい笑みなど向けたことも無かった。
政略結婚であると弁えている故に傷つくこともなかったが、それでも5年の付き合いで礼儀に欠いた態度だったことに対しては思うところもある。
立場上控えているが、出来ることなら手持無沙汰に握りしめている扇でぶちのめしたいくらい。
だからといって表情を変えることすらないのは、長らく高貴な身として厳しく教育を受けてきた成果。
薄い笑みを消すことなく、小首だけゆるりと傾げてみせた。
「私に何か、気に入らないところがございましたか?」
事の顛末を報告するために、本人からの言い分ぐらいは聞いておいたほうがよいだろう。
察したらしい書記官が紙に書き付け始めたのを確認してから質問を投げてみれば、増える眉間の皺。
「全部だ!」
まるで今まで我慢していたと言わんばかりに吐き出された声は、もはや貴族として体面を取り繕うことも放棄したらしい。
まぁ、最初から表情に現れていたことから指摘する気もないけれど。
「最低限しか招待を寄越さないお茶会に、時節のときのみ送られる手紙。誕生日であるというのに祝う気持ちがあるのかわからない無難な品と一筆だけのメッセージカード。
向けられるのは貼り付けたような笑顔、振ってくるのは適当な話題だけ。
相手のことを理解する気もなければ、尽くす気のない、誠意ある態度を見せずにいる可愛げのない婚約者など必要とされると思ったか」
「さようですか」
「そもそもだ、王家に連なる公爵家の嫡男たる私に嫁ぐのに、いくら王族の末端だからといって離宮に追いやられている側妃ごときの娘などが相応しいものか。
いや、王家の特徴を何一つ受け継いでいないお前が、王族を名乗ることすらおこがましいのだ」
「なるほど、ダスティカス公爵令息の言い分はわかりましたわ」
理解はしたけれど、それは決して共感ではない。
扇を広げて口元を隠しながら、そっと後ろに控える侍従へと目配せをする。
意図を察した彼が部屋を辞していった。
それを目でのみ見送ってから、目の前の男へと視線を戻した。
臣籍降下した元王族である父親を持つ彼は、銀の髪と紫の瞳の持つ美貌の主で、王家所縁の特徴を持つ容貌は高貴な血筋に連なる者らしいといえるでしょう。
そこに矜持を持つのは、限りなく低い順位であれども王位継承権を手放さないことから察している。
対する私は王宮に籍を置く身でありながら、母方の血筋らしい薄茶の髪とオリーブ色の瞳の持ち主であり、現王家の特徴は何一つ受け継いでいないのも事実。
だからといって、ここまで乏められる謂れはないのだけど。
目の前の男は『態度の悪い婚約者』から『クズ』へと大きく評価を落としていくばかり。
「ダスティカス公爵令息が私を気に入らないのは、初めてお会いした時から気づいておりましたけど。
まさか女性の外見を口にされるとは思いませんでしたわ」
あからさまな溜息を一つ落とせば、それだけで柳眉を上げて睨みつけてくる。
変わらない態度は直すように言われなかったのでしょうか。
「なによりメイヤー侯爵令嬢と逢瀬を楽しまれているという噂は、この離宮にまで届いておりますから」
気にせず言葉を続ければ、さすがに気まずそうな顔になった。
王宮に勤める者が外に情報を漏らすことはあってならないが、それが王宮内であるのならば話は別だというのに。
まだまだ年若いコマドリのような侍女たちは、王宮内ではよかろうと噂話をしている。
わかりきったことなのに、王宮内で逢瀬を重ねるなどと愚行をすれば、離宮にいる私にも噂話が届くのは当然の話で。
婚約者に会うふりをするために、王宮に姿を現すのだから尚のこと。
自宅でもない王族でもない身が、王宮で我が物顔出来る意味を彼は理解しているのでしょうか。
泳がされる、という言葉は辞書にないのかもしれない。
「名前はオフィーリア様でしたね。
確かメイヤー侯爵家の末のご令嬢だったでしょうか」
「……そうだ」
もはや毛を逆立てて威嚇する猫にも見え始めたけど、どれだけ見た目が良かろうとも、目の前のクズは何を言ってもクズでしかない。
「オフィーリアは他の女のように媚びたりせず、自然体で向き合ってくれるのだ。
表情も豊かで彼女のそばでなら私の疲れも癒される」
オフィーリア様の話題となると傲慢さはそのままに、頬を紅潮させながら夢見がちな瞳で喋るのが気持ち悪いわ。
「婚約破棄につきましては、承知致しましたわ」
言葉を返せば、婚約者でなくなる男が怪訝そうな表情を浮かべた。
「婚約破棄?
お前のような女が傷物となれば次の婚約は見つけにくい。
そうなると私のところに第二夫人として押し付けられそうだから、こちらは解消で妥協してやっているのだぞ」
感謝しろと言わんばかりの愚鈍との会話は非常に疲れますわね。
「婚約破棄ですと慰謝料が発生しますので」
澄まして言ってやれば、途端に手に入れるだろう莫大な金を妄想したのか、だらしのない顔に変わった。
なんて醜いのでしょう。こんな男と婚約をしていた自分がとてつもなく可哀想になる。
「なるほど、お前は私に迷惑をかけたのだから、金は貰って当然の話だな。
それでオフィーリアを着飾るためのドレスや宝石を買うとしよう。
ああ、私からの婚約破棄によって王家から見捨てられそうなお前に、死んだ後の墓ぐらいなら適当に用意してやっても構わないぞ」
途端に侍女たちの空気が変わった。
どれだけ優秀な彼女達であろうとも、仕える主を愚弄されるのを見守るにも限界があるのだ。
表情は一切顔に出してはいないが、目には侮蔑と殺意を浮かべて眺めている。
さすがにそろそろ自身の立場を理解させた方がいいだろう。
そう思っていたら、空気を読んだかのように先程出ていった侍従が人を数人連れて戻ってきた。
法務官と書記官のようね。よくわかっているわ。
「王宮の方々は優秀ですわね。
早々に書類を作成して頂いたようですわ」
目の前に提示された書類は1枚だけだ。
特に気にすることもなく書類にサインした。
そんな私と同様に書類の確認をするまでもなく、クズもサインをする。
これでもう、話すこともない。
私はくるりと書類を丸めて侍従に渡すと、彼が中身を確認して書記官に渡す。
書記官と法務官が中を改めて検分し、「有効です」と言ってから頭を下げると手続きをするべく部屋を辞していく。
予めお願いしていたとはいえ、本当に処理が早いこと。
また陛下に報告しておかないと。
これですることは全部終わったと、表情を落として公爵令息を見遣る。
「それでは書類に則って、期日までに慰謝料をお支払い願います」
「……は?」
なんとも間抜けな声が聞こえましたが、やっぱり書類に目を通していなかったわね。
「最低限のお茶会すら参加する気のない態度、時節の手紙にすら返信は無く、誕生日の祝いすら贈ってこない。
口にするのは自分ばかりが可哀想だという被害者妄想、何一つ話題を口にもしない人間性を疑う態度。
相手のことを理解する気もなければ、尽くす気のない、誠意ある態度を見せずにいる不誠実な婚約者が、どうして慰謝料を請求できると思ったのですか?」
扇の先を相手の鼻先にピタリと据える。
「あの書類はダスティカス公爵令息の不貞と不義理を認めるものであり、ゆえに貴方が慰謝料を支払うといった内容になっています。
ちゃんと読まない貴方が悪いですし、読んで拒否したとしても有責で破棄されるのは貴方で間違いありません」
「そうそう、お忘れになっていることを思い出させて差し上げますね」
この国で王族はスペアが多いことが好まれる。けれど土地と地位には限りがあるのだ。
「当国の公爵家は一代限りがお約束事。
ダスティカス公爵は息子の貴方が困ることのないように私を降嫁させて、もう一代は公爵家を続けられるようにと縁を結ばれたのですが、今回の婚約破棄にてその話も無くなります」
「……は?」
陛下の頃には親戚縁者といったものが大分少なくなったことで、公爵家が一つしかないので気づかなかったのかもしれないけれど、一代での爵位返上は変わらないままである。
「そのため公爵家では基本的に子を諦めるか、生しても夫人側の生家へと養子に出されるのが常ですけど。
ダスティカス公爵令息の母君の生家は隣国の伯爵家でしたっけ。
そういった話が無いのでしたら難しいでしょうね」
あちらも公爵の息子として贅沢ばかりを身に付けた親戚などいらないのでしょう。
なにより一応王族の血を引いていることから、王家も他国に出すことは認めないはず。
だからこその婚約だったというのに。
「ダスティカス公爵がご存命の間に国への貢献が何かしらで認められ、新たに叙爵されるといいですわね」
もっとも叙爵されても男爵か子爵といったところだと言ってやれば、ゆっくりと決まり事を思い出してきたのだろう。
先程までの躾がなっていない男の顔が蒼褪めていく。
「嘘、だろ……」
「私の言葉が嘘かどうかは、ダスティカス公爵令息でもご存知のはずです」
どうして都合よく忘れられるのか。
「わ、私は王位継承権を持つ身だぞ!
高貴な私が子爵や男爵など認められるものか!」
私より遥かに低い序列で何を仰るのかしら。
なるほど、早々に放棄させなかったせいで自分の都合の良いほうに物事を考えていたらしい。
確かに公爵も多くは言わなかったでしょう。なにせ私と婚約している間はいらぬ心配事でしたし。
今となってはしっかり言い聞かせるなりしたほうが良かったと後悔しそうですけど。
「公爵様が身罷られるか、新しい王へと代わったときに継承権は消失しますよ。それがしきたりですし。
現実を認めて頂かなくても結構ですけど、貴方が蔑む爵位ですら手に入れるのが難しい状況だということを理解されたほうがいいですわね」
「どこまで可愛げのない女なんだ!
爵位のために仕方なく妾にしてやろうかと思ったが、お前のような不細」
言葉を言い終わる前にダスティカス公爵令息の体が綺麗に宙を舞った。
あらまあ、目の前で成人男性が吹っ飛ぶのを初めて見ましたわ。
叩き落とされた虫のように床に転がったクズを、護衛騎士の一人が無表情に見下ろしている。
「き、貴様!よくも殴ったな!」
「ダスティカス公爵令息殿、我々の仕事は王女殿下をお守りすることです。
それは物理的な攻撃に限定した話ではありません。
国王陛下からは許容範囲を超える態度をとるならば、力で解決して構わないと許可を頂いています」
淡々と諭すように語る護衛騎士の近くで侍女たちが頷く。
無言で文字を綴っていた記録官が、陛下がいらっしゃったら即時で処刑にされていましたね、と無機質な声を添えてくれる。
侍女達の手にはケーキを切り分けたナイフやデザートフォークの束、はては近くの壺まで抱えていた。
待って、その壺は先代王妃が気に入っていた高価な物だから戻してくれないかしら。
でないと陛下のお叱りを受けてしまうわ。
「貴様ら覚えていろよ!オフィーリアと結婚すれば、メイヤー侯爵家が後ろ盾になる!
そうなった暁には、抗議のうえで全員処分してやるからな!」
「できるものでしたらどうぞ」
侍従が素っ気なく返して、侍女たちにお茶会の片付けをするように指示を出す。
床に張り付いているクズが見えないかのように、そそくさと片付けを始める侍女たち。
出ていくよう催促しているのか、足先で床に転がる体を小突く護衛騎士。
クズらしい末路ですこと。
このクズがご執心であるメイヤー侯爵のオフィーリア様は、可愛がられているとはいえ6人いる兄妹の末である。
いくら当主であろうとも、そこまで譲り渡す爵位はないし、ダスティカス公爵の爵位については知っていたはず。
さらにいうならば、片付けの采配をしている私の侍従は、オフィーリア様には兄にあたるメイヤー侯爵の三男だ。
偽名は使っているけれど調べはついている。
……メイヤー侯爵も人の使い方だけは上手なのよね。
娘の教育には失敗したが、ちゃんと使い切るあたりが見習いたいところ。
いずれオフィーリア様は処分するつもりだったのだろうけど、それならばとハニートラップに使って私の婚約者の席に子息を捻じ込んでしまおうとしたのでしょう。
ええ確かに、こんなクズよりも余程出来る人材なのは認めるけど。
「ダスティカス公爵令息同様に爵位もないオフィーリア様とご一緒になられるようですが、私と違って疲れを癒してくれるのでしたっけ。
彼女がいればダスティカス公爵令息が爵位を得られる日も近いでしょう。
どうぞ二人で幸せになってください」
心無い餞別の言葉を添えておく。
きっと仲良く平民としての生活に堕とされるか、当主が寛容ならば領地の端に別荘でも建てて、二度と顔を見ることのないように詰め込んでおいてくれるかも。
「そうそう、王家の矜持のために申し上げておきますわ。
私だけ離宮に住まう理由を、陛下から嫌われている証拠だと指摘されていましたが、私は唯一の王女です。
お兄様達と役目や公務も違うのだから、男性だらけの場所でご一緒に過ごすはずもないでしょう」
異母兄妹ではあるものの、王妃様と側妃である母の仲が悪くもないことから、兄妹間での諍いはない。
私が唯一の女子であったことから正妃様から思いのほか可愛がって頂けていますし、末の妹として兄達も贈り物を欠かさない。
離宮にいるのは他の王子達が我先にと可愛がろうとするのを諦めさせるためだ。
後、母は側妃なのだから離宮で当然だろう。
その離宮だって華やかで美しく、そこらの貴族の屋敷と見劣りすることもない。
この男は今まで一体何を見ていたのか。
そう申し上げたら少し黙り込んでから、渋々といった様子で口を開かれて、
「……おい、お前。仕方ないから嫁ぐことは認めてやる。
公爵家に来たら離れに住まわせるが、どうせ今と変わらないから問題ないだろう」
そうしてからメイルリーアの頭から足先まで見て、口の端を僅かに上げる。
「王族の特徴を持たない半端者だが、たまになら遊んでやらんことも」
バシャリ、と音を立てて盛大な水音が部屋に響いた。
さっきの壺を持っていた侍女が無表情で頭を下げてくる。
「手が滑り、水を溢してしまいました。
申し訳ございません」
「割らなかったら構わないわ」
ずぶ濡れになったクズが声をあげないのは、喉元に突き付けられたナイフのせいでしょうか。
ケーキナイフとはいえ、刺されば相応に痛いでしょうから。
「さて、これだけ私に暴言を吐いたのです。
証人も沢山いますし、不敬罪で連行される前に出ていって頂けます?」
そう言った瞬間に護衛騎士が首根っこを掴んで引きずり始めた。
抵抗しようにも非力な体ではどうしようもなく、首が絞まるせいでなのか呻き声を上げながら消えていきました。
結局、ダスティカス公爵令息がどうなったのか、結末だけ簡単に申し上げておきましょうか。
今までの態度もそうでしたが、最終的に不貞と不誠実な態度、署名入りの書類のお陰で無事に婚約破棄と相成りました。
ダスティカス公爵からは再度婚約を結ぶように泣きつかれましたけど、書記官の記録を見て諦めて頂きましたわ。
公爵も悪い方ではないのです。ただ、もう少し将来を見据えてお育てするべきだったと思いますね。
メイヤー侯爵家のオフィーリア様については、ダスティカス公爵令息を引き取って領地に用意された屋敷に大人しく引っ込んだそうで。
あれのどこがいいのかわからなかったのですが、侍従から聞いた話で少しだけ考えを改めました。
顔だけはいい、躾け甲斐のある方が来てくれたから、おかげで愛玩動物として長く困らないそうで。
領地に移る前に少しばかり特殊なお店で鞭やら首輪やらを購入されたという話を聞き、思わず彼がどういった人間に生まれ変わるのか、変化があれば知らせてもらえるように頼んでしまいました。
性格は問題しかありませんが容貌が良いので、オフィーリア様が恙無く躾を終えたならば素敵なペットになるかもしれません。
好奇心は猫をも殺すと言いますが、あれがどう変わるのかなんて好奇心を抑えることなんてできませんから。
陛下も面白そうな顔をされていましたし、きっと他の人だって同じ思いになったでしょう。
ご紹介頂いたことでオフィーリア様とは文通をすることになったので、日々の変化を教えて頂けますわね。
ええ、新しい婚約者はメイヤー侯爵家の三男ですわ。
お互い勝手知ったるところが楽でよいのと、彼が優秀であったのが決め手ですね。
愛情はこれから育めばいいのだし、メイヤー侯爵家も母の生家も子ができたら養子に引き取ると言ってくれています。
本当に婚約破棄となってよかった。