プロローグ
「締め切った家の中で、猫が突然姿を消したんです」
「えぇっ!」
詩織は、勢いよく立ち上がりながら、目を輝かせた。
「あっ、いや、失礼失礼……。うちの事務所、ほとんど依頼が来なくて……。来たとしても、『交番の場所がわからないー』とか、『ビラ配ってくれー』とか、『アイドルやってみないー?』とか。私のこと何だと思ってるんですか! 曲がりなりにも探偵ですよ!? た、ん、て、い!」
「は、はぁ……」
グレーのパーカーを着た依頼主は、訝しげに詩織を見つめる。
「あっ、いや、失礼失礼……。それで、久しぶりに密室の謎というか、探偵っぽい依頼がきて、舞い上がっちゃって……。たはは……ふぅ……」
詩織はゆっくりと座り直し、明るい茶色の前髪をささっと整える。
依頼主は、腰にかかるほど長い黒髪を揺らしながら、居心地が悪そうに首を傾けている。
「ただの猫探しで申し訳ないです……」
「いやいやいやいや! 依頼主さんにとっては大事な猫ちゃん! しっかりばっちり探させていただきます! はい!」
……重苦しい空気が流れる。事務所が割と広い分、なおさらシュールな仕上がりになっている。気を利かせたのか、依頼主が沈黙を破った。
「ところで、探偵さんは一人でやってらっしゃるんですか?」
詩織は腕を組みながら、思い出すように語り始める。
「ほんとはもう一人いたんですけどねぇ……。すぐそこに、書類がどっさり積み重なった机が一つあるでしょ? もともと、私はその人の助手をしていたんです。ただ……まぁ、いろいろありまして」
「あ、そうですか……」
「はい。あはは……」
一時しのぎにもならない会話。お互い苦笑いのまま、視線だけはなぜか外すことができないようだ。
「……じゃあ早速、現場に向かいますか!」
「……そうですね」
二人は、その場の雰囲気を払拭するように、無理やり張り付けたような笑顔で、姿勢よく立ち上がった。