むかーしむかし
本当は人物紹介ページを作ろうと思ったのですが、書きたいエピソードが出てきたのでゆるゆる書いていこうと思います。
――それは、今よりずっとずっと古い時代。北の果てにある魔の森にて、めぼしい魔人に片っ端から戦いを挑み、ただひたすら戦いに明け暮れていた一人の魔人の昔話。
「んーヒマだ。もうこの辺りに強いやつは居ないのか」
巨木の上に飛び乗り、木の上から魔力を含む黒い靄のかかる広大すぎるほど広大な森を見回しているのは。人間のようにしか見えない姿ではあるが、森の中だというのに靴どころか服すら纏っていない、黒髪金目の若い青年だった。
「小さい奴はポコポコ出てくるが、弱くてつまらん。せめてもうちょっとデカいのが沢山集まっててくれればな……」
魔の森においてはほぼ無尽蔵に生まれる魔獣といえど、生まれる端から食い尽くしてしまっては育つわけもなく。探し回って少し強いのが居たと思えば、逃げられたり。ケンカの相手をしてくれるものが周囲に居なくなって暇を持て余す青年が、住み慣れた地点を離れて移動しようと思い立った時。適当に向かった方向が、たまたま南だったというだけの話。
彼が延々と続く森の木々の上をピョンピョンと跳び移りながら走っていると、遠くに白い山が見えてきて、今までずっと果てが無いと思っていた、黒い霧に覆われた木々だけの景色が途切れて、見たことの無い景色が見えてきた。
遠く山脈を背景に、緑に覆われた平らな大地、ただそれだけであるが。新しい環境には今までと違う何かが居るかもしれないと少しだけ期待を込めて、青年はそちらへ向かう速度を上げた。
彼が森の一番端の木の高い枝に飛び乗って、辺りを見回した時。
――馬に乗って厚手の鉄鎧を装備した男の騎士と目が合った。
騎士はただ一人で森の入り口まで来ており。見回りなのか武者修行か、その手には人が扱うにはいささか大きな長槍と大型の盾、それを振るって迷い出た狼型の魔獣を馬上からザクザクと倒しているところだったが。青年を見ると分かりやすく顔色を変え、青年に意識を向けて油断なく構える。
騎士の周囲にいた魔獣たちまで、青年に気付くと怖気づいたように左右へ散っていってしまい、その場には騎士と青年だけが残った。
青年と騎士との距離はほんの20mほどだろう。武器を構えた騎士の出方を待つように、青年は数秒その様子を見ていたが。どうやら彼が木の上まで飛び掛かっては来ないとみるや、枝を蹴って大きく跳ね。騎士の槍がギリギリ届くくらいの所へ飛び降りる。
「ま、魔人っ!」
「まじん?」
「貴様のことだ魔人っ! 私が名は王宮第三騎士団団長、アレキサンダー=ウォーデン! この先は我ら人間の住まう地。大人しく森へ帰ればよし、帰らぬのならば我が槍の錆にしてくれるわっ!」
「ふぅん。俺はまじんというものなのか。にんげん、お前の姿はあの小さいヤツらより俺と似てるが、魔力をほとんど感じないぞ。本当に強いのか? 試しにお前から打ってこい」
「ぬかせっ! 勇者を除けば我ら騎士が最強だ! でやぁぁっ!」
彼の全身に赤い魔力が巡り、それまで魔獣を相手していた動きとは全く違う速度で馬を駆って青年の胸のど真ん中、心臓の辺りを狙って槍で突く。
――ゴッ!
「ぐぬっ! なんと硬い身体か……鎧どころか服も着ておらぬくせに、私の槍を一切通さぬとは」
まともに胸に当たったはずの槍の穂先は、石壁でも突いたかのように全く刺さる様子もなく弾かれ、逆に騎士の腕が痺れてしまったようだ。慌てて馬を引いて身を翻し、距離を取る。
青年は槍が当たった部分に僅かに滲んだ金色の粉を軽く拭って消した。そのまま青年が右腕を上げるのに合わせ、彼の身体から人の手と呼ぶには大きすぎる黒い煙の塊のような腕が伸びて拳を作ると、騎士に向かってビュオッと風を切る音と共に叩き込まれる。
構えた盾で受け止める騎士は馬の上から吹き飛ばされるが、強化した身体能力を駆使し、槍も盾も手放すことなく空中で姿勢を変えて見事に足から着地してみせた。
「ぐっ!」
「刃にも盾にも全く魔力が篭ってない。その辺の小さい奴よりよほど強いが……遊び相手にするにはまだまだ物足りないな」
「うぅ……強い、が! この命果てようとも、貴様をこの先に進ませるわけにはいかんっ!」
驚いて逃げた馬を構う余裕もなく再び盾を構えはするが。先程の一撃で一切攻撃が通らない青年に対して、騎士が持ちうる手は多くないはずで。青年は不思議そうにその様子を見た後、地を蹴って唐突に騎士の目前まで距離を詰める。
「何を――ウガッ!」
「お前が何をしたいのかは知らんが、俺は強い奴にしか興味がない。ゆうしゃというやつが、きしよりも強いんだろう? そいつのことを教えろ」
青年が騎士の顎をがっしりと掴み、目を合わせると青年の両目が金色に光る。騎士は目が離せなくなったように視線を合わせたまま慌てて青年の腕を掴んだりもがこうとするが、逃げられないようだ。
「勇者というのはあの山の向こうの国に居るのか。ふぅん、魔人フェイオンの血を引く人間の血脈から勇者と聖女がたまに覚醒する……聖女というやつは回復や補佐役で戦わないのか、ふむ。今代の勇者がまだ目覚めていないというのは残念だが、フェイオンってやつも向こうに居るなら、そいつのテリトリーを奪いに行けば戦えるな」
「テリトリーを奪って何をするつもりだっ?! フェイオン殿は古くより守護神として崇められるお方だと聞くが。貴様はそこを乗っ取って――」
「お前は俺が人間どもの町を滅ぼして回るのではないかと怪しんでいるようだが。お前より弱い奴などどうでもいいと言ったはずだ。フェイオンと勇者以外興味はない」
「……力試しをしたいだけか。なら、いい。好きにしてくれ」
騎士は悔しそうな眼をしつつも、文句を言わず掴まれていた顎を引いて放させる。青年は欲しい情報も得られたし騎士にはもう用がなくなったようで、山脈の方へ真っすぐに走って行った……
***
走って山を越えた先は、ぽつぽつと街や村が点在する光景が広がっており。これまでの所よりも更に空気に含まれる魔力が薄い分、魔獣の被害も少ないようで、平和そうな雰囲気が漂う土地だ。しかし青年が全体的に漂っている魔力の匂いを嗅いでみると、確かに古く重厚な気配が土地全体を薄く覆っているのが分かる。
「こっちにいるのは確かだと思うが……匂いが広すぎて本体の位置が掴めんな」
さて困ったと腕を組んで考えてから。とりあえず建物の集まった所で軽く暴れ、新たな魔人の出現を知らしめれば、相手のテリトリーの中だし接触してきてくれるだろうと、見回す限りで大きそうな街を探し、そこへ向かって走っていった。
見た目は人間らしくとも、目や髪の色は晒している上、服もない。青年のようだが、男女でいうと今の彼は無性であるようだ。遠目にも接近してくる人影が異常であることは明らか。
立派な城壁を備えた大きな街。そこは急遽見張りからもたらされた魔人接近の報せを受け、ハチの巣をつつくような騒ぎとなった。カーンカーンカーンと鐘が鳴らされ、城門が次々と閉ざされ、市井の人々が建物の中へ逃げ込んでいく。
どこで暴れるのが一番目立つだろうかと考えて、青年は城壁の外の石の凸凹を頼りに上まで素早く登り、あの時騎士にしたように、黒い腕で数人の見張りを殴りつけてみたが――そこに居た人間は騎士に比べるとかなり脆かったようで。受け身も取れずに壁に叩きつけられて動かなくなった。
「あれ? あぁ……なるほど、他の人間がこれでは、騎士が強い方だと言い張るわけだ」
やってしまったものは仕方がないので、黒い手で肉塊と化したそれを飲み込む。どうしようかと考えたが、力加減も面倒なので城壁の上を走りながら、見張りを次々と手の中に飲み込み始めた。さほど好んで食べたいものでもないが、一応味はするし食べられるならば食べるだけ。
『――止まれ!』
ズガンッ!
鋭い殺気と共に青年のすぐ真横に、金色の雷……としか言い表せないものが落ち、広く石床を焼き焦がす。直撃は免れたものの、石床の派手な黒焦げ具合からいって当たっていれば相当な痛手だっただろう。声の主を探してキョロキョロしていると、街の外から視線を感じて城壁の外を見た。
白地に金糸の縫い取りがされた流麗なフード付きのローブを纏う、かなり女性的なほっそりした印象の人影が一つ。長い黒髪を飾り紐と共に緩めの三つ編みにして横から前に垂らし、両手には武器らしいものも持たずに、真っすぐ城壁の上の青年を金の目で見つめている。
「お前がフェイオンか?!」
「その通りだが。ここはわらわの領域ぞ? ひよっこは大人しくするがよい」
「うん、お前は噂通り強そうだ! 俺の遊び相手になれ」
喜色一色に顔を染めた青年は、城壁の縁に足を掛けると、ひと跳びにその人影目掛けて身体を空へ躍らせた。その青年の身体の周囲に先程の金の雷のようなものが現れ。空中に固定して動けなくしてしまう。
「うっ?! なんだ、身体が動かせん」
「大方、魔の森から出てきたばかりの新参者だな? わらわは子供の躾には厳しいぞ。まずは――む?」
青年の身体中から黒い手や顎のようなものが無数に生え、身体を包む雷をがつがつと齧り始めた。
「まったく……子供どころかまだ獣から抜けられておらぬな。まずその格好を何とかせよ、わらわに構ってほしくば、礼節を覚えてからだ!」
「――っが! くあぁぁっ?!」
バリバリバリッ! と、それまでただ拘束するだけだった光が生き物のように動き、青年の全身を貫いて周囲に火花をまき散らす。暴れなくなるのを待ってから、フェイオンは青年を担ぐと町外れの決して大きくはないが小綺麗なレンガ造りの建物の中へ連れていき、風呂で洗ってから白いシャツと黒いズボンを着せ、髪を整えてベッドに寝かせてやる。
***
青年が目を覚ました時、フェイオンは野良着に着替えて裏の畑を耕していた。趣味程度に色々と育てているだけらしく、そこまで広くはなかったが、キュウリやトマトのような簡単に食べられるものが何種類か。戸口からそれを見た青年は不思議そうな顔をする。眺めていても分からないことが分かったので、フェイオンの方へ近付いていった。
「おはよう。そこの水桶であの井戸から水を汲んで来て、そっち側の畑に全部水をやってくれ」
「それをやったら、俺と戦ってくれるか?」
「ははは、分け身も持たぬ未熟者のそなたが、わらわに戦いを挑むなど千年早いわ。水をやり終わったらここの野菜を味見させてやる。人の手で育てる野菜というのは、野山の草木とはまた違って味わいが楽しめるぞ」
良く分からないが、やってみたらわかるかもしれないと、青年は言われるままに水を汲み、バシャバシャと畑に撒き散らす。水の加減や撒き方のこつを説明されながら水撒きを終えると、家の中の調理場に案内されて野菜の切り方や調理の仕方などをあれこれ教えられ、焼いたものや煮たもの、生のサラダに漬物などを皿に並べて朝食をとる。
素直にカトラリーの使い方を習い覚え、フォークで焼き野菜を食べる青年を、お茶を飲みながら目を細めて眺めるフェイオンは、どことなく楽しそうだ。
「どうだ、美味いか?」
「美味いとは思うが。これは食べても魔力の足しにならないな」
「強さを追い求めることを悪いとは言わぬ。だが長きを生きる我らにとって、何ごとも楽しむことは大切だと思わぬか?」
「……強い奴と戦うのは楽しいが。他は良く分からん」
そう言いつつも、青年の手は止まらず、全種類食べているのを眺めてフェイオンは笑む。
「ふっ、少しずつ知ってゆけばよいわ。寝ることもこうして味覚を楽しむことも、己の大切なものを得て愛でることも、人間たちの営みだと思っていたことが、我々魔人にとっても大切なことであったと。いずれ分かる時がくる」
「この家は一人で住んでいるにしては、部屋が多い。他にもここに住んでいるものが居るのか?」
「昔はおったが……今はわらわしかおらん。たまに古い知り合いが来たり、そなたのような迷い子を世話することもある、便利だから残してるだけさ」
「なぜ居なくなったんだ? お前が付いていて狩られたとでも?」
「いやいや、寿命だよ。あの子は人間だったからね。一緒に過ごした時間は100年もなかった」
「……印は?」
「あの子が望んだんだ。永劫を生き切れる自信はないから、人として生きて死にたいとな」