加藤友久(36)の場合 フェリカモール松丘店警察官立寄り所 0:26
何故僕は此所にいるのだろう。まず最初に思ったことはそれだった。
確かにこの場所はよく知っている。この辺りの巡回は僕の仕事だし、この場所で悪がき達から話を聞いた事も一度ではない。
でも、どうしても思い出せないのだ。巡回の時間を忘れて眠りこけるほど長く此所にいた理由が。
寝起きでぼんやりとした頭を振り、無理矢理目を覚ます。とにかく巡回を始めなければ、今まで書くことの無かった始末書を書かされる事にもなりかねない。
ホルスターの拳銃――ニューナンブM60、五発装填の小型リボルバーだ――、腰の警棒を確かめ、ポケットの警察手帳も確認する。持つべき物があることを確認してから、僕は暑さの残る空の下に踏み出した。
直ぐにはその異変には気付かなかった。しかし、何か引っ掛かる感覚を辿っていき、やがていつもと何が欠けているのか気付いた。
人。いつも人の出入りがあるはずの店の入口には人影一つなく、駐車場は出ていく車も入ってくる車もない。
これは……かなり大きなミスをしてしまったのかもしれない。そう思った矢先、目に決定打となる光景が飛び込んできた。
倒れた女性。肩から鞄を掛けたウェイトレス風の服装。この服装には見覚えがあった。この店のフードコートにある店の制服だ。
何があったのか。そんなことを考える暇は無かった。もはや自分一人で何か出来る問題ではなさそうだった。僕はもう躊躇うことなく、同じ場所を巡回している筈の同僚に無線を入れた。
無線は無言のまま、何の反応も示さない。まさか佐伯までいなくなったのか? 一体どうなってるんだ? 無線機の故障ではないのかとも疑ったけどもそうではないようだ。
仕方なく本部へと繋ぐ。しかしこれも全く反応がない。仕方なく無線を切り、ホルダーに納めた。
視線を落とすと、彼女の痛ましい姿が再び目に止まる。連絡がつかないなら仕方が無い。僕は彼女を背負い、落ちていた肩掛け鞄を首に掛けるとすぐ近くの小さな病院を小走りで目指した。勝手な行動による懲罰のことは後で考えれば良い。
病院の入口へと来た時、彼女が目覚めた。途端、彼女は僕を突き飛ばし――当然ながらおんぶの体勢であった彼女はバランスを崩し背中から落ちた――ふらふらとした足取りで逃げ出した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 」
状況が全く飲み込めないまま彼女を追いかける。従事者が言うのもあれだが警察官の制服はそれなりの信頼感がある。それでも逃げるのは何か原因がある筈だ。
足がふらついている彼女に追いつくのにさほど時間は掛からなかった。しかし明らかに錯乱している彼女を無理に刺激は出来ない。
「頼む、待ってくれないか? 僕は何もするつもりは無いんだ。」
両手を上げて敵意が無い事を示す。初めは信じられないと言う様な目をしていた彼女も、次第に落ち着いてきたのか目付きが和らいだ。
「ごめんなさい、お巡りさん。私、てっきり……」
そこまで言うと、彼女はいきなり吹き出した。そういえば、僕の首には彼女の鞄を掛けっぱなしだったのだ。確かに他人から見れば奇妙な姿に違いない。
「あ、いや、これは…… これ、君のだよね? 返しておくよ。」
首から鞄を外し、彼女に渡す。彼女はそれを受け取り、肩に掛けた。
「ありがとうございます……助かりました。病院ということは……」
「うん、どうも頭も打ってる様だったからね。詳しく事情を聞かせてくれないかな? その傷の事。」
僕達は会話を続けながら病院へと入っていった。院内も火が消えた様に静かだ。受付にも人影はなく、壁に掛かった時計以外に動く物はない。
「はい、多分人がいなくなった原因と関係あると思うんですけど」
その時、遠くで何かを叩く様な音が響いた。何の音かは考えなかった。そこに生命活動を感じた僕は、何も考えずに走り出した。
「なんだ、あれは……?」
その光景は、一瞬今まで扱ってきた傷害事件と何ら変わらない様に見えた。脇腹から血を流しながらエレベーターを背に絶望的な表情を浮かべる白衣の男。そして表情は伺えないけれど彼を追い詰めるこちらも白衣の……
いや、何かおかしい。その違和感の正体に気付いた時、思わず僕は言葉を漏らしていた。
「また……店長と同じ……」
「え?」
少し遅れて追いついた彼女が呟いた言葉に思わず反応してしまう。まさか、これが彼女の言いかけた「人のいなくなった原因」なのか。そう察するのに時間は掛からなかった。
「お巡りさん、あの人を助けて! きっとあの人も……」
「分かってる! でも……」
迂闊には手を出せない。拳銃を使うにしても流れ弾が医師に当たる可能性があるし、警棒にしても化け物じみた相手の懐に飛び込む必要がある。しかも忍び寄るには遠く、気付かれれば接近は難しくなるから走り寄ることも出来ない。
必然的に拳銃を使わざるを得ない。しかし
「あっ……!」
思考は彼女の小さな叫び声に掻き消された。異形の医師は血に染まった刃物の様な物を振り上げ、傷付いた医師に迫る。
迷っている時間は無かった。
僕は常日頃練習してきた動作でホルスターからニューナンブを取り出すと撃鉄を起こした。狙いを頭部に定め、躊躇いなく引き金を引いた。
乾いた音が響いた。手に久し振りの射撃の反動が伝わり、直後に硝煙の匂いが辺りに広がる。
命中を確かめる間も無く、医師が異形の男を殴り倒した。必死の形相で殴り付ける彼はまさしく背水の陣を身体で示していた。
一方僕は傍から見れば情けない姿をしていたに違いない。射撃体勢のまま未だに自分がしたことを受け入れられずに立ち尽くしていたのだから。
やがて、白衣の男は顔を上げた。一瞬の間の後、彼の目に希望の光が宿った。