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白昼夢  作者: 男里 翔舞
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松井臣人(43)の場合 安谷外科2階医局 0:18

 目覚めた時、私は詰め所のソファで横になっていた。

 壁に掛かった鳩時計を見る。12時18分。目を瞑ってからさほど時間は経っていないものの、数時間寝ていた気がするのは何故だろうか。

 そして、ふと気付いた。いつもより静かだということに。

 何故かは分からないが、嫌な予感がする。私はソファから起き上がり、机の上のすっかり冷め切ったコーヒーを飲み干した。ほろ苦い味が喉を滑り落ち、寝ぼけた頭を覚醒させる。

 そして白衣を羽織り、不審に思いながらも廊下の様子を覗いた。


 いくら小さい医院とはいえ、看護師たちの足音さえ聞こえないのはおかしい。人影一つない廊下に出、201号室を覗く。此処には唯一の入院患者である学生がいた筈だが、2つあるベッドはどれも空だった。

 いや、退院したわけではない。彼がいたベッドのシーツは乱れ、近くには綺麗に並べられたスリッパもある。しかも、食べ掛けの食事まで置いてあるではないか。大体、退院許可を出すにはまだ早い。

 では彼は何処へ行ったというのだ。ただの外出ならばスリッパを履いていく筈だ。

 私はじっくり考えた挙句、かぶりを振った。彼の失踪が異様な静けさと関係あるかとも思えたが、それならば騒ぎの断片が耳に入った筈だ。寝入ったのは正午前だったのだから。

 とにかく、病院がすっかり空になっているとも思えない。私は状況を誰かに尋ねるべく、院内の探索を始めた。


 私は二階の部屋を次々と見て回った。

 202号室、203号室、会議室、調理室も調べたが、誰一人として見つからない。

 二階には誰もいないのか。時々あることではあるが、異様な静けさの中だと薄気味悪い。私は慣れ親しんだ階段を妙な焦燥感と共に降りていった。


 一階に降りてすぐにロビーを確かめる。昼の診療時間は1時からなのだから誰もいなくて当然だが、だからといって先程から感じる妙な焦燥感が消える訳ではない。

 看護師詰所の扉を開ける。普段三人の看護師が常駐している筈であるが、此処にも誰もいない。

 何処に行ったのだ。そう考えるよりも早く私は踵を返していた。

 休憩時間に医師、看護師がいなくなる理由は限られてくる。しかも入院患者までいなくなっているのだ。

 私は廊下の突き当たり、手術室の扉を押し開けた。

 しかし、そこにあったのはがらんとした処置台だけだった。

 いや、その表現は正しくない。処置台の横に白衣の男が立っていた。

 「安谷先生……こちらにいらしたのですか。」

 「やあ、松井君。えらく慌てた様子だがどうしたのだね?」

 落ち着き払った様子で院長が言う。何事もないように話すということは、何も起こっていないということなのか? それとも……

 「院長……看護師たちの姿が無いのですが、何処に行ってしまったのでしょうか? 入院している山下君も居な」

 「あぁ、彼女達か。彼女達なら心配いらない。無事だよ。

 それより君にはやってもらわねばならない事があるのだ。」

院長は私の言葉を遮って話を続けた。いつもならば話の腰を折る様なことはしないはずな

 「緊急オペだ、松井君。今すぐ準備したまえ。」

 オペだと? 患者もいないというのに誰をオペするというのだ?

 「一体どういう事ですか、誰をオペすると」

 いうのですか。そう続ける前に、左脇腹に衝撃が伝わった。

 「患者(クランケ)は君だよ、松井君。」

 一瞬遅れて伝わった激痛に、私は思わず声を上げうずくまった。一瞬、院長の手に握られた外科用鋏が目に入った。


 何が起きたか分からなかった。血の付いた外科用鋏がちらりと見えても、腹部の傷から流れる血が白衣を赤黒く染め上げていっても、それが非現実の様に思えてならなかった。

 「な……何故……?」

 私は痛みを堪えながら漏らす。逃げなければと頭が警鐘を鳴らしているが体に力が入らない。

 「何故?」小馬鹿にした様に安谷が言う。「君はまだ気付かないのかね。自分が既に人ではないということに。」

 恐らく痛みで頭が鈍っていなくとも、その言葉の意味は理解出来なかっただろう。だが、私はその時既に彼の言った事が理解出来ていた。

 安谷の腕が伸び始めたのだ。

 白衣の袖が千切れ、もう一つの関節があらわとなる。二の腕がもう一対出来たかの様にそれは成長し

 「君はもはや人間ではない。進化に乗り遅れた劣等種だ。だからこそ進化の……」

 もはや安谷の話を聞く気にはなれなかった。私は傷口が痛むのも構わず手術室を飛び出した。

 今思えば、私は半ばパニックに陥っていた。訳の分からない現実を腹に突き刺され、正常な判断を破壊されたのかもしれなかった。

 私は右に折れた。その先はエレベーター、乗り込めば少なくとも当面は逃げられる、そう信じてやまなかった。

 6m程の距離を傷を庇いながら早足で駆け、上昇のボタンを押す。ボタンは点灯したが、扉が開く様子はない。

 上の階にいるのだ、くそっ。何週間振りかの罵りを心の内に漏らし、後ろを振り向いた。

 そこには安谷が笑みを浮かべて立っていた。

 「諦めるのだ、松井君。間に合うまい。」

 安谷は鋏を振り上げた。

 死ぬのは嫌だ。私の頭の中で生存本能が閃いた。

 私は一切を賭けて安谷の懐へ向かっていった。

 その時、乾いたパンという音と共に、安谷の額が吹き飛んだ。

 私はそれに気付かぬまま彼を突き飛ばし、数回顔を殴った後にやっと事態の急変に気付いた。

 ふと顔を上げると、飲食店風の制服を着込んだ若い女と、信じられないという風に口を開いたまま拳銃を構える警官が立っていた。

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