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白昼夢  作者: 男里 翔舞
3/7

河合慎二(16)の場合 竹山団地E棟前 0:20

 団地までたどり着いた。その安堵が心を一杯にした。

 此所に来るまでほとんど走りっ放しだった。健だけじゃなく他にも化け物みたいになった奴がいてもおかしくないけど、幸いにも遭遇はしなかった。

 途中誰かを見掛けた気がしたけど気にしなかった……視界の隅のそいつは、少なくとも足だけが異様に太く見えたからだ。

 まともな奴はいるのか?親父は、お袋はどうなったんだ?……俺はそればかり考えていた。

 ある意味では答えは目の前にある筈だ。この時間ならお袋は家にいる筈だからな。そう思ってもやっぱり確かめるには勇気が必要だった。

 大きく深呼吸をする。息を吐き出しながら嫌な気分を忘れる為に。そして意を決して階段を上り始めた。

 いつも使ってる筈の階段がとても長く感じられる。3階まで行くのに10分以上掛かった気がした。

 腕時計を見るとあまり時間が経っていない。人の心って面白いもんだな、とぼんやりと考えていた。


 302号室の扉をゆっくりと開ける。馴染んだ匂いが鼻を満たす。あぁ、こんな時でも家は家だな、と感じる。

 この時間、お袋は大抵昼寝をしてる。親父が仕事に出ている時はいつもそうだ。親父は仕事の手直しか何かで現場に行っている筈だ。

 日曜だってのに、もうちょっと融通が利く会社なら良いのにと毎回思う。いくら早く家を建てるのが売りとはいえ……

 俺はこんな状況にも関わらず場違いな事を考えながら居間へと向った。


 居間を覗くと、そこにはテレビを付けたまま寝転がるお袋の姿があった。見たところ特に変わった様子はない。

 テレビは何てことのないバラエティ番組を写している。空しくギャグを織り込んだ内容に今は笑う気にもなれない。

 一方のお袋はテレビを見つめながら時々含み笑いをしている。最近勧められてやったホラーゲームに一家が怪物化したステージがあったがその母親よりは……いや、考えたら駄目だ。俺は現実とゲームの区別もつかなくなったのか?といってもこの状況はとても現実とは言いにくいけれど……

 「……お袋?大丈夫か……?」

 そっと陰から聞く。その声に振り向いたお袋は一瞬不思議そうな顔をしたもののすぐにいつものほほ笑みを浮かべた。

 「あら、あんた帰ってたの。全然分かんなかったわ。」

 「それよりお袋、大丈夫か?何処もおかしくないか?」

 少し離れた状態で話し掛ける。信じたくはないが……お袋が健みたいになることは十分に

 「何言ってるのよあんた、変な夢でも見たんじゃない?健くんがおかしくなったとか。」

 ……夢?

 今まで全部夢だってのか?

 なるほど、そう考えれば全て合点する。

 俺はなんだとすっきりした気分でお袋に近付いて

 左肩に鈍い痛みを覚えた。

 ここは……健に殴られた場所じゃないか。夢ならどうして痛みが残るんだ?

 しかもお袋、仮に夢だとして、どうして夢の内容を知ってるんだ?

 俺は思わず後退りした。


 「どうしたのよ慎二、母さんが怖い?」

 お袋が立ち上がった。手には刺身包丁――親父がいつも使っている柳葉包丁――が握られている。陰になって見えない部分に置いていたらしい。

 「あ、ああ、あ……」

 俺は情けない声を上げる。予想はしてたとはいえ……お袋がこんな事になるなんて……

 「大丈夫よ、怖くないわ。すぐに……ふふ、あははははは……!」

 俺は後退る。それをお袋は笑いながらじわじわと追い詰めて来る。

 そして、変化が見えた。

 腹部から胸部にかけて縦に裂け目が入って

 「あ……ああああああ!」

 いや、裂け目なんかじゃない。

 それは巨大な口だった。

 こんな状況、耐えられない。知らぬ間に叫び声を上げていた。

 しかし、既に逃げ場はない。玄関のドアが無情にも背中に当たった感覚があった。

 駄目だ。ドアを開けようとしたらすぐにでもお袋は……

 でもお袋はもう目の前にいる。万事休すってこういう事だな、なんて考えが頭をよぎった。

 くそっ……このまま俺は実の母親に殺されるのか。

 泣きたくなった。久々の感覚だった。

 涙を堪えて俯く。と、傘立てが目に入った。

 俺はそこの黒い傘――親父がいつも使ってる奴だ――に飛び付いた。

 「あははははは!慎二、馬鹿な真似は止めなさい!」

 お袋の笑い声が突き刺さる。

 俺は傘を持ってお袋に向かっていった。


 俺は傘を腰だめに持ってお袋に向かっていった。

 歩数にして約三歩。それを一っ飛びに飛び掛かる。

 そしてそのまま腹の口目掛けて傘を突き立てた。

 形容し難い手応えが伝わった。傘は口を貫き背中からその先端を

 「ぎぁぁぁあああ!!」

覗かせた。一瞬遅れて響く絶叫。顔の口と腹の口から溢れた声は黒板を引っ掻く音にも似ていた。

 俺はさっと飛び退いた。瞬間、俺がいた場所に刺身包丁が閃いた。完全に死ぬまでは至らないかもしれないがかなりの痛手を与えたことは間違いない。

 「慎二ぃ!お母さんに何てことを!」

 変わり果てたお袋、いや、お袋だったものが叫ぶ。右手に握った刺身包丁をわめきながら振り回し、左手では腹の口に刺さった傘を抜こうとしている。

 しかし、もう俺に恐怖心は残っていなかった。

 俺は今度は近くの木製バット――さっきは奴が近すぎて取れなかった――を握っていた。

 「わああああああ!」

 そして化け物の頭目掛けて――当然包丁には気をつけなければならなかったが――振り下ろした。

 鈍い感覚が手に伝わった。

 それきり、化け物の怒りの声は止まった。

 酷い疲労感が体を支配した。

 そして、化け物になったとはいえ、自分の母親を手に掛けたという事実が頭を駆け抜けた。

 俺はこの事態に陥ってから初めての涙を流した。

 いつの間にかすすり泣きは嗚咽に変わり、気が狂ったみたいに泣き続けた。


 どれぐらい泣き続けただろう。俺は涙の名残を拭き取り、立ち上がった。

 そしてお袋の体を見やり……妙なことに気付いた。

 お袋の体からは、一切の血が流れ出ていないのだ。相当な出血量になるはずの、腹部に突き刺さった傘の傷からでさえ血の染み一つ浮かび上がっていない。

 こうするのも気が引けるが、傘を恐る恐る引き抜いてみた。それでも血は流れない。それどころか、傘には一滴の血も付着していない。

 どういうことだ?これじゃまるで

(血抜きした魚)

最初から死んでたみたいじゃないか。

 自分の考えが妙に現実味を帯び、ぞくりとした。消えた人間。残った俺。

 血のない化け物になった人間。

 俺は決して賢くない。だが一つだけこの事態に対して分かることがある。

 異常。常識の通用しない事態。

 俺は汚らわしいもののように傘を投げ捨てた。同時にどっと笑い声が響く。

 俺はバットをテレビに投げ付けた。爆発する様な音と共にブラウン管が砕けた。

 もう、何も信じられなくなった。

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