刈谷浅子(21)の場合 フェリカモール松丘店フードコート 0:12
私は店のカウンターから外のフードコートの様子を覗いていた。
店――ステーキとハンバーグの店――の外、すなわちフードコートの中を変わり果てた店長が歩いている。
腰を大きく折り曲げ、顔をうつぶせにしたまま徘徊している。手には大振りの肉切り包丁が握られている。この店の仕込みに使用するよく手入れされているものだ。キッチンの包丁立てから無くなっているのはさっき確認したばかり。
そして店長の背中からは大きな目が出現していた。
発達したその部分だけ綺麗に裂け目が出来、出来損ないの瞼の様に開いたり閉じたりしている。
私は信じられない思いでその様子を見、多分10分はこうして隠れている筈だ。
どうしてこうなったのだろう。私はふと考えた。
こうやって隠れている間、同僚はおろかお客さんの姿も一人も見掛けない。ということは私が休憩中にふと気を緩めてうつらうつらしている間に店長の様な人間が何人か現われて避難したと見るのが良いのか……
でもそれならば何故私を起こしてくれなかったのだろう。それに騒ぎで目が覚めている筈だ。
しかも、店長がもしあの包丁で人を殺そうとしているなら……眠っていて動かない私を真っ先に狙う筈だ。店から外に出るためには休憩室を通らなくてはならないから嫌でも目につく筈。
やはり、突然人が消えてしまったのかな……ならどうして私だけ残ったのか。そしてどうして店長は……
考えても始まりそうにない。
私はとにかく店から出るべく、行動を起こそうと決めた。
まず、何かあった時に身を守るものが必要。私はそっとキッチンへ向かい、包丁立てに置いてある万能包丁を手に取った。店長が持っているものよりも小さいけれども家庭用のものと同じぐらいの大きさで良く切れる。
使うことにならなければ良いんだけど……そう思った途端、不安が頭をよぎった。
此所からどうやって出たら良いの?
再びカウンターから店長の様子を覗く。店の前をうろつきながらも、じっと見ていると一定のルートがあるみたいだった。
でも、どれだけ遠ざかった状態でも出入り口から10mも離れていない。見付かれば……何もしてこないかも知れないし、殺されるかも知れない。
それに、何処に逃げるかも問題だ。
目の前のテラスへの出口へ行けば直ぐに外に出られる筈。でも障害物のほとんどないフードコートを端から端まで走らないといけない。確実に途中で見付かってしまう。他の出口も遠すぎる。
あ、そういえば……店の横にお客様トイレ用の通路がある。そこを通れば専門店街に出られる。
ルートは決まった。あとはタイミングだけ。
ふと洗い場を見ると、片付けかけの鉄板と一緒に木製の敷き台がそのままになっていた。
道が、今度こそはっきりと見えた。
私は手にした敷き台を握り締め休憩室のドアの隙間から店長の様子を伺った。
チャンスは一回きり、失敗すれば間違いなく店長は店の中に入って来る筈。そうなると逃げ場も隠れ場所も無い。
私は肩に掛けた鞄の中をちらりと見て決意を固めた。
中には……店長の従業員証が入っている。更衣場の床に落ちていたものを拾っておいたのだ。一種の、形見として。
何があったかは分からない。でも、もうあの優しい店長は……多分いない。
此所にあの時までの店長がいる。きっと守ってくれる……そう考えると勇気が出てきた。
あとは実行するだけ。
私はドアから店長を覗き見た。
彼はトイレの向こうにある丼屋の方を見ている。
よし、今だ。
私は敷き台を思い切り前へと投げた。
投げた敷き台はフリスビーの様に飛んでいき、大きな乾いた音と共にたこ焼き屋――この店の反対側の店舗――の前に落ちた。
「誰だ~? うへへ、ヘヘ、ヘッ……」
店長が不気味に笑いながら移動している。どうやら成功みたいだ。
ドアの隙間から敷き台を投げた辺りを覗く。店長は……そこに向かってる!
今しかない。
私はそっとドアを開け、出来るだけ姿勢を低くしてトイレへの通路に駆け込んだ。
後ろを見ずに真直ぐ専門店街へと抜ける。
そこにはがらんとした店が寂しく並んでいた。
いつもと変わることなく流れるBGMが、かえって不安を煽った気がした