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おかげさまで、私も真実の愛を見つけました。

作者: 柚みつ

「アステリア・ブラウナー! お前との婚約を破棄する!」


 豪華な装飾が施されたホール、それを引き立てるように華やかな装いに身を包んだ男女が集まる場に響いた、場違いな声。


 ホールの中心に立つのは、アデルバート・スタインウェイン。この国の王太子、そして私の婚約者、だった人。

 その隣にいるのは、周りの様子をチラチラと見ては視線が交わるたび大げさにビクつき、肩を縮こまらせている女性。未婚の、しかも人の婚約者にそれだけ密着するのは淑女としてどうなのかしら。この状況で寄り添った殿下から離れる気配もないうえに、殿下の手も彼女の腰にしっかり回っているから指摘するだけ無駄でしょうけど。


「恐れながら、申し上げます。

 私と殿下の婚約は、陛下からの勅命であったと記憶しておりますが」

「……それがどうした」

「このような場でそう仰るからには、陛下より許可を賜ったということでしょうか?」


 ないわ。絶対に言ってないし殿下の自己判断だけでしょうねこれ。

 手に持っていた扇で口元を隠し、目線だけ殿下に送ってみたけど一向に合う気配がない。

 視線が合わないのなんて婚約当初からだったから、私は今さら気にすることでもないが、周りでこちらの様子を伺っている人達はどうでしょうね。


 王家の色である深い翠を宿した瞳が忙しなく揺れている。俯けばサラリとなびくのは陽の光を溶け込ませたような眩い金髪。見た目だけは完璧王子様、なのに口を開いてしまうとその残念さが際立って見えるから、と令嬢にそっぽを向かれたことは一度や二度では足らず。

 だからこそ私が勅命なんて無茶な理由で婚約者になったのだけれど。家柄的にも釣り合う年頃の令嬢、もう他にいないんですもの。


「うるさい! 俺がこの国の王になるのだから陛下の許可など不要だろう!」

「それに、婚約はあなたが陛下を脅して結ばせたものなんでしょう?」


 今日の為だけに仕立てられた、殿下の皺ひとつない紺の上着を握りしめ、震える様子を隠しもせずに私に声を投げたのは、さっきから殿下が大切そうに抱いている女性。

 春の風を思わせる淡いピンク色の髪にドレスも淡いピンク。お揃いにしたかったんだろうけど、色の濃淡をつけるならともかく、全く同じ色だから視界に入ると認識されるのは人ではなくてピンク色の物体。

 ドレスも元の形は綺麗なのにレースやリボンを後からこれでもかとばかりに盛り込んでいるから、もはや飾りとは呼べないくらいの存在感。ひとつふたつなら、上品に仕上がったんでしょうけど。

 彼女、素材だけはいいのだからもう少しそれを活かすということを学んでほしかったわ。


「私が陛下を脅すだなど、そんな大それた事どうして出来ましょうか」

「陛下の弱みを握っているんでしょう! それを盾にしているのよ!」

「本当か、ミーニャ! 時々陛下が気の毒そうに俺を見ていたのは、そういう理由だったのか!」


 だから、どうしてそれを王太子の婚約者とはいえただの令嬢である私が知っていると思っているのか、って聞いているのですけれど、まったく通じていないのはどうしてかしら。

 それにこのスタインウェイン王国、あえて分類するのなら大国。そんな国を治めている王がたかが令嬢なんかにいいように扱われる、と思っているのでしょうか。

 執務を、苦悩を、最もそばで見てきているはずの王太子が?

 気の毒そうに見ていたのに気づいていたのなら、どうしてそんな視線を向けられているのかまで考え、は至らないからこんなこと言いだしているんでしょうけども。


「俺はミーニャのおかげで真実の愛がどんなものなのかを知ったのだ。俺とお前の間では感じることなどなかったがな!」

「アデルバート様……」


 うっとりと殿下を見ているミーニャ、確かどこかの庶子とは聞いたけど、どの方だったかしら。貴族のマナーを学ぶために学園の入学が特別に許可されたとの事だったけれど、卒業に必要なマナーを何一つも身に付けられなかったのに、男を落とす手練手管は他の方よりも頭ひとつ、いえふたつみっつ飛び出ていたとは聞いていた。

 殿下が同じタイミングで卒業を迎えたいと教師たちに無理を言ったから彼女はこの場にいられるのに、まさか自分が優秀だなんて思っていないわよね。刺繍ひとつ満足に出来ず、かといって王太子から直々に課外授業を設けるように命令されれば逆らう事も出来ない教師たちが、揃って頭を抱えていたことはご存じなのかしら。


「そこまで仰るのであれば、どうぞ手続きを進めてくださいませ」

「ふん、最後に従順な様子を見せれば周りの同情でも引けると思ったか」


 ここで従順なふりなんて必要かしら。さっきから周りの目は王太子であるあなたにしか向いていませんもの。最もその視線も次代がこれで大丈夫なのだろうかという不安しかないですけど。


「この場であなたがどう言い繕うとも、婚約破棄は免れないのですよ。アステリア嬢」

「その通りだクラウス、さあ手続きを!」


 静かに控えていたのにすっと前に出たのは、静かな海を思わせる青い髪と同じ色の瞳を眼鏡で隠した青年。宰相の息子で殿下と同じ年齢だから、学園でも一緒に過ごしていたし、将来もそのまま側に就くと誰もが信じて疑っていなかった。本人もそのつもりなんでしょうけど、このままでいいのかしら。


「クラウス、ありがとう。あの人からアデルバート様を助けてくれるのね!」

「ぼっ、僕は別にあなたのためにしているわけでは……」


 事が大きくなり出したのを把握したようで、衛兵が静かに、けれど自分の出来る最速で部屋を出ていった。ピンク色の空間で自分に酔っていらっしゃるようですし、殿下たちは分かっていないでしょうね。どうやらあのお三方は自分たちの世界に夢中のようですから。

 あの衛兵は中でも足が速い、陛下がいらっしゃるのはそう遅くないでしょう。今のうちに言い逃れの出来ないよう、皆に聞いていただきましょうか。


「では私はこの場から辞させていただきます。婚約を破棄される身、学園の卒業という祝いの場には相応しくないでしょうから」

「この場だけではない、陛下を脅して俺と婚約をしていたのだ。その罪、この国から出ていくことで償ってもらおうか」


 何だか、予想はしていたとはいえこうまで期待通りの展開に持っていけるなんて思っていなかったわ。殿下の行動が分かりやすかったからこちらの対策も立てやすかったのだけれど。


「アデルバート様、それじゃあアステリア様がかわいそうです」

「ミーニャは優しいのだな」

「そんな……当然の事です。

 それに、今までアデルバート様の婚約者だったのに、いきなり庶民になるなんて……」


 気遣ったように聞こえるのでしたら、殿下にはぜひとも耳の検査、でしたかしら。それを受けていただきたいわ。殿下からは国から出て行けとは言われたけれど貴族籍をはく奪するなんて一言も出ていないのに、ミーニャからは当然のように告げられていることを。

 もう少しだけ引っ張って話を聞いても面白そうだと思ったけど、周りの方々の息を飲む音も聞こえてきているから、ここはもう手早く終わらせる方向でいきましょう。


「お気になさらず。生活していく術は心得ていますから。ああ、ネヴァンはいるかしら」

「ここに。出番がない事を願っておりましたが」


 事の成り行きを見守る人の中からサッと現れたのは、私のとても有能な従者。その手には思っていた通りのものが握られている。

 内容が見えるように開いて目線の高さまで持ち上げてくれた書面、それに目を通し書かれている事が自分の望んでいたものだと確認してから殿下の前に差し出した。


「これは、殿下との婚約を結んだ折、念のためにと用意していた書簡です。

 出番がなければ良い、と思っておりましたが」

「そんなものまで用意しているとはな」

「こちらは国王陛下よりお預かりした物ですわ。

 ……どうぞ、存分にご確認なさいませ」


 殿下は鼻で笑ってから書面に目を通す。大した時間もかけずに隣に立っているクラウスにペンを要求しているところを見ると、内容までは理解されていないようで。

 最初の一文が私と殿下の婚約を解消することを認めるものだと書かれているうえに、国王陛下と婚約を見届けた大司祭様のサイン入り。今の、真実の愛とやらに目覚めた殿下にはそれ以上何もいらないのでしょう。


「殿下、お待ちくださっ……!」


 横目で書類を見ていたクラウスがギョッとした顔をして、サインをする殿下を止めようとしたけれどもう遅い。最後まで書き上げた殿下が皆に見えるように高々と掲げてしまったのだから。


「この書簡をもって、婚約は破棄された!」

「アデルバート様……!」


 ミーニャはこれで自分が殿下と婚約できる未来を思ってか目元を潤ませているし、殿下もそんな彼女の様子を愛おしそうに見つめている。

 隣のクラウスだけが、血の気の引いた顔で殿下の掲げた書面を呆然と見つめているけれど、文句は内容を確認もせずにサインした殿下に仰ってくださいな。


「それでは、私は失礼いたします。どうぞ皆さま、卒業のお祝いの続きをなさってくださいませ」


 まだ、表情は崩さない。令嬢として、王太子の婚約者として今までに培ってきたものを全て、この一礼で見せておかねばならないのだから。

 ドレスの裾の動きまでを計算し、爪の先まで神経を集中させて深く腰を折る。この場を辞する淑女として、今までで一番きれいに出来たと自負できるカーテシーを見せてから扉をくぐった。

 後ろから聞こえる、感嘆の声には気づかないふりをして。


 王太子の婚約者として教育を受けていた身、衛兵にも顔見知りは多い。そのなかの一人が本日の馬車当番だったようだ。気分が優れないから退出したと伝えれば、手早く馬車を回してくれた。体調を心配する声には、笑顔でお礼を伝えてから馬車に乗り込む。


「……ここならもう大丈夫かしら」

「ええ、どうぞ」


 ネヴァンが下ろしたカーテンの隙間から外の様子を確認してくれる。そこには私達を追いかけてくるような馬車はもちろん、早馬だって見つからないだろうけれど。


「やっと終わらせられたわー! あんなに上手くいくとは思わなかった!」

「ことごとくこちらの予想を裏切ってくれましたね、王太子殿下は。まさかすんなり署名をするなんて思っていませんでしたが」

「真実の愛? に夢中なのだから、仕方ないわよ。それにしても、もう他人事とはいえ心配にはなるわよね」


 王太子妃の教育は大変だったからと、ほんのわずかだけ、ミーニャには同情してしまう。これからバラ色の日々が始まると思っている彼女だけれど、始まるのは寸分の狂いも許されないほど徹底的に管理されるスケジュールに従う日々だ。

 自分がどれだけ頑張っていても、隣に立つのがあの殿下なのだから、今までどの令嬢だって続かなかった。どうして自分ばかり、と思うのでしょう。私だって、王家からの勅命でなかったらとっくに逃げ出していた。


「今頃、国王陛下もホールに着いているはずです。まあ、ブラウナー家の馬車に追いつけはしないでしょう」

「さっさと見切りをつけておいて正解だったわ。私がこの国を追放されたら、困るのは自分たちなのにね」


 王太子妃教育の合間を縫っても、睡眠を削らないと時間を作ることは出来なかったけれど、やっておく価値はあった。


「淑女の皆様は、特に落胆されるでしょうね。……流行りのドレスが手に入らなくなりますから」

「質の良い布もよ。隣の国に、全ての基盤を移してあるもの」


 王太子の婚約者の名を伏せて、立ち上げた商会。服飾関係を取り扱う店としては、流行に敏感な淑女の口に必ず乗る。それくらいの大きさにしておかないと、生活基盤が整っているなんてあの場で言ったところで信じてもらえないと勧められたから。


「王太子妃の教育に隠して、ですか。ある程度は黙認されていましたかね」

「王妃様は全てご存じよ。それに、あなたの協力もあってこそだわ。ネヴァン」

「少しは、役に立てましたか」


 王妃様は、自分の息子である王太子の教育を頑張っていた。それはもう、軌道修正なんて生易しい言葉で済ませることは出来ないほどに。だけど、それを庇ったのが国王陛下。王妃といえど、国の王の言葉は絶対だ。それが、公の場であったなら。

 陛下がそんな場所でうっかりと発言したのをきっかけに、自分の立場はただの義務だと割り切った王妃様が私には同じ思いをさせまいと、あれこれ世話を焼いていただけるようになったのだから。そのひとつが、自分でお金を稼いで生活できるようにしておくこと、で商会を立ち上げることに繋がった。マナーの確認も兼ねた王妃様とのお茶会、そう思わせておいて実際には私が唯一気を抜ける時間。


「もちろんよ。隣国の令嬢とはいえ、あっさりと商会を作ることを許可されるなんて、まず考えられないもの」

「俺は、あの場に出るのに冷や冷やしていたんですがね。王太子殿下とは、昔交流がありましたので。

 放蕩者の第三王子、顔なんて覚えてなかったようですが」


 王妃様とのお茶会の後、話題に上がった自分で生活の場を整えることについて、相談したのは、ただの世間話のつもりだった。それが、自分の地位をいいように使って、あっという間に基盤を整えてくれたのが、私の従者、のふりをしてくれている隣国の第三王子であるネヴァンだ。

 家の裏庭で、行き倒れるように眠っていたこの人を見つけたのが、私。両親は大層驚いて、すぐに隣国に連絡を取ってくれたけれど、本人が我が家に世話になった借りを返す、と言ってからここまで、ずっと私の従者として振る舞ってくれていた。


「そうなるように仕向けていたのも俺ですけど。……だからこそ、アステリア様が覚えていてくださったことには驚きましたが」

「もう、私に敬称をつける必要なんてないのですよ? ネヴァン殿下」

「うわっ……寒気がする」


 そう言いながらも、口元には笑みが浮かんでいるのだから本心ではないのだろう。この人は、自分の心を隠すのが本当に上手だから。


「さて、アステリア様。馬車の行先を教えていただきたい」

「あら? 私に決定権があるのかしら?」


 昨日までに家の整理も終えて、移り住む用意は全て済ませていたから、てっきりこのまま隣国まで向かうのだと思っていたのに。

 どういうことだか分からずに向かいに座るネヴァンの顔を見たら、今までのように感情を隠すこともせずに、笑顔を見せている。私と殿下の頭の痛くなるやり取りを聞いていても、従者だから、と澄ました顔をしていたのは一体どこの誰だったのかしら。


「まあ、隣国……つまり、俺の国に行くのは決定してますね。その後なんですけど」


 いつも真っすぐに私を見ている視線を珍しく彷徨わせ、声にならない言葉を口の中で何個も転がせた後に、告げたのは。


「俺の、隣にいて欲しい」

「……え?」


 聞き間違いじゃないだろうか、と思うくらい小さいネヴァンの声。耳に届いてはいたけれど、自分に都合よく聞こえただけなのかもしれない、と思わず問いかけるような吐息混じりの声が漏れてしまった。


「だから、あなたが好きなんですよアステリア様! 従者としてでもずっと隣にいたいと思うほどに!」


 その直後に響いた、聞き間違えようのない声は確かにネヴァンのもの。その言葉を理解した途端、じわじわと顔に熱が上がってくるのが分かる。向かいのネヴァンだって、いきなり大声を出しただけではなく真っ赤な顔をしている。


「どこに行っても、何をしても不自由はさせない。あなたは自由だ。

 だけど、あなたが笑っているのは、俺の隣であって欲しい」

「私も、笑うのはあなたの隣が良いわ」


 顔はまだ赤いけれど、いつものように、真っすぐ私に向いた視線。自然と出て来た言葉は、間違いなく私の本心からのもの。答えを聞いて、嬉しそうに笑うネヴァンに、私も笑顔を返す。

 国は違うけれど、王太子妃として受けた教育が無駄にならずに済みそうだと告げれば、それが必要なのは自分の方だとネヴァンが笑った。


「これからも、よろしく。……リア」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 呼び方を、変えた方がいいのか悩んだことは見透かされていたようで、今まで通りネヴァンと呼んで欲しいと微笑まれた。自分はさっそく呼び名を変えてきているのに、と思わなくもないが、ネヴァンからそう呼ばれるたびに、心がポカポカするのだから止められるはずもない。

 自由も何もない婚約期間だったけれど、最後にこんな素敵な事が起こるのなら、“真実の愛”とやらも悪くはなかったわ。


お読みいただきありがとうございます。

なかなかに書くの楽しかった!

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