9.救済の祈り
ほどなくして夫人もオフィーリアも目を覚ました。男爵は隠すことなく涙を流し、妻子の無事を喜んでいる。
オフィーリアは私のことを見ると大層驚き、そうして顔を曇らせた。
彼女の中にいつからティターニア様がいたのか、それを知る術はないし、知る必要もないことだ。
ただ彼女のその表情は、確かに彼女があの殿下を愛していることを物語っている。それならそれでいいのだ。決して交わることのなかった私たち。今後はお互いのことなど忘れて幸せになればいい。
「ああ、なんとお礼を申し上げればよいか……!後日必ず公爵家へお伺いいたします。あなた方は本当に、我が男爵家の恩人だ」
「……呪いとは妖精だけのものではない。人の憎しみや妬みが呪いを呼ぶこともある。努々忘れずにね」
オベロンはいつもの彼だった。優しい微笑をたたえ、男爵たちにそう言い残す。
オフィーリアは気不味そうに視線を逸らしながらも小さく頷いた。
男爵は私たちの乗る馬車が見えなくなるまで頭を下げ続けていた。
男爵家の娘が王妃になるなど、容易な未来ではない。他の公爵や伯爵が黙っているわけがないだろう。愛だけでどうにかなるほどこの国は甘くないのだ。
それでも、彼であればなんとかするだろうという勘があった。
家族のために誠実に泣ける当主であれば、何も心配はいらないだろうな、と。
人々が己の成すべきことをするのなら、私もそれに従わねばならない。
「オベロン、私をティターニア様のところへ連れて行って」
オベロンは驚く様子など少しも見せず、私の瞳を数秒見つめると小さく笑った。
「セレシア、きみならばそう言うと思っていたよ。では満月の夜、きみを迎えに行ったその足で行こうか」
てっきり反対されるかと思っていたので拍子抜けだった。彼を説得させるための文言だっていくつか考えていたと言うのに。
そんな私の考えすら読むように、オベロンは続けた。
「ティターニアの呪いはね、長い時間をかけて弱くなってきているんだよ。昔は呪殺だってしていたけれど、今はせいぜいオフィーリアのように負の感情に同調したり、体調を崩させる程度のことしかできない。
だから僕の花嫁が彼女に会いたいというのなら、僕はその気持ちを尊重するよ」
これが千年前であったら反対しただろうけどね、とオベロンは笑っていた。
別に大した目的があるわけではない。気の遠くなるほど昔から世界を呪い続けていた彼女が、私たちの代で救われるなどという図々しい夢を見るつもりはなかった。
それでも会わねばならない。世界を育んだという神を、私は裔として知らねばならない。祈らねばならない、贖わねばならない。それが妖精妃としての、否……今を生きる人としての役目だと思う。
「かつての母なら、きみのことを心から愛したと思うよ」
悲しみと慈しみの浮かんだ瞳が私を見つめていた。彼だって母が恋しいのだ。自らが殺してしまったのだとしても、それがどうしようもない運命だったとしても。
私は身を乗り出して彼の手を握った。少しだけ冷たい彼の手に、私の体温が流れてゆく。
「私も、オベロンのようにティターニア様を愛したい」
オベロンはそこでようやく驚いたように目を見開いて、それからすぐにいつもの微笑みを浮かべた。空いていた手が私の頬を撫で、髪を掬う。
「セレシア、愛するセレシア。どうかきみの慈愛が哀れな母に届くように」
まじないにすらならないような祈り。けれどオベロンがそう言ってくれるというだけで、私はなんでもできるような気がした。
外は美しい夕焼けに赤く染まっていた。彼との結婚が、三日後に迫っている。




