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妖精王と月の姫君  作者: 夜子
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8.残穢を辿って

翌朝、屋敷までオベロンは私を迎えにきた。てっきり彼が一人でことをなすのかと思っていた私は拍子抜けしてしまったのだが「きみも知らねばならないことだから」とオベロンは言うのだ。それは妖精王の妃になるものとしてだろうか。改めて意識するその肩書きに、私の胸にはわずかな期待が過った。不謹慎だろうか。


「世界を創造した、神というものがいてね」


馬車の中で、彼はぽつりぽつりと語り出した。

懐かしむように、その視線は穏やかだった。


「……ティターニアは世界を創造した女神だ。妖精も、人も、獣も、海も陸も空も、すべて彼女が創った。


初めはね、種族に関係なく皆彼女を愛していたんだ。母親だからね。ただ、子とはいつか母を離れるものだ。神がなくとも生きられるようになった子らは、神を殺した」


彼の語る途方もない話は、まるで夢物語を聞いているようだった。

それでもこの話を真実であると疑わずにいられたのは、彼の言葉だったからだろうか。

オベロンは外套の中から古びた指輪を取り出した。傷も多く綺麗とは決して言えないが、埋め込まれた銀の宝石は美しく輝いている。


「ティターニアは最期まで理解できなかった。まさか自分の愛する子供が自分を殺すだなんて夢にも思わなかっただろうね。大した反撃さえできず、いや……しなかったのかな……、彼女は死んでいったよ。


遺体は今でも常春の国の奥深くに安置している。これは彼女が身につけていた指輪さ」


「火葬を、しないの?神さまだから?」


「しようとしたのだけどね、彼女を燃やした煙はすべての生命に毒だった。遺体そのものさえも。彼女は体を万物を呪う呪物に変えてしまったんだ。

だから常春の国の一番清い場所に置いている。彼女の呪いが消えるまで」


呪いは痛くて恐ろしいもの。妖精たちはいつもそう言った。

死してなお何かを呪い尽くそうとするティターニア様はあまりにも哀れだ。きっと痛くて、恐ろしいに違いない。

子供たちに裏切られ、殺された絶望を私は想像することさえできないけれど、それでも、彼女が苦しんでいることは分かる気がした。


「そのティターニア様の呪いで、男爵令嬢や男爵婦人はおかしく……?」


「そうだろうね。彼女はきっと、僕が幸せになるのが許せないんだ」


オベロンは古びた指輪を弄んでから、もう一度外套の中にしまい込んだ。

馬車の中のカーテンを開き、静かに外を見つめている。男爵家まではあと僅かだ。

どうして、なんで、なんて疑問の声は出なかった。ただ黙って私も外の景色を見つめる。


「僕は彼女の最初の子で、彼女を殺すことを皆に提言した者だから」




男爵家に到着すると、男爵が私たちを迎えた。まずは客間へと言われたが、オベロンはそれを断り、早々にオフィーリアと彼女の母の眠る部屋に足を進める。

オベロンは馬車での言葉を最後に、私には何も語りはしなかった。


彼はいつだって正しく、勇敢な王だった。きっとティターニア様のことだって何か訳があったに違いないのだ。それでも、彼が母を殺すことを選んだことが、少しだけ恐ろしい。


寝台の置かれた部屋は恐ろしいほど静かだった。人払いを済ませた室内には死人のように眠る二人と私たちだけ。

彼に続いて寝台へ近づくと、糸によって操られる人形のようにオフィーリアが体を持ち上げた。突然のことに小さく悲鳴が漏れる。


「お久しぶりです、お母様」


オベロンは落ち着いた声音で彼女にそう声をかけた。オフィーリアは彼を見つめると、大層嬉しそうに微笑むが、直後に顔を歪め、髪を掻きむしった。


「ああ、愛しいオベロン。私の愛する子」「けれどお前は私を裏切った」「お前も、人も、私を裏切って殺した」「痛い、苦しい」「オベロン、愛らしいオベロン、美しいオベロン」「お前だけがまだ生きている」「幸せになって、オベロン」「赦さない、はやく死んでしまいなさい」


彼女の言動は支離滅裂だった。彼を慈しむような声をかけたかと思えば、呪詛を唱え続ける。幸福を祈りながらも彼の破滅を願っていた。これを神と思うことなど到底できはしない。彼女は見ることさえままならぬ邪悪だ。


「変わりゆく神が不要だったのです。貴方は立派な創造神だった。けれど時とともに、命の選別を始めたでしょう。美しい物を愛し、醜い物を殺した。気に食わないというただそれだけの理由で、幾つの妖精と人間の命が消えたことでしょう。


人を虐げる神は魔です。魔は、人にも妖精にも、獣にも毒だ。僕たちは愛する貴方が魔に染まることが許せなかった」


オベロンの言葉を理解しているのかそうでないのか、彼女は髪を毟り続けている。オフィーリアの髪がブチブチと気味の悪い音を立てて抜けてゆく。呪いが解けた時のオフィーリアを思うと哀れで仕方がなかった。

呪詛、祝福、祝福、そうして呪詛。彼女の口からは時折聞き取れない言葉があるものの、そういった言葉が紡がれ続けている。


「いつの日か、あなたの呪いが解けるのを僕は祈ることしかできない」


オベロンは昨日と同じように懐から葉を取り出し彼女を眠らせると、彼女の口元に水筒を充てがった。オフィーリアの喉が上下すると同時に彼女の頭上で黒い靄が離散した。母親も同様に。

お互い顔色もよく、穏やかな寝息を立てて眠っている。

水筒は音もなく砂のように崩れて消えた。オベロンはオフィーリアを見つめながら口を開く。


「いかなる理由があろうと、僕は親を殺し、神を殺した。セレシア、きみはこんな僕を恐れるかい。常春の国を恐ろしい呪いの地だと思うかい」


彼は泣いていた。いついかなる時も微笑みを絶やさなかった彼が、琥珀色の瞳を涙で濡らし、ポロポロと涙を流しているのだ。

初めて見る彼の姿に困惑しながらも、私はすぐに彼に駆け寄り、その体を抱きしめた。彼は弱々しく私の体を掻き抱く。


「他に道はあったのかもしれない、夢に見るんだ。母の最期の顔を、絶望し、すべてを呪う顔を」


かける言葉が見つからなかった。これは彼が途方もない時間苦しみ悩んだことだ。十数年生きただけの私が安易な言葉を投げかけていいわけがない。それでも、それでも私には言わねばならない言葉があった。


「どんな貴方でも、私の大切な人に変わりはないわ。貴方のしたことが正しく罪であるのなら、私はその罪を共に背負います」


この国の王妃になる時から決めていたことだった。上に立つものは下の者の犠牲や、かつての王族の罪を贖わねばならない。土台となった者を愛し、祈らねばならない。

その祈りの対象が人からティターニア様になるだけのことだ。


私の言葉を聞くと、オベロンは抱きしめる腕の力を強めた。


「きみの方が、僕よりずっと強いね」


掠れた声が耳元で響いた。

私が強くいられるのは間違いなく、私を育んだあなたのおかげなのよ、そんな言葉を飲み込んで、私はもう一度彼を抱きしめた。

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