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妖精王と月の姫君  作者: 夜子
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5.ただの神話さ

本当に大した物語ではないのだ。



ある日幾人の人間が荒れ果てた野にやってきた。絶え間ない争いに嫌気が差して故郷を捨てたのだという。


「逃げてきたというわけだ」


「はは、そうだね。その通りだ」


故郷では王子であったという男は、その身分を捨て汗と泥に顔を汚して地を耕した。

身分の低そうな者にも分け隔てなく接し、彼らを愛した。

僕が魔法で雨を降らせてやれば、子供のようにはしゃぎ、礼とともに果物をいくつもくれた。


妖精より純真で無垢な男だったのだと思う。


彼は共にこの地に来た女と結婚し、それはそれは愛らしい子供をもうけた。人間の赤子は大層愛らしく、妖精が自らの子と取り替えたくなるのもよく分かる。


僕はいつのまにか、彼のことも彼の子供も、この地にやってきた人間すべてを愛していたのだ。


だから彼が民の意思のもと王位に着いた時、僕は快くこの国の安寧を約束した。

僕が愛する君たちの国に、常永遠の安寧を。その代わり北の森は妖精の領域として守ることを約束させた。


彼は本当に賢い王であったから、僕との約束を終生守り通し、またその子らも守り続けた。だからこそ僕も、彼と約束した通りにこの地に安寧を与え続けた。

この地の肥沃さも、柔らかな日差しも、恵みをもたらす雨も、すべては僕が初めに愛した彼らのためのものだ。



だからこそ、今代の王族がその約束を反故にしたことが許せなかったのかもしれない。

今の王はもちろんあの時の彼ではないが、確かに彼の血を引くものだ。

僕らのことが見えなくとも、忘れてはならない約束というものはある。


きっとセレシアのことがなくたって、僕は今代の王族を呪っただろう。


いいや、いいや———本当は人が僕らを見えなくなることが寂しいのだ。あの頃のように僕にとっては造作もない魔法ひとつで顔を輝かせる姿が見たかった。

人の紡ぐ愛を見て、人の喜びを見て、そうして満たされたかった。


これは幾億もの朝と夜を繰り返した僕の願いと祈りだった。


神代と呼ばれるほど昔の、遠い遠い昔の話さ。

大したことなかっただろう?



さて、では僕の愛するセレシアの話をしようか。


彼女の両親は王家に近く、また見えるものであったので妖精たちに対しては随分と友好的であった。


彼らに子供ができたと聞いた際、他の妖精たちと同じように僕も子の誕生が心から楽しみだった。

おかしいだろう?人間の子供が産まれるのなんて幾度も見てきたのに、どうしてかセレシアだけは胸が躍るほど楽しみだったんだ。

虫の知らせ、とでも言うのかな。


そうして月が美しく満ちる夜に、彼女はこの世に生を受けた。

驚かさないように小さな姿を取り、ゆりかごで眠る彼女を見た時、その美しさに僕の胸は打たれた。


漆黒の髪と、僅かに開いた瞳は星のように銀色に煌めいていた。

僕を太陽とするのなら、まさしく彼女は月であった。


彼女の目が見えるようになった時、確かに僕を捉えて微笑んだその喜びを、生涯忘れはしないだろう。




「オベロン、すごいわ!ねえ、私にも教えて!」


「君にはまだ早いな。十の誕生日を迎えたら、その時に教えてあげよう」


「ほんとうに?約束よ、オベロン。私今日の日記に必ず書くからね、そうして誕生日まで毎日読み返すわ!」


なんとない魔法さえ、彼女は目を輝かせて見つめていた。花冠をこさえて頭上に乗せれば、頬を赤らめてはにかみ、悪戯で虫を出してみたら大声で泣いてしまったこともあったっけ。


妖精王と呼ばれる僕を、人は神代の頃のように気軽に愛さなくなった。けれど彼女だけは、かつての人のように僕に触れるのだ。

その星のような瞳で僕を見つめるのだ。


僕はそんな彼女を妻にしたいと思った。

誰かをこんなふうに愛すのは、生まれて初めてのことだった。


しかし、物事はそう上手くはいかない。

身分ある家に生まれれば責任が伴う。

彼女は未来の王妃だった。


「殿下のことをね、好きになりたいのよ。冷たいお方だけど、賢い方だもの。国を守るためには今のままではいけないわ」


「きみは随分と健気だ。惚れ薬でも作ってあげようか?王子の紅茶にひと匙入れれば途端にきみに骨抜きだ」


「もう、そんなに簡単ではないのよ」


そんなこと分かっているさ。

僕はきみのことを心から愛しているから、きみが天命だと思って成そうとすることを決して邪魔したりはしない。

本当は今すぐ攫って誰の目にも触れぬよう常春の国に隠したいけれど、それは君の望むところではないだろう?



「オベロン、お城には遊びに来られる?それとも鉄が多くて無理かしら」


「王妃さまが男と逢瀬とは褒められないんじゃないかな?」


「みんなには見えなくても?あなたが小さな妖精の姿でも?寂しいわ、私……お城が怖い、王妃になんか本当はなりたくないのに」


顔を覆って泣き出す彼女を静かに抱きしめる。

これは彼女の最初で最後の泣き言であった。

顎を掬い、涙で濡れる頬にキスを落とす。


人の涙がしょっぱいのを知ったのも、生まれて初めてのことだった。


僕は妖精で、彼女は人間。


彼女は人の王の妃で、僕は妖精の王だった。


超えられることのない壁があることなど、とっくの昔に気づいていたではないか。

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