3.甘く呪う
殿下との婚姻を正式に他の貴族に知らせるというお披露目会。それが今日だった。
この日のためにしつらえたドレスと宝石たちを見に纏い登城すると、そこで待っていたのはかの男爵令嬢を横に侍らせていた殿下だった。困惑と憐憫と、好奇心の瞳を一斉に向けられる。このことの意味が分からないほど、私は愚かでも世間知らずでもなかった。
男爵は商人上がりの方だと聞く。魔法を使わずにのし上がったお方の娘を、“見えない”ことを引け目に感じていた王子様が気にいるという筋書きに、別段驚くことはありはしない。しかし、ここは公の場であった。ただの私情で私を、公爵家を蔑ろにしていいわけがない。
「殿下、どうか弁えてくださいませ。皆様私たちのために集まってくださったのです」
平静を装いそう口にした。広間は恐ろしいほど静まり返っている。怯むな、おびえるな、私はセレシア。この国の王妃となる者。凪いだ湖のように心を静かにし、殿下と令嬢を見遣る。
男爵令嬢を前にするのは初めてだった。付き合いのある友人たちも皆伯爵以上の地位のものだったので彼女が誰かの茶会に来ることもなかったし、もちろん彼女が私を誘うこともなかった。住む世界が違ったのだ。
彼女は勝ち誇ったように笑んで私を見つめている。その顔から言いたいことは十二分に分かった。
「弁えるのはお前の方だ、セレシア。オフィーリアを呪ったそうだな」
「……は?」
「ああ、そんな、殿下。あたしは罰を望みません、セレシア様だってきっと気の迷いがあったに違いありませんわ」
殿下は憐れむように令嬢を抱くと、鋭い視線で私を睨みつけた。何を言っているのか分からない。あまりの愚かさに笑い出しそうになるのを堪えて、背筋を伸ばす。
「私がオフィーリア様を呪ったとして、その理由はなんなのでしょう」
「私の寵愛が得られないことへの嫉妬ではないのか」
殿下はここまで愚かだっただろうか。以前二人で国内を視察した際には農民の言葉にもきちんと耳を傾け、それを政に反映させたと言うのに。
愛は人を愚かにするというが、こうまでしてしまうものなのか。
「呪いとは自らを苛むもの。妖精すら好まない魔法です。そのような恐ろしいことを、いずれ王妃となる私が使うことは決してありません」
事実であった。どんな時でも力を貸してくれる隣人たちであったが、呪いだけは首を縦には振らないのだ。あれは恐ろしくて痛いから、決して使ってはならないと。
昨夜オベロンが涼しい顔で事後報告をしてきた時は驚いたが、それも彼の王たる所以なのであろう。
そんな私の言葉を聞いてか聞かずか、殿下は鼻で笑ってどこかに合図を送った。それに合わせて近衛兵が鉄の鳥籠を抱えてやってくる。目を凝らして中を見る。私はそれの恐ろしさに声を失った。
「妖精……!なんと言うことを、殿下!見えなくとも彼らに鉄が毒であることはご存知のはずでしょう!?それを、このような……」
鳥籠の中では二羽の妖精がボロボロになって横たわっていた。体は火傷を負ったように爛れ、美しい羽は無惨にも傷つき朽ちようとしている。
「これは最近オフィーリアの屋敷を飛び回っていた妖精だそうだ。侍女の中に見えるものがいてな。毎晩オフィーリアの寝所に侵入しては粉を撒くそうだ。おかげでオフィーリアは悪夢にうなされている」
お前が懇意にしている妖精なのだろう?
醜く笑った殿下は私の方に鳥籠を投げた。大きな音を立てて床に落ちたそれは、静かに転がって私の足元でぴたりと止まる。
慌てて籠を開け、中の妖精を抱える。
「ごめんね、ごめんねセレシア」
「ぼくたち、アイツらが憎かった」
「セレシアを泣かせるアイツらをいじめたかったんだ」
「それなのに捕まっちゃった、ごめんね」
妖精は体を震わせてそう言った。私のために、愚かな人のために彼らが傷つくことなどあっていいわけがない。
北の森の件も含めて、私は殿下に対する怒りだけが溜まっていった。
「皆のものも聞いたであろう。妖精を使い人を呪おうとする女など、たとえ公爵家の者でも王妃には相応しくない」
広間はどよめきを取り戻した。
「セレシア公爵令嬢との婚約を直ちに破棄し、私はオフィーリア男爵令嬢と婚姻を結ぶ」
冷静であらねばと思うのに心は沸騰した水のようにグツグツと熱を持っている。周りを浮遊している妖精が私の下にやってきた。愛らしい彼らの口からは想像もできないほど恐ろしい呪詛を唱えている。
許さない、人間め、神代の恩を忘れたか、滅ぼそう、滅ぼしてやる、セレシアをいつも苦しめた、森を壊した、仲間を傷つけた、許さない、殺してやる、殺してやる———……
彼らの呪詛に同調してしまったのか、私は指先を殿下と男爵令嬢に向けた。きっと今なら彼らを殺すための魔法が使える。恐ろしい呪いに似た魔法を放つことができる。
詠唱しようとしたところで、私の手には鉄の枷が付けられた。慌ただしい足音と共に鉄製の武器が私に向けられる。
「ああ、やはりな。セレシア、お前はそういう性質だったのだ。王族に刃を向けるとは愚かなことだ」
鉄に怯えて妖精たちは私から離れていってしまった。これでは魔法も使えない。ああ、きっと殿下はこれが狙いだったのだ。
妖精と、それが見える者を廃し、人の力のみでどうにかしてゆこうとしているのだ。
それが愚かだとは言わない、けれどやり方が悪すぎた。
「仮にも公爵令嬢だ。牢ではなく北の塔に入れておけ」
「……これはこれは、今代の王族は随分と手荒だ。」
聞き慣れた声が、唐突に耳に響いた。




