13.妖精王と月の姫君
オベロンの屋敷へ着くと、そのまま寝室に案内された。高い天井に大きな窓。先ほどティターニア様が眠っていた場所とは異なり、この屋敷周辺では人の世界と同じように時が流れていた。
窓から覗く星に目を輝かせていると、横に並んだオベロンが私の腰に手をまわした。布越しに伝わる彼の体温に胸が高鳴る。彼はよく私の頬や額にキスをしたけれど、(真意はどうであれ)それは親愛のキスだった。当然唇にそれが落とされることはなかったし、異性的な接触だって長い付き合いの中で一度もない。結婚をするという意味がようやく現実味を帯びていく。キスの先にあるものに気づいたとき、私の頬には一気に熱が集まった。
「今日は手を出さないよ。寝室も別だ。明日の結婚式が終わってからは同室にさせてもらうけどね」
そんな心情を見透かすように、オベロンは私の手を取ってキスをした。からかわれていることがすぐにわかる。それがなんだか無性に悔しくて、私は彼のシャツをしっかりと掴んで琥珀色の瞳を見つめた。
「キスして、オベロン」
「今しただろう?」
「唇によ」
私がそんなことを言うとは思わなかったのだろう。オベロンは大層驚いて目を丸くしたあとに小さく噴き出してから私を見た。自分の大胆さと淑やかとは言えない行動にじわじわと恥ずかしさを覚え、思わず目をそらす。
「閨を共にしていいってこと?」
「ち、違うわ。それは、まだ……」
恥ずかしさにじわりと瞳に涙が浮かぶ。言わなければよかった。はしたない。オベロンがこんなことで軽蔑するだなんて微塵にも思わないけれど、それでもこれまでの人生で淑女教育を受けてきた身としては己の軽率な行動に後悔せずにはいられなかった。
もう寝ます、と離れようとしたとき、オベロンが私の腰を強く引き、そのまま唇を奪った。恥ずかしさと困惑と喜びばかりが順番に溢れてきて、幼いころに夢見たファーストキスへの憧れとは程遠いそれだったけれど、幸福であることだけは間違いなかった。震える指先で彼のシャツをつかみなおすと、僅かな名残惜しさとともに唇が離れていった。
「愛しているよ、セレシア。月と星のきみ」
「わ、私も。私もオベロンを愛してるわ」
彼の胸元にそっと顔を寄せる。月の明かりが部屋に差し込み、私たちを照らしていた。
◎
『妖精王と月の姫君はこうして結ばれました。今でも彼らは遠くの楽園で幸せに暮らしているそうです。
彼らを隣人として愛した人の国もまた、末永く栄えました。時には諍いや困難がありましたが、愛する隣人たちが必ず彼らを助けてくれたそうです。
そんな世界を見届けて、女神さまはついに静かに眠ることができました。姫君に「いつか貴方の子供として生まれるわ」と言い残し。
ふたりはその時を今か今かと待ち続けています。』
―――古びた本を閉じる。かつて妖精王に嫁いだという先祖の女性。彼女の話は私の周りを飛び回る妖精たちが鬱陶しいほど語っていた。どれほど美しく、どれほど優しい女性かを。隣人たちの口ぶりから、この夢物語はどうやら真実で、数百年も前の先祖はまだどこかで生きているらしい。顔も見たことのない月のように美しいその女性に、私は今日も思いをはせるのだった。
「いつか、会えたらいいなあ」




