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小田家、危機迫る

 澄が倒れて、約半月。


 小田家は今、混乱の中にあった。


 水面下の争いであった跡継ぎ問題が、葉月姫暗殺未遂事件により表面化。


 さらに澄と葉月姫襲撃の黒幕として挙がったのが、家臣筆頭の菅谷政貞。


 小田本家をもしのぐ力を持つ菅谷家に、今回の事件の首謀者としての疑いが向くのは当然であった。


 特に政貞は、跡継ぎ問題でも氏治の側室稲姫の息子である小太郎派の筆頭だったのである。


 家中の混乱を収めるために氏治は政貞に謹慎を言い渡し、政貞は何も言わず従い居城に引きこもったのだった。


 だが、一度ついてしまった家中の日は収まることなく、それぞれの派閥同士が言葉を交わすこともはばかられる状態にまでなっていた。


「菅谷も、やはり次の座を狙ってのことだろうなぁ。そして、姫と雫殿が邪魔であったと」


「雫殿は自ら助けたとはいえ、ここのところ功をさらわれていたからな。何も思わないはずもあるまい」


「奥の間は男性禁制。雫殿は腕は立つが葉月姫を守るとなれば、簡単にもいかずか?」


「そうに決まっておろう!しかし、下手人が不得手であったから本来の目的ともいえる葉月姫は助かったと」


 家臣たちは、いまだに雫澄襲撃、葉月姫襲撃未遂事件の話題で持ちきりである。


 澄への同情と政貞が若くして軍政内政の両方で功を上げていることで抑えられていた反感が、これを機に噴出しているのであった。


「切られた雫殿の意識は、まだ戻らずか」


「明智殿も手を尽くされているというが、いつになるかわからないとのことだ」


「未だに、兵や民に動揺は収まらず。困ったもの」


 澄が倒れたことは兵たちを通じ、たちまち小田城下にとどまらず小田領内へと広まっていった。


 澄のためにと薬や作物、様々な品が城に献上されていた。


 誕生日をしのぐその量を見て、家臣団は驚くばかりだった。


 しかし、光秀の必死の介抱の甲斐なく未だに澄は目を覚まさないまま。


 呼吸が安定していることは救いではあるが、目を覚ます見込みはわからずしまいである。


「雫殿は、本当に領内を見て回っていたのだな」


「ああ、自分の目で見ねば納得しないとは申していたがこれほどまでとは」


 日々の政務が終わると、澄が城を出て領内へ向かっていく姿は家臣団にとってはありふれた日常になっていた。


 もちろん境界の領地には、なかなか赴けていない。


 それでも各地の領主や領民の様子をつぶさに見にいっていた。


 作物の不出来、道路や社の改修や整備の要望、年貢の重さを親身に聞き氏治とひざを突き合わせていたのはだれでもない澄だった。


 当然のことながら行芽の情報も彼女は考慮していたが、疑いや疑問があれば自分の目で見に行くことを心掛けていたのだった。


 さらに時にはともに民と共に汗を流す姿を見ていた領民たちが、今回の澄の容態を聞き心配に思わないはずはなかった。


『戦場で槍を持てず、弓も使えないあたしにできることなんて、少ないですからね。拾ってくれた小田家の恩返しをするためには、もっといろいろできるようにならないと』


 小袖姿で皆に頭を下げていた澄を不思議に思っていた家臣の皆は、今になって彼女が大きなことを成していたことを知った。


 無茶とも思えた小田軍における荷駄隊の導入、道路や小田城の改修、軍の訓練や整備。

 澄の提案や改革に足軽だけでなく領民たちが従ったのは、彼女の家臣である明智光秀の力だけではなかった。


 澄が皆に見えぬところで、負担を軽くするために、理解を求めるために寄り添っていたからだった。


 その澄が倒れたとなれば、民たちの動揺は当然であった。


「そういえば、ついに佐竹殿が蘆名征伐に動いたと聞くぞ」


「ついにか。奥州の平定は佐竹殿にとっても悲願。我らとの同盟がなり南が安心になったからであろう」


 佐竹家の欧州への出兵は、小田家との同盟があってこその者だった。


 西側の有力な宇都宮家との関係は良好な今、ほぼ全軍を率い奥州の蘆名へ軍を向けたのだった。


 南奥州は蘆名家が有力とはいえ、諸家が力を持つ群雄割拠。


 佐竹家の出兵が上手くいけば、一気に勢力を伸ばすことも可能だった。


「しかし、さすれば我らが攻められたときに佐竹からの援軍は期待できぬか」


「なぁに、澄殿の交渉のおかげでわれらは反北条に乗り換えられた。結城や多賀谷、それに北条もそう簡単には小田を攻めまいて」


「それも、そうであるな!」


 そう笑いあう家臣たちのお隣を、どこか冷めた目で一人に武将がいた。


「これでは、光秀さまも澄殿も浮かばれませんね」


 明智左馬之助秀満である。


 彼は澄のそばを離れられない光秀に代わり、澄の代理、そして明智家代表として評定へと参加している。


 彼には今の小田家は、悪い流れに乗っていると感じていた。


 目の前の困難や迫りつつある危機や不安に目を背け、目先の利益争いや過去の成果に縋っている。


 譜代でも古参でも血族でもない彼には、どうしても彼らがそう見えていた。


「結城に多賀谷、それに北条は澄殿が倒れたこと知っているはずだ。それに、回復の見込みがまだ立っていないことも……」


 澄は自覚がなかったとはいえ、彼女の存在が周辺諸家を抑えていた。


 このことは、左馬之助から見れば十分に考えられる。


 特に多賀谷家にとっては、戦で奪った小田城をあっという間に奪取された時の指揮官であるから才を感じているはず。


 その彼女が倒れたとなれば、周辺の小田家と争っていた家々に攻め入ろうではないかという動きがあっても何ら不思議ではない。


 それも、小田家の後ろ盾の一つである佐竹は今奥州出兵中。


 もう一つの後ろ盾の長尾家が簡単に動くとは思えず、さらに駐屯地から小田領は距離もある。


 援軍を期待するというのは、難しいと思われた。


「それに小田家家臣筆頭、菅谷政貞さまがまともに動けぬとなれば、兵力は半減だ。西と南から攻められれば小田家はひとたまりもない」


 もちろん、秀満も現在の小田家の危険性を進言した。


 しかし、家中でまだ力のない彼は取り合ってはもらえなかったのだ。


「さらに天羽殿も、体調を崩されている。今、戦ともなれば参戦できぬ。となれば、戦では家中ばらばらだ。菅谷さまに付き従っていた面々も、どれだけ参加するかは分かったものではない」


 天羽は年齢もあってか体調を崩し、小田城へは出てこられていない。


 そして氏治の政貞更迭により、小田家はまとまったかのように見えるが実際はそんなことはなかった。


 菅谷家と親の深まった家々や、彦九郎派、その他一部の家は今回の事件の黒幕が政貞とは信じてはいなかった。


『いくら政貞であっても、姫と雫殿を手にかけるようなことはするはずがない』


『澄殿が教えを乞うていたのは、だれでもない政貞殿ではないか。その澄殿を手にかけるような真似をするとは思えない』


『こうしてわれらを追い込むことが、小太郎派の陰謀!自作自演である!』


 このありさまであり、二派が協力などできるものではなかった。


「今の小田家にまともな戦などできぬ。下手すれば、お互いに協力しないことで新しい小田家を作ろうともする」


 小田家の強さが家臣団の団結と聞いていた秀満にとっては、今の状況は危機的状況と見て取れた。


 それも家臣筆頭で最大生戦力を持つ、菅谷家が動けぬとなれば相当のものだ。


「大殿がしっかりしてくれればな……」


 彼のため息は、当然のものだった。


 氏治も懸命にかじ取りをしようとしているものの、小田の両翼ともいえる政貞と天羽、さらに澄がいないのではもうどうしようもなかった。


 家臣の激しい意見に右往左往し、その場しのぎの表情や先送りをすることが増えていたのだった。


「雫殿……早く目覚めなければ、小田家は――」


 青い空を見上げながら、秀満は言葉を飲み込んだ。


 彼女は今もその小さな体で、必死に戦っている。


 今までも小さな小田家のためにと、その体で懸命に駆け抜けていたはずだ。


 その小さな方に、これ以上の重荷を背負わせてはならない。


「さて、光秀さまと雫様を見舞いましょう。今日のろくでもない評定の報告もかねて……」


 秀満が二人のいる奥の間に向かおうとしたとき、グイっと急に袖を引っ張られた。


 振り向けば、そこには市女笠を被った一人の女子が肩で息をしていた。


「これを、雫様に。至急の報です」


 市女笠を被った顔は伏せたままだが、小さく、だがはっきりと彼女は光秀に告げた。


 その手にはくしゃくしゃになった書状が握られていた。


「――どなたかは存じませんが、わかりました。必ず」


 ただ事ではないと感じた秀満がしっかりと書状を受け取ると同時に、彼女は役目を果たしたといわんばかりにくずれ落ちた。


「お、おい!大丈夫か!?」


「……だけに……小田家に……危機が迫っております。雫様に、早く……」


 彼女、行芽が寝る間を惜しんで小田城へ知らせたのは確かに小田家の危機であった。


『結城多賀谷小山他連合軍、小田領に向けて出兵の動きあり』


 同盟の援軍も見込めず知勇の両翼と澄を欠いた小田家には、強大すぎる敵が迫ろうとしていたのだった。

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