氏治、澄の想いを受け止める
腕の中で、あたしは思わず叫んでいた。
あたしにとっては泣いていいって言われても、絶対、泣くことはできなかった。
そんなこと許される、人生じゃなかった。
悔しくて辛い涙ならいいけど、悲しくって辛いからって泣くのだけはあたしは出来なかった。
「泣いたら、ダメだってそう信じて生きてきたから!泣いたらあたしはダメなんです!」
「なぜじゃ?」
「悲しいよって泣いたら逃げなんです!泣くのは目の前の痛みや現実から逃げて、こんなに泣いてるから許してください、これ以上苦しめないでかわいそうでしょっていう逃げなんです!」
こんなの言われなくても分かるよね!氏治さま。
だから、この腕を離してよ!
「泣いてたら思いも叶わない!脚も止まっちゃう!小田家に恩返しもできなくなっちゃう!」
そんなの、いやだよ!いやだから離してよ!
「何か、前にあったのか?ここまで信じてしておるのは」
だけど、そんなあたしの想いは氏治さまには伝わらない。
落ちつきながらも、悲しそうにあたしに問いかけるだけだった。
「前の世界、あたしは泣いたから、弱かったから、ひとりぼっちだったんです」
「何を言う。澄は頭も切れ、明るい。まだ来て間もないのに兵の人気も、高いのだぞ。泣いたからと言って一人になるとは、到底思えん。家族も友もこの時代に来る前はおったのだろう」
「そうだったら、良かったんです……でも、そうじゃなかった」
氏治さまの腕の中で小さく首を振ると、あたしの口からは勝手に言葉がこぼれてきた。
「学校で嫌な事されて泣いていたら、からかわれて余計に嫌なことをされました。心無い言葉を言われて泣きそうになってたら、それは図星だからでしょって言われて。友達なんて、いなかった」
「なんじゃと……一人?澄が?」
氏治さまは驚くけど、あたしはそうだった。
クラスで居ない子扱いなんてざら、たまに歴史のテストでいい点数を取ればカンニングを疑われてた。
言い寄られてすぐ黙りこくって泣きそうになると、みんなのいいおもちゃになっていた。
あたしがクラスの中で取り上げられるのは、気持ち悪いとか空気を乱すとかそういう話題の時だけ。
先生も、クラスの誰も、あたしを助けてくれなかった。
「家で学校が辛いって泣けば、親に泣けば済むって思ってるのかって怒られました」
家でも、あたしは一人だった。
悩みを漏らそうものなら、あたしに向けられるのは心配の言葉じゃなくて叱責と暴力。
時には、お皿や物だった。
「大切な本を捨てられて悲しくて泣いた時も、泣いてる暇があれば自分を変える努力をしろって怒鳴られて耳がおかしくなるくらい叩かれて、殴り倒されて床に転がる事も何度もありました」
実はあたしに左右の耳の鼓膜は、何度も親の暴力で破れていた。
でも、病院には行けなかった。
だってそんなことしたら、あたしは家族にすら捨てられると信じていたから。
「そんな、事が……」
「氏治さまの時代に来ることになった夜も、親に家から追い出されたときだったんです」
「親のすることか……それが……!実の娘にそんなことを!」
氏治さまの手が振り絞る声と一緒に、震えるのが分かる。
でも、あたしの口は止まらなかった、
「あたしは前の世界で、泣いちゃったから、弱かったから、ひとりぼっちだったんです!友達も家族も!強かったそんな事ないって、泣かなかったらそんな事なかったって、あたしが一番分かってます!」
もし、あたしが痛みに負けないで泣かないくらい強かったら、降りかかる困難に立ち向かえれば一人ぼっちにはならなかった。
だから、この時代では悲しくても辛くても泣かないって決めていた。
天羽さまで泣いたのは、不安だけどあったのは自分に対する悔しさ。
だから、悲しいとか辛いっていうのとは違った。
「だから、氏治さま、もう止めてください、泣いちゃうよ……あたし」
そうは言いながら、あたしの中の本音もわかってる。
今、あたしは本当は泣きそうで、それは一緒にいる氏治さまのせいだって。
氏治さまにあたしが泣くくらい辛いって、苦しいって知ってほしいって、どこかで思ってるから。
でも、そんなことしちゃだめ。
隣にいる雫澄って将が弱い人間だったら、氏治さまは不安になる。
氏治さまは弱いあたしを不安になって、いつか捨てる。
氏治さまに捨てられるってことは、小田家にも捨てられる。
そうしたら、あたしは小田家を変えることもできなくて、本当にひとりぼっちになる。
ご飯は作れないし、水も飲めない不老不死。
どうやって生きていけばいいか、わかんなかった。
「澄、小田家当主として一つ命ずる」
「はい……」
ぐっとあたしは感情お押し殺して、腕の中で身体を固くした。
分かってる、いつまでも泣いてたらダメでしっかりしなさいって言われるんだ。
大丈夫、もう慣れっこだから早く言って?氏治さま。
そうしたら、あたしは昨日までの雫澄に戻れるから。
「好きなだけ、泣いてよいぞ。今、泣いていることは、わしと、澄だけの秘密じゃからな」
「な、何で……? 氏治さまは、あたしがいらないんですか!?泣いたら、泣いたら……恩返し出来ない……あたしは……一人……」
「せぬよ。こんなにも、わしを助けてくれた家臣を、恩返しをしようと必死になって苦しんでいる家臣を、そう簡単に手放すか」
戸惑うあたしにかけられたのは、いつになく優しい氏治さまの声。
そして、頭にゆっくりと手が乗せられた。
「よく、やってくれたな。本当に、よく、やってくれたな。澄」
「氏治……さま……」
「誰も死なぬ戦など、ない。澄の策は、今の小田家にできる最善だったぞ。よくやった。本当に、よくやってくれた。澄、頑張ったな」
「え……?」
氏治さまからはっきりと、頑張ったって言葉が聞こえた。
この時代にはないはずの、頑張ったって言葉が。
「たまに小さく呟いて、気になっていたのじゃ。我を張るを言い聞かせるとはどういうかと」
ぽんぽんとあたしの背中が子供をあやすように叩かれる。
暴れたい身体は落ち着いて、氏治さまの温かい腕の中で大人しくなった。
「澄にとって我を張るのは、己の想いを貫くという意味なのではないかと。そうすることで、皆を、自分を幸せにしたいと思うからそう言い聞かせておるんではないかとわしは思ったのだ」
背中を撫でられ、頭を撫でられ、それに加わるのは優しい初めての言葉たち。
戸惑いであたしの感情はもう、訳が分からなくなっていた。
「なら、澄は頑張ったのじゃ。頑張り、わしに、小田家の皆に、こうして小田城を取り戻してくれたのだ」
「氏治さま……あたし……」
「頑張ったな。本当によく、頑張ったな。ありがとう、澄」
それは、あたしがずっとずっと誰かに求め続けた言葉。
次の瞬間には、堰を切ったように嗚咽と涙があふれた。
ただの女の子になって、あたしは氏治さまにしがみついて泣きじゃくった。
役立たずじゃないんですか?邪魔なんじゃないんですか?
そんな小田家に拾われた日々からの不安と、今回の作戦での不安を晴らすにはもう十分すぎる言葉だった。
「やっと、泣いてくれたか。いいぞ、好きなだけ泣くがいい」
氏治さまはあたしに驚くことも、バカにする事もなく、当然、叱ることもなかった。
ただ、あたしの頭を優しくなで続けてくれた。
暖かい氏治さまの腕の中で、あたしは人生で初めて声を上げて誰かの前で泣き続けた。




