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 まいった──

 俺はこの人が好きなんだろう。

 どうしようもない事実を前に、ロアは嘆息した。全ての抵抗を諦めて、アリアローサへの想いを受け入れる。胸は甘く締め付けられるように痛んだ。およそ叶いそうにもなく、かといって簡単に手放すこともできない。厄介な事実だった。

 どうしたものか。



「美味い?」

「ええ、最高だわ。とっても美味しい」


 ロアが作ったホワイトシチューを、アリアローサはひとくちひとくち大切そうにすくっては口に運んだ。そうして、満足そうに微笑む。


「よかった」


 まるで餌付けしているみたいだな、なんておかしく思いながら、ロアも自作のシチューを味わった。母に習った通りの、いつもの味だった。


「どう? 村には慣れたかい? 不便はない?」


 ロアが料理する傍ら、暖炉のそばでアリアローサに編み物を教えていた母が問う。アリアローサは食事をする手を止めて「何も」と明るく首を振った。今日は花を象った白い石のピアスを耳にしていた。とても綺麗だった。


「皆さんとってもよくしてくださいますもの。特におばさまとロアさんが」


 アリアローサの親愛のこもった眼差しに、ロアははにかむ。この信用を、妙な野心で壊したくはないと思った。


 母が、吹き出すように笑う。


「私たちはそれだけじゃないけど、男の子たちがのぼせあがってるのは、あんたがとびきり可愛いからだよ。血かねえ? アグリルさんも若い頃は色んな男に貢がれてた──今日のあんたみたいにね」


 くすくすと笑う母は、いつになく楽しげだ。


「見たよ、さっきもイレイザの坊やが来てたね。今日はなにもらったんだい」


 アリアローサは困ったように笑う。


「ジャガイモとニンジンです。一週間くらい前に、干し肉ももらったばかりだったのに……」

「いい女の特権だよ。遠慮なんかしないでもらっときな」

「い、いい女なんかじゃないけど……でも私、何も返せてないし。料理も……下手だから、申し訳なくて」


 心苦しそうに言って、アリアローサは俯いた。ロアは少し考えて、口を開く。


「よかったら、俺が教えようか? 母さんにいろいろ叩き込まれたから少しは教えてあげられると思うよ」


 ロアの提案に、アリアローサは花が咲くような笑顔を見せた。ロアの心臓は、止まりそうになる。


「本当? 本当にいいの?」

「うん。どうせもうすぐ学校も休みに入るし。君が貢物の食材を提供してくれたら、うちの家計も助かる」


 冗談めかして言えば、アリアローサは「ええ」と頷き返してくれた。


「いっぱいあって食べ切れないなって思ってたところなの、よかった」

「じゃあ決まりだ」


 微笑んだロアに、アリアローサは真剣な表情で意気込む。

 

「私、おばさまとロアさんに美味しいって言って貰えるよう頑張ります」

「ふふ、そう気負わなくていいよ。私も手伝うから」


 そう、母が言った瞬間だった。

 部屋にコンコンと木を打つような音が響く。反射的にロアは戸口を振り向いた。誰かがそこにいるらしい。


「見てくる」


 ロアは言いながら、食卓を離れた。

 こんな時間に誰だろう。外は雪なのに……

 わずかに警戒して、扉に寄る。声をかけた。


「はい」


 と、すぐに焦れたような声が返ってきた。


「私よ、早く開けて」

「リタ?」


 ロアは驚いて、扉を開けた。雪が斜めに降りしきる中、帽子にマフラーに毛皮のコートにと完全防備に身を包んだリタが、恨みがましそうにそこに立っていた。ロアは慌ててリタを中に引き入れる。


「大丈夫か? どうしたんだよこんな日に。危ないだろ」


 やや怒鳴るように言えば、リタは機嫌悪そうに眉を寄せた。


「うちの母さんが」


 半身が雪だらけになっているまま、面倒そうに口元を覆っていたマフラーを下ろす。


「持って行けって。これ」


 そうして抱えていた大きなバスケットを突き出してくる。戸惑いつつロアが受け取れば、それはまだ、ほんのりと暖かかった。ロアはますます首を傾げた。


「え?」

「ミートパイよ。あなた好きでしょ」


 ロアは受け取ったずっしりと重いバスケットとリタとを交互に見つめた。


「え。あ、ああ……好きだけど、ありがとう」

「どういたしまして……でも、余計なお世話だったみたいね」


 居間から漂ってくるシチューの香りに、リタが呟いた。


「持ってくるって先に言っておけばよかったわね。上手く火がつかなくて、遅くなっちゃった……」


 近所に住むリタの家族とは昔から付き合いが深く、ときおりこうして、食事を分け合ったりもしていた。だから、それ自体は何ら珍しいことではない。けれど、この悪天候の中リタが運んでくれたとなれば素直に喜ぶことは出来なかった。

 ロアは幼い子供に言い聞かせるように、リタを見下ろす。


「本当にありがとう。でもな、リタ、こんな雪の日に一人で出歩いちゃいけない。いくら家が近いからって、雪を甘く見るとひどい目に遭う。転んで怪我でもしたらどうするんだ」

「あら、心配してくれるの?」


 ロアの小さな怒りに気づかないのか。リタは面白がるように目を輝かせた。


「当たり前だろ」


 こんなだから、教師に向いていないのかもしれない。

 常々考えてしまう不安をよそへ追いやって、ロアはリタを見下ろした。


「送っていく。上着を取ってくるから待ってて」

「ええ」


 と、リタが頷いた時だった。


「ロアさん、お客さま誰だったの?」


 居間の方からパタパタと、アリアローサが顔を覗かせてくる。ロアの肩越しにアリアローサを見たリタが、大きな目を見開かせた。


「あなた……」

「まあ、リタさんだったの」


 このひと月で、二人も顔見知りになっていたらしい。イレイザが知っていたくらいだから当然だろうか。と思いながら、ロアは持っていたバスケットをアリアローサに手渡した。


「ミートパイ。リタが持ってきてくれたんだ。すごく美味しいから、後で一緒に食べよう」

「リタさんが? ……いい匂いね」


 アリアローサはふわりと笑って、リタを見つめた。

 ロアは雪がこれ以上ひどくなる前にと、急いでコートを手にする。


「リタを送ってくる。戸締り、しっかりしておいて」


 ロアはそう言い残して、リタを家の外へ連れ出した。




「ねえ。あの人、しょっちゅう来てるの?」


 視界の悪い中、リタとロアは手袋越しに手を握り合っていた。


「アリアローサのこと? いや、そんなに頻繁じゃないよ。今夜も久しぶりだったし」

「でも、仲がいいのね」

「母さんがね、小さい頃世話をしてたらしいよ。俺は覚えてないけど」

「……ふうん」


 はぐれないようにだろうか。リタが、ぎゅっと手を握り返してくる。

 家は、もうすぐそこなのに。


「ロア。あなたもあの人のこと好きなの?」

「……」


 ヘルザと同じようなことを聞かれて、ロアはくちごもった。

 昼間に聞かれた時、否定するのは簡単だった。けれど今は違う。彼女への想いに気づいてしまっていた。ただ、どうするかを決めていないだけで。


 さくさくと、雪を踏む音が響く。


「イレイザもキリールも、あの子こと気になってるみたい。ねえ、街育ちってそんなにいいもの? あの子が綺麗だから?」

「……ついたよ」


 ロアは立ち止まって、リタの手を離す。

 リタもロアも、横殴りの雪で、半身を白く染め上げていた。


「こんなこと言いたくないけど、ロアが心配だから教えてあげる。あの子、誰にでもいい顔してるわ。でも、街に恋人がいるに決まってる。だってあんなに綺麗なんだもの。いない方がおかしい、そうでしょ?」

「……そうだね、いるかもしれないね」


 考えないようにしていたことを指摘されて、ロアは痛みに顔を歪める。


「あたし、家族としてロアが好きだから言うのよ。あの子はやめた方がいいわ」


 やめられるものなら、やめている。

 ロアは曖昧に笑った。


「ありがとう。でも俺は大丈夫だから」


 これでももうすぐ二十九になる、いい大人なのだ。自分がどれほどの男かくらい、わかっている。

 それでもリタは、納得しかねるような顔を浮かべて、そこに立っていた。




 

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