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 翌朝。

 朝食を口にしたアリアローサは大きな瞳を瞬かせた。そうしてロアを見、唇から感嘆を漏らす。


「美味しい。ロアさんはお料理上手なんですね、いいなあ」


 はす向かいに座ったアリアローサの、羨むような眼差しを受けて、ロアはぎこちなく微笑んだ。そうするつもりもなかったのに、フォークをサラダに突き刺してみる。


「大したものじゃないけど、口にあったらなら良かったよ」


 昨夜の会話の後、年上だからとロアからの敬語はなくすことにした。

 口許に笑みを浮かべたまま、ロアがレタスを口に入れて咀嚼する。シャキシャキと小気味好い音が耳に響いた。

 ロアの用意した朝食は、謙遜でもなんでもなく、本当に大したものではなかった。テーブルに並んでいるのは、パンにオムレツ、それから昨晩の残りのスープ、それだけだ。


 なのにアリアローサは、「とんでもない」と大仰に細い首を振ってみせた。緑色をした、雫のようなデザインのイヤリングも一緒に揺れて光った。


「どれもとっても美味しいです、本当に。特に、このオムレツなんかふわふわで最高だわ」

「……そうかな。ありがとう」


 ロアはパンをちぎりながら、恥ずかしさを紛らすように小さく言葉を返す。アリアローサは、トマト入りのオムレツを切り分けながら言った。


「私、昔から料理が苦手で。だから卵料理をこんなに綺麗に焼けるなんて、本当に尊敬してしまうわ」


 そう微笑むアリアローサの目尻は赤く、瞼は、うっすら腫れていた。昨夜は一人で泣き明かしたのだろう。薄暗がりの中、肩を振るわせるアリアローサの、そんな光景がありありと浮かんできて、ロアはもの悲しい気持ちになった。


「慣れだよ」


 ロアは、彼女を見過ぎないよう意識して、朝食を口に運び続けた。



 アリアローサの話によれば、アグリルと彼女の家族は、ほとんど疎遠になっていたという。

 最後に会ったのは、アリアローサの十二の誕生日だったそうだ。もう八年も音信不通だったという計算になる。


 無理もないか、とロアはパンをスープに浸しながら思った。


 先ほど聞いたアリアローサの住む街は遠く、気軽に行き来のできる距離ではなかった。

 特にこの辺鄙な村は、街道から逸れていて、よほどの用事でもない限り立ち寄ろうなどと思わない場所にある。ましてやアリアローサの母とアグリルは仲違いをしていたのだ。実際はほとんど絶縁状態だったのだろう。


 そんな中、アリアローサが昨日アグリルの下を訪れたのは、本当に気まぐれだったのだという。


 食事の合間合間に、アリアローサは身の上を話してくれた。


「……実は、祖母とは手紙のやりとりだけは続いていて──お母さんには嫌がられてたけど──お婆ちゃん、年も年だし、冬が来る前に会いたいなって思っていたんです……お婆ちゃんの字が、前より力がなくなってる気がして。だから、あの、薪割りとか、冬支度のお手伝いとか、出来たらなって」

「そうだったんだ。俺、全然気づかなかった」


 言ったロアに、アリアローサが慌てたように言葉を付け足す。


「あの、手紙のやりとりって言っても、年に数度だったんです。季節の変わり目とか、記念日に送り合う程度で。ああでも、ロアさんのことは私、お手紙で知っていましたよ。お婆ちゃん、いつも感謝してました。だから私からもお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」


 過去形になってしまったありがとうに、ロアは曖昧に微笑む。長年の口下手が災いして、気の利いた返しが思いつかなかった。


 隣に座っていた母が、そっと口を開く。


「アリアローサも、気を落とし過ぎないようにね。アグリルさんは十分長生きしたっていつも笑ってたんだから」


 母の言に、アリアローサは唇を横に引き結ぶと「はい」とか細い声を上げた。泣くまいと強がっているようにも見えて、ロアまで苦しくなる。アリアローサはアグリルによほど懐いていたのだろう。


「……何か、俺で出来ることがあったらなんでも言って」


 気づけばロアは、そう口にしていた。出過ぎた真似だったろうかとすぐに後悔しそうになるが、アリアローサが「ありがとうございます」と涙ながらに微笑んでくれて、ほっとした。間違っていなかったらしい。


 母が、陶器のポットから紅茶を注ぎ直しながら言った。


「それで今日は? どうするんだい。一度街に戻るの?」

「いえ」


 アリアローサが首を振る。


「祖母の遺品整理もありますし、あの家もどうするか決めないといけないから、少し残ります。元々一週間くらいは滞在する予定でしたから」

「そうかい。なんでも言っておくれね。隣人なんだから」

「はい」


 母とアリアローサの会話が落ち着いたところで、ロアは壁掛け時計を見、焦った。仕事に間に合わない。


「母さん。俺、そろそろ行くよ」

「ああ、頑張っといて」


 手早く食器を片付け始めたロアに、アリアローサも手伝います、と手を伸ばした。

 台所に向かうロアの後ろを雛鳥のようについてきたアリアローサが、小首を傾げる。


「行くって、お仕事ですか?」

「うん」

「小学校の先生なんでしたっけ」

「手紙、そんなことまで書いてあったの?」


 ロアが流しに食器を置いて笑うと、アリアローサは「ええ」と頷いた。


「子供たちに懐かれてるとってもいい先生だって書いてありましたよ」

「……馬鹿にされてるだけかもしれないけど」


 村の子供たちは、陽気で明るい。大人しくあまり怒らないロアは、彼らに揶揄われてばかりだった。あれを懐かれていると言っていいものか。ロアは苦笑して、アリアローサを見下ろした。


「あの、悪いんだけど……」

「ええ。わかってます。料理は苦手ですけど洗い物は得意なので、任せてください」

  

 はりきって胸を張ったアリアローサに、ロアは頭を下げた。

 

「助かります」



 ◇



 一週間と言ってはいたけれど、実際はどのくらいいるつもりなんだろう。


 ロアは子供たちに算数を教えながら、アリアローサのことばかり考えていた。


 遺品整理といっても、アグリルの残したものはそう多くはない。2、3日もあれば片付いてしまうだろう。問題は、家の処理だ。アグリルは長いこと一人暮らしだったけれど、彼女の住む一軒家はそれに不釣り合いなほど立派で大きかった。(昔は大家族だったらしい)

 売りに出すとしても、この過疎化している村で借り手を見つけるのは困難だろうし、賃貸に出すのも同じく手間ばかりかかって面倒に思えた。

 となればやはり、土地は売って、家は取り壊しだろうか。


 寂しくなるな。


 引き算を間違えた生徒に正しい道を示しながら、ロアはこぼれそうになる息を飲み込んだ。


「先生、失恋?」


 と、計算をやり直している手をとめて、生徒のヘルザが言った。面白がるように瞳を煌めかせて、ロアを見上げてくる。途端に周りの子供たちも騒ぎ始めて、ロアはせっかく堪えた息を吐きだした。


「……君たち、どこでそういう言葉覚えてくるの?」

「やっぱり失恋なんだ! 相手は? リタさん?」


 ヘルザは鉛筆まで手放して、ロアを覗き込んできた。と、ヘルザといつも遊んでいる女の子たちまでもが席を立って、ロアを取り囲む。


「ええ、先生かわいそう!!」

「顔は悪くないのにねー、やっぱり元気がないのがいけないんじゃない?」

「そうね」

「ああそんなに落ちこまないで。リタさんは確かに綺麗だけど、先生にはもっと似合う人がいるよ、絶対」

「……ありがとう……でもちょっと皆、落ち着いて」


 どうして俺は慰められてるんだろう。


 ロアは軽く混乱を覚えながら、生徒たちを各々の席に戻させた。騒動の発起人であるヘルザが、行儀悪く頬杖をつく。


「先生さ、昨日リタさんと街に行ったんでしょう? でも結局、キリールさんに取られちゃったって、お兄ちゃんが話してたよ」


 ヘルザの兄は、キリールの取り巻きの一人──イレイザだった。それで昨日のやりとりを、妹に面白おかしく吹聴したのだろう。

 ロアは、どう説明したものか、いや、そもそも説明する必要はあるのだろうかと眉を寄せた。しかしこのままでは、彼女たちは失恋だの三角関係だのとはしゃいで、お喋りに夢中になってしまう可能性が高かった。教師として、それは避けねばならない。


 ロアは騒ぐ生徒たちに「違うよ」と穏やかに呼びかけた。


「昨日はリタと買い物に行っただけ。俺とリタはなんでもないし、失恋もしてないよ」


 と、ヘルザが不満そうな声をあげる。


「でも、先生はリタさんが好きなんでしょ? 告白しないの? リタさんモテるんだから、ぽやぽやしてたら取られちゃうよ? そうだ、あたし、協力してあげようか?」

「……リタとはただの友達、告白もしません。なので協力もいりません。はい、この話はこれでおしまい。計算を続けて」


 ロアはいつになくぴしゃりと言い切って見せたのだが、生徒たちの興奮はおさまらず、結局、別学年を指導している年配の教師に助けてもらうことになってしまった。


「困りますよロア先生」


 年配の教師に小言を言われたロアは、やはり自分は教師には向いていないのだろうかと、ほんの少し、肩を落とした。

 

 


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