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「遊んでただけなんだ」

「これくらいの雪なら慣れっこだからって」

「いなくなったのも気付けなくて」

「きっと家に帰ったんだろうって、皆」


 ロアが学校に着くなり、集められていた子供たちは彼にしがみついた。


「お願い先生、ヘルザを助けて」


 ロアは、泣きじゃくる教え子たちをやさしく引き剥がすと「わかった」と努めて穏やかな声をかけた。片膝をついて、少年たちに目線を合わせる。


「必ず見つけるから。どこで遊んでいたかもう一度教えてくれるか?」

「うん……」


 涙を堪えた少年が、真剣な表情で顔を上げる。

 クラスでもリーダー格の生徒だった。


 ロアは子供たちの話に耳を傾けながら、思考の隅で最悪の事態を想定していた。吹雪は、昨日から続いている。集まった大人たちの顔は浮かず、ヘルザの両親は色をなくし、イレイザは待っていられないとばかりに、また外へ出てしまった。


 状況は最悪だった。





「捜索隊を組もう」


 少年の話を聞き終わったロアの隣で、村長がいた声を上げた。


 なんとか聞きだした子供たちの話によれば、彼らが雪合戦を始めたのが昨日の午後のことだったらしい。

 最初は数名で、物陰や木々に隠れるようにして雪玉を投げ合っていたそうだが、賑やかな声に、だんだんと参加人数が増え、それに比例して、各々の行動範囲も拡大していったそうだ。

 長期休みに子供たちは退屈していたのだろう。街にあるような遊戯場もないこの村では、雪はちょうどいい玩具代わりなっていた。


 昨日、子供たちは散り散りに帰宅していったそうで、誰もヘルザがいなくなったことに気づかず、彼女の両親は外泊の多い兄のイレイザと共にいるのだろうと気にも留めていなかったらしい。


 そうして発覚が今になってしまった──。 



 ロアは、教室の壁に貼られた村の簡易地図を睨んだ。

 ヘルザがいるのは、山か海か。

 どちらにせよ、捜索は難攻するに違いなかった。


「雪には気をつけろって、あれだけ言ってたのに」


 舌打ちが聞こえて、見やれば、教室の端で忌々しそうに眉を寄せたキリールが立っていた。そばには青年会に名を連ねる若者たちが並んでいる。

 皆、イレイザの──友人の妹の安否を気にかけているのだ。


「子供は怖いもの知らずだから」


 ロアは言いながら、壁から地図を剥がす。

 言い方が甘かったのだろうか。学校でも、ロアは口を酸っぱくして雪と海の恐怖を教えているつもりだった。だが、実体験を伴わない忠告など子供たちにとっては鬱陶しいだけだったのだろう。実際ロアも子供の頃はそうだったように思う。〝また大人が同じことを言っている〟と聞き流していた。雪に慣れすぎていたのだ。


「地図を出します」


 ロアがつなげた机の上に地図を広げると、男衆が四方から覗き込むように囲ってきた。

 誰がどの地区を捜索するかを即座に割り振りながら、村長が声を張り上げる。  


「必ず三人1組で行動すること。笛も忘れるな」


「おう」と男たちが声をあげて、松明も用意しなけりゃと、教室を出ていく。

 女たちも蒼白な顔を浮かべながら、明かりや暖房具の用意を始めた。その中には、泣き腫らした顔のリタも混ざっている。

 リタとヘルザは、姉妹のように仲が良かった。

 ヘルザはリタを慕っていたし、リタも懐いてくるヘルザを可愛がっていた。


「ロア」


 厳しい顔つきをしたリタが、ロアに近寄る。


「私も行くわ」


 案の定、捜索隊に加わろうとしたリタを、背後からキリールが引き止める。いつになく釣り上がった瞳が、リタを睨んだ。


「駄目だ。お前じゃ足手まといになる」

「でも」

「大丈夫だよ、リタ」


 ロアは子供たちにそうしたように、穏やかな声を絞り出した。


「ヘルザはしっかりした子だから、ひょっこり戻ってくるかもしれないし。ここで待っててやってくれ。きっとお腹を空かせてる」

「……ロア」


 リタが震える声をあげる。


「時間がない。いくぞ」


 キリールが痺れを切らしたように仲間と共に教室を出ていく。他の者も、準備を終えしだい地図にチェックを入れて外へ飛び出した。

 ロアも友人と隊を組むことにして、持ち場の海岸に名前を書き込む。そこは、荷馬車や出荷前の木箱が積んである複雑な波止場で、隠れるにはうってつけの場所だった。


「行こう」


 と、出かけ際、女たちの中にアリアローサの姿を見つけて、ロアは立ち止まりそうになった。海色の瞳が、不安げに揺らいでいる。けれど、アリアローサから話しかけてくることはない。


 帰ってきたら、もう一度ちゃんと話そう。

 今度こそ、彼女の話を聞こう。


 身を切られるような思いでアリアローサから視線を逸らす。


「くそ、吹雪ふぶいてんな」


 外に出た途端、飲み仲間のひとりが空を見上げて言った。

 つられてロアも頭上を仰ぐ。

 鉛色の雲は色を濃くしていた。



 

「ヘルザ!!!」


 声の限りに男たちが叫ぶ。

 連れた犬が叫ぶ。

 時間の経過とともに、視界は悪くなっていった。

 強風が雪を巻き上げ、辺りを白く染め上げる。


「ロア! そっちはどうだ?」

「ダメだ、何も見えない!」


 雪を踏みしめながらロアは、仲間と距離を空けないよう慎重に移動していた。

 荷馬車の下、不自然な雪の盛り上がり、それらに注意してみて回るが、ヘルザの姿は何処にもなかった。芯から体温を奪われるような寒さに、ロアは顔をきつくしかめる。


 無事でいてくれ。


 強く願いながら、海を見やった。荒ぶる波が、白く打ちあがっている。ロアは力の限りに叫んだ。


「ヘルザ!!!! いたら返事をしろ!!!」


 頼む。


 祈りながら叫び続ける。友人の憐れむような視線が痛かった。ロアは歯を食いしばり、強く拳を握りしめる。


 と、その耳に、力ない声が届いた。 


「ありがとう、先生」


 振り返る。イレイザだった。キリールたちと共に村を駆け回っていたのだろう。青白い顔のまま、彼は言った。


「あいつのことそんなに心配してくれて。山の方まで聞こえたぜ、先生の声」


 こわばった顔のまま、イレイザは笑おうとして、ぐしゃりと顔を歪めた。

 

「あいつ、寒がってねえといいんだけど」

「イレイザ」


 イレイザの声は掠れていた。

 ロアは涙を流し始めたイレイザを見やり、その隣に並んだキリールに目を向けた。涙こそ浮かべないものの、彼も厳しい顔つきは崩さない。


「大丈夫だ、きっと見つかる」


 ロアはふたりを安心させるように言葉を繰り返した。と、苦しげな表情のキリールがロアを見据えた。


「……あんた」

「?」

「ちゃんと先生だったんだな」


 ぽつりとこぼされた声は暴風のせいでよく聞き取れなかった。首を傾げたロアの肩を、しかし友人が強く叩く。


「ロア、おい。なにか聞こえないか?」


 痛みと声に振り向けば、確かに、遠く海の方から細い声が聞こえた。イレイザがはっとして叫ぶ。


「ヘルザ……ヘルザか!?」


 耳を澄ます。

 風の音に混じって、か細い声が届く。


「ヘルザ……!!」

  

 ただの海鳴りかもしれない。幻聴かもしれない。

 けれど一筋、やっと見えた希望にイレイザもロアたちも駆け出していた。

 しかし声は、すぐに聞こえなくなってしまう。


「ヘルザ、ヘルザ」


 イレイザの呼びかけに応えはない。

 びょうびょうと風が鳴って、ロアたちの行手を遮る。


 ロアは「離れるな」と仲間に声をかけながら、微かに聞こえたはずのヘルザの声を追った。

 海が近い。

 かじかむ手足を動かして、ロアも雪をかき分ける。

 

 港のそば、こんもりと雪が積もっている荷馬車と荷馬車の間を探る。

 そこが、わずかに動いた。 

 ロアははっとして両手を突き入れる。


「ヘルザ……!」


 雪を掻き出し、馬車の中を覗き込む。そこに──


「せん……せい」


 ──ぐったりとロアを見上げる、ヘルザがいた。

 ロアは涙ぐみそうになって、すぐにヘルザを馬車から抱え起こした。


「もう大丈夫だ」


 何度もその背をさすってやりながら「いたぞ」と周囲に声を張り上げる。

 すぐにイレイザが駆けつけて、ヘルザを受け取った。


「ヘルザ、ヘルザ」

「早く戻ろう」


 ロアは自分のマフラーとコートをヘルザに着せてやりながら、イレイザを促す。ああ、とイレイザが頷いて、気を失ってしまった妹を抱えたまま歩き出した。

 まだ安心は出来ない。ヘルザが隠れていたのが屋根のある馬車だったといっても、この寒空の下で一晩過ごしたのだ。凍傷になっているかもしれない。


 ロアは白い息を吐き出しながら、ヘルザの無事を祈った。


 と、前方から吹雪に紛れて、薄黄色のマフラーが飛んでくる。


「あ」 


 ヘルザが気に入っていると自慢していた毛織物だった。街に行った時に、イレイザに買ってもらったのだと嬉しそうに言っていた。白と灰色で覆われたような景色の中に、薄黄色のマフラーはひどく映えていた。風に吹かれて、海辺のほうへ舞い落ちる。


 無くしたら、きっとヘルザは落ち込むだろう。


 そんな単純な理由で、ロアはマフラーを取りに向かった。たったそれだけのこと、だから誰もロアを気にも留めなかった。

 マフラーに誘われるように、ロアは海の方へと歩き出す。

 雪の上に落ちたそれを屈んで拾う。瞬間、足場が崩れた。悲鳴をあげる間もなく、嫌な浮遊感と共に、ロアは、極寒の海に落ちた。心臓が、鼓動を止める。ロアは沈みゆく中、必死に頭上を目指しもがいた。指が虚しく水中をかく。なにも聞こえない。言葉が音にならない。ああ、俺はこんなところで死ぬのか、と思った。雪に慣れすぎていて、油断してしまった。子供たちにあんなに忠告しておいて、このざまだ。


 けれど、


 それでも、自分の死と引き換えに子供たちが雪と海の怖さを知ってくれるなら、それもいいかもしれない。


 いかにも教師らしいじゃないか。


 そう思うと、少し、誇らしいような気もした。ちっとも気づけなかったけれど、自分は案外、教師という仕事を気に入っていたのかもしれない。


 ごぼりと、最後の息がこぼれ出る。

 気泡が、はるか高みへ登っていく。

 ロアのたどり着けない場所まで、登っていく。


 身体から力が抜ける。

 心残りはたくさんあった。

 ヘルザのこと、母の世話、それから。


 ──アリアローサ


 別れが突然やってくることを、アグリルに教えてもらったばかりだったのに。

  

 ともしびの限界が来る。


 荒波に身体を流され、ロアは、意識を手放した。


 




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