3 彼氏の友人・水人の視点から(前編)
友人の透と会ったばかりの頃、ハイスペックイケメンって、こういうのを言うんだろうな、と思った。
勉強も運動も出来て、人当たり良く微笑む顔は男の僕から見てもイケメンそのもので、王子様を体現したような男だった。
ただ、その微笑む顔は、僕には胡散臭い顔にしか見えず、「コイツ、本当に同い年か?」と疑問に思うほどだった。
話しかけてみれば、興味を持つ事が似たようなものが多く、他のクラスメイトよりも話が合った。
僕としては普通に友人になったのだが、透にとってそれは初めてのことだったらしい。
「え、友達いなかったの?」
「それなりにはいたよ。でも、みんな水人みたいな友達じゃなかった。」
僕が一番親しくなったということかなと、思ったら違った。
「みんな俺と友達になることで、何かメリットがあったみたいだ。目当ての女の子と近づくとか、俺の足を引っ張りたいとか。色々。」
透は軽く言っていたが、僕にはとても不可解で不愉快な話だった。
それは、友達ではない。
どうしてそんなことになるんだ。こんなにいい奴なのに。
僕は透の言ったことをすんなりと受け入れる事が出来ずにいた。しかし、透の隣で過ごすようになって、だんだんと理解していった。
透はなんでも出来すぎてしまうのだ。
勉強の理解が早く、要領もいい。塾にも行かず、自分で作ったスケジュールで学習をして、トップクラスの成績を維持している。
運動も難なくこなし、初めてのことでも、すぐにコツを掴み上手くこなしてしまう。
ひとりで何でも出来てしまうのだ。
困っている所を見た事がない。
人を助けることはあっても、人に助けを求めることがないのだ。
教師も何も口を挟む余地がなく、優秀な生徒として見られているので、特に関わる必要がないと思われている。
そして、誰にでも、いつでも、あの胡散臭い微笑みを浮かべ、あたり触りのない回答をする。
ハイスペック過ぎて、隙がない。
友達として共感できるとか、バカ話を出来る相手ではないと、周りが一歩引いてしまうのだ。
これでは友達らしい友達が出来なかったのも納得できた。
僕が友人だと認められたのは、透になんの下心もなく、会話が続くからだった。
透ほどではなくても、僕もそれなりに成績が良く、透の理解する形而上の話でも受け答えが出来た。難しい話というだけなら、他のクラスメイトも加わる事は出来たが、そこには高校生にありがちの自己顕示欲の混じった意見が多く、僕と透には物足りなさが優っていた。
その結果、僕は透と最も親しい友人となった。
僕には中学校からの友達や、高校に入ってからの友達もいたが、透は僕という友人がひとりいれば充分だと判断したらしく、クラスメイトとも交流を深めようとしなかった。
必要最低限の関わりは持つが、それ以上は不要だと思っている。
僕は透にぼんやりと危うさを感じ始めていた。
***
透と友人になって、数ヶ月経つ頃には、透の親との関わり方がずれていると気がついた。
進路指導で親に相談したのか、軽い気持ちで話を振ると、
「相談?俺が決めて、それを親がいいか悪いか決めるだけだけど?」
「それは相談じゃないんじゃないかな。」
僕が予想外の返答に驚いていると、
「それじゃあ、水人は親とどういう風に話すんだ?」
素朴な疑問をぶつけられた。
「えーと、将来何になりたいのか、とか、それなら大学はこういうところにした方がいいんじゃないか、とか。父さんや母さんの大学の話聞いたりとか。
一人暮らしになりそうだから、奨学金どうしようとか。
一緒に考えることかな?」
子どもに教えているような不思議な気持ちになった。
「……一緒に考えること。」
透は僕の言葉を繰り返すと、
「……無いな。」
と、言った。
僕は何も言えなかった。
それでも、
「透、相談があれば、僕が聞くよ。」
それだけは伝えたかった。
「それは、嬉しいな。」
その時、透はそう言ってくれたが、その後もずっと透から相談されることは無かった。
***
そんな透が恋をした。
たぶん、いや、きっと、初恋だ。
電車に乗っている彼女を透が時々見ていることに気づいた。
「最近、よくあの子のこと、見てるよね。」
僕は堪えきれずに、にやにやしてしまった。
「なんだ、自覚してるんじゃん。」
「…だから、何が?」
その胡散臭い微笑み、僕には「そうです。」と言っているのも同然だ。だいぶ、動揺しているらしい。
僕は可笑しくなってしまった。
あの透が珍しく、隙を見せる。
彼女の事に関わると、途端に。
これは黙って見ていよう。初恋に翻弄されるハイスペックイケメンの様を見てやろうじゃないか。
もちろん、相談はいつでも受け付けるけど。
結局は、相談に乗ることもなく、透は彼女…萌さんとあっさり付き合い始めた。
なんだよ、初恋ならちょっと困れよ。そう思いながら、幸せそうな顔を覚えた透に、僕はほっとしていた。
そして、一年以上経ってもふたりは仲睦まじく、惚気と自覚していない話ばかりを聞かされた。
それが、高校三年の夏休み明け、透が壊れた。
傍目から見れば、夏休み前と変わりなく見えていたと思う。それでも、隣にいる僕には明確な違いがあった。
萌さんの話が一切出てこないのだ。
放課後になって、ようやく朝の電車で萌さんを見かけなかったことを僕は思い出した。
これは、何かがあったとしか思えない。
けれど、透には聞けない。
本人が萌さんの話をしないことで平静を保っているとすぐに分かった。
僕は一週間だけ、待つ事にした。
けれど、朝の電車に萌さんは乗ってこないまま、透は萌さんの話をしないまま、一週間は過ぎた。
透の目の下にクマが出来、僕との会話でも黙る事が多くなった。
周りに振り撒く胡散臭い微笑みは、絶える事なく口元に保ち続け、それがさらに凄惨な透の心情を感じさせた。
これは、まずい。
感覚的に、透の精神がギリギリなのがわかった。
そりゃ、通学からほとんど一緒なら分かるよね!
怖い!と思った。
これ、むしろ今頃、萌さんに会ったら、やばいんじゃないか?
ぞっとした。
透の思考パターンは、ざっくりなら分かる。
すべてひとりで問題を解決する。
それが今まで有効だった。
だから、ここで僕に相談をしてくることは、無い。
それなら、ひとりで何をするか。
萌さんに会えていない透が、会う事を決めて行動する時、それは問題解決を図る時だ。
萌さんが透から離れようとしたら、それは透には耐えられないことだろう。
あの溺愛ぶりが逆方向に向かうのか。
そう仮定した時。
萌さんを殺して、透が自殺することが容易に想像できた。
ぞっとした。
それと同時に腑に落ちた。
透の持つ危うさは、基盤になる柱がとても少ないのだ。
その数少ない柱になっている萌さんを失ってしまえば、透は。
僕は大きくため息を吐き出した。
高校生活をほとんど一緒に過ごした友人だ。
「透に刺されないように、動かないとなぁ。」
危ういけれど、その分純粋な友人のために、動く事を僕は決めた。
***
まずは、萌さんと会わなければ。
朝の電車で会わないとしても、萌さんだって毎日通学しているはずだ。それなら、萌さんなら遅れそうな時間よりも、少し早めの電車に乗るはずだ。
物は試しだと、翌日の朝、僕はいつもの電車よりも、一本早い電車に乗ってみた。
あっさりと萌さんを見つけた。
僕ですら、予想出来たのに、透が来ていないということは、本当に会ったらまずい状態じゃないのかと、思った。
とにかく、なんとか萌さんに電話番号を渡す事が出来た。後は、連絡待ちだ。
ただし。
透に見つかってはいけない。
文字通り命懸けだ。
***
萌さんに電話番号を渡したその夜、自宅の部屋にいる時、萌さんから着信があった。
「もしもし。」
「あの、水人くん…?」
「うん。僕だよ。萌さん、電話ありがとう。
それで、単刀直入で悪いんだけど、透と何があったの?」
もう透はいつ壊れてもおかしくない状態だ。
とうとう今日は、僕との雑談に答えなくなって、ずっとあの胡散臭い微笑みを浮かべていた。
「夏休みに何かあった?」
とりあえず、思いつくことを話してみると、萌さんが反応した。
「うん…。透くんの家にいたとき、透くんのお母さんが来たみたいなの。」
萌さんは、透の部屋にいる時に、母親が帰ってきたので、挨拶をしようと思っていた。ところが、透はそれを拒否した。
それで、萌さんは、透が自分を家族に紹介出来ないような女だと思っていると考えた。そして、とても傷ついた。
まとめると、こういうことだった。
僕はひとり、頭を抱えた。
ああ、これは。
「萌さん、透が萌さんのこと、ものすごく好きなのは知ってる?」
「……知ってる。」
そうだよね。あれだけ溺愛されてて、一年以上付き合ってて、知らなかったらどうしようかと思った。
「萌さん、それなら透が萌さんをどれだけ大事かわかってると思うんだけど、そんな大事な人を家族に見せないってどういうことか分かる?」
「………分かんない。」
長い沈黙の後に、萌さんが答えた。
そうか。
だから、透は萌さんに惹かれたのか。
だから、萌さんと関係が壊れそうなのに、何ひとつ思い当たらないのか。
「じゃあ、萌さんの立場だとどう考えるか教えて欲しいんだけど。
ものすごく好きで大事な人がいたら、家族にはどうする?」
「わたしの好きな人です、って家族に紹介する。」
「それは、萌さんが家族の人が好きで、家族に愛されて育った。それで合ってる?」
「合ってる……。」
きっと萌さんの家は、仲の良いあたたかい家庭なんだろうな、と僕でも分かった。
「透は、逆なんだ。」
「……逆?」
「両親に相談したことが無いって言ってた。」
「…………」
「透は全部ひとりでやってきた。全部自分で決めて、自分でやって。親は何も言わないんだって。
もし、何か言ってきた時は、やめろ、って言う時だけ。」
「…………」
「だから、大事な萌さんを親に会わせたくなかった。」
「そんな……」
「理解、出来ない?」
「………うん。正直、ピンとこない。」
「だよね。それ、透も一緒だから。」
「………え?」
「透も、萌さんが親に紹介してくれなかったことに、傷ついていることに、全然気がついてない。まったく、理解出来ないと思うよ。」
「………………」
萌さんは黙ってしまった。
無理もない。
僕だって二年半友人をしていて、学校で毎日話して、ようやく理解したのだから。
付き合って一年半にも満たない萌さんには、理解出来ないだろう。
ふと、もしかして、と思い、聞いてみた。
「萌さんは、透といる時って、何を話してる?透から話してくれることって何?
それとも、話はしない事が多い?」
顔が見えないから、聞けたようなもので、これ、友人の彼女に質問するにはハードルが高い。
だって、一緒にいる時は、話もせずにひたすら二人いちゃついてますか?と聞いているのだから。
「いつも、勉強教えてもらって。それで、わたしが話して、透くんが答えて。わたしは、家族のこととか、たくさん話してた。
………でも、あんまり、透くんのおうちの話とか、してなかったかも。」
萌さんの無難な回答に僕は、ほっと胸を撫で下ろした。ここで、いちゃついてる内容言われても困るもの。
「いや、僕も透の家庭環境については、そんなに聞いてないよ。
萌さんにもあまり言ってないなら、やっぱり透は萌さんとも僕とも家族への感覚が違うんだ。」
「……….ち、がう?」
「萌さんも僕も、家族の話はすると思う。何を話したかよく覚えていないけど、それくらい他愛の無い話をしてたんだと思う。
でも、それは透には無いんだ。他愛のない家族の話が。」
「………それは…」
「透と萌さんは、違うんだ。だから、話して欲しい。」
「話すって、何を。それに、これだけ避けてたのに、透くん、わたしと話してくれるかな?」
「まずは、萌さんが何に傷ついて、透を避け始めたのか。絶対、分かってないよ。
相手が分かってないのに、避けてても何も変わらないよ。
それと、本当に、透は萌さんがいないとダメなんだ。
今、ギリギリ壊れてないだけで。
萌さんに会って貰えないと、あいつ、どうなるか分からないよ。倒れるかも。」
刺されるかも、とはさすがに言えない。
「……………」
それでもまだ萌さんには迷いがあるみたいだ。
それなら。
「前に、透に相談って何だと聞かれたことがあるんだけど。」
巻き込まれてみせようじゃないか。
「相談は、色々な話をして、一緒に考えることだって、答えたんだ。
僕も一緒に考えるよ。
三人でなら、会えない?」
次話、明日の12:00投稿予定です。