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加藤良介 エッセイ集

阿Q正伝のその先

作者: 加藤 良介

このエッセイは阿Q正伝のネタバレを含みますwww

 「精神勝利法」という考え方? と言うものが存在するらしいです。

 実力不足で敗北した者が、敗北を認めず精神世界で勝利宣言し、現実世界での敗北をなかったことにする思考方法だそうです。

 敗北の要因を自身の至らなさと考えるのではなく、外的要因によって敗北したと考えることにより、自尊心を守ることが出来るようです。 

 簡単に言っちまえば「負けたのは俺のせいじゃない。他人のせいだ」です。

 これだけなら、割と誰でも陥る思考方法ですが、「精神勝利法」は勝利を求めますので、ここから「負けていない。いや、実質的には勝利だ」とまで、思考が飛躍いたします。

 なかなかに興味深い思考方法だと思いませんか。


 敗北したのにドローではなくウィンを求める、駄目な方にポジティブなのです。

 ポジティブの意味が崩壊してしまいますが、心情は理解できなくもないかも知れない。

 この思考方法の問題は、現実的には敗北しているのに、自身の中で勝利に変換し、それを信じるため、敗者なのに、思考回路は勝者になってしまう事です。

 これにより、現実社会から決定的にズレます。

 前日にいじめられたのび太がジャイアンに、喧嘩で勝った態で接したらどうなるかは言うまでもありません。間違いなくもう一回ボコられるでしょう。

 しかし、「精神勝利法」では、この敗北も勝利に変換されます。

 ズレは日増しに大きくなり、最後は破滅するでしょう。

 破滅に至る思考ロジック。それが「精神勝利法」という訳ですね。


 この、愉快な思考方法には原典があります。

 20世紀初頭の中国の小説家、魯迅が書いた短編小説「阿Q正伝」です。

 簡単にあらすじを説明いたしますと、家も身寄りも名前も無い「阿Q」と呼ばれる男が主人公です。 

 時代は清朝末期、辛亥革命が起こる直前の中国。しかし、場所は不明。

 未荘という地名なのか一般名詞なのか不明な単語は出てきますが、場所を特定できません。移動に船を使っている描写から長江流域、江南のイメージがわきますが、確信には至りませんね。

 そんな、ふわっとした世界ですが、ふわっとしているのはこれだけに留まりません。

 まず、主人公の名前が不明。本人も知りません。

 阿Qは名前ではなく、Aさんみたいな認識表示です。 

 出身地も年齢も不明です。イメージでは30代ですが、それすら書かれていません。

 この阿Qは家無し、身寄り無し、学無し、力無し、常識無しの社会の最底辺の存在です。

 村で日雇い人夫として細々と暮らしています。

 しかし内心では、先ほどご説明した「精神勝利法」を頼りに、有力者に罵られたり、日雇い仲間との喧嘩に負けても、結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る日々を送っていました。

 どんなに、弱く貧しい人間でもプライドだけは持っているのです。

 これを、滑稽と取るか、最後の財産ととるかで阿Qへの心証は変わるでしょうね。


 ある日、阿Qは村の金持ちである趙家の女中に劣情を催し、言い寄ろうとして逃げられた上に趙の旦那の怒りを買って村八分になり、仕事にもあぶれてしまいます。

 村を追い出された阿Qは、食うに困って盗みを働き、逃亡同然の生活を続けるうちに、革命党が近くの町にやってきた事を耳にします。彼は、意味もわからぬまま「革命」に便乗して騒いだ結果、革命派の趙家略奪に関与した無実の容疑で逮捕されます。

 もちろん彼は革命を志したわけではなく、革命派を名乗ることで周囲を恐れさせ、プライドを保持しようとしただけです。

 無実の罪なのですが 無知ゆえに筋道たてた弁明も出来ず、流されるままに刑場に引き出され、あっけなく銃殺されてしまいます。

 銃殺を見物しに来た観客達は、市中を引き回されているのに歌の一つも歌わない阿Qに不満を述べて終わりです。


 この作品は、実に不思議な作品です。

 私の主観で恐縮なのですが、主人公が無実の罪で銃殺されるのに、一切の同情が生まれないのです。可哀そうにと思えません。

 何故でしょう。

 それは、彼が独自に編み出した「精神勝利法」によるところが大でしょう。

 「そんな風に物事を考えていたら、最後はそうなるわな」という納得感の方が勝ってしまうのです。自業自得って感想です。

 この作品には当時の中国人、中国社会に対しての風刺が込められているらしいです。

 らしい、というのは私がそれを感じ取れないからです。

 私の共感性が欠如しているのもありますが、お当時の空気を肌で感じている人ではないと理解できないのかもしれません。

 しかし、私は思うのですよ。



 はい。

 ここからが本題でございます。

 ここまで、だらだら書いてきたのは全て前振りでございます。

 

 それでは不肖、加藤良介めが阿Qの立場になって考えてみました。

 結論です。


 「いったい、どうすればいいんじゃい」


 ん、本当に考えたのかな? と言うお声が聞こえる気がいたしますが、だって、この人、家族無し、財産無し、学無し、故郷無し、名前無し、友人、恋人全部無しの無し無し人生なのですよ。

 物語の開始時点で完全に人生が詰んでいます。

 非常識で勝手な言動で嫌われますが、親兄弟のいない彼に、教えられたことのない常識や良識が分かるはずも無く、訂正してくれる親戚や友人もいません。財産が無い為、勉強も出来ず、食事も満足に食べられなかったでしょう。

 そりゃ、知能は低くなり体格も劣り喧嘩にも勝てないでしょう。

 これらの事が合わさって、彼は社会の最底辺に沈下いたします。

 しかし、これは彼の責任なのでしょうか。

 アメリカ人的発想であれば、これも自己責任なのでしょうが、日本人の私には自己責任とは思えません。だからと言って誰が悪いわけでもありません。強いて言うなら星めぐりが悪い。

 うん。実に日本人的発想。

 これらの境遇を受け止める強い心があれば、また、違った人生を切り開けるのでしょうが、心の弱い彼が「精神勝利法」に逃げていくのも理解できなくもないかも知れない。←複雑(;一_一)

 名前がないのに、プライドが存在するのかといった疑念は残りますが。


 魯迅先生。せめて名前ぐらい付けてあげるべきだったのでは?

 自己存在の根幹たる名前がないのに、自尊心が有ると言うのは無理がある気がいたします。

 ただし、主人公の呼び名としての阿Qは100点満点だと思います。一発で覚えられますからね。

 私がこの作品に引っかかりを覚えたのが、主人公の呼び名である阿Qだったのですから。

 中国人なのに阿Qって、意味わからん。

 そりゃ手に取りますわな。

 つっ、釣られクマー。


 魯迅先生の巧みなマーケティング戦略は置いといて、彼はどうすれば良かったんでしょうね。

 仮に「精神勝利法」を放棄しても、満足のいく人生が送れたかどうかは甚だ疑問です。

 貧困と混乱の内に沈んでいくだけのような気がいたします。

 そして、あるコンテンツに毒されている私は思いついたのですよ。

 素晴らしき解決方法を。


 「そうだ。異世界に行こう」


 そうです。このエッセイは真面目な「阿Q正伝」の考察と見せかけて、なろうの考察なのですよ。

 ハッハッハッ。(^◇^)

 引っかかりましたね。

 あっ、待って。帰らないで。

 もう少しだけ話を聞いてください。


 冗談はさておいて。私は半分本気で阿Qは異世界に転生するしかないんじゃないのかしら、と思ったのでございますよ。

 変な思考回路の持ち主である彼が異世界でやっていけるとは思えませんが、ワンチャンあるかもしれません。

 神様にチートスキル貰って、前世の憂さを好き勝手に晴らせばいいのです。

 阿Qであれば、前世に何の未練も無いでしょうし、意味不明な行動をしても納得できます。

 よく、なろう問題で、行動原理が不明の主人公がやり玉にあがりますが、彼らは全て転生してきた阿Qなのです。常人では計り知れないコンプレックスと火星のオリンポス山並みの高いプライドを兼ね備えているのです。

 私たちはなろうで転生した阿Qの姿を眺めているのです。

 ここまで、思考して私は「しまった」と思いました。

 私が書いている異世界転移物の主人公たちには「阿Q」要素が微塵もねぇ。

 家も、家族も、財産も、知性も、友人も、仕事も全て持っている主人公たち。もしかして、キャラのモデリングを間違えたのかな。

 うちの子らには悩みや問題はありますが、晴らす憂さがほぼ無いんですよね。

 なろう主人公としては失格なのかもしれない。



 阿Qは刑場に連行されるときになって初めて、死刑にされるのかもと気が付き恐怖します。

 これも、頭で理解したのでなく、なんとなくそう感じて恐怖し、そこで描写が終わります。

 阿Qが銃殺されるシーンは描かれません。

 そのまま、その後のお話に飛びます。

 私はここに魯迅先生の優しさがあるように感じましたね。

 惨めで悲しい、死の瞬間は描かなかったのです。

 この作品の凄い所は、共感がほぼ不可能な主人公に対して作者が愛情を持って描いている所です。

 好きにはなれませんが、軽蔑も難しいという絶妙なチューニングがなされているのです。

 流石としいか言い様がありません。


 社会批判があるとすれば、その後のお話に乗っていると思います。

 阿Qが殺されても誰も同情いたしませんでした。

 市中を引き回されている時に唄を歌わなかったと、がっかりしただけです。

 ここで言う唄とは、恐らく辞世の句のような物だと思いますが、阿Qは恐怖で声も出ないありさま。とても歌を詠むなどできません。

 そして、彼は無実の罪で処刑されるので、当然ながら彼を殺しても社会不安は解消されません。

 革命派は跳梁跋扈し、彼を殺しても殺さなくても清朝は崩壊に向かい、欧米列強&日本の介入を招き、多くの人々が塗炭の苦しみに沈むでしょう。

 弱者を切り捨てても、崩壊は止められないし、社会は良くならないのでしょうね。


 まぁ、彼の場合生きていたとしても、周りに迷惑をかけることの方が多かったでしょうから、社会的損失とは言えないかもしれません。

 そんな風にお考えの方には是非とも拙著「美しい世界」をお読みいただけると嬉しいです。


 このエッセイを書くためにネットの海を泳いでいたのですが、「精神勝利法の何がいけないのですか? 良い発想だと思います」という書き込みを発見いたしました。

 まぁ、言いたいことは分かります。

 勝てない現状が引っ繰り返せないのであれば、阿Qのように精神世界で勝利するしかないのかもしれません。

 しかし、「精神勝利法」は一言で言ってしまえば阿片です。

 一度使うと中毒に侵され、それなしには生きていけないでしょう。そして何度も使う間に身体は崩壊し、死に至ります。

 「阿Q正伝」ほどの絶望的状況でもない限り使用は控えた方がいいと思います。

 阿Qはある意味しょうがない。

 彼にはそれしか財産が無かったのですから。

 


              終わり

阿Q正伝は著作権フリーになっていますので、ネットで無料で読めます。

短編ですからサクッと読めるのでお勧めですよ。


80万タイトルを数える小説家になろうにおいて、初の「阿Q正伝」「精神勝利法」のタグが付いています。

とっくに、どなたかがやっているものと思っていました。

意外だなぁ。(=゜ω゜)ノ

「精神勝利法」なんて、正になろうコンテンツの原型だと思うのですが。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちわ。 阿Q正伝を取り上げれるとは、ビックリです。 私は魯迅の作品が好きで、何度も読みかえしておりますが、何度読んでも新たな発見があります。 阿Qというキャラクター?この辛亥革命の間…
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