多数決の行方
今日はあの有名な山に登る日。なんともいえないさわやかな入り口に立っている。なにを隠そう、彼ら6人は初めての登山に挑む初心者たちなのだ。初めて登る山に期待を胸に立ち込めさせた彼らは登山口に立っている。誰かの用意した地図をそれぞれ一枚ずつ持って、中ぐらいのザックを背負っている。いつものお気に入りの靴を履いて、アンダーウェアを羽織るのだ。昨日思いついた一行はその日のうちに準備をし、今日に至ったわけだ。
彼らは山道を歩いて行った。徐々になくなっていく灰色の道。水の流れを超えること数回。すでに黒柿色の道が蛇のように続くようになった。その蛇の上を彼らは歩いて行ったのだが、蛇は次第に白くなっていった。白い雪の道が続く。誰かが立ち止まった。
「おぉい!どうしたんだよ。」
誰かが言った。
「道が二つに分かれてるみたいだわ。右の道は白い道が続いてるのだけれど。左の道もあるのよ。」
また、誰かが言う。
「左の道に行こう。そう地図に書いてある。」
Bが言った。
「そんなこと言ったって左の道は何本も木が倒れて塞がってるじゃないか!右の道は通れるが、左の道は木をどかさないといけない。左が正しいなら誰かが既に木をどかしてるはずだ。」
Aは自信満々に言う。そう、右の雪道は開けていて通ることは容易だ。しかし、左の道は木々が邪魔をする。
するとBが反発しだした。Aも売り言葉に買い言葉でとうとう収集がつかなくなってしまった。
「俺の手元の地図を見たところやはり右の道があっているんじゃないか。地図はこうみるんだよ。」
Aはそう言って地図の見方をBを除く4人に教えてみせた。
「いいや違う。その見方は間違っている。ほんとはこうやってみるんだ。僕の判断の方が合っているんだ。」
Bも対抗した。結局、双方譲らなくなってしまった。途方に暮れる中で誰かの一声がした。
「Aの道がいいと思う人。」
およそB以外の人が手を挙げ、 Aの道へ向かうことになった。Bの道は聞かれもしなかった。各々が成績もいいし、スポーツもできるAが信頼できると思ったのだ。彼は人の嫌がることも滅多に言わない。寄り添うことのできる男だ。それに比べてBときたら、いつもいつも6人で行動する時はノリが悪く、何かしらしようとするともう少し考えた方がいいのではと言う。強情な男だ。当然の結末だった。多数決をしたにもかかわらずBは進もうとしない。下山すると言って聞かなかったので、5人は彼を置いて登ることにした。なんで一緒にこないんだとの文句を言う者もいたがそれをなだめて前に進んだ。
道を選んだといっても彼らは不安だった。もし間違っていたらどうしよかとか、引き返そうかとか考えていた。しかし、彼らを安堵させるものがあった。白い道の雪がまばらになっているその先に地蔵があったのだ。こじんまりとしたランタンほどの地蔵だ。やさしい丸い輪郭に柔らかく笑う口元。地蔵があるということは人が容易に安全に通れる道にいる証拠だと彼らは思う。彼らは進んでいく。
誰かが気がついた。一列で並ぶ彼ら。地蔵のところから30分ほど歩いたのであろうか。すっから雪も消え失せてしまった。いつのまにかあたりは落ち葉で満たされている。進む。一歩一歩が落ち葉を踏む。もう土は見えない。毛穴からでる汗。吹き出すそれが確信に変えた。
「ここどこだよ。なんかまわり全部落ち葉ばっかりじゃないか。道はどこだよ。」
彼らははあっさりと道を見失っていたのだ。いや、もともと道を見失うことさえできていなかったのかもしれない。彼らは気がついた。自分たちがもう道の上にはいないことに。焦った彼らは口々にもう山を降りようと言う。5人一列のうちの最後尾が後ろを向いた時だった。
「いや、このまま山頂まで登ろう。」
Cだった。怒号が飛び交った。どうして迷っているのにまだ登るのか到底理解できない。Cも声を大きくして応戦する。しまいには個人攻撃と化してしまった。収拾のつかない彼らの中で誰かが言った。
「もう!登る方がいいと思う人は他にいるの!!!」
一瞬の沈黙の末、C以外の者は登ることは選ばなかった。AがCに君以外には登る人はいない、君は間違っていると言ったらCはとうとう黙ってしまった。山を降りていく4人をみるCの目は悲しげだ。捨てられた子犬のように1人山頂へ向かって言った。それもそのはず、Cは普段から突拍子のないことを言う奴だった。授業には出ずに家で勉強だけをしていた方が効率がいいだとか、しまいには学祭での出し物をやめようなどと言う。Cは自己中心的なことを根拠なくやってのける奴だったのだ。下り始めた4人の中でどこまで自己中心的なんだと言う者もいた。
一行はとうとう沢にたどり着いた。いけどもいけども道には戻らず、さらに方向感覚がなくなっていく一行にとっては沢はまさに神の祝福であった。救いのコンパスである。
「沢に沿って下っていこう。」
誰かが言う。そうだ、沢は下流に繋がっているから下っていけば帰れるじゃないかと口々に言うのだ。しかし、1人だけ猛烈に反対する者がいた。Dだった。沢を下るのは危険だと彼は何度も言うのだ。しかし、Dはそれ以外なにも言わなかった。なぜならDは目上に言われたことが絶対な性分である。沢を下るなと山登りの前日にたまたま祖父に言われたこの言葉。彼はそこから動こうとしなかった。困り果てた他の者はDの性分を尊重した。Dはみんなで決めたことを必ず守るのだ。BとCが単独行動をした際に最も怒り狂ったのはその人だった。誰かが、沢を下ることに賛成の人は手をあげてくれと言った。D以外あげない者はいない。4人は沢に沿って下っていった。
彼らをみた者は誰もいない。
一見すると彼らは自分たちにベストな選択肢を取ったと思ったのではないでしょうか。しかし、彼らは山登りでの遭難に際して多くの人が誤る選択肢を選んでしまいました。登山をする際にルートを誤りました。登山でのルート選びというものは地図を中心に行われます。最初のAのように通らないからとかで判断せずに地図を見て判断せねばなりません。人が通りそうにない道が実は正規ルートであったり、人が通りそうな道が道でなかったりします。作中の彼らは雪の道を歩きました。A、B以外の者は深く考えずに結局人柄でAの案を多数決で選んでしまいました。山で遭難した時は下るのではなく山頂へ向かうのがセオリーです。山は放射状に広がっているこで上へ登れば一つの山頂や登山道へ必ず着くのでそこから帰れます。しかし、下へ降りればどんどん登山道から離れて行ってしまい危険な場所へ近づいて行くからです。彼らはおそらくそのことを知っているであろうCの話を聞かずに自分たちの多数の意見を採用して、下ってしまいました。また、沢を下るのはナンセンスです。沢を下っていく上で滝に当たります。小さな滝なら下っていけますが、その先に大きな滝があり到底下ることができなくなります。そして、その小さな滝を登ることもできずに行き詰まるわけです。残った4人は考えもせずに反対しているものを多数決で連れて行ってしまいました。多数決は果たして万能なのでしょうか。多くの人が共通して持っている考えが本当に正しいのでしょうか。考えるきっかけにしてもらいたいです。