第5ガム「トランスモード」
「協力しないかヨシカゲ?いっしょに、魔王を倒そう」
「……!」
ガムが大好きな少年の松井義影は、コレットという女性から仲間にさそわれた。コレットは、「壁の代理人」だった。義影と同じく「イング界」の魔王を倒すために神様から選ばれた人間だった。魔王を倒すために手を組もうというのだ。
義影としても、ありがたい提案だった。魔王の力はとてつもなく強く恐ろしい。あのガムの神様ですら手に負えなかったというのだから。協力者はひとりでも多い方がいい。
———しかし義影は、限界だった。
「ガム」
「……ヨシカゲ?」
「ガム……ガム……」
「え……?ガム?」
「……ガム、ガム」
「ガム」としか言葉を発さなくなった義影を心配するコレット。コレットが顔を近づけようとすると、義影はすごい勢いで飛びのく。向かった先は自分のカバンだった。
いきなり義影は自分のカバンの中を物色しはじめる。そして中にあったボトルガムのフタをあける。しかし中身はすでに空であった。悔しそうな表情をした義影は、次に「幸せ空間」の中をウロウロする。
「ヨ、ヨシカゲ?大丈夫ですか?」
「ガム……」
「ガムが欲しいんですか?でもあいにくですけど、今うちにガムはないんだ……」
「!?」
その事実に絶望した義影は、走って壁の外へ出ていってしまった。
「ヨシカゲ!?ちょっと待って……、ガムなら明日買ってくるから……!」
「ガム……!」
———
目を開くと、灰色の空が見える。いや、よく見ると空ではなく天井だった。そして自分はベッドに寝ていると気づく。目をこすって周囲を見渡すと、ベッドのそばのテーブルには、ガムが置かれていた。一個や二個ではない。ボトルガム、チューインガムの箱が山のように置かれているのだ。
「い、いったいこれは……いや、ま、まさか……」
「うむぅ……あ、おきましたか?ヨシカゲ。オハヨウ」
声の主はコレットだった。ベッドから少し離れたソファで寝ていたようで、もぞもぞと起き上がる。よく見るとここはコレットの家、「幸せ空間」だった。
そういえば、「壁の代理人」のコレットに誘われて、ここにやってきて、魔王を倒すために協力しようと持ち掛けられた。だがそこからの記憶がない。しかしテーブルに山積みされているガムで、自分が何をしたか把握した。
「コレットさん……!まさか、俺……」
「覚えてない?ヨシカゲは、ここから飛び出して、ハジメの町まで走っていって……全財産をガムに費やしちゃったんですよ」
「な、なんてこと……いや、すみませんでした!」
———
自分はトランスモードになってしまったのだと確信する義影。義影は長い間ガムを摂取できない状態が続くと心の安定が崩れる。そしてガムを食べるまで、ひたすらガムを探し続けるようになってしまう。これを義影はトランスモードと呼んでいる。トランスモード中は、基本ガムを求める以外のことは何もできない。義影は「イング界」に来る前にも、元の世界で一度だけやってしまったことがある。その時はメチャクチャだった。授業中であったにも関わらず、いきなり席を立って、学校中を歩き回り、最終的には近くのコンビニまで裸足でかけていったという。あの時は各所に謝ってまわった両親や学校に申し訳なくて仕方がなかった。自分の情けなさや愚かさで涙を流した。義影は反省して、トランスモードにならないように精神の訓練を行った。その結果、学校生活を送る間の約7、8時間はガムを絶食しても大丈夫になった。
もう二度とやらないと思っていたのに、ここにきてまたやってしまった。今回ガムを摂取していない時間は、わずか1時間程度だった。それにもかかわらず、トランスモードになってしまったのは、「ガムの代理人」となって、身体や脳がよりガムを欲するようになったのか。
なんであろうとガムを求めて何千里も走ることを決意した義影は、まず森の中を走り続けた。とにかく隅から隅まで走った。しかし目当てのものは見つからなかったので、そのまま森を抜けていった。
外はもう日が落ちていた。しかし義影はそのまま真っすぐと走り抜けた。目的地はハジメの町。この時の義影はガムを見つけて食べることしか頭にない。しかしそのためにできることは何でも考えて、何でも実行する男となっている。夜道だろうが今すぐハジメの町へ行って、その町の店でガムを購入しようとした。途中で魔物が出たが、瞬時に「ガムの権能」で動きを止めて、そのままどこかへと転がした。どんな魔物だったかはわからなかったが、一応倒した。そして目の前に大きな柵が見える。そこには「ハジメの町」という看板が掲げられていた。ようやく目的地にたどり着いたのだと義影は心躍らせる。そこで手持ちのお金をすべてガムに使った。そして大きな荷物を持った義影は、それらを「幸せ空間」まで持ち帰り、そこで力尽きた。
———
「買った分のガムは全部中に入れてるよー、ちょっと「幸せ空間」を拡張しましたけどね、あそこ。ガムの保管庫として新しく部屋を作ったよ。ここにない分のガムはあそこにあるよ。心配なされるなですよ」
「いやすみません、本当に迷惑かけました……この件の始末はキッチリつけます」
魔王を倒すための真面目な話をしていた時に、突然走って飛び出したと思ったら、山ほどのガムを持って帰ってきて、倒れるように眠った、だなんてドン引きだ。きっと手を結ぶ提案はなかったことにされるだろう。
それにハジメの町の人たちにも、きっと迷惑をかけたはずだ。あんな夜に目が血走った人間がやってきて、たくさんのガムを買っていったのを見たらトラウマになるだろう。きっと不審者として町中にウワサが広まっているはずである。
(どうして僕はこうなんだ……世界を救うためにやってきたのに……これじゃガムの神様に顔向けできない)
「ヨシカゲ」
「はい」
きっと出て行けと言われるのだろうと義影は思う。言われても仕方がないことをしたので、覚悟を決める。だがしかしコレットからかけられた言葉は、まったく予想外のものだった。
「やっぱり、私とヨシカゲは組むべきだよ!これは運命……相性抜群だよ、私たち!」
「……え?」
「ヨシカゲも私と同じだった」
コレットは少し苦笑いをしながら言う。
「ヨシカゲも、好きなものに一定時間以上触れられないと、トランスモードになるんだね」
「……まさか、コレットさんもそうなんですか」
「うん……私とまったく同じだったよ、ヨシカゲのトランスモード。それってここだと「状態異常」の一種扱いなんだって。実は私も長い間、好きな壁に触れられない状況が続くと、ヨシカゲがガムを買いあさったように、とにかく壁に触れようと、錯乱してしまうんだ。普段は頭の中で壁を想像したりして、精神に余裕を持たせているけどね……」
「……!」
「私がこんな離れた場所にいるのも……同じくハジメの町でやらかしたからなんだ。壁を探して走り回る「壁キンパツ」扱いされているんだよね……」
「壁キンパツ……」
じゃあ自分も間違いなく同じように扱われてしまっているだろう。どうしたらいいものかと頭を悩ませる。
しかしまさか世の中に義影と同じ「状態異常」を持つ人がいるとは思わなかった。でもそれがなぜ相性抜群なのだろうか。
「同じトランスモードになってしまうもの同士、好きなものは違えども、その苦労は分かり合えるはず。ヨシカゲがまたトランスモードになりそうな時は、私が全力で止めてみせる」
「……!」
「逆に私がトランスモードになりそうな時は、ヨシカゲが……止めてほしい」
こんなトランスモードになるのは、世の中で自分一人だと思っていた。このトランスモードを自分一人で管理しなければいけないと思っていた。
しかし同じ人がいた。いたのだ。
今までも両親のような理解者はいたが、まったく同じ立場にいる者はいなかった。だからこそ分かり合い、支えあい、助け合えるとコレットはいう。
「……わかりました」
「ヨシカゲ」
「こちらこそ……迷惑をかけた分も、コレットさんを全力で支えます。よろしくおねがいします」
義影とコレットは仲間になった。