第1ガム「旅立ち」
松井義影は、最高の気分で歩いていた。
なぜかというと学校帰りにスーパーでガムを買ったからである。中でもお気に入りのボトルガムを買った。
義影はガムがとても好きだった。噛むと口の中で甘い味が広がっていくのがたまらなく好きだった。味がなくなった後に、ひたすら噛み続けることも嫌いじゃない。ずっと噛んでいると幸せな気分にしてもらえる。
あまりに浮かれていたために、両親に夕飯に使う豆腐を買っておくように言われたことを忘れていた。
「まだ家に着いていないけど一個食べるか」
スーパーのある街から少し離れて、一軒家がポツポツとある以外は田んぼで埋め尽くされている田舎道にまでたどり着いたところで、邪念が浮かぶ。
買い食いは行儀が良いとは言えないが、ガムの魅力の前では仕方あるまいと考えている。礼儀の神様も許してくれるはず、とまで言ったらさすがに怒られるだろうか。
義影は買ったボトルガムをカバンから取り出して、中に入っているガムを一粒だけを食べる。ガリガリと噛み砕くと口の中に甘い味が広がって、全身が満たされる。葡萄味のガムだった。
「やっぱりうまいなぁ…」
しばらくして、ガムの味が無くなってきたところで、ふと思った。
フーセンガムをやりたくなった。だが食べているガムは小粒だ。もう一つか二つ追加で食べてガムの量を増やさないとフーセンを作るのは難しい。だが義影は「ガムの達人」である。
何事もチャレンジ精神が大事である。途方もない鍛錬の果てに、義影はこの小さなガムでもフーセンをつくることができるようになった。
「ふーっ」
口の中に含むガムに空気を送り込んで膨らませる。
すると、ガムは上手く膨らんだ。きれいにフーセンの形になっている。まるでこのガムはフーセンガムをつくられるために生まれてきたのだといわんばかりだ。
(こんなに上手く膨らませたのははじめてだな…やった!さすがガム!いいぞいいぞ…!)
感動する義影だったが、直後にその感動は動揺に変わる。
空気を送り込んでいないのに、フーセンガムは膨らみ続けるのだ。明らかに元の質量以上の大きさのフーセンに膨らみ、義影の身体ごと浮かせる。
(あっ、おっ、ちょっ……それはやりすぎじゃないかガム……というかおろして)
あらゆるガムの可能性を知る義影にとっても、こんなことは今まで一度もなかった。今の状況は「ガムの達人」ですら前代未聞の事態なのだ。
ついには気球と同じぐらいの大きさにまで膨らんだフーセンガムは、義影を持ち上げて飛び立ち、空中をふらふらと散歩する。義影は口からフーセンガムを離して飛び降りようとするが、口にぴったりとくっついて離れない。
(これはいったいなに……家に着く前にガムを食べたから礼儀の神様が怒ったのか!?それともガムの神様が…!?)
鼻で呼吸をしながら、頭で状況を整理しようとするが上手くまとまらない。
義影の買い食い計画は突然思いついたことながら完璧だった。誰にも目撃されないように、ほぼ人気のない田舎道で買い食いしたのだ。だからこそこの危機的状況である。助けを求めようにも周りに人がいない。
義影は何もすることができないでいたが、状況に動きが見えた。いや動きが止まったというべきか。暴走しているフーセンガムが動きを止めたのである。まるで壁にひっつくガムのように。
ようやく暴走が止まってくれたかと思うが違った。ガムはそれでも動こうとグニグニもがいている。これはガムにとっても想定外のことなのだろうか。
―――本当に空中にひっついてしまったのかもしれない。
とりあえず義影はそう仮定し、動きが止まっている隙にガムから離れようとするが、やはり一向に離れることができない。ブンブンと力強く頭を動かす。
すると目の前に裂け目のようなものを作り出してしまった。義影が無理に動こうとしたことで空間が破れてしまったようだ。ガムでそんなことができるとは聞いたことがない。
自分が噛み続けたことによって超常現象を起こすガムに進化してしまったのだろうか。それともまったく別のことが原因か。いずれにせよその原因を考えている場合じゃない。そんな中で義影は、こう思った。
(でもすごい!!俺はガムの新たな可能性を見たんだ!!)
感動していた。ガムの研究者にとって歴史的瞬間に立ちあえたのである。将来の夢がガムの研究者である者が感動しないわけがなかった。
涙をぐっとこらえる義影は、ガムとともに裂け目へと引きずり込まれていった。
これが松井義影の異世界冒険物語の始まりである。