明日には希望があった
創也は帰る馬車の中で最後に言われたことを思い出していた。
「なんで神託を無視した人間をあそこまで信頼しているんだ。」
「ご主人様、そろそろ到着です。」
「ああ。」
御者の男が言った通り窓からも屋敷が見えてきた。兄が住んでいた頃は今よりも広かったのだが、僕が領主になってからは他の最高貴族から不利な条件をつきつけられ、搾取される一方だった。
僕が死んでいった兄を恨んでいる理由の一つかもしれない。
ガタンと音がして馬車が止まった。
「到着しました。」
「ああ。」
ゆっくりと馬車を降りて御者の男を見る。…この男は確か、兄が自称正義の味方を始めた頃からずっとこの仕事に就いていたはずだ。
「……一つ質問したい。」
「何でしょうかご主人様?」
御者の男は振り返りこちらを見た。
僕の頭の中では黒野さんの言葉が何度も訴えかけていた。
「兄さんは…あんたから見てどんな人だった。」
兄を知れと。
それを聞いた御者は口を開けたまま硬直していた。
「おい、どうした。早く答えろ。」
「…あっ、いえ。えっと…はい。答えます。
渡様は、とても不器用な方でしたよ。」
御者は創也を優しい眼差しで微笑みながらそう言った。
僕はその後も、昔から仕えている家中の者に同じ質問をしてまわった。
その結果として分かったことは、周りから見た兄と僕から見た兄が全く違うことだった。
周りから見た兄は、不器用で泣き虫で貴族という言葉がとても似合わない男だったそうだ。
そんなはず無いだろ!
15歳で家督を継ぎ、今よりも広大な領地を維持していた兄がそんな弱い人間のはずがない。
もしも兄が皆の言うような人間だったとしたならば尚更、神託を無視するとは思えなかった。
「…遺品に何かがあるのか?」
僕は家の者との考えの相違の原因を考えることにした。僕は兄が死んだことを受け入れられず、葬儀には出席しなかった。その後も兄が使っていた書斎の前をなるべく通らないように生活している。兄が死んでからは、一度も出入りしたことはなかった。
僕の足は書斎へと向かっていた。
兄は完璧で、僕にだけは笑った顔を見せたことはなかったが、自称正義の味方の仲間に対する気配りは僕の憧れの貴族像そのものだった。
だから僕は兄に死んで欲しくなかった。死んで欲しく無かったのだ。
向かう足の一歩一歩に躊躇があった。
十五年ぶりに向き合う時が来た。受け入れなければならないと分かってはいるが、ずっと逃げ続けてきた。
そして書斎の前に立ちドアに手をかけた
「…黒野さん、恨みますよ。」
そうして創也はドアをゆっくりと開けた
脇の本棚には並んでいた本や資料は一冊も無く、ただ正面に昔のままの高級デスクだけが残っていた。
デスクには、十五年の刻を思わせる大量の埃が積もっていた。
僕はデスクの埃に少しの凹凸があることに気づいた。近寄って凹凸の部分の埃を、持っていたハンカチで手が汚れないように払うと…
「これは…?」
埃の下から一冊のノートが出てきた。
手に取ってみると埃で見えにくくはなっているが、表紙には兄の筆跡で
『朱音、帝、創也以外が読むことを禁じる』
と書いてあった。
ノートは時が経ったせいで端々が黄ばんでいた。創也は慎重に一ページ目をめくった。
『14歳、四月十七日、一昨日から夢で神託が聞こえるようになった。神託に言われたことが昨日起こった。気味が悪かった。聞こえるようになった要因としては、一昨日、加護が15%に至ったことが考えられる。そんな理由で今日からは毎朝、俺が思っていることを日記につけることにした。』
それから一年程の内容は加護が16%になったこと以外は特に変わりは無かった。
『15歳、四月六日、昨日から上級魔法高校に通うことになった。クラスには友達になれそうな二人がいた。これからの日々が楽しみだ。追記、加護が17%に至った。』
それからは三人で過ごした一年間の軌跡が記されていた。その間にも兄の加護の力は18、19%まで上がり、高校最強の座に登り詰めていた。この一年は、力の内容や神託は追記という形で本文が大半を占めていた。まるで、ただの少年の日記になってしまっていた。
『16歳、四月十五日、昨日、朱音にこの学校の一学年下に創也が登校している事をうっかり喋ってしまった。朱音は創也を強引に連れてきて俺らの輪の中に加えた。あまり関わって欲しく無かった。追記、身体に異常が起き始めた。時々、攻撃してきた武器が目の前で消える現象が起きるようになった。昨日の神託は「これ以上強くなるな」という忠告の一言だけだった。しかし俺は強くならなければならない。』
「この日は朱音さんがいきなり現れて僕を連れていったっけ。」
こうして、仲間は四人になり……
ついに運命の日のページを開いた。…兄さんが死んだ日だ。
『八月二十二日、俺は明日殺されるらしい。』
最後のページの一行目は衝撃から始まっていた。
「…嘘…だろ。」
僕は今までの人生で一番の驚きを見せた。一瞬、呼吸が止まったと錯覚した。
『今日の神託は言われたままをここに記しておく。
「お前は今日、主神ゼウスに目をつけられ明日に殺される。お前の仲間三人を盾にすることでお前だけは日を跨いで死ぬ。」
俺はこの神託を聞いたとき、…初めて抗おうと思った。死ぬのは怖い、だけど死ぬことが怖いわけじゃない。俺は、神託の中でお前達を道具のように切り捨てて逃げる俺が怖いんだ。
今まで神託を裏切ったことはない。だけど、こればっかりは裏切るしかないと思う。だから、皆を騙して
俺は今日、一人で死ぬことにした。』
「嘘だって言ってくれよ…。……僕達が死ぬなんて聞いてないよ…兄さん…。」
読み進めるにつれて、呼吸がどんどん苦しくなっていく
『朱音には呆れられるかな、帝は獣化してるかもしれないな、創也はきっと……拗らせてるよな。俺は理解不能に見えるだろう。当たり前だ。お前らから見れば俺は一人で神に向かって死にに行く馬鹿野郎だからな。』
「…本当に……理解…不能…だよ…兄さんっ…。」
不意に涙が溢れてきた。多分、黒野さんがこのノートをデスクの上に分かりやすく置いていったのだろう。仲間内で真実を知らないのは…僕だけだった。
『そして、これをお前らの誰かが読んでるってことは俺は神託を裏切れたことになる。つまり俺は俺の誇りを守れたってことになる。お前らは俺にとって、最初で最後で最高の友人だった。今まで世話になった、ありがとう。
創也、お前には…自由に生きて欲しかった。
貴族の責務に囚われず、暗闇なんて存在しない世界で。そのために強くなって、家督を継いで、裏社会を取り締まり続けて、全部我慢してきた。あと一歩だった筈なのにな…強くなりすぎちまった。加護の力は20%を超えると神々が恐れて殺す対象になるらしい。
中途半端でいなくなる俺を許してほしい。』
「…嘘だ、嘘だ…こんなの嘘だ!…俺はそんなこと……一度だって…頼んだ覚えは…ないだろ…。」
そんな筈はない。兄が僕のために努力していたなんて、そんなこと絶対にないと思った。だけれど、このノートが事実だと考えたとき辻褄が会うことがあった。
兄は頑なに僕を自称正義の味方に加えようとしなかった。最終的に黒野さんが多数決で決めたことに対して何度も言いがかりをつけ続けて結局保留になったままだ。
あそこまで食い下がろうとしない兄の姿を僕は見たことがなかった。
「そんなに想ってくれていたなら…一言でいいから言ってくれればよかったじゃあないか……。」
そう呟いたとき、御者の優しい眼差しが浮かんだ。「とても不器用な人でしたよ」
「不器用にも程があるだろ……こんなの気づく筈ないだろ…ふざけてる……うぅっ…うわああぁぁぁぁ…。」
僕は年甲斐もなく一人で泣いた。
ノートの上に涙をぼたぼたと流し続けた。後ろのページのインクが滲むほどに。そのことに気づかずに三十分程泣き続けた後
「……続きが…あるのか?」
頭の整理がついた僕は、兄さんのことを知らなければいけないという使命感に駆られていた。
創也は恐る恐る涙が滲んだページをめくった。
『俺は、お前達のいない明日より、お前達が生きている明日を見たかった。
その景色は、抗うには充分過ぎる美しい景色だった!
つまり、お前らが俺を抗わせたと言っても過言じゃないってことだ。俺は怒ってるよ、めっちゃ怒ってる。
だからせめて、俺の怒りが薄れた頃に……こっちに来いよ。
その時には、お前らが見た景色を教えてくれ。きっと美しい三つの景色を。』
「これを死ぬ前に書いたって……僕をデフォルメし過ぎだよ…。」
僕の見ている景色に美しいものなんて一つもない。二つの景色の間違いだろ…。
僕の景色は、いや……僕は美しくない。
こんな単純なことを十数年も引きずって、全部兄さんの所為にして一歩も前に進めていない。
「僕に…皆の仲間でいる資格は…無い。」
そう呟き創也はノートを閉じた。
『ーーーーーーーーーーー』
…………。
それを見たとき、変わらなければならない。ただそれだけを思った。
性格も口調も力も何もかもを、次に会うときにはあの三人に顔向けできるように。
創也は潤んだ瞳からカラーコンタクトを取り出し澄み切った青色の瞳を露わにした。
創也は泣きながら書斎のドアを閉めた。
「恨むよ……兄さん。」
決意に満ちたその顔は、とても優しい笑顔だった。
書斎のデスクの上には一冊のノートが置いてある。埃まみれのデスクに、今まで下向きだった面を上にして。ノートの裏面には大きく
『親愛なる三人の仲間達へ』
読んでくださりありがとうございます。