母はハイエナ
その後、両親のもとに別れを告げた。
両親とは投獄される直前から今までの一年間、一言も言葉を交わすことはなかった。
だから正直怖かった。どれだけ非難されるんだろうと五発ぐらいは殴られることも覚悟していたけれど、半年ぶりに実家の戸を叩くと、弾んだ声で母が扉を開けた
「和、一年ぶりかしら。大きくなったわね。」
母は一年という期間で、かなり痩せ細っていた。
元々体型は痩せ型だったが、さらに痩せて顔の頬骨の出っ張りがはっきりと見えていた。姿は少し変わっていたが、昔からの明るい雰囲気は何一つとして変わっていなかった。
家は変わらず庶民的な和風建築で、とても居心地がいい……はずなのだ。
しかしリビングでは、村の大人たちが十数人、顔に笑顔を張り付かせて屯っていた。一度も見たことがない者もちらほらいる。恐らく創也さんが何度か家に訪れたのだろう。家の中の大人たちの目は、おこぼれを狙うハイエナのそれだ。
「お母さん、一年前は本当にごめんなさい。何も言わずに捕まったりして。」
僕はまず、母に投獄されたことを誠心誠意謝った。母は
「それだけ謝意があるのなら、あんたはアタシの自慢の子だよ。それよりも、無切様の所でも頑張っといで。あの方からは大金を頂いたんだ。その金で三ヶ月前からずっと飲み食いしてるのよ。あと、父さんは和の顔を見たく無いって出て行っちまった。少なくとも今日一日は帰ってこないよ…。さぁあんた達!準備ができ次第、今日も飲みまくるわよ!」
僕の謝罪を軽く流して背を向け、ずっと高笑いをしていた。
その言葉に誘われたように大人たちは母の周りに群がった。
母も結局は金に目が眩んだハイエナに変わりなかった。僕は殴られてもいいから、少しぐらい心配して欲しかった。
その後からは一日中馬鹿みたいなお祭り騒ぎだった。知らない者や、少し顔を見たことがあるような者たちと僕の家で食卓を囲んだ。知り合いが一人もいないことが逆に不自然でもあった。
一年ぶりの僕の家は、どこか歪んでしまっていた。
僕の最低な故郷への凱旋だった。
夜になり、皆が床で眠り転げているなか、僕は自分の部屋に移動して、風呂に入り寝巻きに着替え、一年ぶりでもきちんと整えられていたふかふかなベッドに身体を預けた。
瞳を閉じたときには、もう目の前に黒い影はいた。
『…アイツも酷だな……。…おい、我に何か聞きたいことがあるのではないか和よ。』
「…あなたの名前は?」
『我の名か。ようやく聞いてくれたか、一年待ったぞ。……我の名はクロノス!
我は約200年前、地球箱庭化計画を阻止すべく単独で立ち向かい……息子たちに返り討ちにされた神!!』
「……え?実は神様の中では弱い方なんですか…僕の中にいるクロノスさんって。」
『いやいや、侮るなよ。一対一なら我は息子のゼウスの次に強いぞ!No.2だ。』
「じゃあ侮られるような自己紹介をしないでくださいよ。」
『いや、そうではなくてだな…我は他の神達とは考えが違うのだと言いたかったのだ。』
「じゃああなたは、もしも箱庭化計画を阻止できていたら僕たち人類をどう管理するつもりだったんですか?」
『そうだなぁ……、きっと管理なんかしないのではないか。それでは箱庭と何も変わっていないではないか。……それに我、リーダーシップ無いから管理出来ないしな!』
「最後のは神様として大問題なんじゃ無いですか?カリスマのない神様って。」
『そんなことはないぞ。我は他を導いたことなど一度もない。ただ己の加護一つで限界まで突き進んだだけだ!我は戦えれば満足な猟犬だったからな。』
「そうですか。ところで、この空間は本来の夢とは違うんですか?」
『ああ、…ここは「神託領域」だ。我はこの空間から和の目を通してあらゆる情報を得ている。眠ってから夢を見ずにこの空間に来ているのは和が我に頼んだからだろう。』
「…ああ、そういえばそうだった。……じゃあ最後に、あなたの加護の力を教えてくれませんか?」
『…我の加護は、和が最初に使った力……
時間の巻き戻しだ。』
そうして夜が明けた。
翌日の早朝に、創也さんを乗せた馬車が迎えに来た。…にもかかわらず僕を送り出す人間は一人もいなかった。
昨日のお祭り騒ぎで酒を飲みすぎたのだろう。母も畳の上で酔い潰れていた。実の息子をなんだと思っているのだろうか。
僕は最後に家に一礼して、無言で出て行った。
「……元気でね。」
家の中から微かに…聞こえた気がした。
流石に僕でもわかるくらいあの家には大量のお金がばら撒かれていた
「おい創也さん、あんたうちの親にいくら渡したんだ?皆ハイエナみたいになってたよ。」
「うーん……1000万ユールくらいだな。」
「それってどのくらいなんだ?」
「えーと…。一人の農民が一生働いて150万ユール位だから、大体家族3代ぐらいは働かずに優雅な生活ができる額だな。」
そんな軽々と出した金額に俺は絶句した。
「僕を…僕を……あの家で暮らさせてくださいお願いします何でもしますから!」
「あのね、別に暮らしても構わないよ。でも、あの1000万ユールは和の価値なんだよ。だから和が家に帰りたいと願うなら1000万ユールと交換だ。さて……和は家に帰れるのか!次回!和、無切家の養子になる。」
大の大人が決め顔で顔にピースを添えて「もう帰れねぇぞ」という圧を送ってきていた。
僕はもう抵抗する気力を無くした。
「ああ…それと最近、加護を使って和を殺したっていう貴族の領地が剥奪されたそうだよ。なんでも、一年間、無償で捜査に協力していた夫婦がいたんだとさ。」
三ヶ月前のことだった。
家の前にやたらと豪華な馬車に乗った男が私の家に訪問してきた。
「お久しぶりです黒野さん。あ、いや今は平でしたね。」
「おお…創也か、久しいな。黒野で構わない。…元気にしてたか。」
訪問客は夫との結婚式以来十一年ぶりに会う昔の友人だった。
話したいことは山程あったが、相手はそんな話ができるような面持ちではなくいたって真剣だ。
「……昨日、神託が聞こえました。」
「お前にも聞こえるようになったか。…夫も呼ぼうか?」
「帝さんにも会いたい気持ちはあるのですが結構です、用件はすぐに済むので。」
「そうか、じゃあ話してみろ。」
「では…まず三ヶ月後の今日、黒野さんの息子を僕が出所させてここに連れてきます。」
「………は?…和に会えるのか!」
はしゃぐ私を突き落とすように創也は青く冷たい瞳で
「ええ会えます。ですが絶対に突き放してください。」
「………何故だ?」
「…僕の養子にするからです。」
理解が追いつかなかった。養子にする?突き放せ?それではあまりに残酷すぎるじゃないか。
一年間冤罪で投獄されていた和を労うことが出来ないのならば、この九ヶ月の闘争の日々をどう話せばいい。
「突き放す理由は、あなたも知っているでしょう。10%とは言え、自分が使っていた加護の弱点ぐらい。」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。頑張ったのに、もう少しだったのに!もう少しでちゃんと無罪で出所させてあげられたのに!!
「あなたたちの加護は他人のために使うと『数字』の消費が倍になる。それがあなたの数字が『0』になった大きな理由でしょう。だから、あなたの息子は他人に対しての情を持ってはいけない。他人を助けてはいけない。」
「……何が……何が弱点だよ。あの子は他人を思いやれる優しい子だ。私の息子なんだ。そんなあの子から優しさを奪って利用するのなら…兵器とどう違うって言うんだい!…私は、力ずくで止めるよ。」
言いながら私は両腕を前に構えて臨戦態勢をとった。しかし微動だにせず
「……神託は絶対なんです。」
創也は冷酷に告げた。
私達は、神託の絶対性を怖いほどに知っている。
17年前、私は無切の兄弟と夫の帝と裏社会の人間の取り締まりを生業とした、自称正義の味方をしていた。
裏社会にはルールが無く、人を殺せるほどの加護が容赦なく飛び交っていた。そんな奴らを取り締まる中で、私達は幾つもの死線を潜った。しかし無切家の長男、渡さんの神託の通りに動けばどんな死線を潜っても誰一人として失敗することはなかった。だが15年前のある日、神託に背いた渡さんは……神に目をつけられ、私達の目の前であっけなく殺された。
「あんたは……つまらない男になったね。」
臨戦態勢を解き、黒野は軽蔑した瞳で創也を見る。
「僕は……兄さんの様にはならない。」
創也は神託を裏切れない。自分が渡さんの二の舞になることを恐れて。
そんな創也の姿を見て
「くだらないね。今のあんたはどう頑張ったって渡さんのように強くはなれないよ。」
「強い?…一体何を言っているんですか、いくら強くても兄さんは神託を破って死んだ大馬鹿者に変わりないですよ。」
それを聞いた黒野は憤慨して
「ああそうだよ、そうだとも!渡さんは確かに死んだ。だがね、あの日の神託は間違いだったんだよ!」
「間違いって…何が?」
「創也はまだあの日の神託を信じてるんだな……もう一度神託の内容を話してみな。」
「あの日は確か…『明日、神が殺しにやってくるが、4人で協力して逃げれば生き残れる』だったでしょう。なんで兄さんが伝えた当日に死にに行ったのか理解不能です。」
言い終わった創也に黒野は近づき
バチン!!と清々しいほどの快音が鳴り響いた。
私は創也の頬に渾身のビンタをかました。
「理解不能だと思うなら…頭を使って考えなさいよ!あの大馬鹿者のことを……もっと考えてあげなさいよ!!」
「兄さんのことを…考える?」
創也は叩かれた頬を押さえながら動揺していた。
ビンタの音を聞いた近所の人達が遠巻きからこちらを怯えながら見ているのが見えた。最高貴族を引っ叩いたのだから当然の反応だろう。
「神託はそれで全部か?」
「…はい。」
「……創也、最後にひとつ頼みがある。」
私はね和、あんたのしあわせを願ってるよ。
「一人だけでいい、…息子が信頼できる人間を使ってやってくれ。それだけ誓ってくれるなら、謝礼金なんて1ユールもいらないさ。…頼む。」
私は土下座をした。頭を地べたに擦り付けた。初めての経験だが、何かに突き動かされるようにすんなりと身体が動いていた。
「…神託を破れと?」
「ああ、そうして欲しい。」
「理解不能ですね。」
「……そうか。」
私は立ち上がって創也の黄色の瞳を見る。
「私にもな…理解不能だったことがある。
…14年前、夫を蘇生して加護を『6』使って『0』になって消えたときだ。万能の力が、私の存在価値の殆どが無くなったと言ってもいい瞬間だった。後悔はしたさ。…でも、それよりも私は嬉しかった。なんでなんだろうな、そのときは私にもわからなかった。」
「…本当に理解不能ですね。力を失って嬉しいはずがないじゃないですか。」
創也は飽き飽きとした顔でそう言った。
「私も全くもって同感だ。」
創也にその通りだと頷きかける。
「……でも、一つだけ言えることがある。
今の私は、あの日夫を助けたことを後悔してないよ。私の人生の誇りだ。自分が6回生きていることよりも大事な、一緒の時を生きてほしい人がいたんだって胸を張って言える。」
今も奔走してるであろう夫を想いながら黒野はあの頃を思い出すように笑った。
その顔が創也にはとても眩しく見えた。
創也は顔をしかめながら
「……何が言いたいんですか?」
「今からでもいいから、……あんたは渡さんとちゃんと向き合うべきだってことだよ。」
その言葉を最後に創也は黒野に一礼した後、一度もこちらに振り向くことなく馬車に乗り帰っていった。
「和が貴族の子供かぁ。……なら尚更、将来の汚点にするわけにはいかないね。」
そう呟き黒野…いや、平朱音はリビングに散らばった夥しい量の書類に向かいあった。
まるでハイエナのように。
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