『私は湯船のインド人』
21:00頃。
ずっと自分の部屋で動画を観ていた俺はスマホの充電が切れかけていたので、充電器を挿しながら音楽を聴いて少し横になることにした。目の奥が痛い。俺は今時のシャカシャカした音が耳障りで嫌いだ。だからといってゴテゴテのクラッシックも苦手。だからバイト先の仲間と話を合わせるのに一苦労する。美咲は一体どんなジャンルの音楽が好きなのだろう。俺と趣味が合えばカラオケにも誘ってみたいところだ……マイナーな歌手の曲ばかり歌ったら引かれるだろうか……
お、丁度俺が好きな曲のサビに入る直前で美咲からのメールが来た。件名を見ると帰宅後二度目の小説メールだ。どれどれ……
*********************
件名:『私は湯船のインド人』
ゆずの香るインダスの中に私はいる。ぴんくのターバンを巻きながら聖なる川から立ち込める霧と共に空を飛んでいる私。なんて心地が良いことだろう! そしてどこか懐かしさを感じる音を聴きながら、また禁忌の本を見ながら私はこう唱える。
「アブラカタブラ!」
声がこだました。それも心地が良い。
インダスから出ると、そこには聖水の儀式やら北風やらが待っている。忘れないで欲しい。私は湯船のインド人。出来ることならずっとお風呂に入っていたい。長い髪を保つのも大変なのよ。
――完――
*********************
……美咲はメタファーの達人だなぁ……というか風呂の中で何をしているんだ。でも、音楽の趣味はどこか合いそうな気がする。禁忌の本とはいったい……ええと、インダス川はおそらく湯船。ゆずの香りの入浴剤を入れたのだろう。「聖水の儀式」は美咲がよく小説で使う単語で、化粧水や乳液などを塗ることだ。そのおかげか、彼女からはいつもいい香りがする。本人曰くシトラスの香りだそうだ。そんな美咲に相応しい彼氏になれるように俺もスカルプチャというものをつけてみたが、彼女は気に入らなかったらしいのでやめた……と、そんなことよりも返信をしなければ。
「幻想的な世界観をよく描けています。さすが美咲さん」
彼女からの返信は俺がメールを送信してから15分ほどしてから来た。
「湯船は青かった」
(え?)
インダスはどこへ。あれだ、「地球は青かった」的なシャレなのだろう。わかる、わかるぞ美咲。湯船に浸かりすぎてのぼせたんだな。ゆっくり休んでくれ。俺と美咲は再び通話して過ごしていた。そうこうしている内に時計は23:00を刻む。そろそろ俺の両親が帰って来る時間だ。名残惜しいが彼女との通話はここでおしまいか。すると、切り際に美咲は七夕をテーマに今日最後の小説メールを送ると言った。これはよくあること。どうせ眠れずに動画を観るなら彼女の小説を見るほうが楽しい。段々そう思えるようになってきた。
あれ、俺。美咲色に染まってないか。