『幽霊の恵み』
食券機の前で何度も反応しないボタンを押し続ける美咲。というのも、彼女の好物であるふわふわオムライスの定食が売り切れていたのだ。
「諦めましょう、美咲さん」
「……命の代償は重いわよ……」
美咲は恨めしそうに玉子丼のボタンを押す。普段は虹のようなオーラを纏った彼女が、このときだけはどす黒いオーラを放っていた。これは食後の小説に影響するな。絶対。美咲と俺は料理が出来上がるのを待った。俺が頼んだのはいつものササミカツ定食。特別好きなわけではないが、安くて腹が満たされるなら何でも良い。厨房からは様々な料理の香りがしてくる。フライパンが米を躍らせる音や冷蔵庫を開ける音。大量の具材を切り刻む音。それらが一つの無駄もなく聴こえる。食堂の仕事は大変だなぁ……なんて思っていると、俺達のお盆に出来立ての料理が乗せられる。
「これは身の毛もよだつ復讐の物語」
美咲は玉子丼を席に運びながら、ブツブツと何かを言っている。機嫌が悪い事は分かった。今は少しだけ黙って様子を見よう。向かい合って椅子に座る。その表情たるものや。きりっとした目で、出来立ての玉子丼を睨んでいる。そしてレンゲでぐっちゃぐっちゃと荒く玉子丼をかき混ぜる。行儀が悪いと感じたが、彼女は決してクチャラーではない。これも小説を書くための儀式なのだろう。
「できたわ」
食後10分足らずで書き上げられた美咲の小説。一体どんな内容なのか。俺は渡されたレポートパッドをそっと受け取って、出来立てほやほやの小説に目を通した。
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『幽霊の恵み』
月が陰る不気味な道でひっそりと歩くお腹の出っ張った女がいた。しかし彼女には足が無い。そう、女は幽霊だったのだ。そんなことなど知りもしないある一人の女性が女に
「大丈夫ですか?」
と声をかける。すると女は獣の鳴くような声で突然
「産まれるぅううう!!」
と叫び始めたのだ。女は女性にしがみつきラマーズ法を始めた。
「ひっひっふー、ひっひっふー!!」
「ひやぁああっ!」
産まれて来たこどもは人型ではなく美味しそうなLサイズの卵だった。
「いただきまーす♪」
女性は産まれたての新鮮な卵を丼にして食べた。女の幽霊は物悲しそうにその場を去って行ったということである。
――完――
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美咲は怒っているのか、それともあまり頼まない玉子丼の味に満足しているのか。俺にはわからない。しかしこの小説のジャンルだけは分かる。ホラーだ。だってほら、幽霊が出ているじゃないか。
「夜中にこんな女が出たら怖いですよね」
「その後女性は食中毒で亡くなるのだけれど、仁司はこの謎が解けたかしら」
「え?」
……あれ。もしかして推理ものだったのか……おっとそうだ。今日はこのあとコンビニのバイトが入っている。俺がその事を話すと、執拗に引き止めることも無くただ
「頑張ってね」
と笑顔で言ってくれた。その優しさのおかげで、重たい飲料の補充や面倒くさい陳列、そしてさらに面倒くさい先輩の近藤という男からの嫌味に耐えることが出来るんだ。感謝してるぞ美咲。そう思いながら俺はバイト先へ向かった。




