読点(、)が気になって、執筆出来ないって言ったら、笑う?
こういう細かいマナーみたいなの、気になりだすと、止まらなくなりますよね。
私は、頭を抱えていた。
かれこれ一か月、連載小説の筆が進んでいないのだ。
一年前までは、日次更新が当たり前。三か月前でも、週一、二回の更新を守ってきた。自分でも、それを誇りに思い、ずっと続けていくものと思っていた。
それが、今ではどうだ。連載どころか、小説を書くこと自体に、すっかり嫌悪感を抱くようになっている。
小説を書くのが嫌になるという経験そのものは、そんなに珍しいことでもない。
文章が定まらない、アイデアが切れた、評価されない。挫折や苦労というものは、ほぼ全ての物書きが経験する道だ。自分自身、何度も壁にぶち当たってきた。
その度に、やる気を引き出す方法を学び、他者の声援を受け、文章やキャラ造形に磨きをかけてきた。
結果として、今の自分がある。だから、小説を書くことに関しては、自信を持っている。いや、持って「いた」。
しかし、今回ばかりはお手上げだ。こんな状況では、小説は書けそうにない。
書き貯めた短編小説をぼうっと見るのが、精一杯だ。勿論、手を加えることは出来ない。
誤解を招かないよう補足するが、今だってアイデアはあるし、待ち望む読者もいる。本来ならば、さっさと連載小説を投稿してしまうところだ。
何故、書けないか。そうしたら最後、虎の子の連載小説は、塵ほどの価値もない、暗号へと変貌するからだ。
夥しい数の悪文に塗れた、「実験小説」へと。
・
読点が気になったのは、半年前のこと。
連載小説の最新話を書き終え、投稿前の確認をしようとして、おや、と思った。
文の一節が、妙に長く見える。このままでは、読みずらいのではないか。
私は少し考えた後、読点を加えることにした。
ありふれたことだと思われるだろう。当時の私も、そんなに気に留めてはいなかった。
だが、今から考えると、この時点で怪しむべきだった。私は誤字脱字、文章の内容などは修正してきたが、句読点までは見てこなかった。文の終わりに付ける句点(。)はともかく、文中に付ける読点(、)は特に制約があるわけでもないからだ。
読点とは「間」を表すそうだが、最適な「間」に個人差があることは、言うまでもない。プロの小説家でも、作家ごとに読点の頻度は違う。極端な数にしたり、文章の構造上の問題さえなければ、どう付けようが問題はないはずだ。
ともかく、少しばかり読点が気になったが、すぐに忘却し、無事に連載小説は投稿された。
この時は二、三日に一度の更新ペースだった。日次更新は出来ていないが、それは時間の都合によるもので、相も変わらず筆は乗っていた。
本来ならば、半年後の時点で連載小説は完結していた。そういう算段だった。物語のクライマックスを創造する、最も楽しい時期になる、はずだった。
・・
それから一か月が経過した。相も変わらず、文の長さが気になるのは変わらない。
しかし、付加する読点の数は、せいぜい二、三個といったところ。数千文字の文章に比べれば、誤差のようなものだった。
相も変わらず、小説を書くのは楽しい。
うきうきしていた私は、連載小説とは別に、一話限りの短編小説を作ることにした。まあ、悪ノリが過ぎたと言い換えてもいいが。
タタタ、とキーボードを打つ。高いテンションが産み出した代物なので、特に細かい確認作業などはしなかった。
投稿をしてから数日が経った。ちょうど仕事が多忙となり、その間は確認が出来なかった。ログインしてみると、数件の感想が上がっていた。
その中に一件だけ、妙な感想があった。それは、常連のユーザーからであった。
「この小説は読みやすくて良い。『ダスク戦記(連載小説の名前)』は内容は面白いが、最近、文章が読みにくいので」
文章が読みにくい?
文体を変えた覚えは、全くないのだが……
どうもはっきりとしない為、連載小説の最新話と、短編小説を見比べてみる。
私は目を見開き、愕然とした。
読点の数が、倍近く、違う。
・・・
違いは、歴然であった。
同日中に書いた作品の間で、ここまで、差が出るものだろうか。
改めて見てみると、ダスク戦記の文章は、「一文節に、一読点」と呼べる程、読点の頻度が多い。
これでは読む側も、気が散って堪らない。一つの文章を読む度に、幾度も小休止が、入ってくるのだから。
私は慌てて、過去の分も見直すことにした。
結果は予想通り、悲惨極まるものだった。直前の数話分は、最新話とほぼ変わらない頻度である。
その中には、主人公を庇い、主要人物が死亡する場面も含まれていた。以下、三行のみ抜粋する。
◎
「勇者よ、強く、生きろ。私は、そのために、盾に、なるの、だから……」
そう言って、王国の重鎮は、眼を、閉じた。むせび泣く、夕暮騎士団の、一派。
彼らの思いを、代弁するか、の如く。血だまりの丘に、突き刺さる、剣が、鈍い光を、放っていた。
◎
何とも思わなかったのが、可笑しくなるような文章だ。
一行目の台詞部分については、まあ、死にかけだから、という理由で説明出来るが、二行目以降はまったく見るに堪えない。
当然ながら、他の部分も同じような文章であり、読者に読ませる気が、毛ほども感じられない。
一体、自分の身に、何が起こったのだろうか。仕事の多忙によって、一時的な錯乱状態にでもなったか。
ともかく、この悪文を早く、修正しなくてはならない。
私は、最新話を編集しにかかった。
・・・・
そこから、更に二か月が経過した。
ダスク戦記の感想欄は、批判まみれとなっていた。
批判の内容は、二点あった。一点目は、当然、文章の読みづらさのことである。
「直す気はあるんですか? 内容自体は面白いので、残念です」
「なんつーか、色々溝に捨ててるよな、作者も読者も。お互いにさ……」
「読点と、ラブホへ向かい、初夜迎え」
感想から察するに、読点の頻度は、更に多くなっている、と、思われる。
見てくれる人物が、着々と減少していることを痛感しているし、この状態が良いとは、とても言えない。
それでも、小説を書くことは、止められないでいた。
物語は終局へ向かい、自分の書きたいことが、そこにはあるのだ。
そこへ到達するまでは、何が何でも、文章を書き続けなければ、ならない。
週に三回書いたものが、二回となり、遂に一回となろうとも。この時には、まだ、私には「熱」があった。
物書きとは、熱意さえあれば、幾度でも、立ち上がれるのだ。
何度も挫けそうになり、それを乗り越えた経験が、私の背中を、押していた。
だが、その励ましも、そう長く持たないことは、薄々、感づいていた。
二点目の批判が、それを物語っている。
「戦闘を銭湯と間違えるヤツなんて初めて見た」
私は既に、文章の確認をすることが、出来なくなっていた。
読点を、追加せずには、いられない。
考えただけで、震えが起こりそうな状態に陥ると、誰が、予想できただろうか。
仮に予想できたとしても、それを他者に、どう説明しろと言うのか。
・・・・・
短編小説に書かれた、「ダスク戦記に読点が多い」という感想を見た時……
私は本気で修正する気だった。あんな読みにくい文章、すぐにでも、直してやりたかった。
だが、いざ修正となった途端、冷や汗が噴き出し、止まらなくなってしまった。
どこを直せばいいのかが、さっぱり分からない。
全体を見通せば、見るからに駄文だ。だが、一つ一つの読点は、必要不可欠のような気がしてくる。不要な箇所が、まるで抽出出来なくなっている。
何をやっているのだ。今までの間、当然のように出来ていたことじゃないか。
焦りと苛立ちで、頭が爆発しそうになる。数十分考えた挙句、机に思いきり、握り拳を叩きつけた。
しかし、真の恐怖は、ここからだった。
比較をしようと、(おそらく正常と思われる)短編小説を見た時、体の中心を、雷撃が走った。
「この、読みにくい文章に、読点を、付けなければ、ならない」
自分自身が、何を考えているのか、まったく分からなくなった。脳内が、真っ白の霧に、包まれたようだった。
気が付くと、身体が勝手に動いており、短編小説のほぼ全文に、読点を、挿入し終えていた。
再投稿のボタンに、マウスポインタがくっついている。
辛うじて、左手で右手を押さえつけ、その場は何とか凌いだ。
しかし、自分が正常ではなくなっていることは、認めざるを得ない。
パソコンの電源を落とし、文庫本を一冊、本棚から取り出して読んでみる。
プロの文章が、薬になってくれることを祈ったが、読点が少なすぎて、苦痛しか生まず、数ページも読めなかった。
・・・・・・
更に、一か月が経過した頃、この異常事態は、仕事にも影響を与えるようになった。
書類を書くのが、きつくてたまらない。以前は、文章を練るのが上手いだなんて、上司に喜ばれたものだが。今となっては、後輩に丸投げするか、過去、送ったものの使いまわしだ。
書類を読むのも、きつくてたまらない。どこまでが文節なのかが、はっきりせず、赤ペンで資料に、読点を追加する。それを後輩が見て、ドン引いてしまうのだ。何を言われるものか、分かったものじゃない。
出退勤も大変だ。電車に乗る時は、短い文章の広告しか見ない。本屋も直視できない。看板も厳しい。
下手すると店名にすら、読点を加えたくなる衝動に、襲われる。
どうすれば、治るのだろう。
最近、家に帰っても、全く面白くない。
ダスク戦記は、週一回書いているが、読点は減らせない、コメントは罵倒まみれ、お気に入り数が減る、と散々な状態だ。
書けば書くほど、こちらのフラストレーションが溜まっていく、泥沼。
やはり、精神科にでも、行った方が良いのだろうか。しかし、「読点を追加したくなる」以外、特に、問題がある訳でもないのだ。
何か、致命的な出来事が、起こりえない限り、向かう訳にも、いくまい。
……。
そう言えば、きっかけとなった、あの短編小説に、感想が付いた。
他の小説にも、同様の感想が付き始めているが、概ね以下の通りだ。
「大丈夫だったものを、自分でぐちゃぐちゃにするスタイル」
・・・・・・・
そして、つい一か月前。
ダスク戦記の、最新話を投稿した。
この時、もう、小説の投稿は出来ないだろうと、思った(事実、ここから一か月、書けていない訳だが……)。
ならばせめて、最後くらいは、まっとうな文章を書きたい。その為に私は、書き終えた後で、読点を消し飛ばす方法を選んだ。
かなり読みにくくはなるが、読点まみれよりかは、幾ばくかはマシだ。
悲しいことに、筆の乗りだけは、依然として、変わることはない。プロットは順調に進み、遂に巨悪が、封印から解き放たれる、場面に移動した。
皮肉なものだった。抗いようのない巨悪の出現に対し、命を賭して、封印の術式を展開する、王国の民達は、さながら、今の自分、そのものではないか。
書いていて、涙がこぼれた。自分では、どうすることも出来ない。書き終えたとて、感慨に浸ることも出来ず、置換機能を用いて、読点をすべて、空へ置換し、速やかに投稿しなければならない。
そして、話に対する評価も、感想も、何も見ることが、出来ない。この話が仮に、すべての批判を跳ね除ける程の、評判を得たとしても、喜ぶことは、決して適わないのだ……
読点がないまま、文章を繋ぐことも出来ないので、必然的に句点(。)を使って、文の切れ目を補うことになる。
結局、休日を丸一日使い、投稿することとなった。
後書きには、「断筆」するかもしれないことを書いた。その理由も、添えた上で。
・・・・・・・・
精神病院へ向かうことになったのは、その翌週のことだ。
自分の意志ではない。
会社の言いつけにより、である。
流石に「読点」に執着する男は、会社のカウンセラー(という名の事務員のおばちゃん)でも、診ることは出来なかったようだ。
医者に、事情を説明してみると、どうも「強迫性障害」と呼ばれる、れっきとした病気らしい。
身体を徹底的に洗わないと気が済まない人、ガスの元栓を何度も見る人、忌み数を嫌悪するあまり、口にすら出せない人……
つまりは、自分自身に「独自の縛り、固定観念」を背負いこんでしまった人のことを指すのだが、つまるところ、私についても、何らかの要因で、過剰に読点を付けないと、文章として、認識できなくなってしまった(と言うより、脳がそう、思い込んでいる)らしい……
更に言うと、この症状は、「嫌だ嫌だ」と思えば思う程、寧ろ、やってしまおうとしたり、重症化するらしい。
抑圧された分、跳ね返った際の衝撃が、大きくなるという仕組みのようだ。
つまり、あの、至極まっとうな指摘達ですら、読点の増加に対して、「貢献」をしていた可能性が高い。
まあ、ともあれ。正式に、小説の「断筆」命令が出た。
原因は、断たれなければならない……
それからは、ずっと、「リハビリ」の毎日だ。まずは、自分の状態を、自分自身で認めることが、寛容なのだと言う。無理に拒絶するのは……
いけない。
新聞を、読むようにもした。それも、音読で……だ。
読点というのは「間」なので、音読することで、普通の文章の「間」が、しっくりくることを、体で覚えるのが、目的だ。
投薬治療も、併せて行った。
禁忌の情報が入る(私で言えば、読点の少ない文章)ことによる、過度の拒絶反応……俗に言うパニック、を防ぐための、薬である。
最終的には、この一か月で、かなりのところまで、「改善」が見受けられたのは、この文章を読んでいただければ、分かることのように……思う(それでも、途中、不自然な読点が、入っている。申し訳ない)。
・・・・・・・・・
そして、今に至っている。
なんて事はない。何も、上手くは行っていない。
そんな中、私が、この短編小説を、世に出そうと思ったのは、二つの理由がある。
一つ目は、あの長編小説「ダスク戦記」について、色々と感想が書かれており、是非とも小説執筆を、続けてみたいと、思ったからである。
「断筆」をする、という後書きを書いた時、当然、怒りの声、戸惑いの声があった。
「お前!ふざけんなよ!ここまでの時間と労力!期待を返せ!!」
「『読点を減らせない』が理由って……猿でも、マシな理由、考えるぞ?」
「三週回って、逆に斬新だな、オイ!!」
私はそんなに、傷つかなかった(それでも、傷ついた)。
ご迷惑をかけたことは、間違いなく事実だ。事情を分かってくれ、だなんて、微塵も思わない。
終盤を迎えて、大団円への道筋も、頭に入っているが、こんな文章で載せるのならば……
意味など、ないのではないか?
面白い、面白くない以前に、受け入れられることすら、危ういではないか?
そう思って、私は、感想を読み進めた。すると、ある感想の文章で、マウスが止まった。
「読点まみれだからって、なんだ!!こっちで補完すれば、いいだけの事だろうが!!その苦労を乗り越える程の面白さが!!ここにはあるんだよ!!」
この半年。私は、涙を幾多も、流した。
だが、この涙は……唯一の、嬉し涙だった。読点が、文章の邪魔をしていて、それのせいで、誰も……小説を真正面から、見てくれないとばかり、思っていた。
でも、違ったのだ。数多くの読点が産み出す「沈黙」を超えて、読み進める人物は……確かにいた。
この人の為にも、私は小説を書きたい。
書かなくちゃいけない、なんて、義務じゃなくて、
「書きたい」という欲求なんだ。
これは「脳」だって、納得してくれるに……
違いない。
・・・・・・・・・・
二つ目の理由を説明する前に、ここで、話は……冒頭に戻る。
ならば何故、「虎の子」の連載小説は投稿出来ない、という結論に至ってしまったのか?
単純な、話だ。
やはり、小説……特に「物語」を書くのは、今の時点では、無理だと判断したためだ。
ある病気が発生した際、それが火種となって、他の病気を「誘発」することがあるらしい。
風邪なんかは、その代表格で、ウイルスによる、髄膜炎や、膀胱炎、中耳炎などを引き起こす。
それと同じようなことが、私の「脳内」でも、発生していたのだ……
今回の場合、読点に対して、過敏になっていた。
それにより、「類似項目」についても、同様に過敏となり、
異様な頻度で利用するように、なっていたのだ。
ただ、読点ばかりが、目立っていたため、今まで、気付かなかっただけで……
そして、その対象とは、
「過度に使われると、悪文になり兼ねない」という共通点を持っていた。
読点の他に、三点リーダ、疑問符、感嘆符、括弧、
そして……
改行。
私は頭を抱えていた。
以下、「三時間前」から、今までをかけて、書き綴った文章から抜粋。
◎
「東の」魔神が……
目覚めた。
その報告を、「下界」より受け、
管理者は、顔を青くした。
(以降、「5行分」の「鍵括弧」は、「同一」人物《管理者》が、喋っている)
「遂に!!」
「『魔神』ギャランが……」
「復活して、しまいました!!」
「ど……ど……どうすれば?」
「いいのでしょう!?」
そこに、眼鏡を、外した……
男。
(以降、「2行分」の「鍵括弧」は、「同一」人物《眼鏡男》が、喋っている)
「心配?する必要は……」
「……ねえな!!」
◎
もう、お分かりだろう。二つ目の理由とは、
現状報告をした上で、それでも付いてくるのか、確かめるためだ。
私は、チャンスをもらった。こうなれば、どんな形であれ、「期待」に応えるつもりだし、
躊躇いの感情も、一か月前に、置いてきた。
今は、頭を抱えているが……もう「経験済み」のことだ。
悪文どころか、「語り草」にすらならない人生だが、
根の強さには、自信がある。
何とかハッピーエンドへ持っていった感。