第9話 地獄でなぜ悪い
宮殿の中は大変な混乱ぶりである。会議の途中で扉を無理矢理に開け、部屋の中に入ってきた騎士の口から聞かされた言葉は、隼太以外の人間にとってかなりの衝撃だったのだろう。
「『終焉』だと...?奴らが直接攻めて来たのか!」
「左様、現在ウェリス北方の関所付近街道にて近くに配属されている騎士と激しい戦闘になっております!」
何が起こっているのだろうか。話を聞くにこのウェリスの北方向から謎の集団が襲撃に来ている、という事なのだろうか。レッドカーペットが分ける部屋の右側、隼太が並んでいる数十人の列は平穏を失ったようで、軽いパニックを起こしている程である。
「アダム、一体何が起きている!?」
壇上の机の中央から一つ右、白髪で短髪の中年男性がアダムに対して怒鳴り声をあげる。賢人会の面々の中にも焦りの感情を抱いている者が多少なりとも存在しているようだ。
「問題ありませんドナティ様、ここは騎士団にお任せを。」
アダムはパニックに包まれる騎士団員以外の人間を落ち着かせるように強い口調でそう告げる。それでも驚きや恐怖の感情が消え去ったわけではない。今はただ単に薄い板で蓋をしているだけに過ぎないと言える。
「ナメた真似を...しかし奴らは期を見間違えたらしいな、フローレンス。」
「ええ、全くですアダム様。」
先ほどミッシェラの従者に剣を突き出していた彼、剣聖とも呼ばれていた金髪の美丈夫が微笑みながら優雅に返事をする。ミッシェラの従者、ジャックと呼ばれていた男と相対していた時の態度とは別人のようである。
「よし。奴らから攻めて来たのならこれは逆に好機かもしれん。フローレンスを含めた近衛騎士はここに全員揃っている。防衛体制は完璧だ。今すぐにでも援軍を出すぞ!」
「了解しました。今すぐに出動できます。」
「だが全員は連れては行けん。候補者の皆様や賢人会の方々の護衛を...」
「その必要はないわ。」
突然、美しい女性の声がその会話を止める。その声は隼太がこの世界に来てから最も多く聞いた女性の声であり、いままで聞いた中でも圧倒的に美しいものだった。
「ーーーレティシア!」
「心配しないで、ハヤタ。私は治癒魔術師よ。だから私も騎士団のみんなと一緒に北に行くわ」
「確かに貴女がいれば兵士の生存率はグッと上がるでしょう...しかし、今は状況が...」
「防衛体制は完璧なんでしょう?それなら大丈夫よ。それに今はお爺さまもハヤタもいるもの。問題ないわ。」
「しかしーーー」
「余もレティシアに賛成じゃな。ここにいる者は皆簡単にやられる程柔ではない。それに『終焉』とやらも一度この目で見てみたい。」
必死に止めようとするアダムに、レティシアとミッシェラが2対1で対抗する。他の候補者も異論を唱える者はいない。どうやら皆で前線に行く事に賛成のようだ。確かにここには貴重な高位精霊術士がかなりの数揃っている。どんな能力を持っているかは分からないが、防衛に関しては心配する程の事はないのかもしれない。しかし万が一という事はある。安全策は何十にも重ねるべきだ。
「...皆様のご意志は分かりました。それにその目、そういえばレティシア様は一度お決めになられた事は必ずやり遂げる強い精神力をお持ちの方でしたな。」
「ありがとうアダム。でも今はそれどころではないんでしょう?早く援軍に行かないと...」
「仕方ありません。ではやはり騎士を護衛に付けさせて頂きます。それと皆様は危険な場所には出来るだけ近づかないように。後方支援をメインにして頂きます。よろしいですね?」
「うむ、よいじゃろう。余はそれに賛成じゃ。」
「では総意という事で...アゼル!ベルタ!ハウエル!」
「「「はっ!」」」
アダムの声かけにより3人の騎士が前に出る。隼太もよく知るアゼルもその中にいた。彼の他にも2人、ベルタと呼ばれる桃髪の女騎士、ハウエルと呼ばれる、此方に来てから初めて見る黒髪、そしてアジア風の顔つきをしている騎士である。この3人が護衛につくのだろう。
「いきなりで済まないが、お前たちには候補者の皆様の護衛をしてもらう。賢人会の方々の方が戦力的に足りない分、こちらの護衛に回せる人数はこれが限界だ。くれぐれも敵に遭遇したらお前たちが相手をするように。いいな?」
「了解です。私アゼル・スタンフォード、この身に代えても必ず役目を果たしてーーー」
「もう固いなぁ~、アゼルたんはぁ♡」
「ーーーなっ!?」
アゼルがアダムに頭を垂れ、いかにも彼らしい挨拶をしている途中、突然ベルタがアゼルの頭を自分の胸に押しつけ、彼を左右に振り回す。
「ーーぷはぁ!い、いきなり何するんですかベルタさん!!」
「もぉ~顔赤くしちゃって~かぁわいいねぇ~アゼルた~ん♡」
「だ、誰か助け...」
緊迫している状況にも関わらず、ベルタはふざけた様子でアゼルをイジり倒している。傍から見れば美人の桃髪女騎士の胸に顔をうずめるという相当うらやましい状況だが、アゼルはそういった事に慣れていないようで、赤面しながらも彼女を必死に振りほどこうとしている。ハウエルは一人真面目な顔で我関せず、といった態度を貫いている。
「こらベルタ、仲が良いのは構わんがふざけるのはそこらへんにしておけ。アゼルが使い物にならなくなる...」
「はぁ~い...この続きは終わってからね、アゼルたん♡」
ベルタは全くもって反省していない様子だが一応アゼルイジりを終わりにする。被害者のアゼルはその言葉に顔を真っ青にしている。すっかり疲れてしまったようで、すっかり力のない目をしている。彼の性質上、任務に影響を来すことはないのだろうが、彼のイジられている姿を見るのは初めてなのでこちらも少し笑ってしまいそうだ。アダムは咳払いをして空気を整えると、話を戻す。
「では出撃開始だ。武運を祈る。」
彼のその言葉を最後に部屋の中の人間は解散し、自分の役目を果たすために動きだした。隼太を含む王選候補者の面々は騎士団に続き、ウェリス北部への進行を開始するーー
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ーー街は荒れていた。
中心街を抜ける途中に通ったどの道でも、北から逃げ惑う人でごった返していた。その中を先行する騎士団と護衛役のアゼル・ベルタ・ハウエルの誘導によりなんとかスリ抜け、竜車に乗って人のすっかり減った北部へと移動する。ウェリスはウェルド公国内で最も広い都だ。南北の移動に竜車で2時間程かかると聞いている。自動車で移動すればもっと早く現場に到着できるのだが、この場でむやみにグロースの「成長」の能力を使う事は避けるべきだろう。
竜車で走り出して10分程経っただろうか。竜車は候補者陣営ごとに分かれており、全部で5台。もう一人候補者はいるらしいが、会議にも出席していなかったので今は宮殿内にいるのだろう。候補者とその従者が乗る竜車の周りを護衛として付けられた3人の近衛騎士、アゼル、ベルタ、ハウエルが竜に鞍のようなものを付けて操っている。その顔は引き締まっているが、どこか余裕を感じさせる。
「ところで、みんなが言ってる『終焉』ってのは一体何なんだ?得体の知れないものと戦うとか恐怖しかないんだけど...?」
「あ、そういえばハヤタはそのこと知らないんだっけ?」
今回質問に答えてくれるのは嬉しいことにレティシアのようだ。若干天然気味の彼女の説明には不安も多いように感じるが、彼女のことだからきっと頑張って丁寧に答えてくれるだろう。
「えっと...厄災の魔女のお話はもう知ってる?」
「あぁ、それに関しては問題ない。さっきこのちんちくりんが懇切丁寧に教えてくれたからな。」
隼太がシクリーの頭を撫で回すと、幼女のような精霊はなんとも不機嫌そうに手を振り払おうとする。こうしていれば普通の子供のようだが、隼太は彼女に血液を固められた経験があるのだ。その事は二度と思い出したくないが。
「そう、それならバッチリね。その『終焉』と呼ばれる人たちは600年前の大戦争の根源である6人の魔女に深く関係してるの。」
「魔女と...?600年前の戦争で人間と魔女は敵対関係にあったハズ...ってか人たちって事は集団なんだな」
まさかレティシアの口から聞きたくもない単語が出てくるとは思わなかった。話に聞くだけでも軽く絶望したくなるような異能を持っている6人の魔女、シクリーの話によれば人間と精霊は魔女に対して敵対していたハズ。だがこの話はその認識を根底から覆しかねない内容だ。
「そうね、600年前、人間と魔女は確かに敵対関係にあったわ。でも、全員が全員魔女と戦ったわけじゃないの。その逆、と言ってもいいわね。」
「逆...」
「ええ。つまり少数の人間は魔女の側について他の人間と精霊を滅ぼそうとしたの。」
衝撃的な内容だ。人類にとって厄災でしかないその魔女に、人類自ら味方するとは。自分の命を短くするだけではないのか。
「完全にイカレてるな...なんて話だマジで...」
「ええ。そうかもしれないわ。『終焉』は魔女側について戦った者達が自分たちの名前として使っているものよ。その残党が今でも残り続けてるの。」
「魔女が封印された後でもか?なんて執念深いんだか...」
「その凶悪性は今も健在よ。『終焉』に襲われて皆殺しにされる村も少なくない。だから騎士団はずっと奴らを追っているの。」
要するに魔女に影響された頭のおかしい者たちがテロリスト的な行いを繰り返しているようだ。隼太の元いた世界でもそういった行いをする者は一定数存在しており、それに世界中が悩まされる状況にあったので、この心境は簡単に理解できる。
王選候補者を乗せた竜車はもう40分ほど走っているだろうか。かなり北の方に来たのだろう。街からは人気が消え去り、まるで映画のセットのような雰囲気を醸している。隼太が窓の外を眺めていると、竜車がゆっくりと止まった。
「は~い、いきなりだけど、ここからは歩いていくよ~っ!」
停止した竜車の扉が前置きなしに開かれる。扉の外には近衛騎士団の制服に身を包んだ桃色の女性がヘラヘラとした態度で立っている。
「なんの予告も無しに止まったもんだからまたなんかあったのかと思ったよ...」
「あらぁ~?キミ、見ない顔だねぇ。アロイジウスさんとこの新入りかな~?」
「大原隼太。まぁ一応よろしく頼む。」
「おぉ~名乗りを上げられたとなれば騎士としてあたしも名前を教えないといけないかなぁ~。あたしはベルタ・ベルトーニ!騎士団の紅一点!荒野に咲き誇る一輪の花!その美しさに団員はみ~んなあたしにメロメロ...あだっ!?」
ベルタが機嫌良さそうに無駄な尾ひれのついた名乗りの口上を述べている途中、後ろから強烈なチョップがベルタの脳天に突き刺さる。
「いったいなぁ~~!何すんのよハウエル!」
「いい加減にしろベルタ。平和な町中ならば笑って見逃すが、ここからは危険地帯だ。気を引き締めろ。」
「もぉ~つまんないなぁ。折角ハヤタたんをナンパしてたのにぃ。」
ベルタはハウエルの言葉を聞いた後でもその不真面目な態度は直らないようだ。この人が本当に護衛役を務められるのか不安になる。
「皆様!進みますよ!」
気づけば他の候補者達も竜車から降りたようで、皆それぞれの反応を示している。アーガイルの腕を引き、はぐれないように捕まえている精霊ホルクス、そしてそれをやれやれ、といった態度でため息をつくのがその従者のエリク。アニトラは宮殿にいたときのように布を頭に巻き、動きやすそうな服に身を包む。シスイは精霊のモール・ドールを肩に乗せてなんだか楽しそうだ。ウォルトは全くの無表情で地に足を付けている。その横にはアリミナが精霊フレクシナを入れた棺桶を背負っている。ミッシェラは自分を歩かせるアゼルに憤りを抱いているようで、なんだか不機嫌そうだ。その横に立っているのは精霊リブラリアと従者のジャック。双方影のように黒く、異常なまでの不気味な雰囲気を漂わせる。
「ほれ、掴まってレティシア。」
「ありがとうハヤタ。もうここから近いのね...」
「あぁ。竜車で近づくと無駄に目立つからここで降りたんだろう。」
そんな話をしていると、前から再度アゼルの声が聞こえてくる。
「『終焉』は既に目の前です。ここからは奴らに見つかるリスクを下げるために集団の人数を絞り、バラバラに行動して頂きます。皆様は後方支援中心ですので、陣営ごとに5カ所の救援に向かって頂きます。アーガイル様は戦線の左端、アニトラ様は中央、ウォルト様は右端、ミッシェラ様とレティシア様は3名の間の区間を担当して頂きたい。」
「おいおい、ちょっと待て、バラバラにするのはさすがに危なくないか?」
「バラバラにするのには理由があります。まず一つは先ほど言った事、もう一つは戦線内の連絡を円滑に行うためです。騎士団員は前線で戦います故、危機的な状況におかれてもなかなか救援を呼ぶのは難しいのです。ですから後方支援を担当する候補者の方々には救援等の連絡員としての役割も果たして頂きたい。」
「なるほど、それは分かった。でももう一つ、護衛の数は3つしかないだろ?それはどこに付けるんだ?」
「護衛はアニトラ様、ウォルト様、ミッシェラ様に付けさせて頂きます。アーガイル様とレティシア様の陣営ならば十分な戦力がありますし、奴らでも簡単には攻められないでしょう。それにミッシェラ様の陣営には未だに不安要素が残っています。ジャック・リーパーの存在はそれほど大きいのです。」
ジャック・リーパー。アゼルが初めて彼の名を口にした。
「...さっきから思ってたんだが、ジャックとかいうその人が何したんだよ。」
「それは私の口から語れません。説明のないままこのような事を決めるべきではないという事は分かっています。しかしそれは私の『誇り』が許さない。それにハヤタ殿はこれほどまでに汚らわしい者の話を私にさせるような仕打ちをされる方ではないと信じています。」
既にアゼルの目は今までのような知人と話す柔らかい顔つきではなくなっていた。まるで親の仇を見るような目つきをしているのだ。隼太にはそれが信じられないものだった。アゼルは少し真面目すぎるところがあるものの、それでも初めてこの世界に来て親しく話せる唯一の同世代の人間だった。しかしそれ故に彼にありもしない理想を重ねていたのかもしれないと隼太は思った。
「...お前の気持ちは分かった。すまん話が逸れたな。行こう。ここにいても時間が過ぎるだけだ。」
「では理解して頂けたということでよろしいですか?」
「あぁ。お前と険悪なムードになりたくないしな。まぁ防衛戦力なら十分だろう。」
今回の件は隼太とアゼルの間に小さな亀裂を入れることになってしまったかもしれない。ジャックの事はまた追々調べていこう。
隼太とアゼルの話に決着がついたところで、候補者と騎士団員はそれぞれ離ればなれになり行動を始めた。まだ見ぬ「終焉」の恐怖に打ち勝つために。
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そこには地面を打つ靴底と荒い吐息だけが響いていた。シスイ、ベルタを連れたアニトラの一行は横に広く広がる戦線内の中央をめざして路地を駆けている。
「ハァ、ハァ、あ、あのぉ、ここから大体どれくらいなんですか?」
「心配しなくても大丈夫ですよぉ!ここからほんの十分、二十分くらいですから!」
「そうですぞアニトラ様!軽快にいきましょう!ハッハッハ!」
息の荒いアニトラとは対照的にベルタとシスイは非常に元気よく、軽い足取りで石畳を跳ね回るように走る。おてんばと言うにはいささか元気が良すぎるとは思うが、二人はそういった点で気が合うのだろう。アニトラもなんとか付いていってはいるがくたくただ。
「シスイさんでしたっけ!?あなたなかなか動けますねぇ!なにか武道でも!?」
「ややっ!騎士の方にお褒めの言葉をいただけるとは光栄ですなぁ!武道なんて大したもんじゃないですよ!アニトラ様も私も田舎者ですから、そこら辺を走ってるだけでもそれなりに体力が付くんです!」
「なるほどなるほどそういう事でしたか~!でもアニトラ様はあんまり運動がお得意ではないんですねぇ。そろそろペースを落としましょうか~」
ベルタがそう言うと、やっとこの馬鹿みたいなランニングのペースが一般的なジョギングほどの速度にまで落ちた。他の候補者たちと離れてから3~4分ほど経っただろうか。敵の姿は未だに見えないままだ。
「...意外と襲撃、ないですね。」
走るペースが落ちると話のテンションも下がるのか、先ほどとは打って変わって静かなベルタが話を始める。さきほどとは違い人数も少なく、隙が増えたこの状況、近衛騎士のベルタがついているとはいえ敵がここを狙わないハズはないだろう。アニトラやシスイを緊張させないようにわざと明るくしていたベルタだったが、さすがに少し動きがあってもおかしくはない頃だ。
「敵...ですか...?」
ベルタがこぼした小さな言葉をシスイが拾い、その顔に似合わない薄笑いを浮かべている。
「そんなのさっきから居ますよ。ずっと付きまとわれていますね。私たちの約50m後方に3人...それに左に1人、右に一人...この身のこなし、敵は相当な強者、もしくは暗殺や奇襲のプロでしょうな。」
そのベルタと同じように静かになったシスイの口からは予想もしていなかった状況が淡々と語られた。
「...驚きました。なぜそれが?私もこの建物に囲まれた土地で離れたところにいる敵をそんなに的確に探知はできない。」
「ややっ、興味がおありですかな?でも別にどうって事はなくてですね、それが私の役割なのでやってるだけで...」
「いや方法が知りたいんですが...」
「あっ!そうですよね!すいませんでしたぁ!ただいま説明を!」
やはり彼女に落ち着きや冷静といった言葉は似合わないようだ。ベルタとアニトラのため息を一身に受けながらもシスイは気を落とさずにベルタに説明を始める。
「私は山奥でよく狩りをするんです。でも山は広いし視界も足元も良くないじゃないですか。そうなると無駄に歩き回ったりするのは得策ではないんです。だから私は鷹匠のお師匠様に弟子入りして一応1羽の鷹を貸して頂いたんですけど...」
「...でも今鷹いないですよね?」
「いないですね...はっ!もう片方の説明をしなきゃいけないんだった!失礼しました!」
ため息をついて呆れるベルタを気にも留めず、咳払いをして説明を再開する。
「今索敵に使ってるのはこの子、高位精霊モール・ドールの能力なんです。」
「精霊の能力でしたか...!どれどれ...?」
シスイの索敵が精霊の能力だという事が分かると、ベルタは騎士団の制服の内ポケットを探り始める。
「あっこれこれ、ちょっと待って下さいね...はい!大丈夫!あら、こんなに小さいんですねぇ!」
「え...見えるんですか?」
アニトラが驚くのも無理はない。普通であれば精霊は精霊術士にしか見ることのできない存在であるはずだ。主人のアニトラですらシスイの精霊、モール・ドールを見たことはなかった。しかしそれが目に謎の液体を垂らしたベルタには見えているようなのだ。
「アニトラ様、気になりますか?」
「う、うん。まぁ...」
「これは霊調液といってですね、ウェルド東方にそびえ立つシャーダリア山脈の一部の地下から採れる特殊な液体なんです。詳しいことは分からないんですがね、この液体が目に入る光を調節するとかなんとか...まぁそこらへんは適当なんですが、この液体を目に垂らすと精霊術士でなくても精霊が見れるようになるんです。」
霊調液。精霊術士以外にも精霊が見れるようになる特殊な液体。その存在をしらなかったアニトラが驚くのは当然だろう。
「さ、見えるようになったので説明を再開して頂いても?」
「あ、ハイ!...このモール・ドールちゃんの能力、それは、目に見えないほど微細な糸のような霊気を、自分の直径7~80mほどに張り巡らせる、というものです。」
「...糸?」
「まぁイメージとしてはそんな感じなんです。糸には全て意識が通っていて、それが物の振動や糸の切れた場所を探知して敵や獲物を見つける...といった寸法なんですねぇ。これがまぁ面白いほどよく分かる。敵の身長体重、ましてや性別なんかも分かることもありますよ!」
シスイはいつにも増してご機嫌な様子だ。ベルタもその説明には息を呑んでおり、シスイの言うことに信憑性が出てきた。
「それで、敵は攻めては来ないんですか?」
「あ、来てますよ?全員一斉に。」
「そういう事は早く言ってよぉ!!」
アニトラが涙目になりながらそう叫ぶ。
「...もうすぐに。」
「えぇ。今度は私にもわかりました。」
ベルタはそう言うと、腰に差してある2本の剣をゆっくりと抜く。刀身は金属ではない...宝石のように透き通った石の刃だ。緑色に輝くその剣は、彼女の桃色の髪によく映える。
瞬間、一行の頭上から2つ、黒い影が降ってくる。
「わざわざ身動きのとれない空中から...私もナメられてるなぁ。」
ベルタは体を低く構えると、シスイとアニトラを下げさせる、次の瞬間、彼女は人がやったとは思えないような動きを見せた。建物の間を交互に蹴り、瞬きの間に空中の敵を迎え撃つべく上に登る。空中から襲撃を試みた2人の敵は予想外のベルタの動きに慌てて武器を取り出すものの、それではあまりに遅すぎた。
彼らを切った宝石の刃は、彼らが武器を取り出す前に既に仕事を終えていたのだ。そのあまりの切れ味に切られた方は一切の痛みを与えられずに、腹を境に2つに分かれる。気付いた時にはもう終わっているのだ。なんたる芸術的剣術であろうか。殺人はどんな理由だとしても残虐な行為には変わりないが、彼女の動きには美しさすら感じる。飛び散る敵の血潮さえも、彼女の舞台を彩る桜吹雪としての役割を果たしているようだ。
「...お見事。」
シスイはただそれだけを小さく口にした。狩りで獲物を殺す経験を何度もしているシスイは、いかに苦痛を与えずに命を奪えるかを追求してきたつもりだ。しかしベルタのそれは桁外れの腕前だ。相手に痛みを与えない、ベルタの剣はある意味この世で最も優しい剣なのかもしれない、とシスイは思った。
敵を仕留めたベルタはそのまま数メートルはあるであろう高さを垂直に落下し、何事もなかったかのように着地を決めて見せた。血の滴る緑の刃を鋭く振り、血を飛ばして鞘に収めた。
「シスイさん、他の敵は?」
「今のを見て下がったようです。他の機会を狙っているのかも...」
「...なら、今討ちましょう。」
「はい?」
「今、討つのです。この先にいる味方の元へ敵を向かわせるわけにはいかない。ここにいる敵はここで仕留める。」
ベルタの目は何時になく鋭く、殺気を帯びているようだ。その表情にはいつもの温かさがなく、冷徹な印象をアニトラとシスイに与えた。
「...私を恐れないで下さい。」
「け、決して恐れてなど...」
「こうなった私はしばらく止まりませんので。私は私に恐怖を示したものを何故か追って仕留めてしまう癖があります。どうか私を恐れないように。」
「それ、言わない方が怖くなかったんですけど...」
「これは失礼...さて、仕事を続けましょうか?」
アニトラとシスイは性格の一変したベルタに細心の注意を払いながら行動を進めることになってしまった。アニトラの胃がキリリと痛んだ。
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「こんなのおかしいだろぉ!なぁ!姫さんよぉ!」
「グチグチうるさい男だねぇアンタは!過ぎた事にいちいち口出すんじゃないよ!」
戦線の左端に向かう一行、アーガイル・ジンデルと精霊のホルクス、従者のエリクの3人は身内でギスギスとした空気を醸しながら移動を続けていた。とはいってもギスギスしているのはホルクスとエリクだけで、アーガイルはそれを苦笑いしながら受け流しているだけだった。
「第一よぉ!護衛なら普通陣営の数だけ用意するもんじゃねぇのかよ!なぁ!姫さん!」
「いい加減しつこいよエリク!40過ぎて何をゴタゴタ抜かしてんだい!あんたの咥えてるそのシガラ、吹き消してやろうか!?」
「んだとこの野郎!見えなくてもメッタ刺しにしてやるかんな!」
「おーおー、やれるもんならやってみな。アンタの軽いナイフなんか全部吹き飛ばしてやるよ!」
アーガイルがため息をつきながら二人の間に入り、今にも始まりそうな喧嘩をなんとか止めている。
「二人ともやめてよぉ~!さっきから何人も敵が来てるのにそんな喧嘩ばっかりしてるとやられちゃうよ??」
「敵なんかさっきから俺が全員串刺しにしてやってんだろぉ!心配するこたぁねぇよ!」
「なぁ~に言ってんだいエリク、さっき来た12人中8人はアタシが吹き殺してやってんだ、アンタがやったのはたったの4人。話を盛るんじゃあないよ!」
「う、うるせぇなぁ、今日は足怪我してんだ!だから本気じゃなくて...」
「ほらほら、2人ともいい加減に...ってアレェ!?」
2人をつっかえ棒のようにしていたアーガイルの両手が突然緩まる。
「なによぉ!なんで急に止まるのぉ!?」
「姫さん...」
「アンタ...」
「「あれ、見てみな」」
さっきまで喧嘩ばかりしていた2人が、珍しく口をそろえて話している。アーガイルはその言葉に従って2人が指さす方を見る。次の瞬間、アーガイルの目に映ったのは、「残虐」という言葉では言い表せない程無残な光景だ。
広場のような場所が真っ赤に染まり、辺りには円状に肉塊が散らばっている。人間の筋繊維や内蔵、眼球や脳髄、引き剥がれた皮がぐちゃぐちゃに混ざり合い、人としての原型は微塵ほども残っていない。地獄と見間違えるような惨状だ。
そしてその中央には、おびただしい量の返り血を一身に浴び、拳から殺した人間の血を垂らしている全身黒装束の男と、鮮血と見間違えるほど真っ赤な髪をなびかせながら、高々と笑うミッシェラ・ペンドルトンの姿があったーーー
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来週からは予定通りに更新できるよう、頑張りたいと思います。
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