第4話 シンデレラは眠れない
――ここはどこだろう。さっきまでの記憶がまるで無くなってしまったようだ。それに加えて、目の前の風景が全く分からない。この場所はまるで1cm先も見えないような暗闇のような気もすれば、目も開けられないほどの光のなかにいるようでもある。目はしっかりと開いているようでもあり、閉じきっている気もする。なぜ自分自身今に起きているハズの、そのような簡単なことも分からないのだろうか。その理由は至極単純である。
今の隼太には、物を見るための目が存在していない。
そればかりでなく、味わうための口も、匂いを嗅ぐための鼻も、聞くための耳も、動くはずの体も。何もかも、今の隼太は持ち合わせていない。今存在しているのは隼太自身の意識のみなのだ。意識のみがすっかり体から切り離され、別の場所に置き去りにされているように、外部からの干渉を一切受け付けていない。果たして自分はいつからこの場所にいるのだろうか。ここに来てどれくらい経つのだろうか。それを知るための感覚器官を、今の隼太は持ち合わせていない。思考は止まっていないのだから、時間の流れは止まっていないのだろう。時が止まっていない、ということならば、それはつまりいつかこの場所にも変化が訪れる、ということでもある。諸行無常、つまり常に物事は変化し続けているという事である。先人の教えが正しければいづれこの場所にも変化が起きるに違いない。そしてその変化は、隼太が想像していた物とは全く違うパターンでアプローチしてきたのである。
「―――人が、いる...のか?」
視覚を閉ざされているはずの隼太の前に、見えるはずの無い人影がハッキリと見える。その身は人の形をしているものの、なぜか人ではないとハッキリわかる。不気味な見た目をしている反面、なぜか不思議な安心感をもたらしてくれるようであった。
『私は――あなたです。』
「!?」
驚いた。目に見えているだけでも不思議なその人影から、ハッキリとしたトーンで声が聞こえてきたのである。無論今の隼太に聴覚は存在していない。それなのに。
『驚くことではありません。私はあなたであり、同時にあなたは私なのです。あなたの目は私の目、私の口はあなたの口。耳も体の全ても、私とあなたは同じ...言葉通り、意味通りの一心同体なのです。』
この人影は何を言ってるのであろうか。こいつが俺?俺がこいつ?全くもって理解できない。異世界だろうと元の世界だろうと、大原隼太はただ一人、自分だけである。それなのに、この人影は自分と隼太が同じ存在であると言ってくる。
「お前は何を...?」
『それ以上言葉にする意味はありません。言ったでしょう、私とあなたは一つなのだと。』
「だから何を言ってるのか――」
『焦らないで。私とあなたはいつでも同じ。またすぐに会えるでしょう。」
隼太の問いかけを全て分かりきっているように、目の前の人影は返答を返してくる。隼太は徹底的に問い詰めたいが、どうやらそれも叶わないらしい。唯一自覚していた意識も、だんだんと薄くなっていく。
「お前は誰ーーー」
『私は、あなたです。』
――絶対不変の事実を口にするように、恐ろしくハッキリとしたその声が、この世界の幕引きだった。
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「...今度は、ちゃんと見えるな。」
目の前には見たことの無い天井が写っていた。外から聞こえる鳥の声が聞こえ、清潔な布の匂いが漂う。柔らかいクッションのようなものが自分の体を支えているのが肌から伝わってくる。どうやらベッドのようなところに寝かされているらしい。
「体が戻って来た...!」
普通なら意識が戻ってきた、というべき場面ではあるが、意識だけが残っている世界にいた隼太にとっては、どこかに消えていたのは己の体である。
「自分の体が自分の意識と繋がってるってのはなかなか安心するもんだな...それにしても...」
その安心も束の間、隼太は自分の身に新たな問題が起きている事に気づく。それはこの世界に来たときに、最初に隼太を苦しめたものと同じ問題であった。視線を下ろした先に広がっているのは個室として使用するにはいささか広すぎる部屋。部屋の中にはいかにも高そうな家具の品々が置かれており、所々に装飾として使われている金属は細かい模様が彫られている。それはまるで職人の腕の確かさを証明しているようであった。そんな豪華絢爛な部屋になぜか自分がいるというこの状況。浮かぶ疑問は無論一つ...
「ここ...どこだ?」
「――あら、目が覚めたのね。」
そんな隼太の不安を一瞬にして吹き飛ばしたのは、この状況に対する納得のいく説明...ではなく、耳に触れられるだけで幸福を感じさせるほど美しい声と、彫刻のように綺麗な顔を持つ女性の存在であった。
「あなたは...?」
「うん。その様子なら大丈夫そうね。あーもう、心配したんだから。」
隼太の質問を華麗にスルーした彼女はその美しい顔に安堵の表情を浮かべる。
「あなた、ここがどこだか分かる??」
「いや、何がなんだか...さっぱり分からない...」
「...え?分からない?分からないの?あんなに怪我してたのに...?」
――怪我?何のことだろうか。自分を見て話しているのだから、自分が怪我をしていた、とでも言うのだろうか。一向に理解できない様子の隼太を見て、彼女はひどく驚いているようだった。
「あなたまさか...記憶喪失!?やっぱり大丈夫じゃないかも、どうしよう...あなた、本当に忘れちゃったの?あんなに派手な事故だったのに...」
事故...?事故だって?そういえば自分がなぜここに来たのか、その経緯となる部分の記憶が無くなっている。確かに事故の影響で意識を失っていたのだとすれば、納得もいくだろう。しかし、それならば体に傷の一つでも残っていて良いだろう。今の隼太は健康そのもの、事故の影響なんてものは微塵ほども感じなかった。
「なるほど、確かに事故、それなら記憶が無いことの説明にはなるだろう。怪我の事もそれで一応納得がいく...でもそれが本当なら、その事故で負ったであろう傷が全くないのはどういうことなんだ?治ったとしても傷跡の一つや二つ、残っててもいいと思うんだけど...」
「傷...?それなら私が治したわ。もしかして、迷惑だったかしら...?」
「いや迷惑ではないけど...驚いたな、あなたは医者だったのか。なるほどここは病院で、俺は患者だというわけか...それにしてもこの世界の医療がここまで発達しているとは思わなかった...とりあえず、ありがとう、事故が本当ならあなたは命の恩人だ。」
「あなたなかなか疑い深いのね...事故の事は嘘なんかじゃないわよ...それに私、医者じゃないわ。ここは病院じゃ無くて私の家。普通の医者なら助かるはずもない怪我だったもの。普通の病院になんて連れて行けない。――私は治療魔術師。魔法で人の怪我や病気を治すの。それに、治療のことは感謝されるほどの事じゃないわ。当たり前のことだもの。」
――治療魔術。ということは、自分は医者ではなく魔法使いに傷を治してもらったという事だろうか。確かに魔鉱石店の爺さんはこのウェルド公国が魔法発祥の地だと言っていたが、まさかこんなに早く魔法を直に体験するとは。それにしても普通の医者では助からないほどの大怪我を治すのを感謝されるほどのことではないというのはどういうことなのか。
「治癒魔術...凄いな。これがあれば現代医療も霞んで見えるよ...にしても、知らない誰かの命を救けた事に対して感謝はいらないとは、さすがにおかしくないか?治癒魔術師が救急隊のような役割ならそれも納得いくけど...」
「何もおかしいことなんてない...だってあなたを轢いたのは私の乗っていた竜車ですもの。そのことに対する償いをするのは当たり前。こっちが勝手に轢いておいて、傷は治したんだから全部許してくださいなんて、言えるわけないじゃない。治療と償いは全く別でしょ?」
償い、確かに彼女はそう言った。確かに隼太の身に怪我をさせた原因が彼女の乗っていた竜車?という乗り物であるのなら、責任を感じるのは当たり前のことだろう。しかし、事故の原因が100%彼女のせいであるというわけではない。大通りでボーッとしながら歩いていた隼太にも、事故の責任があることは間違いない。ましてや車で移動するような富裕層であるならば、平民に自分の進行を止められた事に対する責任をとらせる、なんてこともありそうな話である。傷を治さずそのまま放置しても何もおかしくないだろう。それなのに彼女は隼太を責めるようなことは一切せず、あくまで自分の責任だと言い張るのである。傷を治してくれただけでなく、隼太に対して償いをしたいとまで言い出した。この時代の富裕層にもこんなに心が綺麗な人がいるだろうか。
「とはいえ俺には事故の記憶はないし、傷も治ったんだから負い目を感じることなんてないんじゃ...」
「そういうわけにはいかないの!あなたがどうとかじゃなくて私がスッキリしないもの。さっきも言ったけど、起こした罪に対して償いをするのは当たり前なの!」
「まぁそれはそうなんだが...とりあえず聞いておくが、君の言う償いってのは具体的に何をしてくれるんだ?」
そんな隼太の質問に彼女は再度悩み始める。どうやら償いはしたいらしいのだがその方法については考えていなかったようだ。
「う~ん、どうしようかしら...あ!それならこんなのはどう??」
彼女は表情を変え、まるで自分が天地を揺るがす名案を思いついたような顔をしていた。
「あなたの望むこと一つだけ、私がなんでも叶えてあげる!」
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彼女はなんど自分を驚かせれば気が済むのだろうか。この世の物とは思えないほど内面も外見も美しい彼女は隼太の願いをなんでも一つ叶えてくれるというのである。
「それはどういう――」
「言葉通りよ。どんなことでもいいわ。例えば、あなたがこれから遊んで暮らしたいと言うのなら私がお金を出してあげるし、結婚しろというのならばそれでもいい。ほんとに、ほんとになんでもいいのよ?」
どうやら本当になんでもしてくれるらしい。金銭的な解決は元の世界でもよくとられる手段だが、さすがに結婚というのはやりすぎである。確かにこんな綺麗なひとが妻になってくれるなら、これ以上の幸せはないだろう。だが隼太は自分が人の人生を勝手に決めるような真似をしてはいけないと強く思う。だから結婚という線は当然ナシ。
だがこのチャンスを無為にするつもりはない。あいてがここまで償いをしたいといっているのだから、それを無理矢理に否定しても彼女は後味の悪い思いをするだけであろう。それなら彼女にほどほど迷惑をかけつつも、それほど負担にならない答えを探す必要がある。今の自分に一番必要なのは何か。それを徹底的に考える。一人で使うには広すぎる部屋に二人、その間には長い沈黙が流れていた。そしてその沈黙は隼太によって静かに破られる。
「それなら俺は――」
隼太の言葉に、彼女は食い入るように耳を傾ける。これからの自分の人生を大きく変える可能性のある言葉だ。目を見開いて、緊張しているようであった。
「俺は君に教えてほしい。この世界で生きる方法を。」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は拍子抜けするような顔をしていたが、この隼太の言葉が、これからの先の彼らの人生を大きく変えるものだとは、誰も気付きはしなかった――
本作の数少ない読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。
昨年の終わりから投稿を開始した本作ではありますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
(お年玉の代わりに感想待ってます!!)