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第10話 相容れぬ境界線

「なに...アレ...?」


アーガイルの目には今まで生きてきた中で最もおぞましい光景が映っている。あまりに生々しい血潮の匂いが強く鼻を突き、ものすごい嘔吐感が喉を伝ってこみ上げてくる。人の死体を見るのはほぼ初めてのアーガイルにとって、ほぼ原型を留めていない状態だったのがせめてもの救いだった。内蔵や体のパーツがバラバラに混ざり合い、所々には血とは違う色をした液体も流れ出ている。目からは自然と涙が溢れ、恐れと動揺、なんとも言い難い感情が絡み、体が震え、歯がガタガタと音を立てる。


「姫さん、すまなかった、俺が悪い...だから、あんまり見るんじゃあない。」


アーガイルにこの光景を見るよう促したのは紛れもなく彼女の精霊のホルクスとエリクだ。しかし今は己の思慮の浅さを恨むばかりである。


こんな物は見せるべきではなかった。そう後から思っても遅い。エリクとホルクスもこの光景につい目を取られ、アーガイルの目をそちらに向けさせてしまった。まだ彼女には早かった。何人も人間を殺した事のあるエリクも、ここまで惨殺と呼ぶにふさわしい現場を見た経験はこれが初めてである。


「あれはミッシェラだね...それに奴の従者とかいって出てきたジャック・リーパー...」


元々いた人数は優に100を超えるであろう、円状に広がる惨殺死体の中央に立っている人影は2人。それもこんなにこの光景に映える人間はこの世にこの2人しかいないのではないかと思わせる程の出で立ちをしている王選候補者の一人、ミッシェラ・ペンドルトンとその従者、ジャック・リーパーだ。


「おい、ちょっと待て、あそこの陣営には騎士がついてたハズだぞ...確かアゼル、アゼル・スタンフォードとかいうガキだ。あれはどうした、どこにもいないぞ...」


異変に気づいたエリクの頭には嫌な予感が走る。まさか近衛騎士ともあろう者がこの肉の山の一部になってしまったのではないか。近衛騎士ほどの実力を持っているハズの男がこんなに簡単に。もしそれが事実で、国にそれが知れたら彼女の陣営は即王選参加権を剥奪されるだろう。それだけで済めばまだ優しい方だ。ミッシェラとジャックは即刻打ち首だと言われてもおかしくはない大罪だ。


「おかしいのはそれだけじゃないよ。ホレ、あのドグサレ女の精霊...骸骨みたいな見た目の野郎、リブラリアがいやしない...まぁ言ったところでアンタには見えないだろうがね。」


精霊の見えないエリクにミッシェラの精霊、リブラリアの姿は無論見えないが、同じ精霊という立場のホルクスには見えているハズのリブラリア。だが、今ここにその姿はない。



「――うむ、見事じゃジャック。よくやった。」


「...私は私の信念のためにやったまでだ。」


「フフフ、それで良い。だから貴様を従者に選んだ。」


ミッシェラとジャックは死体の山に囲まれているとは思えないほど冷静に会話を交わしている。エリクとホルクス、そしてエリクに目を塞がれているアーガイルがジャックの声を聞いたのはこの時が初めてだった。


「――さて、そこに隠れている者ども...慈悲深い余が5秒だけ時間をやろう。今ここで姿を現したならば首から上だけは綺麗に残して楽に殺してやる。しかし逃げようとするならば...今ここに散らばっておる者共のような姿に変えてやろう。さて、どうする?」


「...どっちにしたって死ぬじゃないか。どうもこうもないねぇ、それに、アタシたちは敵じゃあないよ

。」


ミッシェラの余りに無慈悲な2択に全く怖じ気づかず、サッと身を乗り出したのはホルクスだ。真っ白な肌に真っ白な髪、真っ白なドレス。ただ瞳だけが、彼女の燃え盛る業火のような性格を反映するがごとく真っ赤に色づいている。


「ほほぅ...お前、確かホルクス、といったな...ここまで言われてすぐに姿を現すとはなかなか肝が据わって居るわ...フフフ、気に入った。今回はお前に免じて許すとしようではないか。」


ミッシェラの微塵ほどの優しさもない呼びかけに即応じ、姿を現したホルクスをミッシェラは気に入った様子だ。路地の影に隠れていたエリクと目を塞がれたままのアーガイルもミッシェラの前に顔を出す。


「ったく...アンタ、相当根性の曲がった女だね。...とはいえこの遺体はアタシが綺麗に掃除させてもらうよ。このままじゃあうちの子がいつまで立っても目ェ開けないからねぇ。」


ホルクスがそう言うと彼女の周りに突如ふわりと、吹いていないハズの風が立ち始める。次の瞬間、この世に存在し得ない程の風圧の風が広場に吹き荒れる。とは言ってもミッシェラやジャックの周りには大した影響もなく、ミッシェラのドレスが風に揺れ、少し際どい太ももの上が見えそうで見えない程度に乱れるだけであった。しかし彼女らを包む肉の山は風に浮き、真っ赤になった風が竜巻のように展開し、遠く空へ飛んでいった。今や広場には血の痕跡すら残っておらず、何事もなかったかのように清潔な見た目を取り戻している。


「...驚いた。これは風魔法を極めたとしても到底あり得ない程の風圧じゃった...お前の能力が知りたいところじゃな。」


「そんなにホイホイとライバルに能力を教えるアホがいるかい。教えないよ、特にアンタみたいな危険なニオイのプンプン漂う奴にはね。」


「...まぁ良かろう。ホレ、小娘、目を開けんか。余を前にしてこの身を拝まないなど不憫極まりない。そこの汚い男、手を離せ。」


「誰が汚い男だよ...ほれ姫さん、もう大丈夫だ。」


エリクはミッシェラの言葉に少し腹を立てながら、アーガイルの目を覆っていた手を離す。アーガイルはゆっくりと瞳を外に向け、さっきとはまるで様子の変わった広場を見て安心したようだ。


「...怖かった...ここで何があったの?」


「この程度の死体で乱心するなど、貴様もまだ未熟な精神をしているようじゃな。どうもこうも無い。ただの敵の襲撃じゃ。そしてジャックがそれを片づけた。だだそれだけの事よ。」


「あんな光景見たら普通誰でもこういう反応するだろ...あんなに酷い形の死体なんてそうそう目にするもんじゃない。...それにしてもあんな数の襲撃だと?確かに俺たちの方もなかなかの数だったが、お前らのとこのは10や20で片づく数じゃないぞ?少なくとも100...いや、それ以上いてもおかしくない。それがここだけに集中して襲撃なんておかしくないか?」


エリクはミッシェラの言う事を信じていない。襲撃なら他の陣営にももっと人数を増やしてもいいハズだ。しかし敵の多くはミッシェラの陣営を襲いに行ったという。エリクはミッシェラが逃げ遅れた一般人まで殺したのではないかという容疑を彼女に対して抱いている。


「『終焉』がジャックを殺しに来るのは当たり前の事じゃ。...この男はこの世界で最も『終焉』の者共を殺しておる。彼奴らが復讐に来るのは当然、今までも何度もあった事じゃ。」


「奴らが『復讐』?こいつが、そんなに...?」


エリクは視線をずらし、ミッシェラの横に立っているジャックを見る。その姿はここにいるだれよりも血生臭く、本来黒いハズの装束は赤黒く見えるほど激しい返り血を浴びており、目にするのが嫌になるほどの出で立ちだ。


「その功績が目立っていないのは此奴が過去に起こした大量殺人が影響しとるのじゃろう。まぁ此奴について余から進んで話すような事はせんつもりじゃ。貴様らも用がないならこのような場所で現を抜かしていないでさっさと持ち場へ向かうべきじゃないのか?」


「いや、そういう訳にもいかねぇ。聞きたいのはまた別の事なんでな...」


「別の事、とな...?」


「――お前、あの騎士のガキ、どこやった?」


エリクは、ミッシェラになにかされるかもしれない、という可能性も覚悟の上で最も聞きたかった質問をミッシェラに投げかける。しかし当のミッシェラは先ほどとなんら変わらない態度で対応してきた。


「なに、心配するでない。奴ならあそこに居るわ。」


ミッシェラはそう言うと広場の端の木陰を指さす。アーガイルたちがミッシェラの指先を見ると、紺の髪をショートカットにした若干17歳ほどの少年が木にもたれかかったまま目を閉じている。


「やっぱり何かしてんじゃあないか...!」


「無礼を申すな。奴は無事じゃ。それにやったのは余ではない。ジャックがやったのじゃ。」


「こいつが...?」


エリクは再びジャックの方を見る。


「...確かにやったのは私だ。」


ジャックは金属製のマスクのような物で覆った口から静かに、そして低い声で答える。


「...わからねぇな、近衛騎士ほどの実力の持ち主をなぜわざわざあんな状態にする?確かにお前の実力が尋常じゃないことはわかった...が、足手まといになるような奴じゃないハズだ。」


大量の「終焉」によるミッシェラ陣営への攻撃。確かにジャック一人で対応できたかもしれないが、アゼルの協力があればもっとスムーズに倒す事ができるだろう。その貴重な戦力を使えない状態にするとはどういう事なのか。エリクの疑問にジャックは静かに低い声で答える。


「...『終焉』の根源は私が絶つ。他の者に手出しはさせん。」


「なんだその理由...?そんな理由で騎士を気絶させたのか?」


「そんな理由だと?これは私の信念だ。例え汚れた魂となったとしても、貫き通さねばならない。」


「終焉」という言葉を発する時のジャックからは、尋常ではない殺気を感じる。気を限界まで引き締めていなければ、正気を保つことさえ難しいほどに。それはアーガイルやホルクスも同じで、アーガイルに至っては恐怖で目に涙を浮かべている。


「フフフ、そんなに怯えるでない...安心せい。ここで見た事はもう二度と、思い出すこともない...」


「それはどういう...」


ミッシェラは扇を口に当て、嗜虐的、嘲笑的な目つきでこちらを見ている。その肩は笑いを堪えきれずに震えており、彼女の不気味さを一層引き立てている。


「――! そういえばお前の精霊はどこに...!!」


「フフフ、気付いた時にはもう遅い...既に貴様らの後ろには、リブラリアの手が回っておる。」


振り返り、本と鎌を携えた白骨を見たときには、アーガイルを含めた3人の意識は無くなりかけていた。まるで死神のようなその精霊は、左手に持っていた本を開き、懐から羽根ペンのようなものを取り出し、黒い表紙の本に何かを書き込んでゆく。体から力が抜け、ただその行為を見つめる事しかできない。


「な、にを...」


「答える意味もないわ。しばらくすれば目が覚めるじゃろう。死にはせん。」


ミッシェラのその言葉を最後に、アーガイルを含めた3人は完全に意識を失う。力が抜けたようにその場にバタリと倒れた。


それからしばらく後に路地で目覚めたアーガイル達の頭の中にはミッシェラ達に出会った時間の記憶が、全く残っていなかった。


***********************


「よっ、ほっ、ととっ、この辺りはなんだか坂ばかりね。」


「まぁ辛抱するしかないじゃろう。全く、年寄りにも容赦ないのぅ。」


レティシアとアロイジウスは、戦線の右側に向かって足を進めていた。隼太はシクリーを背負いながら、軽快に街を駆ける。隼太は元々運動も大の得意であり、子供(のような精霊)を一人背負って走ったとしてもパフォーマンスにさほど影響はない。今はレティシアとアロイジウスのペースに合わせ、比較的ゆっくりとした速度で前進している。


しばらく進むと坂道の多い道を抜けた。さっきよりも見通しのよい道を進んでゆく。これなら突然の襲撃も起こりづらいだろう。...と思った矢先、


「...なぁ、アロイジウスさん...」


「む、なんじゃ?ハヤタくん。」


「――アレ、誰だ?」


隼太たちの目の前の通りには、一人の人間がポツリと立っている。その服装はどこか騎士団のものと似ているように思えるが、色や細かい形が違う。まだ距離は遠いものの、敵である可能性があるため、十分に警戒する必要がある。隼太は2人の前に出て、グロースをいつでも出せるようにスタンバイする。隼太の顔には先ほどのような余裕はなく、鋭い目を顔に付け、警戒心を高めている。それはレティシアやアロイジウスも同じ事だ。これが他の候補者たちと分かれてから初めて会う人間だ。気をつけなければならない。


「――ぅおぉッ!?」


突然、80mほど遠くにいたハズの人影が、すぐ目の前、隼太の5メートル先くらいまでいきなり近づいてきた。今度はこの前の空間魔法使いのような瞬間移動的な動きではなく、単純に足で地面を蹴って近づいてきたのだ。そのスピードは緩まず、彼の手に握られた剣はこちらに向いたまま、彼との距離は5メートルを切る。


「らぁぁぁああッ!!」


隼太はスタンバイさせていたグロースを引き出し、彼の剣に、体に、グロースの拳をたたき込む。その拳スピードはまさに目にも止まらない速さだ。同時に何本もの手から拳が繰り出されているようにさえ見える。誰の目から見ても完全に捉えたかに見えたその攻撃...だが、


「くそっ、嘘だろ、かわされてる!」


信じられない反射神経だ。初手でグロースが弾いたはずの剣を一瞬で立て直し、繰り出される拳の全てを剣で防ぎ、かわしていたのだ。グロースと隼太に損傷はないが、この攻撃が防がれたとなるとなかなか骨の折れる相手だということが分かる。


「――珍しい精霊ですね。」


突然、彼が話を始める。近くで見ると彼が明らかに騎士団の人間ではない事が分かる。なぜ、という事はないのだが、なぜだか直感でそう確信できた。濃い青色の髪に、線のように細い目、口元は微笑んだまま変わらない。騎士団の制服のような物は色を黒く染めてあり、白を基調とした騎士団の制服とはまるで違った。


「――見えてるのか」


「僕も精霊は何度も見たことがありますがこんなのは初めてです。それにその出現の仕方。まるであの忌々しいセシリアのよう...」


「それ以上セシリアちゃんを侮辱するのは許さないわぁ。それにこいつ、なんだか危険なニオイがする...」


不意にできた隙を突き、青髪の彼の後ろにシクリーが回り込んでいた。手が直接触れており、いつでも能力が使える状態だ。


「おやおや...これは困りました。私としたことが彼とのお喋りに現を抜かしてしまうとは。黒騎士ニケ・サザヴィー、まだまだ反省する必要がありますね。この前も腕を切り落とした騎士さんにずっと話しかけていたらとどめを刺さないうちに出血で死んでしまいましてね、いやぁもったいない事をしたもんだなぁと思いますよ。僕は元来大事な時になぜだか集中力が切れて相手とお喋りしたくなってしまうんですよ。これは子供の時からのクセなので直そうと思ってもなかなか直らないし実は結構悩んでるんですよね。誰に聞いても直し方を知らないし。思いつく事は全部試したんですよ?口を塞いでみたり、斬る前喋り疲れるまで喋ってみたり。でも口を塞ぐと笑ってるのが見えないじゃないですか。僕は斬る相手を怖がらせないように絶対に笑顔を崩さないって決めてるんです。だって怖い顔して殺されるくらいなら楽しんで殺してもらった方が嬉しいじゃないですか?僕はそう思ってるんです。それに斬る前にたくさんお喋りしたりもしたんですけど、そういう時って大体話に応じてくれないんですよ。大抵は喋ってる最中に襲ってくるし...だからそれも辞めました。それからは誰かとお喋りする時は絶対に動けない程度に痛めつけてからにしてるんです。そうすれば話し終わるまでずっと聞いていてくれるから...」


「...ブツブツ何をいってんのかしらぁ?これ以上勝手に口を開くなら容赦しないわよぉ?」


誰も返事をしないままにブツブツと一人で話し続ける彼に痺れを切らしたシクリーが、黒騎士ニケ・サザヴィーと名乗る彼を恫喝する。


「おっと...申し訳ない、また悪い癖だ...喋るのは痛めつけてからって決めてるのに...」


「なにを...」


「...話し足りないので、まずは斬らせてもらいますね。」


ニケはそう口にすると、また信じられないようなスピードでシクリーの手を離れる。咄嗟に打ち込んだグロースの拳は彼には命中せず、地面を叩いて小さなクレーターのような穴を作るだけだった。


「...アロイジウスさん!後ろだ!!」


「ぬぅッ!?」


視界を広げ、異常なスピードで動き回るニケを無理矢理に目に捉える。が、それは彼に攻撃を当てられる、という事ではない。目で追うのも難しい彼に狙って攻撃を当てる事は難しい。


「――まず一人。」


そう呟いてニケの腕から剣が射出されるように突き出される。距離はみるみるうちに縮まり、もう彼の剣はアロイジウスの目の前だ。しかし――


「そう簡単には行かんぞ?」


突然、ニケの足下の地面がもの凄い早さで隆起し、彼の足下を掬う。


「...土魔法。」


ニケは華麗に着地し、微笑んだままそう呟く。舗装されていた地面はすでに原型を留めず、壁のようなものが出来ていた。


「アロイジウスさん魔法使えたのか...って、それどころじゃない!また来るぞ!」


アロイジウスの新たな引き出しに感心していられる状況ではない。ニケはその足を止めず、未だ高速移動を続ける。一瞬でも視界から姿を見失うと、突然の攻撃が仕掛けられる。それをなんとかグロースの拳で弾き、防御する。このスピードでついていけるのはグロースとアロイジウスの土魔法だけだ。この状況では戦闘に参加できないシクリーとレティシアはアロイジウスの近くで土魔法の防御壁に隠れている。


「どうにか状況を変えないことにはどうにもならないぞ...」


今の状況がこのまま続けば、アロイジウスの魔力が切れ、レティシア達に被害が及んでしまうだろう。それだけは避けなければならない。


「何か使える物ないか...ん?」


隼太は冷静になると、自分の上着の左ポケットに少し感じる重みに手を伸ばしてみる。


「...!これは!」


ほのかに熱を持つそれを左手に握り、穴だらけの前方の地面を見つめる。


「いけるかもしれない、グロース、『能力』を使うぞ。」


『お任せ下さい』


2人は息を合わせ、それを行動に移す。作戦を説明する必要はない。彼らは互いが「自分」なのだから。


グロースに握っていた物を手渡し、ニケの攻撃を防ぐ動きの中に「作戦」を織り交ぜてゆく。精密なその動きが隼太とグロースの深い繋がりを感じさせる。精霊使いではない者には、今の隼太はただ地面に膝を付いているだけのように見えるだろう。


「ハヤタくん、このままではマズい!なんとかしてここから脱出しなければ!」


同じ高位精霊使いであるアロイジウスの瞳にもハッキリと映らないほど高速で繰り出されるグロースの拳。彼の目には隼太がただ攻撃を防いでいるようにしか映っていなかった。


「それは、できませんよアロイジウスさん。」


「なぜじゃ!ここで無理をしてもこのまま全滅するだけじゃぞ!負けてしまう!」


「いいや違いますよ、今、勝ちたいなら、負けたくないのなら!逆なんです、取るべき行動は!選択は!」


隼太はアロイジウスの忠告を全く受け入れないどころか、この防戦一方の状況において退避という選択肢を取らず、このまま戦おうというのだ。ただ、隼太の顔に先ほどのような焦りの表情はない。鋭い目つきは変えないものの、堂々とした雰囲気を漂わせている。数分前とは全く別である。


「おやおや、素直に斬られる気になりましたか?」


ニケが一旦動きを止め、隼太の10mほど先に立っている。あれほどまでの高速移動をしていながら、彼の息には乱れがなく、微笑みも未だ健在だ。


「馬鹿言うな。これからブッ飛ばされるのはお前の方なんだ...決して、俺じゃあない...」


「...全く、何を言っているのかわかりませんね...斬る。」


ニケはそう言うと、再度移動を始めて隼太を囲むように剣撃を縦横無尽に放つ。グロースのスピードを持ってしてもその全てを防ぐことはできず、隼太の体には切り傷が刻まれてゆく。


「ハヤタくん!状況を変えなければ!このままでは本当に死んでしまうぞッ!!」


「安心して下さい。俺の作戦は既に、完了していますから。」


隼太は少し猫背気味になりながら、この状況に似合わないクールな声でそう言って見せた。無論ニケはその言葉に疑問を抱いているようで、「何を...」と小さく呟いた。しかしそのスピードを緩めることはせず、剣撃も変わらない威力のまま隼太を切りつけてゆく。


これの何が作戦なのか、アロイジウスにはまるでわからなかった。ただ切りつけられているだけではないのか。隼太の体の傷はどんどん増え、ついには立っている事さえできなくなり、地面に膝を付いてしまった。


「ぐっ...」


「終わりですね。次の一撃で再起不能にさせて頂きます。」


ニケは隼太の正面に立ち、隼太にとどめを刺そうとしているようだ。隼太の体からは大量の血が流れ、すぐにでも手当が必要な状態だ。ニケは剣を隼太に向け、このまま突撃する体勢を整えている。


「おっと、気をつけなよ。と、言ったところでもう遅いか...どうやら既に決着は『ついている』ようだしな...」


「――――」


とどめを刺されようとしている状況にも関わらず、隼太の声に乱心はない。それがニケの心に引っかかり、一瞬突撃のタイミングを遅らせた。


「あ~あ...俺が元いた世界なら『地雷原』で走り回る馬鹿野郎なんていなかったが、ここじゃその知識もないんだったか。」


「さっきから何を言っているのかサッパリですね...気が狂ってしまったのか...だがそれは関係のないこと。これで終わりです...!」


ニケが地面を蹴り、隼太に突撃してくるーーーことは無かった。彼がもし「そこ」を踏んでいなかったのなら、「そこ」以外の場所から攻撃を仕掛けてきたのなら、彼の剣は隼太を貫いていたことだろう。だが結果は違った。


「――っぐああああああぁぁぁぁっっっ!!!???」


響いたのは隼太の痛みに耐えきれずに出た叫びでも、仲間を殺された悲しみに、怒りに対して出た叫びでもなかった。足を吹き飛ばされた黒騎士の、突然の痛みと驚き、そして煮えたぎるような怒りから出た断末魔である。


「やれやれ、地雷。殺すまでの威力はないにしても、お前の自慢の『脚』を止めることはできたらしいな。」


ニケの脚を爆風と共に吹き飛ばしたのは紛れもない「地雷」であった。隼太のいた世界では、そのタチの悪さから「悪魔の兵器」とも呼ばれていた代物だ。


「き、貴様ァアアアアアッ!!!何をしたッッ!!!」


「...お前の脚を飛ばしたのは俺じゃあない。お前の不用心がお前を殺した。」


「私の、不用心...!?」


「お前は最後の攻撃を仕掛ける時、グロースがたたき割って出来た穴の開いた地面を踏んだんだ。地雷はそのときいくつも地面に埋め込んだ『火の魔鉱石』を『成長』させて作った。」


隼太は「成長」の能力が状況に応じた変化をする、という仮説を立てていた。竜車を自動車に変えたとき、普通の乗用車ではなくオフロードに対応した車種に変化した時に「そういう性質」があるのではないか、と考えたのだ。


そして、その仮説は証明された。一気に割ると爆発を起こす「火の魔鉱石」を地面に埋めた状態で成長させれば、「地雷」に成長するのでは、という可能性に賭けたのだ。この魔鉱石は隼太がこの世界に来て初めて話した相手、魔鉱石屋の老人から別れの言葉代わりに貰ったものだ。彼にはいずれ礼を言わねばならないだろう。


「そして、お前がもう動けないなら、グロースの成長や拳で倒すよりも...」


「あたしの方が手っ取り早い、って事ねぇ。」


脚を失ったニケの肩には、金髪の少女のような精霊が手を添えていた。


「安心しなさぁい。一瞬で、痛みもなく殺してあげるわぁ。」


「わ、私は...!まだ死ねんのだ...!魔女を、この手で解放するまで...そのお顔を拝むまで...!」


ニケは焦点の合わない眼球を震わせ、唇がかみ切れそうなほど顎に力を入れている。


「ここで死ぬわけにはいかんのだーーーッ!!!」


「はい、おーわり。」


ニケの最後の叫びにも、シクリーは全く応じず、ある意味残酷なほど簡潔に彼の生命を終わらせた。体中の液体が完全な固体となり、体は驚くほど硬くなっている。


「ハヤタ!大丈夫!?」


「あぁレティシア...ごめん、迷惑かけた」


「もう、何言ってるの!今直してあげるから...」


今レティシアがいなければ、隼太は出血多量で死んでいただろう。この作戦はレティシアの治癒魔術あってのものだと言っても過言ではない。


「...ハヤタくん、もうこのような危険な作戦はしないでくれないかのぅ。」


「アロイジウスさん...」


「君が彼奴の攻撃で殺されていた可能性は十分にあった...レティシアの治癒魔術とて、死んだ人間は治せない。君が死んだら皆悲しむ...」


「――――」


「じゃが、ありがとう。君がいなければ彼奴に殺されていたじゃろう。もっと自分を大事にして欲しいが、君のおかげで助かった。本当にありがとう。」


アロイジウスが頭を下げる。従者として命を張って主人を守るのは当然であり、義務でもある。だが彼はその当然の義務に対して頭を下げて感謝しているのだ。隼太は前に、自分のせいで事故に遭った隼太を治してくれたにも関わらず、自分の責任だと謝罪をしてきたレティシアをそこに重ねていた。マーティン家の人間は代々高貴な精神を受け継いできたのだと、隼太は確信した。


レティシアの治療により傷はすぐに完治した。先ほどまでの状態が嘘のようだ。


「ここでじっとしていてもさらに敵の襲撃に遭うかもしれない。先に進もう。」


レティシア陣営の5人は再び歩き始めた。ずっと前に潜む「厄災」に向かって――――

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