第六話
フーダニット。
というのはミステリ用語で、『誰が犯行を行ったのか』を主題とする推理小説のジャンルのひとつだ。英語のWho(has)done it?からきている。日本語で『犯人当て』とも称される系統の作品で、ほぼすべての推理小説がこれに当てはまると思う(もちろん例外はある。私的にその中のベストが『屋根裏の散歩者』だ)。
というわけで、月曜日の朝七時五十分。私は風花と通学路を歩いているのだった。
「ねえー風花ー、なんで中一は自転車使っちゃいけないんだろうねー?」
「事故を起こしやすいからでしょうね」
「そうかもね……去年の中一なんか一年で五十回も事故った奴がいるって聞いたよ」
「……それはさすがに多いですね、ほとんど一週間に一回の頻度ではありませんか。やはり自転車にも免許が必要だと私は思います」
「だよねー」
「大体自転車に乗る際にはヘルメットの着用が必要です。香川県では学生がヘルメット無しで自転車に乗っていると警察官に注意されると聞きます。ひるがえってみて、この一帯はどうですか。ヘルメットをつけている人の方が珍しいと言うおかしな地域になってしまっています。もちろん、……」
……。
風花は私の数少ない友人の一人で唯一の親友であり、勉強ができて性格もいい、私にはもったいないくらいのいい奴なのだが、少しばかり真面目すぎるのが難点だ。さきほどの会話からも分かる通り、一番の親友である私に対しても敬語で話すし(聞けば両親に対してもそうらしい)、模試の問題にわずかな瑕疵があってもそれが気になって問題が解けなくなるらしい。それでも七百人中トップ十人に入るというのだから、私なんか足元にも及ばない。
「……で、結局どうなのですか?」
あ、自転車に関する考察は終わったらしい。
「? ごめん、よく聞いていなかった……何?」
「いえ、その『一年で五十回も事故った奴』ですよ。骨折などの負傷はなさっていないのですか?」
「それが全然。なんだか自転車部並みのスピードでガンガン飛ばしまくる人らしくって、知り合いは『いまだに大怪我に至っていないのが不思議だ』って言っていた」
「そうですか……」
そうなのだ。驚きの悪運。
「それより、今朝はなんだか気分がすぐれないようですが、大丈夫ですか?風邪なら問題ないですが、インフルエンザなどでしたら学校を休んだ方がいいですよ?」
「この時期風邪はともかくインフルエンザはないでしょ……」
「いえ、それがインフルエンザというものはなかなかしぶといようでして、毎年四月になっても発症者がいるんですよ?」
「へー、そうなんだ……じゃなくって、いや、別に病気だってわけじゃないのよ」
うん、風花に相談してみるのもいいかもしれない。これでも学年トップレベルの秀才だし。
いや、だがしかし。確かに風花はかなり頭がいいが、相川部長の『賢さ』とはまた別のものだ。変に相談して、風花を困らせても悪いし。
「いや、なんでもないよ。うん、ちょっとお母さんと喧嘩しちゃってね……」
お母さんに泥を被ってもらおう。ごめんね。
「家庭がうまくいかないと、人格の形成に支障をきたしますよ?早く仲直りすることをお勧めします」
「うん……今日帰ったら謝る」
唯一無二の親友に嘘をつくのはかなりの罪悪感を覚えるが、致し方なし。というかどういう諭し方だ、今の。
そうこうしているうちに、学校に着いた。始業まで三十分。真面目人間風花と一緒に登校すると遅刻の心配がないのでうれしい。
結局、その日は授業が全く頭に入らなかった。ノートをほとんどと言っていいほどとっていなかったので、後日私は友達にノートを借りるために奔走することになる。
しかしどうも私は幽体離脱中に限りなく近い状態だったようで、あの三村をして『保健室へ行った方がいい』と言わしめたそうだ(私自身は覚えていない)。
しかし部活動の時間が近付いたからだろう、六時間目の後のHRの途中で、私は完全復活した(その際にラドンのような奇声を上げたらしい)。掃除を放り出し部室へ一直線にダッシュする。何人か突き飛ばしたが許してほしい。
ノックを二回して、部室へ突入!
「お邪魔します!」
ソファには、相川部長と中条が座っていた。
……早いじゃないか、中条。
しかしなんでこんなに早いんだ?まだ六時間目が終わって四分しか経っていないのに……。
「人のことは言えないんじゃないのかな、上原ちゃん?」
苦笑交じりに相川部長が言う。
この人はサトリの妖怪か。
……この人たちに呑まれて、危うく本題を忘れるところだった。ソファにどっかりと腰を下ろす私。
「で、相川部長。今週、何があるんですか?」
「ん?私、なにかあるって言ったっけ?」
にやにやしながら言う相川部長。絶対分かって言っているだろ。
中条も私を援護する。
「とぼけないで下さいよ……先週、ポロっとこぼしたじゃないですか。『来週は忙しくなる』って……」
中条、ナイス!
「うーん……本当はこれ、木曜日ぐらいにサプライズで言うつもりだったんだけどな……まあ、いいか」
さて、何が出るかな?わくわく。
「それでは――――本入部用の入部試験を、開始します」
……は?
え、ちょ。
「嘘ー!」
待て、落ち着け私。驚いたときにいちいち叫ぶ癖は直したほうがいい。周りの迷惑だ。
あれ?なんかデジャブ。前にもこんな展開あったような……ああそうだ、最初の入部試験の時だ。あの時も同じような状況だった。
見れば、相川部長は最初から両手で耳を押さえていた。学習能力の高い人だ。
……しかし私の声は、そんなに脅威なのだろうか?まるでジャイアンではないか。
「いや、上原ちゃん……君の叫び声は、半径百メートル以内なら十分音響兵器として通用すると思うよ」
耳を押さえていたからか、ほとんどダメージを受けなった様子の相川部長。それに比べると私の横に座っている中条の被害は甚大だ。さっきからしきりに耳を叩いている。無理もない、相川部長言うところの『音響兵器』をほぼ零距離で食らったのだ。私の声にはそれくらいの効果はあるらしい。
「やれやれ、上原ちゃんはまだまだワトソン止まりだね。こんなことで動揺しているようでは、ホームズなんて夢のまた夢」
「人の事は放っといてください。それより入部試験って……」
うん、何とかごまかせた。
「全然ごまかせてないよ」
「だから!人の心を読まないでください!煙を焚きますよ!」
「読めてしまうものは仕方がないじゃないか。上原ちゃんは気持ちが顔に出やすいし」
うー!人のことを単純バカみたいに……。
「で、そうそう。本入部試験の話だったね」
話を逸らされた……。仕方ない。
「そうです」
「この間受けてもらったのは仮入部用で……中条君、生きてる?」
「ええ……さっきの音がまだ頭の中で響いていますが、何とか生きています……」
うむ、悪いことをしてしまった。ここは素直に謝ろう。
「ごめんね?」
「……」
恨みのこもった眼で睨まれた。人が素直に謝っているのに、なんという奴だ!……まあ私が悪いんだけどね。
「うん、中条君が死んでいないのなら、説明続行。この間受けてもらったのは仮入部用の試験で、我が部には代々本入部用の試験も存在する。一代目の部長が作った伝統ある問題だ」
まあともかく、と続けて、『栄光の一代目』とか『無個性の二代目』『無能の三代目』とかブツブツ呟いていたが、何の話だろう?
「――ともかく。本入部用の試験をこれから受けてもらうわけだが……問題は一問だけ。二人で協力して解くこと。今週の金曜日の午後五時までに、顧問の有栖川に回答を提出して正解なら、二人とも晴れて我が部の一員だ」
いいつつ、鍵を差し込んで金庫を開ける相川部長。
「この金庫ね、見た目は普通だけれども、鍵にICチップを仕込んだから世界にただ一つ、この鍵でしか開けられないんだ。ピッキングは不可能」
自慢げに言いつつ金庫からファイルを取り出す相川部長。
「そしてこの鍵は私が肌身離さず持っているのだ」
鍵をポケットに入れる相川部長。
「はあ……」
それがどうしたと言いたげな中条。
「それでこのファイルの中に問題が……」
しかし、
「あれ?」
ファイルを開けて怪訝な顔をする相川部長。
どうしたんだろう?
「うーん困った」
はぁ、と嘆息する相川部長。
「なくなっている」