第三話
翌日の朝の目覚めは最悪だった。
まず起きて、全身汗っぽいのに気付き、そして次の瞬間、服のままで寝てしまったことに気付いた。
なんてこった。
やっぱり入部試験で疲れていたのだろうか。しかも間の悪いことに(間の抜けたことに?)、目覚まし時計の針は『八時三十五分』を指していた。
……HRが始まってしまっているじゃないか。仕方ない、どうやっても遅刻は確定なのだから、まずは風呂に入ろう。……しかし入学五日で遅刻って相当心証悪そうだ。
一階へ降りていくと、父も母も妹もみんないなかった。当然か。会社も小学校も八時四十分には確実に始業している。
少し寂しくなりながらも、シャワーを浴びた。大体八時半を過ぎても起きてこない私がおかしいのだ。
シャワーを浴び、髪を梳かし、肌の手入れをして、もういちど二階に上がり、制服に着替えて、リビングに降りてくる。ここまで大急ぎでやって四十五分。
……母が朝食を用意してくれているが、どうしよう?時計を見ると、九時三十分だった。私の家から学校までは歩いて四十分かかるので、今から家を出ても確実に二時間目には遅刻だ。ならばやはり朝食を食べてからのほうがいいだろう。食べ物を粗末にしてはいけない。
椅子に座って、両手を合わせる。
「いただきます」
今日のメニューは白ごはんに焼き鮭、味噌汁におひたしと、典型的な『日本の朝ごはん』だった。……まあ朝ごはんというにはいささか遅めの時間ではあるが。
うちの家族はそろって日本食派である。朝ごはんにパンを食べたことなど一度もない。妹に至ってはもう小学五年生なのに、ファーストフード店に足を踏み入れたことすらない(これはまた別の話か)。
ともあれ日本食愛好家の我が家の母が作るごはんは素材も厳選されていて、とてもおいしい。人はよく、『おいしいものを毎日食べるとそれに慣れてしまう』というが、そんなことはない。私は十二年間このご飯を食べ続けてきたが、毎日おいしさにびっくりする。
ともあれ中学一年生女子にふさわしい量の食事だったので(そろそろ私も体重を気にしなければならない年だ)、朝食自体は十五分で食べ終わった。誰も家にいないので、食器は自分で洗うべきだろう。中学一年生ともなれば、家事手伝いくらいはすべきだ。そういえば昨日の制服も洗濯機に放り込んだままだ。洗濯もしておこう。
洗濯機に一カップずつ洗剤を入れながらふと時計を見ると――十時十分だった。
まずい!学校まで四十分、そして三時間目は十時五十分からだ!三時間目は数学で、担当の三村という教師は遅刻にとても厳しいのだ。チャイムの鳴り始めに席についていないだけでも怒るのに、寝坊などというふざけた理由で三時間目に登校してくる生徒には、どんな雷が落ちるのか……。恐怖で洗剤をこぼしてしまった。鏡を見ると顔が幽霊より青くなっている。
いや、洗剤のことを気にしている場合ではない。走れば間に合うかも……。
カップを放り出し、カバンを持って靴を履き、家から飛び出す私(鍵をかけ忘れた)。
いつもより足が速くなったように感じられる。
なんとか間に合うかも。
まあこういう場合はだいたい遅刻するものという鉄則があるらしく、私は授業開始から十五分後に学校に到着した。三村が風邪でも引いて休んでいないかと淡い期待を抱いて教室の窓からのぞくと、黒板に数式を書いている三村のハゲ頭が見えた。……なんで微分積分とか書いているんだ、中一の二回目の授業だぞ?
……しかし困った。かくなる上は三村の授業を丸ごとサボタージュしてしまおうかと思案していると、三村に目ざとく見つけられ、数学の時間の残り三十分はすべて私の説教に費やされた。遅刻の理由に、事故にあったとか病院に行っていたとかもっともらしい理屈をでっち上げようかとも思ったが、私は嘘がうまくない。ちなみに説教の三十分間は丸ごと自習になったらしく、クラスメイト達が喜んでいた。ふざけるな。
四時間目は歴史で何事もなく終了、よかった……とカバンを開けると、顔が真っ青になった(今日何回目だ)。
弁当箱がない。
……そういえば遅刻しそうになって慌てて出てきたから、弁当入れ忘れていたな……。弁当に申し訳ない。
お陰で私は、風花たちが楽しく弁当を食べている目の前で、手持ち無沙汰に椅子に座っているという新たな経験をした(おしゃべりには参加したけれども)。レベルが三つくらい上がったのではなかろうか。しかし目の前に食料があるのにそれを食べることができないというのは、想像以上にきついものがあった。
しかし厄日というものは存在するもので、私は五時間目の美術では何十万円とするという川村先生の壺を破壊してしまって説教をされ(『そんな高価な物を美術室に置くほうが悪い』と反論したら説教が五分伸びた)、六時間目の山本の文法では教科書を忘れたために三点減点された。
HRの後の掃除では、馬鹿な男子が防火扉にもたれかかって警報を鳴らし、そばにいた私まで説教を食らうはめになった。私は悪くない。
四十分にわたる生徒部での説教から解放されたとき、私のHPはどれぐらい残っていただろうか。おそらく一割を切っていたはずだ。
もはや私の安息の地は文化部室棟№7だけだ。オアシスを求めてさまよう砂漠の旅行者のごとく、私はやっと部室までたどり着いて扉を開けると、
部室の中央に見知らぬ男子生徒が座っていた。