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入部試験  作者:
入部試験
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第一話

 私、上原(うえはら)美奈子(みなこ)

 当年とって十二歳。他人様より若干推理小説(ミステリ)というものが好きなだけの、極めてふつーの新中学一年生だ。誰に何と言われようと決して一般常識からはみ出したりなどしていない。


 よもやミステリというものが何かわからないという奇特な方はいらっしゃらないと思うが、ここで一応説明を。

 ミステリ――推理小説というのは小説の形態の一つで、おもに不可解な謎とその解決の過程を描くタイプの小説のことだ。探偵小説とか呼ばれたりもする。

 世界初の推理小説はエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』で、1841年に書かれた。こと現在に至るまで『推理小説と言えば密室』という概念を作ったのもこの作品であるが、まあその話はまたいずれ。

 その後百五十年以上の連綿たる歴史の中で、何百何千何万もの推理小説が書かれている。

 推理小説の中でも警察ものや日常の謎、ハードボイルドなど様々なカテゴリがあるが、特に私が好むのは『本格ミステリ』と呼ばれるタイプの推理小説だ。


 などとこんな益体もないことを考えつつ、私がつい数日前に入学したばかりの中学校の部室棟の廊下を一人さみしく歩いているのには訳がある。

 それというのも――


 と、突然目の前の部室の扉が開いて、一人の女子生徒が出てきた。雰囲気としては眼鏡をかけていて(決めつけては失礼だが)文学少女といった感じがする。学年章が私と同じ色なのでおそらく中一だろう。むすっとした顔つきで、足早に廊下の向こうへ消えていった。何か嫌なことでもあったのだろうか。

 ……待てよ。

 ふと思いついたことがあったので、彼女の出てきた部室の扉を見てみる。確かこのあたりだったはず、私の勘が正しければこの部室がおそらく――。

 扉の真ん中に貼り付けられたプラスチックの安っぽいプレートには『部室NO.7』と書いてあった。

 やはりそうだったか。どうやら目的地に着いたようだ、重畳重畳。

 ノックしようとして、手が止まる。こんな奇妙奇天烈支離滅裂な部活に所属している人間に、そんな常識が通用するのだろうか。通用しないだけならいい。この部活に常識人は必要ないなどと言われたらどうしよう。

 ……なんだか今日はネガティブ思考が強い。やっぱり緊張しているのだろう。だいたいノックの有無程度で腹を立てるような非常識な人間がいるわけない。ノックをするのは文明人の責務だ。

 無理やり思考をプラマイゼロあたりまで持っていってから、意を決して扉を叩く。数秒ほどの間があって、中から返事が。

「はーい」


 おや。

 女子のようだ。こんな部活に所属しているとは、物好きな人もいるものである。……もっとも私も人のことは言えないのだが。

 とりあえず先程の返事を入室許可と解釈し、思い切って扉を開けると、

 

 ――そこには楽園が広がっていた。


 私立であるとは言え所詮は中学校のいち部室、さほど広い部屋ではない。しかしそのさほど広いわけではない部室には、山のような本が詰め込まれていた。

 おそらく廃材などを集めてきて組み上げたのだろう木製の本棚が四方を取り囲んでいて、その全ての段にぎっしりと文庫本が詰まっている。のみならず、本来ならば人間が座るべき部室の中央のスペースには様々な装丁の単行本が積み重ねられていて本の山を作っていた。ところどころにコミックらしきものも見える。

 古本屋か何かのような紙の匂いに圧倒され軽い思考停止状態に陥っていた私を現実に引き戻してくれたのは、さきほどの声の主だった。

「ようこそ」

「あ、どうも、お邪魔します……」

 答えながら顔を正面に戻すと、これまた結構な美人がそこにいた。

 艶やかな黒髪はストレートでロング。猫のように細い目は、理知的な雰囲気を漂わせている。そして目算で170ほどありそうな身長は、彼女を可愛いというより格好よく見せていた。

 ……うらやましい。背が低い女子が好きという男も世の中にはいるらしいが、152センチで成長が止まった私にもその言葉が言えるのか。

「えっと……一応聞いとくけど、きみはこの部室に用があってきたんだよね?」

 まあ、客として入ってきた可能性と部室を間違えて入ってきた可能性を天秤にかけるなら普通は間違えた方だろう。こんな変な部室(褒め言葉)だし。

「ふむ、学年章から見るに中一だね。入部希望者かな? それとも冷やかし?」

「入部希望の方です」

 胸を張って言う。ここは私のアイデンティティに関わる問題だ。

「あぁ、これは嬉しい。実を言うとさっきも入部希望じゃない中一が来たばっかりでね……ささ、どうぞどうぞ」

 察するに、『入部希望じゃない中一』というのはさっきのむすっとしてた子だろう。

 などと考えている間に、私は美人さんに袖を掴まれて本の山の裏に連れ込まれた。入口からは見えなかったが、そこには二つのソファが。片方が一人掛けで、もう片方が長いやつ。一応、本を読むのに最低限の設備はあるらしい。

 手で長いほうのソファを示し、自分はもう片方のソファを対面に引き寄せてきて座る美人さん。

 真っ赤な口が開く。

「それでは改めまして……推理小説研究部へ、ようこそ」




 一口にミステリと言っても様々な意味、様々なジャンルがあるのはさっき述べたとおりだが、読む人間が違う以上個人個人の嗜好は大きく異なってくるはずだ。とりわけどこまでをミステリに含めるかの定義は人それぞれで(自分の定義から外れてなおかつ世間的にミステリと呼ばれているものは、彼らはえてして『ミステリ風小説』と呼ぶ)しばしば議論の対象になったりならなったり。サスペンス小説や警察小説などまで含める心の広い人もいるだろうし、ミステリの枠組みから外れていても、例えば叙述トリックなど少しでもミステリ要素があればすべてミステリという人もいるだろう。ちなみに私は、そのジャンルの中でも特に制約の多い(具体的に言うと、フェアプレイを遵守する)本格ミステリと、日常の謎系統くらいしか読まない。別に他のがミステリでないと言っているわけではないのでそこそこ心が広いだろう。ただ私の好みに合わないというだけで。


 そこで翻って、『推理小説研究部』。

 ミステリ、中でも青春ミステリや学園ミステリにおいてはかなり頻繁に登場する部活ではあるが、しかし翻って現実世界では遭遇率は一パーセントを切るのではなかろうか(私が知っているのは京大とあと数校だけだ)。

 私は、そのうちの一部のジャンルだけではあるが他人様以上にはミステリが好きなので、小六の時地元新聞の学校紹介欄でそのような部活があると知って迷わず受験を決意した。それまで縁がなかった塾に週五回通い血の滲むような特訓をして、艱難辛苦の末合格発表で自分の番号を見つけた時は思わず涙が出た。ちなみにその新聞記事を見たのは受験の二月前だった。




「というわけで、私の名前は相川(あいかわ)真純(ますみ)――推理小説研究部部長よ。高一」

「あ、中一の上原美奈子です、こちらこそよろしくお願いします」

 美人さん――もとい相川さんと握手する。案外暖かい手だった。

「えーっと……時々興味本位で来る人がいるから一応聞くんだけど……この部活のこと、どこまで知ってる?」

 えーと……。

 実はほとんど知らなかったり。さっきの地元新聞の紹介欄だって、部活の名前の一覧表を載せているだけで活動内容までは書いていなかった。紙面を食うから当たり前なんだけど。

 ひょっとして、『推理小説研究部』っていうのは対外用の隠れ蓑で、本当はすごく危ない部活だったりするのだろうか? そういえばうちの担任が『あの部活に入ったら命がいくつあっても足りない』とか言っていたような……。

「実はあんまり……ミステリ好きのための部活ですよね?」

 恐る恐る聞いてみる。

「そうだよ?」

 はは、よかった……。

「あ、別に危ない部活じゃないよ。だいたい今は部員、私一人だけだし」

 考えたことがバレバレだった……って、ちょっと待った! 今とんでもないことをおっしゃりやがりませんでしたかこの人!?

「あの……今の『部員が一人』ってのは、部員が一人しかいないって意味ですか?」

「それ以外にどんな解釈ができるのかな?」

 さすがに馬鹿丸だしの質問だったか、と少し焦ったが、相川さんは軽く流してくれた。

「他に聞きたいことは?」

「いえ、ないです」

「じゃあ、説明再開……さっきも言ったとおり、部員は私一人。活動内容は、日がな一日この部室で推理小説を読み漁ること」

 自分の四方に山と積まれた推理小説を示す相川さん。これだけの量なら一か月や二か月で読み切ってしまうということはないだろう。

「退廃的ですねぇ」

「褒め言葉と受け取っておこう」

 うん、私好みの部活だ。……今すぐ廃部になりそうだけど。

「活動日は特に決まっていない。好きな時に来て好きなだけ本を読んで結構。あと年間三万円の部費が出るから、その範囲で推理小説を買ってきてもいいよ」

 おー、まさに天国!

「説明はこんなところかな……どう、入部する?」

「はい!」

 入らいでか!

「その意気やよし。……じゃあ、」

 じゃあ?


「入部試験を――開始します」


 ……え?

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