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空の座

姉と弟の男女が逆転したらどうなるか

作者: 深江 碧

「兄さん」

 妹に呼び止められて、兄は振り返った。

 財閥関係者を集めたパーティーで、財閥の御曹司である兄はたった今まで来客の対応に追われていて忙しかった。

 来客とあいさつや握手を交わし、ようやく一区切りついたところだった。

 グラスに満たされたジンジャーエールでのどを潤し、階下に降りて行こうかと思ったところだった。

「どうしたんだい、――」

 ドレスで着飾った彼の妹、財閥の令嬢である彼女は人の間をすり抜けて、兄のいる階段を上ってくる。

 一方の兄は皺ひとつない白いシャツの上に黒の燕尾服を着ている。

 短い黒髪をまとめ、整った顔立ちに青い瞳が優しげに揺れている。

 頭の先からつま先まで一部の乱れもなく、歩く姿まで優雅だった。

 妹は紫水晶の髪飾りがついた銀色の長い髪を揺らす。

 番犬のように油断なく辺りに目を配る。

「兄さん、あの人を見なかった? いつも兄さんを追いかけているあの女」

 兄に近付き、小声でささやく。

 その声には明らかな嫌悪感が含まれている。

 それだけで兄にはその相手が誰かわかった。

「叔母さんの次女さんのことかい? さあ? 今夜は見ていないけれど」

 兄は困ったように笑う。

 妹は目元をつり上げ、顔を紅潮させる。

「そう、あいつ。あの女は、夜会で兄さんを見つけるとすぐにやってくるんだ。前に追い返したのに、まだ諦めないんだから」

 親の仇のごとく吐き捨てる。

 濃い紫のドレスを揺らし、妹はきびすを返す。

「兄さんもあの女にはくれぐれも気を付けて。兄さんもわかってると思うけれど、あの猫をかぶった態度と言葉に騙されたら、ロクなことにならないんだからね!」

 忠告を置いて、早足で階段を降りていく。

「あぁ、気を付けるよ」

 兄は苦笑して妹を見送る。

 小さく息を吐き出す。

「あの子のことをわかってくれるいい相手が見つかれば、もう少し落ち着くかもしれないが。今は無理だろうな」

 本当の兄妹らしく妹の行く末に心配しつつ、兄はぽつりとつぶやいた。

 美人なのにもったいない、と言う兄の言葉は、当の妹には届かなかった。




「ねえ、姉さま。ボク、あの人が欲しいなあ。だってボクの人形にしたら楽しそうなんだもの」

 広間が見渡せる手すりにもたれかかり、ピンク色のドレスを着た四女は階段の踊り場に立っている兄を見下ろしている。

 その隣には姉である長女が黒いドレスを着て立っている。

「今はやめておきなさい。人に見られたら厄介だから」

 長女は冷たい声で返す。

 黒いドレスを一部の隙もなく着ている長女は文句のつけようもない美女だったが、どこか近寄りがたい雰囲気をまとっている。

「はーい、姉さま」

 四女は元気よく答える。

 レースをふんだんに使った薄いピンク色のドレスをまとった四女は、まるで人形のようにかわいらしかった。

 そのかわいらしい外見に騙され、誘われる男性は多かったが、男性たちのその後の行方はようとして知れない。

 権力と財力にものを言わせて表ざたにはなっていないが、影では人々に恐れられ、噂されていた。

 長女は冷たい口調で吐き捨てる。

「あんな無能な男、さっさと消せばいいものを。いつまで財閥の御曹司の座に座らせておくのか」

 広間を見下せる手すりを四女は両手でつかむ。

「しょうがないよ。伯母さんは優秀だもの。ボクらの母さんが一時期財閥の総裁の座に就いたけど、上手く財閥をまとめられなかったって言うしね」

「それは母さんが無能だったから、当然の結果だわ。私ならもっと上手くやる」

 長女の言に、四女はくすくすと笑う。

「姉さまなら、上手くやるだろうね。母さんと違って、姉さまは優秀だから」

 長女と四女の話し声も、広間の喧騒に紛れて他の人々には届かなかった。

 昼間以上に明るいシャンデリアの明かりの下、着飾った人々は皆楽しそうに笑い合い、ダンスを楽しんでいた。




「――様」

 階段の踊り場から広間を見下ろしていた兄は、掛けられた声に驚いて振り返った。

 そこには赤いドレスを着た先程の妹が吐き捨てていたあの女こと、次女が立っている。

 金色の長い髪には真っ赤なルビーの髪飾りをつけ、胸元が大胆に開いたデザインのドレスを着ている。

 妖艶な深緑の瞳は、見る者を魅了する輝きをまとっている。

 肌の色の白さとその美貌は、叔母である母親譲りだった。

 兄にとっては姪に当たる四姉妹は、美女ぞろいで有名だった。

「――様、お久しぶりです」

 次女は優雅に一礼する。

「あぁ、――嬢。今夜もお美しいですね」

 兄の表情がわずかに強張る。

 他の夜会で出会った相手と同じように意識して笑顔を作っているが、上手くいかない。

 兄にとって、どうにもこの女性は苦手だった。

 次女はにこにこと艶やかに笑っている。

「――様に美しいと言われるなんて、光栄ですわ。――様こそ、素敵なネクタイをお召ですね。そのデザインは特別なものなのですか?」

「えぇ、これはいつも父が愛用している作家のものです。デザインを起こすところから、生地選びや裁縫まで、すべて一人でやっているとか」

「それは興味深いですわ。よければその作家のお名前を教えていただきたいのですが」

「――嬢の頼みでしたら、喜んで」

 兄は快く作家の名前を教える。

 次女は兄の見るからに人の良さそうな顔を眺めている。

 白手袋のかかった細い手を、すっと兄に差し出す。

「――様はお一人ですか? よろしければわたくしとダンスをご一緒していただけないでしょうか?」

 次女に尋ねられて、兄は苦笑いを浮かべる。

「いえ、僕には既にパートナーがいますので、――嬢のご期待には沿うことが出来ません。申し訳ありませんが」

 兄の謝罪に、次女は嫌な顔一つしない。

「まあ、そうでしたか。では、ダンスは諦めます」

 艶やかな笑みを浮かべ、わずかに落胆した表情をする。

「申し訳ありません」

 次女の申し出を断ることには罪悪感を覚えたが、苦手な相手なので仕方がない。

 人の良い兄は胸が痛む思いだった。

 次女がしおらしくしたのは一瞬で、すぐに兄へと一歩踏み出す。

 大胆にもそっと体を近付ける。

「では、人気のない場所で二人だけでお話ししましょう。わたくし、あなたに聞きたいことが沢山あります。わたくしあなたをもっと知りたいと常々思っていますのよ」

 次女の細い手が兄の肩に添えられる。

 数々の男性と浮名を流してきた次女にとって、兄を籠絡することはいとも容易いように思われるが、これがなかなか落ちないのだった。

 兄は顔を赤らめて口ごもる。

「い、いえ、それは」

 女性に慣れていない兄は、こういった場合、どう断れば相手を傷つけずに済むのかわからない。

 断ろうとする強い意志はあっても、相手のことを思いやる兄にとって、無下に拒絶する訳にはいかなかった。

 ――どうやって断れば角が立たないだろう。

 次女の美貌や色気うんぬんはさておいて、恋愛ごとに疎い兄は断る方法を真剣に悩んでいた。

 脈ありと見たのか、次女はさらに体を寄せる。

「何を遠慮なさっているのかしら? ただ静かなところでおしゃべりしたいと言っているだけですのに」

「そ、それはそうですが」

 兄は冷や汗を流しつつ、後ずさろうとした。

 けれどその分次女も体を寄せて来て逃げることが出来ない。

「ちょっと、あなた!」

 すぐそばから鋭い声が上がる。

 見ると射るような眼差しで、妹が次女を睨んでいる。

「あぁら、妹さんが来ちゃった。残念」

 次女はぺろりと舌を出して、兄から離れる。

 兄はほっと胸をなで下ろし、次女から距離を取る。

 妹はつかつかと次女に歩み寄る。

「兄さん、母さんが呼んでるわ。ここはいいから、早く行ってあげて」

 兄に小声でささやき、妹は次女と対峙する。

「す、すまないな、――」

 兄は次女に一礼して、階段を降りていく。

「あぁ、待って下さい、――様」

 次女は兄の後姿に追いすがろうとする。

 その行く手を遮るように妹が前に出る。

 挑発するように次女を見据える。

「お話のお相手なら、わたしが致しますわ。――様」

 凄味のある笑みを浮かべ、妹は喧嘩腰で言い放つ。

「遠慮しておきますわ」

 次女は扇で口元を隠し、逃げるようにその場を後にした。

ごめんなさい、続く予定はないです。

もし好評なら続けるかもしれませんが、こんな怖い女性に囲まれる兄が不憫で仕方がありません…。

こんな作者の思いつきの作品にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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