2-5 妬欲罪源レヴィアタン 【前】
「地縛霊――?」
近づいてくる少女、レヴィアタンの発した言葉に疑問を持って聞き返す稔。ラクトもこれに関してはお手上げで、稔に対しての説明などを行ったりはしなかったことも影響していた。
「お前は、何か悪さをしたりするような奴なのか?」
「悪いことをする気にはなりません。私は嫉妬の罪源ですからね」
「それって精神攻撃を大量に行ってくる気がしてならないんだが……」
「それは誤解ですよ。嫉妬するだけで精神攻撃をする訳ではありません。嫉妬という感情と対象者を下に見ようとする感情がクロスしなければ、精神攻撃なんて起こるはずがないのですから」
「まあ、確かにそうだが……」
精神攻撃でなければ実力行使――と質問に出ようとするが、少女はか弱そうだ。女性だから弱いとかの話ではなくて、稔は何処か病弱気味なオーラ、近寄るべきではないと示すオーラ。そういったものを感じていた。だから、質問したとしても答えは決まっているものだと思う。けれど、そこでラクトが聞く。
「レヴィアタンは物理攻撃なら……」
「いえ、物理攻撃でもダメです。見世物にされた時点で答えは決まっているのですから」
自分と同様に話しづらい事情を抱えているレヴィアタンに、ラクトは何処か同情しそうになる。七人の罪源と聞いて先程のアスモデウスの事を真っ先に浮かべれば、気違いじみた行動を取るような女がそれに該当すると思うかもしれない。けれど、レヴィアタンは今のところそうではない。
一応は七人の罪源の一人であるアスモデウスとは、経験してきた内容が違いすぎたから完全な同情なんて不可能に近かったラクト。けれど今回は同情できそうだと感じた。ここまでであれば、擁護に回っても大丈夫そうであると、ラクトは強く思う。
「……言えないならいいんだが、見世物って一体どんなことをされたんだ?」
「稔、そういうのは聞くべきじゃな――」
ラクトがレヴィアタンの気持ちを考え、稔の質問を無かったことにしようとする。ただ、レヴィアタンは稔の質問を頷きながら聞き、「分かりました」と小声で言ってから深呼吸して話しだした。
「話は難しいかもしれませんが、ご了承下さい」
「そんなにかしこまらなくていいぞ。リートとかには『新国家元首』って言われるが、俺はそんな崇拝されるような奴になりたくないからな」
話し方が敬語なところは、どことなくリートに似ている。だから台詞の中、リート以外にスディーラからも『新国家元首』という言葉で稔は呼ばれいたとしても、それが有ったから『リート』という人物を一番最初に持ってきた。
そして稔が言い切った後、レヴィアタンは咳払いしてから話を始めた。
「……エルフィリア帝国は王都と東西南北の主要都市に慰安所を設置したんです。それで第二次世界大戦争が勃発して帝国軍が敗北、結果として不平等な条約を押し付けられることになります」
カタカナが連なっているのは嫌気が差しそうにならなくもなかったが、稔はリートからある程度は話を聞いていたので嫌になったりすることはなかった。
その一方でラクトは熱心に聞いていた。それは、それなりにエルフィリアに関して知っている彼女であっても、歴史関連はエルダレア優位の考え方で教育されているためである。なにせ、今はサキュバスであったことを知るものが少ないといっても、変えられぬ前世で彼女は、エルダレア出身だったのだから。
「その中に、『エルフィリア帝国の慰安婦に関する条項』が有るんです。それで一番トップに来ている文章が、『帝国軍の慰安婦の中から絶世の美女を一人選び、その者を公開処刑することで慰安婦問題を不問とする』という条項が有ったんです」
「そんな……」
考えられぬほどの圧倒的な差が有ったことはそこから生まれるが、美女を献上するなんていつの時代だと稔は思った。でも、それまでの非常識がこれからの常識になる(もちろん逆も有る)ことも考えれば、稔の一人の思いがその当時の多くの人の共通認識で無い可能性なんて大いにあるだろう。
「でも、圧倒的な発言力の前にひれ伏すしか無かったエルフィリア帝国サイドは、渋々それを呑むしか無かったんです。それで、献上されたのが私でし――おっと、ここまで名前を言っていませんでしたが……」
「お前レヴィアタンって名前じゃ――」
何処かおかしいので稔がそう聞いてみるが、レヴィアタンと名乗った少女は鼻で稔を笑う。
「なっ、なんだよ……?」
「実際、召使だって名前は主人が勝手に付けられるじゃないですか。裏を返せば、何かに従う者の名前はいつしか消える訳です。それは主人のような人の勝手な決め付けであったり、両者の同意が有ったりと様々ですが」
「名前はいつしか消える……か」
稔はそこを復唱すると、繋がれた手の先に居るラクトを見る。
「私は同意の上じゃん」
「そうだな」
稔の心を読んだ訳ではなかったが、これまでの話の内容から察したことを軽い会話に交えてそれを交わした。そのあと稔は、再び視線をレヴィアタンと名乗る地縛霊の方向へと向けて言う。
「ということは、自分の望まないままに『レヴィアタン』という名前を貰ったのか?」
「誰に向かって話しているんですか?」
「あっ、ごめん――」
「嘘ですよ。私に向かっていってるのは分かっています」
稔の台詞に欠陥を見つけると、レヴィアタンと名乗る少女はそこにつけ込むように言って彼を嘲笑う。
「回答ですが、望まなかった訳ではありません。それで私を恐れてしまう人や遠ざる方は増えたように思いますが、それでも貴方のように近づいてきてくれる方は居らっしゃいますし」
「実際俺らは、この通路を通りたかっただけなんだが――」
「そうだったんですか。……邪魔して申し訳ありません」
稔が真実を言ってしまい、結果としてレヴィアタンと名乗る少女に謝らせる結果になった。そんな結果を見て、ラクトは稔の頬を抓ろうとする。それは、真実を言えば解決するのは確かでも、話術を上手くするには嘘も必要であるためだ。もっとも、そういうことをすると良心が酷く傷む人も居るが。
「いや、邪魔なんかじゃないよ。そもそも一二階に来ること自体、このホテルの従業員さんからの提案みたいなものだし。要は、『近づきたくて来たわけじゃないんだけど遠ざけているわけじゃない』ってところ」
「建前じゃなくて本音ですよね……?」
「俺は事実以外を言うのが苦手なんだよ、実際」
笑い混じりに告白する稔だが、実際それは国家元首となる人物にとっては欠点と言うべき話だった。だからこそラクトが散々「ハニトラ掛かるよ」と言っている訳である。ただ、対策をしようものなら性欲に嘘を付かねばならず、アスモデウスの「男は性欲の塊」という話ではないが、思春期の彼にはいささか難しい話だ。
「レヴィアタンはそういう経験は無いのか?」
「ありません。もともと私は農村出身で、両親が貧しかったから慰安婦に送られたわけですし」
「でも、幼少期とかは――」
稔が更に聞こうとするが、聞こうとすればする程にレヴィアタンの表情は悲しげな表情になっていく。表情が表に出にくそうな感じの女の子だとぱっと見思えなくもないが、実際はそうでもないということだ。
「残念ですが、私は八か九歳の頃から慰安所に居まして……。今じゃ働くべきじゃないとか言われるかもしれませんが、当時は軍人が政権を握っている男尊女卑の時代。当然のごとく私ら農民、それも女性が発言する権利なんかちっぽけなものでした」
「軍人が政権を握ってるって、それはもう帝国っていうわけじゃないんじゃ――」
「ええ。ですから戦争末期の頃に帝国の王が記した日記には、『軍人が暴走しなければ戦争は起こらなかった。私は国民に謝らなければならない』とか書かれているみたいです」
エルフィリア帝国は帝国といっても、結局は『帝王』という肩書を持った人物すらも動かせる程の力を軍人たちが持っていた、とレヴィアタンは言う。そしてそれは、国民の頂点で有るはずの帝王すらも止めることが出来ない強力な力になり、暴走して、挙句には悲しみしか残らぬ結果に終わらざるを得なくなった。
「慰安所に居た年齢を話せば分かるでしょうが、私が処女を失ったのは一〇歳にも満たない無垢な歳です」
「一〇歳か……」
「でも、悲しい人生を生きてきて分かりました。生まれた時代の有り難みというのを」
「――」
レヴィアタンは「平和を守れ」と直接言っているわけではないが、今のマドーロムの世界の秩序を乱すべきではないと遠回しで言っている。そしてそれは、自分が人生負け組だとか思っていた稔を絶句させた。一方のラクトも、自分自身の悲しい記憶はインキュバスのせいで、彼さえ居なければ有り難みが有ったと思ったため、稔とともに絶句した。
「今、エルフィリアは変わろうとしています。過去のことを学べば報復したくなる気持ちが分からなくはありません。でも、報復をするのなら軍事力は使わないでください。最後に被害を被るのは、政府ではなく庶民なのですから」
「分かった。……でも、報復で軍事力を使わないということは何を使うんだ?」
「アイドルとかを売り込むことでしょうね。もっとも、売り込み先でブレイクしなければ意味は無いですが」
「そうだな」
稔は頷きながら言った。現実世界では盛んに文化交流が行われていたが、何かブレイクできる要因だとかが無ければ売れることもないし、当然知名度だって無いままだ。そうしてアイドルユニット解散と同時に、頑張った成果など消えていくのである。
「大半のエルフィリア国民は私のように戦意を喪失しています。なので、報復を考えてのアイドル売り込みは絶対に国民から色々と言われると思います。罵詈雑言になるでしょうが、もしかしたら鼓舞させる言葉になるかもしれませんし、一概に言えません」
「……要するにどういうことだ?」
「報復活動の為の売り込みは、国民から何か言われるってことです」
「理解した」
簡単に説明すればいいじゃないかと内心で思いつつ。口にだすのは止めて軽く頷くと、稔は少し前にレヴィアタンが言っていた事を主軸として、会話を持ちかけた。
「そういえば、レヴィアタンの本名ってなんだ?」
「ナディア・ニコラ、洗礼名はありません。最近は本名を知る方が少ないので、レヴィアと呼ばれています」
「ニコラ的にはどっちがいいんだ?」
「レヴィアですかね。本名を使ったのは幼少期だけですし、最近じゃ両親が何処に居るかすら分からないので」
さり気なく悲しい事を言うレヴィアの姿勢に稔は言葉を失った。稔の両親はどちらか片方が死んでいるわけではないし、もちろんどちらとも死んでいるわけではない。彼自身、『稔』という名前は悪くないと思っている。一方でレヴィアは、両親が死んでいるからこそ、本名でない名前を使って欲しくなるのだろう。
そんな結論に至ると稔は笑顔でレヴィアに言う。
「じゃあ、レヴィアに聞きたいんだが、お前は俺の二つ名を名付けるとしたらどうする?」
「いきなり呼び捨て、しかも略してますね……」
「ダメだったか?」
「いえ」
軽く左右に首を振ると、レヴィアが悩みだす。彼女は外見じゃ親しくなれなさそうなオーラを漂わせているが、実際話してみれば話せないような人柄ではない。それは相談でもそうだった。
「貴方がどんな人なのか分からないので、適当にしか名付けられませんよ?」
「――なら、俺の召使になれば?」
そこへ、不服のラクトが割り込む。
「待て待て待て! なんで勝手に召使増やそうとしてんのさ?」
「嫉妬……?」
「違っ――」
「……さてと。ラクトの反応は後にして、召使になるかならないか。レヴィア、回答を頼む」
超展開と言うべき展開であるが、ここまでくると契約したくなる稔。ヘルやスルトを悪の手から開放して自らの召使とした話を持つ稔だから、七人の罪源に関しても容易に契約出来るかと当初は思った。だが、レヴィアは回答を言わない。
「……レヴィア?」
稔は急かすのを最初こそ躊躇ったが、レヴィアがいっこうに話そうとしない上にもじもじしだしたので、決心して声に出して急かすことにした。すると、レヴィアがこれまで話そうとしていなかった態度だったのに関わらず、ブルブルと震えながらも質問した。
「その、初歩的な質問で申し訳ないのですが」
「なんだ?」
「七人の罪源が召使になっていいんですか?」
「俺は実際、罪源だけど召使になっている女を見た。……おっと、俺だけじゃなくてラクトもだな」
そう言いつつ、先程あまり良い気分では無さそうだったラクトを見る稔。見てみれば、まだまだ改善されているとは到底言えない。ただ、今は彼女に気配りをしている場合ではないと思った。まずは回答を貰うべきだと考えたが為だ。
「――それで、回答は?」
稔はそう言って、話を寄り道させてくれるレヴィアをに回答をするように急かして求める。ラクトと違って誰かの心を読めたりするわけではないから、彼女は稔の機嫌を窺いながら回答を進めていく。
「なり……たいです……」
「それは嬉しい」
「でも――」
稔は思いを素直に伝えた。一方でレヴィアは、自らのおかれている立場を十二分に理解していたため、その旨を稔に言っておいた。ただ、自身の思いの否定はレヴィアも行いたくなく、少し難しかった。
「でも、私は地縛霊です。それに、精神攻撃も物理攻撃もしたくないと考えているため、七人の罪源の中では恐らく一番弱いでしょう。ですから、私が貴方と契約を結ぶことは出来ません。意味も成さないと思います」
「なら、形式だけでもいい。……ダメか?」
稔は妥協したりはしない。でも、そんな稔の強い意思のようなものを魔法でも魔法でない能力でも使っていないレヴィアが察し、回答の後に質問する形で付け加えて聞く。
「ダメなわけではないです。ただ、貴方が何故そこまで私にこだわるのかを疑問に思っただけです」
「そんなの――」
稔は五秒程度ためて大きく息を吐くと笑みを見せ、レヴィアの頭に右手を乗せた。一方、隣のラクトは唖然とするしか無い。けれど契約済みの召使に対しての然るべき対処は後に回すことにし、稔はこの一期一会な雰囲気を大事にすることにした。もっとも、契約すれば一期一会なんてものでは無くなる訳だが。
「レヴィアから出てるオーラが悲しげな雰囲気をにおわせていたから、どうしても放っておけなかっただけだ」
稔は言うと、すぐにレヴィアに契約するかどうかを聞く。
「それじゃ再度聞かせてもらう。――契約、するか?」
「……はい」
なんだか稔が言わせている感がプンプンするが、レヴィアは稔に合わせるために言った訳ではない。そのような対応が然るべき対応であろうと本心に逆らったことを思ったりもせず、ただ本心で決めていた。
ただ、言い方は悪いがレヴィアは引きこもりのような存在だ。部屋から出られないのだから、そんな彼女と毎日有ったりするのは困難を極めると言っていい。ホテルの一二階に毎日遊びに来る事が出来ないわけでもないが、万一、このホテルを利用しているお客様にでも迷惑が掛かれば大問題だ。営業妨害と言われるかもしれない。
「――ったく」
稔が小さなことでさえ考えこむ性格なのを知っていたから、ラクトは自身の特別魔法の転用で作ってあげることにした。先程は契約を避難する構えを見せていた彼女だが、ツンデレのツンに値するそれが壊れ、今のラクトには稔が悩んでいる事を解決する手助けをしたいという気持ちがあった。
「取り敢えず! 呼び出しスイッチみたいなもの作ったから!」
「サンキューな」
稔から感謝の意を言われると、ラクトは少し顔をほころばせた。続けて、その機器の説明を始める。
「正式名称は『主人召使遠距離間通信端末』って言うらしい。余談だけど、通称名が『サヴァマス』ってことだから『鯖鱒』と略されることもあるらしい。取り敢えずは二人分だけ作っておいたからね」
「さっきは怒りっぽかったのに、いつの間にか落ち着いたみたいだな」
「うっさい……」
ラクトはそう言って舌打ちを続けてした後、稔の額にデコピン攻撃を行った。突然の攻撃を避けることが出来るほどの瞬発的能力と、その攻撃を打ち返すような能力は稔には無かったため、彼は喰らわざるを得ない。
「なんてことをするんだ、ラクト……」
「ごめん。――でも、手が先に出ちゃったんだ」
「そんなのが通じるとでも思ってんのか!」
稔からきつく言われると、ラクトは「はい」と呑んだことを示すための応答をした。だが、声はとても小さい。聞き取れなくはなかったが、それは稔が近くに居たからである。どう考えても遠ければ聞き取れない声だ。
「まあでも、この機械に関しては素直に感謝の気持ちを述べる。お前がこの機械を作ったのは俺のため、そして新しい召使のためだもんな。……心は読めないが、なんとなく分かる気がする」
「顔に出てた?」
「出てねえよ。今のは察しただけだ」
稔が鈍感ではないことに多少の驚きを感じつつ、ラクトは稔に二つ中一つを渡した。一方レヴィアは、ラクトが渡そうとしている気持ちに逆らって、自らその機器を貰いに来た。一方でラクトは、恋敵になりそうな女だと認識しつつも笑顔で機器を手渡す。
「お互いに同じ台詞を言うことで主人と召使としての情報が記憶され、以後その二人の間でのみ会話などをするための機器として活用できるようになるみたい。要は、それを手首に着用すればウェアラブル端末代わりってことだね」
マドーロムにも携帯は存在するから、ラクトもウェアラブル端末の存在を知っていた。
「それでレヴィア。俺とお前が始めて一緒に言う台詞はどんな台詞にする?」
「私は格好いい台詞がいいです」
「格好いい台詞か……」
その単語を聞き、稔は咄嗟に思った。「厨二病的な台詞ってことか」と。それはそれで確かに格好の良い台詞かもしれないが、端から見れば痛いだけ。そんな台詞の何処に格好良さが有るのかなど意味不明といったところだ。だが、そんなことを考えないままに話は進んでいく。
「『黒き主人の下に永久に仕えよ、嫉妬の七人の罪源』というのはどう?」
「結局は貴方が主人になられるのですし、ご判断は貴方に委ねます」
「そうか。……なら、これにするぞ。『せーの』って俺が言うから、後に続けて言うんだぞ?」
「はい」
レヴィアに許可を貰い、稔は一度深呼吸してからすぐさま言った。
「せーの……」
そして、二人の声はハモリを奏でながら発せられる。
「――黒き主人の下に永久に仕えよ、嫉妬の七人の罪源――」




