2-3 ホテル・ボングスイン
スディーラに指示されたとおりに行き先を示すと、稔たちの前には高層のホテルが現れた。街の景観上はある程度の高度を超える建物を作るべきで無さそうだが、稔は市の職員というわけでもないので詳しく知らない。
テレポートも終わったので手を繋いでいる理由もないと思い、丁度全員が隣の人から手を離す。同時に稔は高層ビルの一番頂点部分に目線がいったのだが、そこで彼は気がついた。
「……ちょっと待て。『ボンイン』じゃなくて、『ボングスイン』じゃないか?」
稔はスディーラに聞く。英単語ほかを日本語化する際はカタカナで表記することが多――もとい、九九パーセント近くがそうして表記するはずだ。そしてその際、ところどころ発音と違った表記をすることがある。
スディーラに対しての稔の指摘はまさにそれだった。「ボンイン」というのはカタカナ表記であって、なにもそれが正しいアルファベット使用時の発音ではない。
そして自分の意見に確信を付けるためにもう一度確認してみても、ホテルの看板に書かれていたのが『Hotel Bongs-In』というものだったから、発音的には間違いであると稔は指摘をする。
「やっぱりだ」
稔は首を上下に振りながら言った。指摘されたスディーラは頭を下げて謝る。
「秘書たる僕が、これは済まない……」
「誰にだって間違いは有るさ。こう言っちゃ悪いが、教育に関しては俺の母国の方が上だろう。国内全土の隅々まで行き届いていないことを考えれば、そういった意見にならざるを得ない」
「――」
スディーラはリートと交友関係が有る。とはいえかたや田舎で過ごしていた者で、かたや王都――それも王宮で過ごしていた者だから、交友関係が有ったといっても聞いてきた情報には食い違いが有って当然だ。
「秘書だったらそこら辺は致命傷だってことで、俺が手伝ってやってもいいんだが……」
「それってつまり、僕の仕事を手伝ってくれるってことだろう? やめてくれよ、人の仕事を盗むなんて」
「まあ、お前が望まないなら手伝わないけどよ……」
あくまで手伝ってあげてもいいという善意から出た言葉。英語でいえば「Shall」に近い要素を持っているわけだが、スディーラは稔の言っていたことを善意ではなくて皮肉と受け取ってしまった。そしてやはり、稔は相手の意見を尊重して強気で出たりなど考えない。
「でも、相談してきてくれたら助け舟を出してやんよ。頼りないかもしれんが」
「僕の今のミスは寝ぼけから発生したものだ。だから稔に言っちゃ悪いが、相当なことがない限り無い」
「そっか」
稔に「助け舟を出してやんよ」と言われ、彼が皮肉を言っているわけではないと薄々感じてきたスディーラ。特に誤解で暴走したりすることもなかったから、稔に対して謝罪の弁を述べたりすることはなかった。
「さてと。ロビー入ろうじゃないか、愚弟たち」
「俺に加えてスディーラも愚弟なのか……」
「私は性別男じゃない! 撤回しろ!」
織桜が早くホテルに入りたいと思って言った台詞は、年下の二名から痛烈な批判を受けた。稔に関しては『批判』というよりも『確認』と言ったほうがいいかもしれないが、ラクトに関してはどう見ても批判である。
「でも、ラクトは男装がとても上手じゃん」
「あれは、あの時着る服がなくて稔が命令出したから――」
ラクトが回答をして稔の名を出した刹那、織桜は不吉としか思えない笑みを稔のほうに向けて、クスクスという声を漏らした。稔は織桜にこれ以上弱みを握られたくないので、逃げようと思ったが――無理だった。
「稔はそういう趣味か」
「違う! 断じて違う! 俺は、別に男装した少女が好きというわけではない!」
「葛藤するシーンが萌える、とか言わないんだ?」
「織桜は俺を何だと思ってる! 俺はそこまで萌え要素を語るような奴じゃない!」
ラクトの発言によって、稔は自分の評価が落下する一方だと理解する。
ただ、言い始めた織桜は「早くホテルの中へ入りたい」と言っていた張本人。そのくせ、自ら妨害してくるため、稔は出来る限り簡潔に反論を述べた。また、自分の評価が著しく貶められると思ったところは、強く反論していく姿勢を取る。
「――おいおい。主人同士ホテルの前で論争すんなよ」
ラクトからすれば、聞くに堪えない論争を繰り広げられるのは耐え難かった。けれどそれに対し、声を合わせて主人二人はもっともな反論をぶつけた。――だからといって、ホテルの前で大声を出すなんて迷惑極まりないから言語道断な訳だが。
「「お前の発言が全ての元凶だろうが!」」
言われたラクトは、特に反論する余地がない。言われたことが間違っていないからこそ、反論するために構成せねばならない理由が作りづらかったのだ。でもラクトは、歯を食いしばって意地でも反論してやろうと考える。だが、やはり無理だとラクトは嘆息をついてから諦めた。
「――三人とも静かにしろ!」
そんな時。スディーラが稔とラクト、そして織桜に命令を与えた。続けてこう言う。
「ホテルの前でやったら迷惑になってるだろうが。それに、僕らはまだチェックインすらしていないんだ。ホテル従業員はホテル前で論争なんてする客は厄介な客だと思うはずだから止めた方がいい」
スディーラは稔たちの会話の中に入っていた訳ではない。輪の外から外れていたのは確かだったが、それはマイナスの要素が多いわけでなかった。話す事が出来ない反面、指摘に関しては第三者なので大いに出来る。
「流石は接客業だな。同業者の言うことは違う」
「本当だよ。店で騒がしくする客なんざ、従業員の全員が『出て行け』って心の中で思うだろ」
ついさっきまではアイス店経営者のスディーラだったから、同業者としての血が騒いだのかと稔は思い、抑えきれぬ質問したい衝動に駆られて聞いてみた。するとスディーラから返ってきたのは同情を求めるような口調の話。けれど一度も接客業をやったことの無い稔も同情できる内容で、稔は頷きながら聞いていた。
「……こういう立ち話がダメなんだ。ほら、行くぞ」
スディーラは言って、ホテルの中へと入っていく。チェックインに関しては秘書であるスディーラが色々とやってくれると思い、稔たちはぞろぞろとその後ろをついてホテル内へ入っていった。
ホテル内に入ってみれば、見えてきたのは大きな女神像だった。どういった名称で呼ばれているのかは分からなかったが、その大きな女神像は女体美を忠実に再現していたから、それを見た稔は釘付けになってしまった。と、主人の煩悩に駆られる姿を心の中を読んで把握したラクトが、彼の首の皮をつねる。
「痛いぞ」
「発情すんな、馬鹿」
「してねえよ! ――もしかして、銅像に自分のナイスボディが負けそうってことでの嫉妬でもしたのか、ラクト?」
ラクトは一度黙り込んだ。「これは図星か?」と思って煽ろうとする稔だったが、スディーラのチェックイン作業が終了していないことを踏まえて、あまり大きな声を出すのは迷惑だろうと煽らないでおく。
「ちっ、違――」
ラクトは必死に否定して、稔の思っていることが間違いであることを示そうと必死になる。ただ、特にそれといった根拠も示せずに慌てる姿を見せられると、稔も「図星だな」という方向で意見を固めざるを得ない。
「大丈夫だ。笑わねえから、本当のこと言ってみろ」
「――主人って立場を悪用して、私に言わせる気かっ!」
「見抜かれてしまうのは薄々分かってたが、俺が言ってそうそうに心を読んでしまうのはどうかと思うぞ」
ラクトはそう言われると、「善処します……」と回答をした。答えを探ろうとする行為は人間としての本能なのだろうが、それを心を読むという魔法ではない能力を使ってやってしまったら、限度を効かせるのが当人でなければ無理なため、面白みを自ら欠けさせることに繋がってしまいかねない。
具体的にどのような状況かだとかを説明したりしなかった稔だったが、それに関してはラクトが心を読んで理解したので特に問題はない。今のように便利なときも有るが、やはりそれ故に悪さの根源となりかねない訳だ。
「――さてと。取り敢えずリートと親しい関係に有る織桜は、同室にしておいた」
「他に誰か居たりするか?」
「居ないよ。でも夜間に、王族専属のメイドさんと執事さんが巡回する時に入る可能性が有るけど……」
「なら、徹夜するか……」
織桜とスディーラが会話をしている中、稔が話に加わる。
「止めとけよ。ろくに睡眠とか休憩を取らないと、本当に後で痛い目見るって」
「――なら、寝ることにする。まあ、リートと話していたら寝れないだろうけど」
リートと織桜は、稔がこのマドーロムという世界に来る前から親しい仲であることは、リートの口から稔も聞いていたから分かっていた話だった。そう考えれば、寝れない理由は会話していたら夜が明けるとか、そんな理由だろうという方向になる。
「あと、稔とラクトは同室ね。一応僕はメイドと執事用の部屋に居るつもりなんだけど、空きなくなった時は使わせてもらうから、そこだけお願いするよ」
「理解した。まあどうせ同性なんだし、特に気にしないで来いよ」
「ありがとう。じゃ、稔はこの鍵で織桜はこの鍵。リートは最後の打ち合わせで会議室に居るから、もう少しくらいは一人部屋だ」
スディーラは稔と織桜にそれぞれ鍵を渡すと、大急ぎでフロントを通過してすぐの通路を右に進んでいった。全速力でダッシュするが、そこは秘書。足音はあまり立てないようにして走って行く。
「リートと同室とか久しぶりだなあ……。私が異世界から転生された日以来かも」
「そうか。――ところで、スディーラって俺らの部屋が何処にあるのか言ってなかったよな?」
「そうだね。でも、鍵を見てみるといい」
「あ……」
稔は鍵を見た瞬間に気がついた。薄っすらでは有ったが、鍵には文字が彫刻されていたのだ。光の反射なども影響して読みづらかったが、なんとか稔は読むことに成功し、織桜に部屋が何処にあるのか聞く。
「七〇七号室、恐らく七階だな」
「私は六〇五号室。ということは、この隣室がメイドやら執事やらの寝室になるわけか」
「だろうな」
「まあ、そういうことなら安心して寝られるや」
「あんなにやせ我慢したくせに、休憩したかったんじゃんか」
「だって、こんな絶好の休む機会ないし。そんなに私から休む機会を奪う気か?」
織桜はまだ元気が残っているが、先程力づくで氷を打ち砕いたことが脳内を過ぎていくと、稔はこれが最後のひと頑張りではないのかと思ってしまった。だったら、仮眠くらい与えてあげなければいけないはずだ。
「まあ、そういうことなら早く行きな。俺はラクトと少々ホテル内を見てるよ」
「デートすんのかい! 懲りねえカップルだこと」
「馬鹿、デートじゃねえ」
「まあ、堪能しなさいな」
織桜は言い残すと、丁度フロントと対を成した場所に有ったエレベーターに乗ろうとする。だが、悲しいことに一階にはエレベーターが来てくれていなかった。二台有ったどちらとも一階に無いから早く来て欲しいと思った織桜だが、丁度フラグを回収するように降りてくる。
ピーンポーン……
降りてきたエレベーターが開くと、中には有難いことに人が乗っていなかった。織桜は早くエレベーターに乗ると中の閉ボタンを長押しし、稔に軽く一言言う。
「んじゃ、おやすみなさい」
「まだ一六時過ぎたくらいだろ。でも、仮眠してきな」
稔からの返答をもらった後、織桜はにこやかに手を左右に振ってからエレベーターの扉を閉める。そして、扉を閉めてから一階フロント前に残った稔は、同じく残ったラクトに言う。
「さて、ラクト。織桜が仮眠を取りにいった訳だが――」
「これからホテル内見るって言っても見る場所なくない?」
「ああ、俺も同じことを思っていたんだ」
「心を読んだから分かってしまう訳ですよ、これが」
ラクトが稔の言っていることを把握すると、互いに同じことを思ったためにため息をつく。そんな時、二人の話を聞いていたフロントの人が「あの――」と稔たちに言って続ける。
「このホテルの最上階から、ボン・クローネ市内を見てみて下さい」
「エレベーターで行けますか?」
「はい、大丈夫です」
「そうですか、ありがとうございます」
思わぬところから答えを貰い、面白みのないホテル内を回る事に事項が加えられた。フロントの人の言っていたことはラクトも嫌がっておらず、稔とラクトはエレベーターで屋上へ向うことにした。
「あ……」
でも、エレベーターはまだ一階に無い。ついさっき織桜が乗って行ったことを踏まえれば、ちょうど目の前に有るボタンを押して、エレベーターが一階に来るのを待つしか無い。




