1-88 色欲罪源アスモデウス 【終】
声を合わせて斬り刻むように剣を入れていく弓弦、そして織桜。一方は光を被りながら、もう一方は闇と炎を被りながら、それぞれ渾身の一撃とも見て取れるレベルの攻撃を行う。
「「はあああああ!」」
合わせてから力の限りを尽くしていたので声は合っていた。けれどそれは一時的であって、ブレスした瞬間にズレが生じるのは言うまでもない。けれど攻撃にズレが生じていたわけではないため、問題は特にない。
(どうだ?)
弓弦と織桜の攻撃をそれぞれ見守る稔。下の方ではラクトと紫姫が見上げて同じく見守っている。ただ、二刀流スキルを互いに利用している弓弦と織桜を見守る事しか出来ない稔は、自分自身を酷く侮辱した。
(やっぱ俺、主人公むいてねーな……)
バトル物といえば主人公が戦闘の先頭に立つのが普通というところだが、それを真っ向から否定するように稔は剣を織桜に授けた。自分には二刀流なんて向いていないからというのが一番の理由なわけだが、それでも後退りがあってため息をつく。
一方で弓弦と織桜は結果を待った。氷が砕け散って弓弦との一対一での対話が始まるのか、はたまた攻撃を受けてしまうのか。死んでしまったというのは考えたくなかったが、それを否定できる根拠も肯定できる根拠もなく、事実はまだ分からない。
「あ……」
ただ、事実が分からなかったのは二つの剣で氷を砕け散らせるまでだった。「パリン」という氷の砕ける音とともに、凍結状態からアスモデウスが開放される。彼女の顔は青ざめているだとか変わった様子はなく、戦闘狂とも見て取れた先程とは打って変わった様子だった。
しかし、彼女の息継ぎが先程よりも早くなっていることに主人が気付いた。
「過呼吸か……?」
陸上競技とか水泳とかサッカーとか、そういった運動の後に代表される心身症の症状が『過呼吸』な訳だが、今回は息ができない状態が長く続いてしまったから生じてしまった。アスモデウスの主人である弓弦はサバイバルゲームでこんな状態を経験した試しがなく、他の者も経験した試しがないと首を上下に振る。
「俺が対応するべきか……」
弓弦は「いくらさっき大ダメージを与えてきた攻撃をした張本人とはいえ、助けないのは良心が痛む」と思って深く息を吐いて吸ってから、アスモデウスの右横にしゃがみ、彼女の背中をさすった。
「吸って――ゆっくり吐いて――」
アスモデウスの口が開く。息を大きく吸って吐いているが、それは大事なことでない。息を大きく吸うよりもゆっくりと吸うこと、そしてゆっくりと吐くことが重要だからだ。そしてそんなことを、サバイバルゲームをやってきていた弓弦は自分が経験していないといっても、学習済みの知識として身につけていた。
「吸って、吐いて。吸って、吐いて……」
繰り返して言う弓弦。自分でも動作を付けて言うことにして、分かりやすく話すことを心掛けた。だがそれは子供扱いしているような風にも見て取れる。もっとも弓弦は、自分の支配下にいる悪魔を過呼吸から救う為に必至になっていたためにそんなことを考えない。
「はぁ……。はぁ……」
一分くらいが経過して、アスモデウスはようやく通常の呼吸の数に戻った。だが、彼女は悪乗りに出る。
「はぁ……っ、はぁっ……」
敢えて艶めきの有るエロい声を出したのだ。なんとも言えない空気が織桜をはじめとする女性陣を包み込む。もちろん稔もなんとも言えない空気だと感じてため息を付く。ただそんな中でも、弓弦はアスモデウスの傍から離れずに背中をさすり続けていた。
「マスター……?」
対話するために離れなかったという風に受け取ってしまう者も居るだろうが、弓弦が居たのはその為ではない。アスモデウスが艶めきのある声を出してもなお、自分から離れなかった理由を聞きたそうにしていると感じて彼女に回答してあげることにした。
「俺はお前の主人様だからな。アスモデウスという『悪魔』に裏切られたのは変えようもない事実だ。けどまだ契約を切ってない以上、アスモデウスという『召使』を助けなくちゃダメだって思ったんだ」
弓弦とアスモデウスの間に沈黙が訪れる。まだ契約してからほんの数時間程度しか経っていないというのに、裏切られたというのに。それでも『召使』を助けようとした弓弦のその心に、稔は感動を覚えた。
(俺もラクトにこんな風なこと言えるんだろうか……)
感動を覚えつつも、自分が同じ立場だったら言えるのか否かを考える。自分から剣を渡しに行くような男で良いのかとか、それこそ召使と共闘したら自分が足手まといになるんじゃないかとか。ボン・クローネ駅での一件は話術で何とかなったようなものだったから、どちらかが死ぬ状況の共闘はやったことがない。
「――稔なら、きっと言ってくれるよ」
「そ……うか?」
右の方向から芳香が漂ってくると、稔はそちらに視線を向けた。ラクトの登場である。心を読んで稔が何を考えていたのかがわかり、自分自身の意見を下から見上げて言うのは嫌だと感じて近くまで来たのだ。
「私もアスモデウスもそうだけど、大体境遇は同じじゃん。共に色欲に関しての強い思いが有るんだ。私はサキュバスとして、アスモデウスは七人の罪源としてね。だから、あんまり深く考えなくていいじゃん」
「前向きに考えろ、と?」
「その通り。サポートする側に回ったから主人公っぽくないって考えるよりも、『俺がこの戦いの立役者なんだぜ』って誇ればいいんだよ。そうして方が悩む事は減るし、経験談としても活用できるんだからね」
ラクトは笑顔で言って稔を励ました。異世界に過ごしたからとか、そんなことは関係ない。現実世界で過ごしたってポジティブかネイティブか、大雑把か神経質かは決まってくる。ラクトの話は一理あるが、それを呑み込むかは聞いた側の自由だ。
ただ、経験談として活用できるということはネタの範囲が広がるということでもある。今後織桜や弓弦と行動を共にするならば、活用できるネタの範囲が広いほうがいいと思い、稔はラクトの言ったことを呑んだ。そして、即座に疑問が浮かんで聞く。
「ラクトって前世の記憶を呼び起こされても発狂しないけど、その理由はもしかして――」
「そそ、お察しの通り。悲しい記憶を消し去るのは出来ないけど、経験談って言えば悲しまないじゃん」
「そうだな」
理不尽だと思うことは誰にだって多々ある。でもそれをマイナスとして捉えるかプラスとして捉えるかで、生きていられるか耐え切れずに死んでしまうかは決まる。今回の一件は『死』まではいかないが、それでもマイナス思考よりはプラス思考が良いと、デートでの掟のようなものに続き、またもラクトに稔は学んだ。
「ラクト。抜け駆けは良くない」
下に一人寂しく居るのも嫌ということで、稔とラクトが会話しているところに紫姫が割り込んで入ってきた。
「嫌だなぁ。抜け駆けなんてしてないのに。稔が自分のことで勝手に悩んで答えを求めていたから来たというのに、なんで誤解しちゃうかなぁ……。自分と稔の主従関係が壊れそうだからと思ったのかな?」
「我は別に主従関係がどうとか、そんな話をしに来たわけでは――」
「心を読めるのは誰だっけ?」
大きな一撃をくらい、紫姫は黙りこんでしまう。いくら反論をしようとも、それは自分の心に嘘をついてたから出来たことだった。それがバラされてしまっては反論しようにも出来ない。
「てかそれで萎れちゃ駄目だろ。私に歯向かってくるのなら、ある程度はそういったところも考えてきて欲しいところだ」
「ぐぬぬ……」
戦闘で使える能力は紫姫の方が強いのは言うまでもない。それぞれの魔法が無効化されるわけでもないのだから当然である。けれど戦闘以外で考えた時はラクトの方が上だった。心を読むことが出来る上に、ある程度のサイズであれば物を作り出すことも出来るし、何かを凍らせたりすることだって可能なのだ。
歯を食いしばる紫姫と、それを馬鹿にするラクト。怒って紫姫が石の中に入ってしまうかと思ったが、まだ彼女は入らなかった。疲れを取るために石の中に戻ることも考えられたが、もう少し会話をしていたかったという思いが強かった。
「ブラッド」
「ん?」
聞こえた女の声。発した主はアスモデウスだった。
「なっ、なに?」
「その、すいませんでした!」
「えっと――」
突然の謝罪に表面はどよめきを隠せないラクト。ただ、内面ではそんなことを思っていなかった。一応は因縁の相手だったので、謝罪してもらってとても心が晴れ晴れしていたのだ。下衆と言われればそれまでだが、因縁の相手ということを踏まえればそう安易には『下衆』と言えないはずだ。
「取り敢えず俺ら、契約は続行することにしたんだ」
弓弦はそう言ってアスモデウスの背中を叩いた。彼はその後にこう続けた。
「それで、契約を切らないかわりに誓って貰ったんだよ。『主人は召使を、召使は主人を、それぞれ裏切らない』ってことと、『互いに共戦関係に有るため、協力して過ごしていくこと』ってことをね」
「は、はあ……」
「そしてラスト。その誓いを見ている立場の人が必要だってことで、こうなった訳だ」
要するに、『立会人が必要だから』ということだ。ラクトは長い話を聞くのが苦手ではなかったが、相手方に関わる聞きたくなような話を長くしてもらうのは困る。今回のような相槌を打つときも困るようなものは、本当に止めて欲しかった。でも、そんなのは内心での話。
「分かった。んじゃ、私が立会人ということで」
取り敢えずは弓弦の言っていた内容を把握したため、ラクトは外見では装ってそんなことを言った。
「でも、それが謝罪ってなんかプライドが有るので……」
「さっき潔く承諾したよな? あれ、あの召使ってなんて名前――」
「鬼畜な主人ですね……」
「馬鹿か。お前とラクトさんが因縁の関係にあるのは好ましくないから謝れって言ってるだけだ」
弓弦とアスモデウスとの間で何が交わされたのかを説明していくような会話が行われた後、アスモデウスは過呼吸してから僅か数分という短時間でまた深く息を吸って吐く。そして謝罪文を述べていく。
「執行したのは私ですが、あれは上層部からの指示があっただけなんです。ただ、その後の勝ち誇っていたことや、貴方を侮辱したような事をほざいていたこと。そういったことは謝罪します。すみませんでした」
普段から敬語を使って話しているアスモデウスだったから、ラクトには謝罪で敬語を使われてもいつも通りの話し方に聞こえた。色々と精神的に来るようなことを言っていたアスモデウスと同一人物なのか、と疑問視してしまうくらいの稔とは大違いである。
「謝り方を直して欲しいなあ。『すみません』じゃなくて、『申し訳ございません』で」
「うう……」
アスモデウスには返す言葉を発する権利など無かった。横を見て主人を見れば「従え」と言っているように受け取れられ、周囲の者を見ても誰一人自分を擁護してくれる人は居ない。
「これまで貴方を傷つけたことが御座いました。そういったことの中で私が関わったものに関しては、全てこの場で謝罪させて頂きたく存じ上げます。これまで関わった全ての件、申し訳ございませんでした」
アスモデウスは深々と頭を下げ、九〇度の謝罪を行った。途中許可を取っているように思えたところでラクトにOKサインを貰っていなかったが、あまり細かく言っていると相手方からクレームを受ける可能性があって、ラクトはあまり大きく出れなかった。
「はい。んじゃ、これで立会人さんに見せたということで」
「まあ、今後ともよろしくというところですね」
弓弦とラクトがそんな会話を交わした後、ラクトは内心で大喜びした。外面と内面で大きく気持ちが違っていても態度や素振りに一切の影響が出ないところは、彼女が前世で枕営業をしていたことを彷彿とさせる。
(キタアアアアア! 大勝利! ラクトちゃん大勝利!)
ラクトが内心でそんなことを思っていた最中、謝罪で誓いを表した弓弦とアスモデウスが息を揃えて何かを言おうとした。だがその時、上方から貧乳の女性が一人降下してきた。
「上で聞くような話じゃ無さそうだから来たよ」
織桜は何故降りてきたのかを言ったが、その時間を惜しそうにするのが弓弦とアスモデウスだった。早く言ってこの場を立ち去りたいと思っていたのだが、そんなことはお構い無しに降下してきた織桜に対して内心で、二人ともに強い憤りを覚えた。だが、こちらもラクト同様に外面には出さない。
「稔」
「なんだ?」
「俺からも謝罪だ。悪かったな、俺の悪魔が悪さして」
「いいよいいよ」
「そうか」
稔は内心で別のことを考えたりはしていなかった。あまりそういったことが出来ない性格なのも影響するが、共に男同士だったので駆け引きとかを意識していなかった側面もあった。
「今回は俺らが迷惑を掛けて済まなかった」
「といってもそれ、大体はアスモデウスのせいじゃ――」
「いや、主人として止められなかった俺も悪い。元凶を作ったのがこいつだとしても否定出来ない」
アスモデウスのせいだと弓弦は言ったが、実際は共に悪いのだと言う弓弦。これ以上言っても無駄だと思い、稔もそれ以上は弓弦を擁護するように話すことはしなかった。
「――そんな事はさておき。バリア解除したら空飛んで、俺ら敗北者は去っていくことにするよ」
会話が行き詰まったわけではなかったが、一応の区切りがついたために弓弦は言った。でもバリアを解除することは口だけで、自分がやることではないと思っていたためにアスモデウスに任せることとした。
「――バリア解除――」
アスモデウスがシンプルにルビを振る必要のない台詞を告げると、緑色の光をまとったバリアが無くなっていった。下から徐々に消えていくバリアを稔たちが見ている中で、ヒーローのように立ち去っていく弓弦とアスモデウス。けれど丁度立ち去ろうとし始めてすぐにバリアが消えてしまい、格好良く退散できなかった。
「そんな立ち去り方すんなよ」
「いや、これが俺たち流の去り方だから」
「へ、へえ……」
特にそれといった感想もなくて言う台詞も限られた。「そう」という台詞を多用し過ぎると口癖だと思われてしまうと思った稔は「へえ」と言ったが、結局どう思われるかは同じだった。時既に遅しということだ。
「まあ、そういうわけで」
稔が感想もなく言う台詞も限られている一方、弓弦も返答として言える台詞も限られた。早めに退散しようとその場凌ぎで乗りきれる台詞を使用して、弓弦とアスモデウスは解除されたバリアが有った場所からそそくさと去っていく。
弓弦とアスモデウスが去った後、ラクトに対して紫姫は話を持ちかけた。
「我に対して様々な侮辱的発言を行った貴女には我からの裁きを受けて貰う!」
「臨むところだ、誤解ばかりする氷結の紫蝶よ――」
ガキのような言い争いになってきて、稔は耐えられず言った。
「ガキみたいな真似はやめろ!」




