1-86 色欲罪源アスモデウス 【後】
稔に嫌われたくないという思いが一つ、自分の小さな善意で弓弦と名乗る男と稔を一緒に助けたいという思いが一つ、そしてどちらも殺してしまおうという思いが一つ。でも、嫌われたくないということに重点を置くならば、どちらか一人を助けて見殺しにしてしまうなど考えられない。
「……」
力を吸われていく姿は、弱々しい奴らだと馬鹿にしてやっても無理ではないくらいだ。哀れな姿と言ってもいいくらいだ。けれど、ラクトには主人は助けたいという思いがある。召使として見殺しにしてしまうなど許されないと、何度も思う。
「ラクトさん。私に前に屈してしまったこの二方をどのように救助するのですか? ……しないのですか?」
「そんなの――」
哀れな姿を見て、涙が出てきたりはしなかった。かつて自分の親などが堕ちてしまったところを見ていたラクトからすれば、男を憎んで嫌いだと思っていたラクトからすれば、涙なんか出ないはずと言ってもいいかもしれない。
けれど、涙が出てきていない理由はそれではなかった。助ければならないという強い思いの方に一本化してきて、心構えをしてきていたのだ。稔が自分を助けるために一生懸命になってくれたのだから、私も一生懸命にならなければいけないと、ラクトは強く思った。
「――救助するに決まってる」
「そうですか。……でも、そうは問屋が卸しませんよ!」
アスモデウスはそう言ってニヤけた表情を顔に浮かべる。『不吉』なんてものではなく、それはもう『不審』と言ってもいいくらいだった。辛うじて性別的に不審でも問題ないかもしれないが、仮にアスモデウスが女で無い場合、不審者として職質を受けても問題ないくらいのニヤけ顔だった。
「いっ――」
魔法を発動させようと宣言しようとするアスモデウスだったが、彼女の腹部に白色の銃弾が刺さった。誰がやったのかと後方を見てみるラクト。見れば、差し迫ってきている女の姿が映った。女は一二の白色の拳銃を巧みに利用して、目の前に立ちはだかったバリアを撃ちぬくほどの威力を持った銃弾を発砲した。
「そんな……」
女が銃弾を更に発砲してバリアを破壊していこうとしていく中で、アスモデウスは壊れていくバリアを見て落ち込んでいく。自分が作り上げたバリアが破壊されていき、それもラクトという執行した女の仲間から殺されているということで、更に落ち込み具合が酷くなる一方だ。
「はああああああ!」
一七挺めの拳銃で銃弾を発砲した時、ついに女はバリアを破って自分の侵入口を確保することに成功した。侵入口は人が一人や二人は容易に入る程度だったから、あまり広くないといえるかもしれないが支障はない。
「紫姫!」
「貴様は散々な目に遭っているが、精霊という以上、我にはしなければならないことが有るからな。これくらい出来て当然というところだ」
紫姫は自分を褒めてほしいとダイレクトに言ったりはしなかったが、それは紫姫の出した『褒めて』というサインだ。稔が苦しんでいることを考えれば、褒め言葉を紫姫に言ってくれると考えるのは難しい。だから、代理でラクトが紫姫に言う。
「稔が苦しんでいる以上、私達が共に戦うしか無いってことだね」
「織桜たちには、治癒が完全に済んだから来るように我から言っておいた。バリアを開けたのはそれが理由だ」
「そっか。まあ、取り敢えずは初めての共戦って訳だけど――」
「貴様こそ緊張するでない。我も貴様も稔の支配下に位置する女だ。同じ境遇だろう」
紫姫がそう言うと、ラクトは「そうだね」と軽く言った。笑みを見せていられたが、これは作り笑顔だった。言うならばそれは、営業スマイルに近いようなものだ。
「よくもバリアを破壊してくれましたね……」
「どうしたアスモデウス?」
「いや、なんでもありません。少々気が動転してしまって……」
アスモデウスは笑顔を見せているが、内心から出てくる暗い感情を押し殺せていない。見え見えな暗い感情だが、狙ってやっているのではないかとラクトは思う。敢えてそういった笑顔を見せることで、恐怖心を煽っていこうというスタイルとも見て取れる。
「なんでもありませんから……」
アスモデウスは言葉ではそう言っているが、彼女の行動と言動は別だ。そしてそれを、彼女自らが示す。
「主人を痛めたら逆効果でしたか……。申し訳ございません、痛い思いをさせてしまって」
「アスモデウス。貴様、自分の主人を痛めてまでなんてことを……。それでも悪魔なのか!」
「だって、七人の罪源の一人ですし。痛みを主人に負わせる程度、悪魔に出来て当然でしょう?」
「――」
非難の声を上げた紫姫が黙りこんでしまった。紫姫は前世が悪魔だったりしていないからなんとも言えないのだが、同じく前世が悪魔なラクトは、なんとも言えないなんてことでこの話を済ませるわけにはいかなかった。そのため、アスモデウスに対して重ねて強く非難する。
「悪魔だからって、自らの主人を大切にしなくていい訳じゃないんだぞ?」
「そんなの、私からしたら馬鹿の考えているようなもの――あ、貴方はサキュバスですから、男の方の白い液体を吸うことしか興味のない人でしたっけ?」
「てめえ……」
精神攻撃はなおも続く。
アスモデウスは色欲に関する魔法を使ったりする所から分かる通り、欲求に関してや精神的なダメージを負わせることに長ける。彼女がハニートラップを仕掛けているところは未だラクトでさえも見ていないが、彼女が仕掛けているところを見ておらずとも、『やっている』と考えるのが理由付けとしてはしやすい。
「貴様――否、貴女に問おう。精神攻撃に乗っかっていって大丈夫なのか? 嫌な予感しかしないのだが」
「ふっ……」
アスモデウスからの精神攻撃をまともに食らっているラクトを見て、それで大丈夫なのかと心配の声を上げる紫姫。でもそんな心配を馬鹿にするかの如く鼻で笑い、ラクトは言う。
「大丈夫だ。あいつが狂えば狂うほど、確かに喰らうダメージは大きくなるが、その分攻撃特化していく。要するに、防御面で私達のほうが強く立てるということだ」
「そういうことか」
「それにまだ、俺は
「ただ、まずはどちらが主導権を握るかだな。……私でいい?」
「貴女の指示に従って戦えと言われるのは、どちらかと言えば屈辱に近いような気もしないが――良かろう。その命令、主人の命令と変えさせてもらおう」
紫姫はラクトの精霊という状態に位置づけられた。だが、それはほんの一瞬にしか過ぎなかった。
「えええええ」
張られているバリアの中でも、紫姫が破ってくれていた場所があったはずだ。だが、そんなところを通ってして入ってきたりはしなかった。敢えて上方方向から下降するためにバリアを破ったのだ。そして、バリアの中に光り輝く剣を持った年上の女が登場する。
「アスモデウス! 覚悟!」
「ひっ……」
上方から下降してくるスピードは、当然のごとく上方へ上昇していくスピードよりも速い。物が上に上がっていくなんて宇宙空間くらいで、地球空間であれば物は下に落ちていく。だからスピードに関しても、上から下に向かっていくほうが速いに決まっていた。
でも、臨機応変に対応できるのは同じ高さを移動する時だ。スピードが速いと身体の操作が大変なのだ。そして今、臨機応変に対応が出来るのはアスモデウスとラクトのみ。他二名倒れている主人たちが居るが、彼らにはバリアでも張ってもらうことにして、ラクトはアスモデウスに向けて魔法を使用する。
(――麻痺――)
波動化させ、ラクトはアスモデウスに向かって魔法を放った。目を閉じたり、明らかに魔法を使用することを公言しているかのようなポージングはしない。そんなことをしたら、せっかく魔法を波動化した意味が無くなってしまう。
「……ぐぁっ!」
ラクトが敢えて行った波動化は、見事にアスモデウスに対しての攻撃として命中する。強い魔法という訳ではないが、ある程度は動きを封じられるということは、封じられている対象物に対しての攻撃が容易で有ることを表す。
「――天空七光剣――」
そして今回、対象物に対しての攻撃が容易であることの恩恵を受けるのは織桜だ。紫姫も前に出て戦おうかとも思ったが、それを先に読んだラクトがこう言ってそれを止めた。
「まずは織桜に従おう。命令としては『攻撃するな』ということで頼むぞ、紫姫」
「分かった。我も貴女に従うと馬鹿げたことを言ってしまったからな。まずはあの光景を見守ることとしよう」
紫姫はそう言ってラクトに従った。主人が倒れている現在において実質的な主人という位置づけであったから、紫姫は逆らったりすることは出来なくないがしたくなかった。そして、そんな実質的な主人は笑みを浮かべて言った。
「さっきは触手の件で良くも苛めてくれたから、今度は仕返しってことで――」
自分の主人を裏切った上、自分の望む未来の為にありとあらゆる手段を尽くしてくれたアスモデウスに対して、ラクトが裁きの手を差し伸べた。裁きといえば紫姫の担当分野であるが、ラクトの言う『裁き』というのは『復讐』に近いものだったから、紫姫と同様のものと考えられては困る。
「――凍結――」
ラクトの言った言葉はそれだった。魔法使用の宣言に関して、声の大きさなんてものは決まったりしていない。だから、小さな声で言ったところで無問題だった。むしろ大きな声で宣言するよりかは、手の内を明かさないという点で優位に立つ言い方だった。
「寒いっ……」
アスモデウスはそう声を上げる。カーマイン属性が有るわけではないから、氷結系の魔法に強かったりはしなかった。戦闘モードではないから防ぐに防ぐことが出来ず、「それまでのニヤけていた時の余裕は何処へやら」というくらいに、圧倒的な優劣が出来ていた。
「――」
アスモデウスの行動を封じる事が出来、次第と彼女の身体の周囲を氷が覆う。そして降下してきた女性が、彼女の右手に持った剣と共にその氷を目掛けて向かっていく。当然氷は砕けば散っていくからほんの一回しか攻撃は出来ないが、威力は相当で避けるのも困難だ。
「はああああああ――!」
右手に持った剣を氷のその深く奥へと突き刺すように、突き刺さったら抉るように。織桜は自らが剣道五段という強さであることを証明するかのように、巧みな剣の使いようを見せる。魔法の宣言は終わったし、威力を強めるために大声も出した。残りは結果だ。
「このクソ巨乳アマがああああああああ!」
……大声は出し終えていなかった。
「――」
ただその一言が最後の大声となった。倒れていた男たちもアスモデウスからの攻撃を受ける要素が無くなり、その間に地べたに倒れこむしか無かった態勢から立て直し、織桜が光り輝く剣で仕留めようとしている姿を見る。――するとそこへ。
「大丈夫ですか?」
「怪我無いっすか? 治癒得意なんで修復作業行いますよ?」
「私はバリアを張ったほうがいいですか?」
スルトとヘルの声だ。稔が倒れていて苦しんでいた状況からようやく抜けだせて初めに聞いた声がラクトの声でなく、助け出せなかったのではないかと心配になって彼女を見渡して何処に居るか確認するが、見てみれば確認が取れたので一安心した。
「ラクトを助け出せたんだな……」
「マスター、良かったですね」
「そうだな」
光り輝く剣が氷を砕け散らせようとしている裏で、稔は召使からの癒やし声のようなものを聞く。これまで自分が頑張ったおかげで囚われの身を救出出来た。現在は狂ってしまった女に集中攻撃を加えていることを知ると、稔は他の事を考えずにそれを見る。
「アスモデウスは……何故俺を裏切った……」
稔がアスモデウスを覆う氷に剣を突き刺している織桜を見ていると、アスモデウスの主人という立ち位置に居た弓弦が言った。彼は男だからということで負った痛み以外に、自分の召使という理由で負ってしまった精神的な痛みもあった。だから、稔以上の痛みを負っていた。
「自分の召使が攻撃されて、攻撃が止めて欲しくないなんて普通は言わないんだろうが、今は――」
「言うしか無い、と?」
「ああ」
弓弦は稔に対して下向きで言った。もっとも自らの地位などを犠牲にするのなら、常識に逆らうことが悪いわけではないので、弓弦の思っている感情は悪いと言い切れるものではない。
弓弦は、アスモデウスがどうなるかを見守るような目で見つめた。自分の召使が傷つくことを恐れるなとか、そんなことをアスモデウスから言われた事実はなかった。けれど、今は痛みを彼女が被ったところで自分を傷つけた痛みよりは少ないのだからと思い、弓弦は召使を大切にしない気持ちを持った。
召使を大切にしない気持ちは稔には理解し難い気持ちだったが、それは彼がそういった境遇に無いからだ。稔が出会った悪魔は、大切にしていれば裏切るような悪魔ではない。一方で弓弦の悪魔は違う。ある程度裏切るような素質を持っている。
「弓弦に聞いてみたいんだが、お前はアスモデウスが殺されるべきだと思うか?」
「いや、別に殺されなくてもいいとは思うが――」
「『更生すれば許す』みたいな捉え方か?」
稔が聞くと弓弦は首を上下に振って頷く。
「なるほどな。まあ、俺の召使じゃないから制御しろと言っても聞いてくれるかは分からん。でも取り敢えずは、織桜が戦闘を終わらせたらアスモデウスに対して話術で更正に関して交渉してこい」
稔は指示するように弓弦へ話す。別に稔は彼の主人というわけではない。けれど異世界に飛ばされてきた『先人』ということで、弓弦は彼に従って交渉することにした。
「分かった」
交渉が始まるのは、織桜が氷を砕け散らせてアスモデウスとの戦いに一定の結末を設けるまでだ。それまでは弓弦の心理状態を保つためにも、居座古座に発展するようなこととかはしないように稔は心掛けた。




