1-84 色欲罪源アスモデウス 【前】
「なっ――」
アスモデウスと見たことのない男の声が聞こえると、その場所に緑色の光が作られた。戦争祈念館を覆い隠すように光が作られたことから、ラクトは推測する。
「結界――」
「それってつまり……」
「バトルフィールドだね。あいつら、本気で殺しにかかってきてるらしい」
「――ったく」
ボン・クローネ市内だけで、実に三件目のテロ事件が起こってもらっては困る。その一心で、稔はテロ事件の種となりそうなものを壊しに行こうと強く思う。とはいえ、結界という限られたフィールド内で敵と戦うというのはこれが初であったから、稔も不安が残る。
「織桜も頑張ってるんだ。取り敢えずは私達も頑張んなきゃだろ、稔」
「……だな」
ラクトの言っていることを聞いてそう言うと、稔は唾を呑んで頷く。
「んじゃ、こっちもゲームを――」
「「始めますか」」
稔とラクトが声を合わせて言う。だが、その刹那。
「いっ――」
「織桜――!」
稔とラクトが戦闘前に互いに力を使おうと準備をしていた裏、織桜は見たことのない男と戦闘をしていた。剣と剣、長さはほぼ互角であったが敵方が強い力を見せてきて、その戦力差が生まれてしまう。
「大丈夫か!」
「かっ、構わない……」
「お前は重要な戦力なんだから――」
「愚弟にお前なんて言われる筋合いは無いが――まあ、この状況だ。逆らうことは出来ん。どうすればいい?」
「取り敢えず下がっていた欲しい。でも、それで狙われると厄介だ」
そう言うと、稔は召使を召喚することにした。織桜の相手をしている中、ラクトが懸命に戦ってくれているところを見ると、自分がその方向へいけなくて至極嫌な気分になる。でも、流石に傷ついた騎士を置いておく訳にはいかない。
「――スルト、ヘル、召喚――!」
稔がそう言って、スルトとヘルをその場に呼び出そうとした。だが。
「きゃっ――!」
ラクトの悲鳴。見てみれば、前方方向には触手と思わしき生物によって絡みつかれたラクトが居る。早く召喚されろ、等と心の中で思うが、召喚されるまでの時間は容易に変更できるようなものではない。
有る術を使うということで、稔は召喚された刹那、稔はヘルとスルトにこう言い残してラクトの方向へ向かった。
「ヘルは、駅の時同様治癒を。スルトは、織桜とヘルを守ってくれ。取り敢えずは、ここは総動員で戦う」
「分かりました」
「オッケーっす」
スルト、ヘル、それぞれから稔は返答を貰う。しかし、そんなことで反応している余裕は無い。無傷の体で居られる今以上に、傷を負っている仲間が居る今以上に、戦える自分が活躍出来る場所はない。
「今助けに行く!」
声だけは威勢がよかった。実際、内心ではとても怖かった。触手を恐れたのではない。その向こうに有ると考えられたアスモデウスと見たことのない男との協力関係に恐れを抱いたのだ。
「はああああっ!」
紫色の光を持った剣を右手に持ち、稔はそのフィールドを駆けていく。ラクトが触手によって掴まれ、身動きがとれなくなっているためその方向へ向かう。ラクトも必死に抵抗するが現状ではまだ成功していないため、稔がここで助けない以上は戦力一つを失うということになる。
「えっ……?」
触手まであと一歩というところだった。そこまで来て、稔は触手に近づけない。謎のバリアによって防がれていたのだ。
「そんな……」
助けなければいけない。こんなままじゃラクトが可哀想だと強く思えば思うほど、力はどんどん強くなっていく。けれど、いくら強くなっても一人の力じゃどうにもならなかった。
「いやっ……!」
「ラク――」
触手の先端部は、ラクトの胸のあたりをぐるぐると回すように弄っている。両手両足はガッツリと掴まれており、早くそれを壊さなければ救出は不可能だ。だが、あんなことやこんなことを触手にされるまでは時間の問題。
「紫姫――」
稔は戦闘に意識が行き過ぎて、紫姫の召喚方法を忘れてしまっていた。
「デッドエンド・バタフライ。出てきてくれ――」
召喚するための言葉は間違っている。だから、紫姫は石から出てきてくれない。でも、石の色は光を帯びていた。バトルフィールドの光とは異なるし、照明の光とも異なる。その石の光は、紫姫が反応を示していないわけではないということだ。
「俺と一緒に戦ってくれないのか?」
「……」
「忘れてしまったんだ。召喚するための言葉を。だから、だから――」
全くの自分勝手だと思いながら、稔はそう言う。これから相手の攻撃が行われるかもしれない状況で、自分とともに戦える仲間を一人追加しようという場面。忘れてしまった言葉を探しながら召喚していくよりかは、こうやって心を伝えたほうが得策だと思った。
「アメジスト。私は貴台の『精霊』だ。召喚の意思に従わないのは異常といえば異常。今回は……特別だ」
「紫姫……」
ご都合主義と言えないこともない展開だったが、稔は精霊を召喚することに成功した。「召喚の意思に従わない」と言っているが、それは言い換えれば「召喚するための言葉が分からないのに召喚してくれた」という意味のこと。稔の考えた策が功を奏した形になったわけである。
「こういう時こそ、我を頼るべきだろう。アメジスト」
「ハハハ……」
(いや、そんなことをしている暇はないだろ、俺……)
思わず会話がスタートしそうになるが、稔は何とかそれを堪える。ラクトを助けるという強い意志が有ったからこそ、すぐに脱線するような話に持っていく癖に流されることがなかった。
「それで、アメジスト。これから我はどのように戦えばよい?」
「なら、S・Fを使って、触手のHPを減らして欲しい。それ以降は、このバリアを破壊するために協力してくれ」
「どういうことだ?」
「順を追って話す。まずは――」
リーダーシップを取る形で共戦を始める稔と、それに従って戦いを進めていく紫姫。バリアを破壊するという意味がまず分からなかった。だがそんなことは置いておくとして、まずは稔の言った指示をその通りに遂行する必要があった。
「――S・F――」
敵のヒットポイントゲージは表示されていない。サングラスは手に持っていないから、ヒットポイントなんざ見ることは不可能である。だがそれでも、ヒットポイントが減ってきているということは、表面を見ていれば大体分かる。特に獰猛な敵であれば尚更だ。
しかし、ヒットポイントを減らせば強力な攻撃が行われる可能性も否めない。
「――」
フィールド内に沈黙が流れる。だが、特に何も起こらない。稔から見た相手方が余裕をこいている為だ。触手という指示されたことだけを呑んで戦う生き物だったから、もちろん暴れ狂う可能性は有った。でも、しっかりと躾けられているからそんなことはない。それが、余裕をこいている一つの理由だ。
「アメジスト」
「なんだ」
「ラクトを助けたいのだろう?」
「そうだ」
「だったら、我にいい考えがある。耳を貸して頂きたい」
戦闘に関するの提案が行われることがすぐに分かって、稔は紫姫の言ったことをそのまま聞くことにした。自分の言っていることだけが全て正しいとは限らない。唯々諾々と人の意見に流され、自分の意見を主張しないのも良くないが、人の意見を聞かないのは更に悪い。だから稔は意見の押し付けはやめようとし、紫姫の言うことを聞く。
「貴台、確かテレポートが使えたような気がするが」
「ああ、使えるな」
「ならば、バリアを超えることが出来るのではないか?」
「ほう……」
それはいい考えだと、稔は小刻みに三回頷く。テレポートに関してはまだ試しておらず、自分ですらどうなるかなど分かっていなかった。明らかに意味が無いだろうということではないから、稔はやってみるだけやってみるべきだと思う。
「バリアを超えて侵入し、ラクトを救出するためにまずは貴台が触手の腕を切る。我が触手の相手をしているから、その間にラクトには触手を解くための魔法を使ってもらいたい」
「でも、あいつにはそんな魔法――」
「魔法が無理なら剣で強引に言ってもいい。けれど、もしそれで傷つかせたら貴台の責任だ」
「……」
「もっとも、それは後で自分からラクトに聞くといい。ラクトは貴台に相当心を許しているからな」
「そうか」
「男は嫌いだけど稔だけは好き」だと、ラクトが言っていたのを稔は思い出す。自分に心を許しているからといって、あんなことやこんなことをする機会があってもしなかったからこそ信じて貰えられているのだ。心を許してもらっているのだ。そしてそれは、戦いの際に貴重な『絆』となって、『チームプレー』に繋がる。
「ただ、まずは……」
紫姫の話が延々と続きそうになったその時。
「バトル、ここで止めてしまうんですか?」
「紫姫、危な――」
アスモデウスがバトルをしたくなって稔と紫姫に近づく。ただ、それでバリアの外と中を行き来できることがわかった。自分たちが行き来できるかはさておくとして、稔はテレポートを使って行き来できる可能性があるとの見方を示す。
ただ、そんなことをしている暇はない。やらなければいけないことはそんなことではなく、アスモデウスと対峙している現在やらなければいけないこと、気づいているのが自分しか居ない今、やるべきことは紫姫に何が起こるか伝えること、そして紫姫と共にここから去るように、とアスモデウスに伝えるような行動を取ることだった。
「――白の銃弾――」
しかし、稔がアスモデウスの裏方に回るなどして攻撃に出る必要はなかった。紫姫が白色の銃を構え、少々後方に下がると一二本にそれを量産、少し跳躍して上方からアスモデウスに狙いを定める。
「アメジスト、その場から離れて!」
「分かった!」
紫姫に指示されるがまま、稔はアスモデウスの近くから去った。その際、いっそバリアの中に入ってしまえばいいんじゃないかと考えたが、その時はまだそれをしない。ラクトを助けるのはもちろんだったが、助ける際に必要である貴重な戦力をとった形だ。
「アメジスト……?」
「ある程度懲らしめてから向かおう。な?」
稔が何故その場所に残ったかを話すが、聞いて紫姫はこう言い放つ。
「留まるな。バリアを破って向こうへ行け! それでもラクトの主人で無いのか!」
「でも、俺はお前の主人でも有る……」
稔が反論を開始しようとしたが、それを押し切るように紫姫は言った。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさいッ! 我が言っているんだ! 先にいけ!」
「――」
そこまで言われると、稔もこれ以上は反論の余地がないということを把握する。うるさいと何度も言われて、強く先にいけと言われたのだ。普通で有れば主人が強制的に意見を押し通すものだが、稔はそれをしない。そして自分の持てる力を触手と見たことのない男の前で発揮しようと、テレポートしてバリアの向こう側へ向かう。
(――テレポート、バリアの向こう側の夜城朱夜、俺のラクトが居る場所へ――)
稔は心の中でそう宣言した。手の内を自ら明かすような真似をしたくはなかったのだ。口に出して言えば、それは相手方にどんな特別魔法が使えるのかを示してしまうようなもの。心の中で言ってもいいということなのだから、それを使わないで敢えて言うとは甚だしい考えにも程がある。
バリアを越していけるかは心の中でも不安になりつつ有ったが、不安なんて払拭できるようにと強く稔は念じた。ラクトが居る場所まで辿り着くこと、それを強く思うことで成功するはずだと信じた。
(紫姫のためにも、俺をバリアの向こうへ――)
そう思うと、稔の脳内にはこれまでのラクトとの思い出が浮かぶ。召喚時に下着姿で登場し、悲しい過去を話し、アイスが好きだと自白、スディーラのアイス屋で大量のアイスを食べ、リートに進められた事を受け流せずにデートして。
有るところでは一人の女の子として、また有るところでは一人の男嫌いとして、そのまた有るところでは召使として。キャラクターを演じてわけていた訳ではないが、それぞれのラクトの笑顔を思い出すと、稔の心の中の「助けてやる」という気持ちが強くなっていく。
「行かなきゃいけねえんだよ!」
稔は、若干キレ気味の大声で言う。自分の大切な召使を奪われるのは溜まったものじゃないと、更に「助けてやる」という気持ちを強くして、稔は目を瞑る。そして、どのような結果になるのか待つ。




