1-83 色欲罪源アスモデウス 【序】
「張本人……?」
稔はラクトに聞き返す。異世界から来て話には聞いていたものの、ラクトが殺された際に執行した者の名前は聞いていなかった。目の前に居る女こそが執行した者だとラクトは言うが、アスモデウスと名乗る彼女はそれをまだ認めていなかった。
「稔、信じてくれないの……?」
ラクトは怯えるような声、もうすぐ泣きそうにも見える表情で言う。
信じてくれないということに寂しさなんてものはない。主人だから信じてくれるなんていうのは、形式上で有ると思っていた。けれど、何処か脅迫しているようにも聞こえるその台詞を、彼女は言ってしまった。
「――」
黙り込む稔。泣き顔に近い表情になっていくラクトを見ると、稔は自然と彼女の言い分を呑んだ。
「そうか」
三文字でも、信じてもらえたということに気が付いてラクトは大喜びする。声は涙声ではなかったが怯える声だったし、泣きそうな顔をしていた。それと比較すると、一八〇度表情を変えたと分かる。
「それで――。アスモデウスだっけ? 何の用件だ?」
黒色のホルターネックのドレスを着ていたアスモデウス。背中部分の露出が多く、黒色ということでセクシーさやらエロさやらも生まれている。でも、露出部分には長い青色の髪の毛が掛かっているため、ある程度の露出は抑えられていた。
「新しいご主人様を見つけましたので、早くバトルして試そうかと思ったんですよ」
「……何をする気だ?」
稔は「テロだけは止めて欲しい」と願う。帝国最終空母という肩書が有ることから分かる通り、ここには先人たちの汗と努力の結晶が詰まっている。表面からは見えないが、それでも戦争末期に行われた造船作業時、残り僅かな資源で作り上げられた艦船なのだ。
そんな貴重なものを、稔は壊してもらうわけにはいかなかった。他国民だとしても何かを大切にする、という心を持っていたためである。
「検討つかないのですか?」
「ああ、そうだが――」
稔が言い切った後、三秒ぐらいアスモデウスは間を空けた。そして、稔を鼻で笑うとこう言い放つ。
「――馬鹿な主人ですね――」
瞬間、ラクトの心の中にストレスがマッハで溜まっていった。主人を馬鹿にされる以上の屈辱は無いと思って、稔を越してアスモデウスの方向へと向かおうとする。しかし通り越そうとする直前、稔がラクトが前に進まないように左手を左方向に出して、通り道を遮断した。
「なん……で……?」
ラクトは首を小さく左右に振った。信じられない行動に驚くが、見た先にいる男は主人。逆らうことは許されない相手だ。稔は逆らってはいけないと言ってはいない。だがラクトにはその時、そう言っているように聞こえた。
「こちらから戦いを始めてどうする。今のは心理戦、女という生き物が得意とする戦法だ」
「――」
「苛立つのは分かる。でも、まだ言葉で対抗出来る状態だというのに言葉で挑発している相手に言葉で対抗しないのは、自分の精神年齢を晒しているだけだ」
ラクトは口籠る。胸も大きいし、顔だって美人な方。言葉遣いに癖はあるかもしれないけれど、マナーだとかは守るのが自分だと思っていた。だから、それに比例するように年齢も付いてきていると思っていたのだ。しかし、それは違った。
「精神年齢か……」
身体の年齢は成長していても、心の年齢は成長していなかったということだ。ラクトはそれを知った。稔の言っていたことは条件付きでは有ったが、今の状況はその条件範囲内。だから反論することもなく、ラクトは稔の言ったことを素直に呑んだ。
「へえ……。意外と悪い主人ではないみたいだね――」
ラクトの行動を見て、アスモデウスはそう言った。顔には不吉な笑みが浮かんでいるが、ラクトは反省していたので何を考えているかを読んだりはしなかった。
「じゃあ、ラクトの主人さんに質問――」
「なっ、なんだ……?」
稔は唐突な質問に驚く。ただ、何かをしてくることはわかったので心構えだけはしておくことにした。
「私とラクト、どっちが好きですか?」
「そっ、そんなの――」
「私を選んでくれたら、今すぐに童貞を卒業させてあげますよ?」
「……」
「ラクト」と言いたかった稔。信用を裏切るわけにはいくまいと思って即座にそれを変えようと努力するが、突如に言われた「童貞卒業OK」の話には、流石の稔も釣られそうになる。
「俺は……」
稔は冷静になろうと深呼吸をする。目を瞑り、釣られる訳にはいかないと強く念じるように思う。一方でアスモデウスは、それがチャンスとばかりに着ていたドレスを脱ぎ始めようとする。公衆の面前で裸になるのは、変態と言わずして何というかという話だが――稔は目を閉じていたので気付かない。
「ラクトをえら――」
そこまで言ったところで、稔は目を開いて見てしまったことに落胆した。アスモデウスは全裸というわけではなかったが、ある程度は生まれたままの姿になっていた。もちろんその身体は、ラクトクラスと言っていいほどの、他人に誇れないはずのない身体だった。
「うう……」
そして、そのボディを見て悲しみの声を上げる織桜。情けない大人であるとも見て取れるが、自分自身の胸に手を当てて無いことを確信すると、自然とそういった声が出てしまった。
「黒色の服はエロさを表現することも有りますが、もっとエロさを表現するためには――」
「なっ、何をし――」
アスモデウスは頬を少し赤色に染める。艶のある声はまだ出していなかったが、目つきはエロモードに入っていた。色欲の悪魔で有るから、サキュバスであるラクトとは共通点が無くはない。だが、ここまで狙ったような表情のラクトを稔は見たことがなかった。
「ホットパンツ。ちょっと破くと、興奮しますよね?」
「……」
履いていたドレスを脱ぐと、煤竹色と言うといいくらいの色のホットパンツを替りに履いて破くような仕草を、アスモデウスはしようとした。稔が言葉で何も言わない為に未然形に留めたが、アスモデウスはそんな稔にがっくりする。
ブラジャーを付けていない状態でホルターネックのドレスを着ていたアスモデウスは、脱げば当然胸が見えてしまうというリスクのようなものを抱えていた。だが、そこは色欲の罪源。アスモデウスは、それすらもエロチャンスに変えた。胸の中央から下を潰すような形にはなったが、乳首を隠してアスモデウスは姿勢を取ったのだ。
「性欲の欠片もないわけでは無さそうですが、意外と召使との関係は引き裂け無さそうですね」
「まさかお前、こんなことをする狙いって……」
稔がそう言うと、アスモデウスは不吉な笑みを浮かばせたまま言った。色欲の悪魔だけあって、もちろんエロさはキープしていた。
「ラク――病原菌の周囲に居る者を全員葬るためには、やっぱりいちばん近い人から殺るべきだと思ったんです。まあ、それが一番の目的ではないんですが」
「お前今、ラクトの事を病原菌って言ったな?」
「ハハハ、何を言ってるんです――」
アスモデウスは笑顔でやり過ごそうとする。一方の稔はそんなもの見破る。召使を傷つけるものは容赦しないなどと心の中には思っていなかったが、笑顔で自分の召使を侮辱してくれる者には腹がたったのだ。
そうした事を稔は口に出さなかったが、表情から漏れて見えていた。そのため、逃げ切ることが不可能だろうと確信したアスモデウスが、稔の聞いてきたことから逃れることを止めて言った。
「――ええ、その通りですが何か?」
「酷いことを言うもんだ」
「怒らないんですね」
「煽られて咄嗟に行動を取る奴は精神年齢が低いって俺は知ってるからな。そんな真似はしない」
「そうですか」
アスモデウスは「ふーん」と言う。稔の取った行動に不満が有ったわけではないが、あまり期待していた反応でもなかったので、反応に困ったという感じだった。
「まあいいです。少し予定は狂ってしまいましたが、バトルはさせてもらいましょうかね」
「いや、俺らはバトルなんてするとは一言も――」
「負けるからそう言うんですよね。私には分かりますよ」
そう煽るアスモデウス。稔は、爆弾魔の男の一件といい、ペレの一件といい、解決出来なかったわけではなかった事を思い出す。敵の発狂状態を沈めるために話術を使ったりもしたが、別にそれに自信があったわけではない。だから煽ってきた際にアスモデウスが言った内容に対しては、稔はそんなはずがないと思い込んでいた。
「苛立った心を抑えているのもそう。自分が弱いから、強い者には通りすぎて欲しい。そうでしょう?」
「いや、そんな訳ではないんだが――」
「いい加減認めたらどうですか? 弱いんですよね?」
「……」
何を言っても無駄だという結論に至りそうになる稔。でも今は、屈しないでいようとも考えても言っていることが否定されてしまい、相手の言っている意見が全て正しいと見られてしまって変えられそうではない状況である。だから、結論も変えられないものになっていく。
「バレてしまったか。お前の言っている通りで弱い」
ある程度は相手の出方を窺うのも悪く無いと考え、稔は否定しつつも口頭では言った。ただ、出方を窺っていることがバレてしまうと問題だったため、そこだけ稔は心配に思った。しかしラクトが稔の耳元で、「バレないよ」と言うと、風のように稔の中のその心配は消える。
「そうですか。でも、その割には余裕が有るような気がしなくもありませんね」
「気のせいだろ」
「そうかもしれませんね」
不吉な笑みが浮かんでいたアスモデウスだったが、稔が彼女の出方を窺ったことにともなってその表情は変わっていった。稔の言っていることを有る程度信じたのである。
「それで。私の言っていたバトルですが、それはやってくれるんですか?」
「やらないと言っても、どうせやるんだろ?」
「分かっていますね。心の中を覗ける魔法をお持ちですか?」
「いや、そんな訳では――」
魔法ではないが、心を読める召使であれば稔のすぐ近くにラクトが居る。でも、ラクトから情報を得たわけではない。稔が予想するように言っただけだ。当たるとは思っていなかった稔だが、そんなことで喜んだりするような男ではない。
「まあ、あなた方が何も言わない限りは私が開始するだけなんですが……」
「でも、なんで始めないんだ?」
「私の最大限の情けですよ。悪魔にとっての情けなんて珍しいのですから、光栄に思って下さい」
敬語で言っているアスモデウスだが、言葉を少し変えると印象は異なる。
ツンデレ口調で言うとすれば、「私の最大限の掛けなんだからね! 悪魔にとっての情けなんか珍しいんだから光栄に思いなさいよ!」というのがいいだろうと、そんなことを稔は思ってしまう。流石、ギャルゲをプレイする事に躊躇いが無いだけある。
「稔、頭湧いてるんじゃないの?」
「わっ、悪いラクトっ!」
脳内変換であれば可愛いと思ってしまった稔。そんなことを思う稔だが、目の前の女はアスモデウスだ。可愛いと思うことがあっても、目の前に居る女は敵同然。抱いた感情はどうであれ、その思いは心の中に留めておく必要があった。
「何かを考えているようですが……。まあ、貴方如きが考えることとなると、童貞が考えるということとなると、頭が湧いていることとなると。大体何を考えていたのかは察しが付きますね」
「それはとても嬉しいことだ。察してもらえるなんて、俺からすればとっても光栄だよ」
アスモデウスはそう言う。察しがつくことは光栄でも何でもなかったが、稔はまた嘘をついて言った。笑顔でアスモデウスに言う稔だが、ここまで来るとアスモデウスも怒り出す。
「……馬鹿にしてんのか?」
それまで敬語だった言葉遣いが一瞬にして変わった。それまで猫を被っていたということだ。ようやく、アスモデウスの本性がそれで浮かんだのである。
「そうやって私を馬鹿にしたって言うことは、それなりの覚悟がお有りでしょうし、容赦なくいかせてもらいますか。フフフ――」
超展開で始まろうとするバトルに、稔はため息を付いた。頭のてっぺん辺りに手を置いて頭を抱えているような仕草しようとするが、そんなことをしていると隙を突かれて攻撃されかねないと考えて控えた。
「お?」
攻撃態勢かつ防御態勢に入った稔をサポートするべく、ラクトが稔に近づいていった。心の中を読めるからこその行動であるが、こうなってくると織桜も胸のことでショックを受けている場合ではないと感じて、ラクトに続いて稔の方に近づいていく。
「あの女には因縁が有るからね。こっちも容赦なくいこう」
「私も胸のことでショックを受けてしまったが、全てはあの女の責任。だから、愚弟たちとともに容赦せずに戦うことにしよう」
「剣道五段の技術、見せてもらうぜ」
「臨むところだ」
織桜と稔がそう会話していると、アスモデウスが攻撃を開始した。
「――色欲罪源と秩序の崩壊、標的者――」
魔法の使用宣言を行うアスモデウス。『標的者』とまでは言ったが、それが誰であるかは口に出して言わなかった。アスモデウスが自身の心の中で宣言したのである。ただ、魔法の使用は宣言されたために発動された。
「一体何を――」
心の中で最後言ったからではないが、魔法の使用が宣言されたにも関わらずに強い魔力を感じたりしなかったのを疑問視して、稔がそんなことを言った。だが、そんな余裕のように見て取れることを言ったのはフラグだった。
「ひゃっ――」
「ラクト!」
ラクトが声を上げたのだ。喘ぎ声とまではいかないが、びっくりしたような声であると共に、艶めきの有るエロい声だった。それを上げたかと思うと、ラクトはすぐに稔の方向に倒れていく。
「熱でも出たか?」
「違うよ! なんか……」
「なんか?」
稔は理解できずに聞き返す。ラクトは、聞き返されて言うのが恥ずかしいと思った。けれど、稔のためにも言ってあげようと考えて言う。
「パンツが消えた……」
「えっ――」
顔を少し染めながらラクトが何が起こったのかを報告し、稔が反応を示したその時だ。
キィィィン――
金属同士をぶつけたりすると生じる鋭い音を生んだ。稔がラクトに何が起こったかを聞いている目の前で、織桜と名前を知らない男の剣同士がぶつかっていたのだ。
「さあ、ご主人様……」
「俺達の殺害を――」
アスモデウスと稔たちが見たことのない男がそう言っていくと、最後は一緒に言った。
「「始めよう」」




