1-79 帝国最終空母エルダ Ⅱ
同意を求めたから、話は早く進んだ。パンフレットもあったから、読み間違いさえしなければ、目的地へ行くことなど容易だと捉えたためだ。もちろん、稔は特に方向音痴というわけでもなく、案内板も有ることも相まって、目的地へ行く難易度はベリーイージーだった。
「なんだよ。こっから一つ目の交差点で右へ曲がって、そこから真っ直ぐ進めばいいだけじゃん」
稔がそう言って解釈を行うと、やってみるべきだと思って足早に前へと進む。ただ、一応はデートという括りになっているため、それは一時だけであった。ラクトと織桜、二人の歩幅に合わせて稔たちは戦争祈念館へと向かっていったのだ。
「あ……」
ただ、戦争祈念館まで向かう途中には例のカレーを販売している、提供しているお店が有った。いたるところに有ったというわけではなかったが、『カレー専門店』と名乗られてしまうと、稔は妙な衝動に駆られ、そのお店に入ってしまいたくなった。
「バカ。誰だよ、先に写真撮影しようって言ったのは。愚弟だろ?」
「はい……」
織桜から注意を受けると、稔は渋々というよりかは、それが自然の理であるという風に捉えて従った。
なんだかんだいって、稔は言い出しっぺであった。そういう境遇に居ると、「自分がしたくないから」という理由で何かしらの事柄を他人に擦り付けようとした際、大抵は悲しい目に合ってしまう。そんなことが、自然の理であると感じたのだ。
「そう落ち込まないでよ、稔。後でカレーを食べられるんだから」
「いや、カレーが食べたいとかどうとかの問題じゃなくて、腹が減ったというか……」
「あの量で足りなかったの?」
ラクトはそう聞くが、織桜がそんな疑問に答えた。
「まあ、確かにあれは食べ盛りの野郎には少なかったかもしれない。実際あれ、軽盛だからな」
「軽盛……?」
「弁当が販売されていたが、時間が時間だった。だから、愚弟の分は大盛を買ってやろうと思ったんだが、売り切れていたんだ。中盛で妥協しようかと思ったんだが、手にとったのは軽盛で――」
弁解するように言う織桜だが、稔は別に怒ってなどいなかった。現在、自分がしたいのは腹を満たすことだ。そこまで腹が満たされていないわけではなかったが、現状は腹八分目なんてものではなく、パンでもいいから口にしたかった。
「――じゃあ、パン食べていいか?」
思っていた事を咄嗟に口に出す稔。立ち食い不可という張り紙は何処にもないため、パン屋を探してパンを食べようと考えた。もちろん、ご飯と違ってネバネバしているわけでもなく、固形で有ることから、片手に持って食べることも可能だ。即ち、写真撮影に支障は無い。
「好きにしたらいいんじゃないかな、愚弟?」
呆れたような口調で織桜は言ったが、本心は「好きにして欲しい」という事に変わりない。自分が先程交渉したこともあったから、稔からの交渉をそう簡単に却下できるとは考えられず、少し遠回しに言っているようにも聞こえるかもしれないが、織桜はそう言った。
「でも、結局はパン屋を見つけないと話は始まらない気が――」
「そういうのはパンフレットに書いてあるんじゃないかな?」
疑問形で言う稔に、織桜はパンフレットを見ずに交渉してきたということを察した。そんな稔の交渉をカンタに却下しなかったのは別にいいとしても、それを見破れなかった自分を、織桜は悔しく思った。
けれど、許可と捉えられる発言をしてしまった以上は協力するべきだと考えて、稔と一緒にパンフレットでパン屋を探すが――稔と織桜ではない者が一番最初に見つけた。
「看板有るじゃん」
「……」
ラクトの視力の良さに言葉を失う二人。オタクは総じて目が悪いわけではないが、稔はそれなりの視力、織桜もそれなりの視力しかなく、パン屋の看板だとかが何処にあるかは分からなかった。
「稔が見えないんなら話は変わる。ほら、進もう」
急かされる稔。どうせ進むのなら、歩いても良かったがテレポートで行くべきだと思った。稔は場所を知ってはいないが、別に脳内で目的地を想像する必要など無い。聞いた情報を言葉にして発するだけで、目的地の情報はクリアされる。そんな簡単にテレポートが出来るのだから、稔はテレポートして行くべきだと考えた。
そしてそれは、すぐにラクトにも伝わった。進んでくれるか否か、それを心の中で探っていた時にふと見つけた事だったから、一応は主人という立場もあって、ラクトは聞いてみることにした。
「……テレポートで行く?」
「ああ、そうしてくれ。直線距離で近くまで行ければ無問題だからな」
「でも、距離なんて――」
ラクトがそう言って、距離が分からないことを告げた。見た目で距離を告げても良かったが、行き過ぎたりするのは御免だと感じたし、主人に迷惑が掛かるような真似は避けたいと思った。
「パンフレットには、縮尺とか書いてないのか? パン屋までの距離さえ分かってしまえば、ここから見えるってことは多分直線だと思うし、恐らく行けると思うんだけど……」
「縮尺なんか書いてない」
「そっか。んじゃ、テレポートはやめておけば?」
「でもまだ、店舗名を言ってないじゃん」
「あっ……」
店舗名、即ち場所が分からないから、稔は大体の距離までテレポートして行こうと提案したのだ。ラクトは『パン屋』とは言っていたが、それは何を売っているかという情報にしか過ぎない。だから、『パン屋』の『店舗名』は分からなかったのだ。
故に、その時稔に与えられた情報だけでテレポートするならば、距離を必要とする。けれど今、パンフレットに店舗名が書かれていたならば、稔が言っている理論は崩壊する。でも、崩壊したほうが楽にテレポート出来るのは紛れもない事実であるから、稔は崩壊してほしかった。
「……有った!」
小さい文字でも無いから、発見はそこまで長い時間を必要としなかった。流石に若者である。いくら遠くが見えなかったとしても、近いところを見る作業は得意中の得意だ。老人とは対をなしている。
「『ビーリード』か」
「恐らく、『bread』を分けて読んだんだね。『B』と『Read』で」
「ああ」
稔が必要としていなかった解説。無駄といえば首を横に振ることは出来ないのだが、会話のネタを仕入れたのは良いことだった。誰かに自慢できる訳ではないが、店主や店員と会話出来る幅が広がることが悪い事なわけない。
「正式名称は――」
「ああ、それは大丈夫だ。『ビーリード』っていう名前の一部でも被っている店が、このメッセ内に有るとは思えないし」
稔はそう言って、正式名称が必要か否かを聞いた織桜に返答した。そして稔は、パンフレットの『ビーリード』というパン屋に指をさすと、続けてこう言った。
「……だから、少し遠回しな言い方で言っても、最終的にビーリードっていうこのパン屋さんを指すことになれば無問題だ。事実、電車内でのテレポートで使った言葉はそういうのが多かった」
正式名称で言うに越したことはないが、それで噛んだら大恥。言い直すのも面倒と言っていいものだから、稔は、そんなことをするくらいであればしなくていいと思った。そのため、テレポート時に発する言葉の内容も、正式名称であるパン屋の名前を使わないことにした。
「よし。それじゃ、手を繋ごう」
やらなければならないことを終わらせなければテレポートは失敗する。失敗すれば、一々元の場所へ戻ってくる必要がある。つまりそれは、無駄な作業を増やすということだ。作業ゲーで淡々と作業を熟すことが苦ではない稔だが、それはゲームだから。ゲームでなければ嫌になってしまう。
そんなことを知らなかった稔の召使と二四歳の社会人だったが、二人とも稔と手を繋いだ。しなければならないことだと割り切る稔だが、端から見ればデートと見られるのは言うまでもないだろう。
(――ボン・クローネ・メッセのパン屋、ビーリードへ――)
稔は、ラクトと織桜に合図を送ろうと、彼女たちと繋いでいるそれぞれの手を、強く握り返すように繋いだ。スポーツマンとは言えない二人だったから、女性らしい柔らかな感触が伝わった。
(柔らかいな……)
そんなことを脳裏に考えてしまって、稔はチラリとラクトの胸の方向を見た。柔らかいと聞いて見てしまったのである。見るべきではないと心に強く言い聞かす間もなく、稔はラクトに対して謝罪の念を持った。もちろんラクトだけではなく、織桜も怒る可能性が否めないため、彼女に対しても謝罪の念を持った。
テレポートした先は、飲食店が並んでいる場所だった。丁度正面を向けばパン屋、ビーリードが有る。
周囲を三六〇度見てみれば、そこはそれほど人が賑わっているような場所ではなかった。無理もない、平日午後の三時だ。休日でも無いし、巨大ショッピングモールでもあるまい。平日に多くの人が訪れると考えるのは、拠り所のない荒唐な話だ。
「いい香りがする……」
「出来たての匂いだな」
テレポートした先に人影なんざ少なかったわけだが、それに伴って、いい香りは倍に鼻に伝わってきていた。多くの人が吸うことのない、自分たちだけが、この場所に居るものだけが吸えるいい匂い。そんなパンの匂いに、稔は腹が鳴りそうになる。ぐぅ、と鳴らしそうになる。
「……」
ただ、稔が堪えているそのすぐ隣、織桜はよだれを垂らしそうになっていた。
「よだれ垂らす気か。お前も愚姉だな」
「馬鹿か、愚弟。腹が減ってきたんだ。昼飯とおやつは別物だからな」
「といっても、時間はそんなに経っていないんだが?」
おやつ、と言えば確かに時間帯的にはそう言えた。午後三時台なのだから、甘いお菓子や酸っぱい飲料、そう言ったものを飲食しても受け入れられるだろう。ただ、現在稔たちは昼飯を食べてそれほど経っているわけではない。もっともそんな事を言えば、稔にも返ってくるようなブーメランに似た沙汰になる可能性も有るが――。
「腹は一杯になっていないんじゃないのか、織桜?」
「……そうだよ。悪かったね」
若干キレ気味と言っていい織桜の表情に、稔は戸惑った。自分が何かやらかしたのでは無いかと考え、謝ろうとするが、思い当たる節は一つしか無い。ただ、「お腹が一杯になるほど食べないで今食べるから聞いてしまった」と考えてしまうと、そんな節を折ってしまうことに繋がった。
「でも、別に俺はお前にパンを食べるなとは言ってないじゃん」
「そうですね」
「なんで怒り気味なの?」
「うるさいな! 女には秘密があるんだよ! 愚弟にはわからないかもしれないけど、男がエロ本を隠すように、女は本心を隠すんだよ!」
「はぁ……」
稔は織桜が名言じみた言葉を発したことに、反応に戸惑ってしまった。エロ本と女性の本心の何が一緒なのかと考える稔だが、稔は男である。女の気持ち全てを分かれるはずがない。つまり、共感出来る事が全てではないから、感じ取り方に違いが生まれてしまう可能性が否めないということだ。
「ラクト。織桜の意見はどう思う?」
「本心を隠すっていうのは、あながち間違いじゃないと思うよ。男よりも陰口が多いと思うし、それこそ『気持ち悪い』って男が女に言うことは少ないけど、逆は多くあるし」
「まあ、それは……」
「精神攻撃っていうか、意地悪っていうか。悪知恵であれば男よりも女のほうが一枚上手、っていうのが私の意見かなぁ。だから、本心を隠すってのは間違いじゃないと思う。それが悪知恵に繋がるから」
ラクトはそう言ってまとめた。違う性別で有る自分が意見を持つためには、同性であるラクトから意見を少々ながら借りるべきだと思って、ここは有効活用しようと稔は考えたのである。
「古くは、女は家を守って男は外で狩りをするみたいな、そういう風習みたいな事が有ったのは分かるだろ?」
「まあ……」
ラクトから意見を借りようと思っていた稔だったが、丁度織桜が解説をしてくれたので借りるのは後にしようと考えた。やはり、意見は言ったものからその意味を聞いたほうが手っ取り早い。誤解を生むような言い方をすれば言った人のせい、即ちその意見を解説した人のせいなのだから
「出産できるのは女しか居ない。だから、それで結果的に外で狩りが出来なかったんだと思う。けど、そういうことが有ったから、母性本能や母親の強さってものが確立されたんだと思う。近くにいる者を守るっていう強さが」
織桜が言うと、稔は『近くにいる者』という比喩的表現が一体何を表しているのか気になり、自分自身の予想を混じえて聞いた。
「近くってことは、『我が子』ってことか?」
「それも有るけど、父を支えるってこともあるかも」
織桜はそう言って、稔が予想した事が正解であることを告げた。
「アスリート級になれば別だけど、金的を除けば、大抵の女は男の力には勝てない。だから、結果的に精神的な攻撃を浴びせる方が効果的という事に繋がったんだと思う。まあ、それ以外にも色々と理由になりそうなことは有ると思うけどね」
織桜は少し笑いを含めてそう言うと、更に話を続けて言う。
「精神攻撃をする時は、相手の思いを考えたら出来ない。だから本心を隠すものなんだと、私は言ったってこった。――で、確認だが、愚弟は理解したのか?」
「もちろん」
分解しながら説明されると、稔は納得できた。「女が」「男が」と言うと、それぞれ女性蔑視や男性蔑視に繋がりかねない。性別による蔑視と性別による区別を間違えて使う者が居ることも事実である。
ただ、今の話の中での「女が」「男が」という話は全て『区別』に当たる。織桜という一人の女性が生きてきた二四年間を『考察』し、理由に出来そうな事柄を述べただけなのだから、それで蔑視と呼ばれる筋合いは彼女にない。
「稔、立ち話長すぎだよ」
「悪い」
「私もいい匂いのせいで腹減ってきたんだから、それで焦らされるとか、稔はエスか」
「知らねえよ」
ラクトに言われ、稔はそう言って軽く返答をするが、そんな軽い表情が一変した。
「でも、俺らは複製のお金しか無いし……」
織桜に頼らざるをえない状況。複製のお金を使うのは、やはり抵抗感が有った。
「はいはい。長話に繋がる元凶を作ったから奢りますよ、奢りますよ……」
ため息混じりに織桜がそう言うと、ラクトは至極喜んだ。稔は、そんなラクトの喜びように驚いたが、他人がお金を使って奢ってくれている状況を考えて。喜んでいないのは情がない気がして、ラクト程ではなかったが、稔も喜んだ。
「でも、まだ店の前に立ってるだけじゃん。このままだと買えねえだろ」
「だったら入ればいいじゃん」
「そんなの解ってるわ!」
また怒り気味になった織桜。本当は買いたくないのかと稔は思った。そして、そんな表情を浮かべながら織桜は、パン屋の店内へと入っていった。ため息を一度も付くことはなかったが、表情があまり良いような表情ではなかったため、稔は織桜を怒らせたと落胆する。
ただ、そんな落胆はラクトの言葉で晴れた。ラクトは、織桜の内面と外面での演じ分けを見破っていたのだ。何を隠そう、ラクトは他人の心の中を読むことが出来る。それは主人であろうが無かろうが、心を持つものであれば全てに対応出来る。
「内心じゃ、『自分も食うからそのついでに』って思ってるよ」
「そっか。んじゃ、無駄な心配だったんだな……」
稔は、自身の耳元で囁かれるようにしてそうラクトに言われて、自分が心配していた事実を否定したくなった。一方で心配する必要がなくなって、安堵の表情も浮かべた。――が、そんな稔に追い打ちをかけるようにラクトはこう言った。
「……ハニトラ掛かるよ?」
ラクトはパーカーを着ているから、そう簡単に胸の谷間の部分の肌が見えることはないのだが、その胸は主張が激しく、色目を使いながらの追い打ち的発言だったことも相まって、稔はラクトからのトラップに引っかかってしまった。
「引っかかったな?」
「エロい体つきをしている女性からトラップを受けたら、大抵の中高生は引っかかるかと」
「そっか」
「てか、トラップってことは、俺を試したってことか?」
「そうなるね」
ラクトが笑い混じりにそう言うと、稔は仕返しに彼女の左右の頬をつねり、左右に伸ばして遊んだ。




