1-78 帝国最終空母エルダ Ⅰ
とはいえ、エルダ駅に居ているだけでは写真撮影なんざ始まるはずがない。帝国最終空母というだけあるから、その大きさは相当だ。故に回り切るのにそれなりの時間が掛るが、写真撮影の事を踏まえた時、それなりの時間というのはさほど大きい問題では無いだろう。やらなければならないことなのだから。
「で、取り敢えずは改札を出たわけだが――」
「織桜の目が、完全にオタクの目になっている……」
稔とラクトは、織桜というオタク系の女性に観察するような目線を送っていた。野獣的な表情は一切浮かべないのだが、織桜はメッセ内の塗装が黒いところにデザイン性を感じて見とれていた。軍隊の艦船は、大抵が黒色や灰色というモノトーンカラー。そういったところに興味を惹かれたのである。
「軍隊に興味をもつことは誰しもが通る道だぞ、愚弟」
「――」
稔は、アニメに興味をもつことが誰しも通る道であるとか、そういうことであれば共感できると思った。だが、軍隊に興味をもつことが誰しも通る道だということは、なかなか共感できなかった。
「不特定多数の人は、軍隊よりアニメじゃないのか?」
「なんだアニオタ」
「俺はオタク文化が大好きってだけだ。お前は違うのか、織桜?」
「私はオタク文化を嫌いになりたいけど嫌いになれないって人だから」
「それ、『オタク文化が好き』って遠回しに言ってるじゃん」
「バレた……?」
織桜はバレたことに驚くような素振りを見せるが、これはフリである。
「まあいいや。それで、案内板を見て行けばいいんだよね?」
「デートは男が主導するもんだろ」
「ちょっと待て。デートじゃないだろ?」
デートではないことを主張する稔。勘違いして変な方向へ向かって行ったり、自分が侮辱されたりするのは嫌だった。だから稔は、デートではないことを主張した。心を読める召使たるラクトは何も言わなかったが、織桜はなおも攻撃を続ける。
「愚弟はこれだから――。愚弟がいくら否定したって、この状況を見ればデートか否かなんてすぐに分かるだろう」
「くっ……」
自分一人だけの力ではどうにもならないということ、それを稔は痛感した。ラクトに頼りたい気持ちも無くはなかったが、頼るのもなんだか情けない気がした。戦闘狂というわけではなくても、いつもいつも頼ってばかりではダメだと思ったのだ。
手の中からポンポン道具を出してくれるラクトは、さながらドラ――青色のたぬきだ。でも、その作品には付きものが有る。青色のたぬきから道具を借りれば、何処かしらで痛い目に遭うということだ。もうそれは、テンプレと言っていい。
マドーロム世界線上、稔とラクトの関係上、そこでそのような事態が発生するかもしれないとは言えるが、未来を読める人間は稔の周囲に居ない。故に、未来でそうなってしまうかどうかの予測はできても、それが本当に起こるかは言えないのだ。だが、もし仮に読めて未来を変えたら、それはそれでおかしくなるため省く。
「どうせあれでしょ? 内心では、左に貧乳を右に巨乳を――って感じで、あんなことやこんなことをしたいとか思ってるんでしょ?」
「……」
「図星?」
「呆れたんだ。社会人の女が、そんなことを言うなんてって思ってさ」
「男は一〇代から二十代に性欲が盛んになるらしいけど、女は二〇代から三〇代くらいが盛んらしいからね。発情女とか言われたらキレるけど、年齢的な面も有るのかもしれない」
織桜はそう言った。それなりの反応が返ってくることを望んだ織桜だったが、それなりの反応は帰ってこなかった。織桜が言ったことに稔が、冷たい反応を送ったためだ。
「そうか」
たった三文字。単調な口調で発されたその言葉は、織桜の心を少しながら抉って傷つけた。そのため織桜は不快感を示す。一応は歳が離れていて、学生と社会人という違いも有った。だから、そういった面でアドバイスできるかと思い、織桜は言う。
「愚弟。もう少し言い方が有るだろ」
「例えば?」
「冷たい反応よりも、私は温かい反応のほうが好きなんだよね」
「知らんがな」
「そう、それだよ!」
「……は?」
稔は首を傾げた。「今言葉を変えて言ったのが正解だったのか」と稔は思ったが、これが温かい反応と言うのは、何処か違う気がしたためだ。でも、自分の内心で勝手に結論を結びつけてしまうのは良くないと感じ、織桜に聞く耳を向ける。
「知らんがな、それでいいんだよ。へえ、でもいい」
「そうか、はダメなの?」
「言い様によるけど、さっきみたいな単調なのはダメだ。オーバーにとは言わないけど、ある程度は浮き沈みを付けて欲しいんだ」
「なるほどね。まあ、織桜がそういうのならそうするよ」
「頼む」
そうやって、織桜と稔は会話を終わらせた。稔は、織桜に対しての会話を考えさせられた。要求はそこまで聞いてやれないものでもなかったので、稔はすぐに呑んで受け入れることにした。コミュニケーション能力が欠損しているような気がしたので、改善しようという狙いも有った。
「それで話を戻すけど。『デート』って括りで大丈夫?」
「ご勝手にどうぞ」
「んじゃ、デートという括りにするか」
稔は抵抗して論争を続けるのを諦め、デートという括りでいいと最後に言った。織桜に抱いている稔の好意は、ライクの好意であった。年上を好きになれないとかではなかったが、織桜以上に親密な関係を気づいているラクトが居たため、ライクの好意止まりであった。
かといって、ラクトに対して稔が思っている好意がラブであるかライクであるかは、当人である稔も良く分からない。けれど、一緒にいても嫌な気分にならないのは紛れもない事実だった。
「ところで、最初は何処で写真撮影するんだ?」
「デートプランは男が決めるものだと思うよ。だから、愚弟が決めていい」
「でもそれって、俺が独断と偏見で決めていいってことだろ?」
「そういうことになるね」
織桜から許可をもらうと、稔はパンフレットが欲しくなってエルダ駅のインフォメーションセンターへ向かおうと考えた。だがそんな時。ラクトが、そんな手間を省いてやろうとパンフレットを持ってきた。
「いつの間に……」
稔は持ってきてもらったことは素直に嬉しく思っていたが、これがラクトによる無断複製物ではないかと心配になった。ヴェレナス・キャッスルでの例の一件があったため、稔は心配したのである。だが、ラクトは稔の内心を読んでそれを知り、弁解するようにこう言う。
「大丈夫だよ、稔。著作権の侵害とかは無いから安心して。ほら、証拠にスタンプが――」
見てみれば、確かにパンフレットにはスタンプが押してあった。色は赤色で、その赤色で描かれていたのは帝国最終空母エルダ、つまりボン・クローネ・メッセの原型である。
「でも、スタンプ程度だったら簡単に複製できるんじゃ……」
「それなら触ってみなよ」
「インクが付くかどうか探れと?」
「御名答」
稔を褒めるように言って、ラクトが笑みを浮かべる。稔は、そんな笑顔に胸を撃ち抜かれそうになった。褒められたのが皮肉でない限りは嬉しく受け取れる訳で、今回は自分が鈍感だけれど敏感になれていたというふうに捉えたため、稔は喜んだのだ。だから、胸を撃ち抜かれそうになった。
「あっ――」
早く帰りたいと思い、稔は急ぎ目にパンフレットに押してあったスタンプを触る。上から押し付けるように指を当てると時間が長くなると感じた稔は、敢えて、左から右へ流すようにしてスタンプを触った。
「赤色のインク……」
最終空母のデザインがなされたそれの色、即ち赤色を指に付着させると、稔はラクトが嘘を言っていないというふうに受け取った。赤色のインクが手に付いたくらいで信用するべきではないという、ある意味鬼のような稔も彼の内心には居たが、それを彼が押し潰すことによって、偽りの情報ではないことを呑んだ。
「まあ、そういうわけだから。心配しないで大丈夫だよ」
「お前も成長したな」
「バカか。ヴェレナス・キャッスルのあれは、パンフレットが身近になかったから複製しただけだ。これとは話は別だわ」
「そうなのか」
確かに噴水であるとか、レンガの敷かれた歩道であるとかがあったから、あの場所にパンフレットが置いてあるような場所は無かった。それこそ女子トイレが満員で、ラクトがトイレで覗き見をしようとした変質者であるとかに遭遇した事もあった。
でも、本人はそう言っていなかったため、それを稔は信じなかった。あくまで自分的な理論として位置づけ、消し去った。それ以外にも、ラクトに心を読まれてバレてしまった時に空気が重くなりそうだったからとか、そんな理由も多少は含まれていた。
「さあ、愚弟。そのパンフレットを見て、今すぐにデートプランを立てるんだ。そう、今すぐに!」
「急かすな、織桜」
後方からの煽りとも受け取れる発言。自分がこれからやろうとしていることを指示されると、どうしてもやる気が失せてしまうのは誰しも経験があるだろう。稔は今、それを経験していた。別に初めての経験という訳ではなかったが、歳が一〇歳以上離れていないような人から言われたのは初めてだった。
「今居る場所が駅の改札口だから――」
方向音痴という訳ではないから、稔は案内板に従っていけばそれなりの場所へは行けるとは考えていたが、案内板では分からないようなこともパンフレットには記載されていたため、稔の自信は一瞬にして消え去ってしまった。
「よし。それじゃ、戦争祈念館に行こう」
「戦争祈念館?」
「そうだ」
リートが撮影して欲しいと言っていた内容がいまいち思い出せなかったため、取り敢えずは、「エルフィリアを助けたい」と言っていたリートの姿を思い返して、戦争祈念館で撮影作業を行うことにした。とはいえ、織桜やラクトをモデルとして使ったりはしない。風景だけを写真に収めるのだ。
「稔! カレー! カレーがある!」
「ちょっと待て。ラクトはカレーも好きなのか?」
「ラクトアイスとカレーと炭酸飲料だけあれば、一年は戦える気がする」
「三週間くらいで飽きるだろ」
「そうかな?」
頬を膨らまして首を傾げるラクト。ラクトを虐めたいわけではなかったが、稔はラクトに続けてこう言った。サキュバスとしての死亡宣言とも受け取れるそれを聞いて、ラクトは驚愕の表情を浮かべる。
「てか、それだけ飲み食いしていると、絶対に太るぞ……?」
「なん……だと……?」
カレーはインドの料理だが、カレーライスとなると日本食のイメージが強いと言っても過言ではない。ラクトが言っていたのはカレーライスの方である。インド料理を手本にイギリスで作られたカレーを、更に日本人好みに合わせ、試行錯誤の上で作られたカレーライスだ。
ルウはいいとして、おかわりをするということはご飯を多く摂るということである。加えて、アイスも食べようと言うのだから、相当な砂糖――否、調味料類を摂っていることになる。食品添加物も多量に使われていると考えて問題はないだろう。
ただ、稔はそんなことは通り過ぎるようにしていた。一つ、気になったことが有ったためだ。
「織桜。カレーライスはお前が持ち込んだのか?」
「違うぞ、愚弟。カレーライスはマドーロムに私が来る以前から有った」
織桜がそう答える。ただ、更に聞きたいことが増えた稔は続けて聞く。
「それで、そのカレーライスって味は同じなのか?」
「うん。美味しいよ」
評価はとても良い、とのことだった。織桜自身の評価であるから、稔がそれを口にした際にどう感じ取るのかは別の問題であるが、美味しいということが分かって危険な料理ではないことを、稔は知った。
「……って、俺が聞いているのは味の話なんだが?」
「ごめんごめん。味は同じだよ。中辛と辛口の間って感じかな?」
「案外辛めなんだな」
稔が感想を述べると、ラクトが話に割り込んだ。織桜や稔と比べれば、彼女が一番マドーロム世界線に居るため、彼女が割り込んだということは何かを話すためであることは、容易に察することが出来た。
「マドーロムでは、エルダレアでカレーライスが生まれたんだ」
「お前の母国じゃん」
「覚えたんだね。ありがとう。――で、エルダレアは大陸の一番北にある国なんだよ。だから、冬はとても寒い」
「寒いから辛いものを食べて温まろう……ってことか?」
「要約するとそうなるね」
稔は冴えていた。ラクトが言っていた話を先読みして、自分で推測できたのである。鈍感だの言われた稔だったが、何を拍子に変わったか、そんなところに織桜は相当な驚きを持って隠せない。
「冴えてるな、愚弟。今後もその調子で頼む」
応援のメッセージが織桜から発せられると、稔は「ああ」と一言。ただ、現在話の中心にいるのは稔でも織桜でも無く、何を隠そうラクトだ。この世界でのカレーライスの歴史を語っている最中の割り込み応援であったから、織桜は頭を少し下げて謝罪して、再度ラクトの話を聞く。
「カレーライスは、もともとは『クリムゾンライス』って言われていたんだ」
「血でも入ってたのか?」
「グロテスクな料理だな、おい! ……いや、そうじゃない。トマトジュースを入れていたんだよ」
「チキンライス、ケチャップライスみたいなものか」
「うーんと……」
理解に苦しむラクト。無理もない。現物を見たことも、その匂いを鼻に感じたこともないのだ。もちろん作ったことなんて以ての外、有るはずがない。けれど、そんなラクトに料理を教える術がないわけではない。こういう時こそ、心の中を読むという彼女の特異な才能を使うべきである。
「まあ、こういうもんだ」
稔は、ラクトにチキンライスがどのような料理であるかを説明すべく、脳裏に刻まれたそれを呼び起こして脳内で実体化した。美味しそうに見えるとかを気にしていると時間が掛かるため、おおよそで説明した。
「分かった。それだよ。現実世界で言うチキンライス。まあ、味付けはトマトをジュースとソースを混ぜたクリムゾンソースを使ってるんだけどね」
「ハンバーグソースに似てるな」
織桜が付け足す。確かに、それはハンバーグソースの作り方さながらだ。調味料をもう少し加えるのであれば、砂糖や醤油やバターが欲しいところであるが、流石にそんなことをしていると話が脱線するだろうと思い、稔はそんなことを思っても付け足しはしなかった。
「それで、ある冬の寒い日。料理人をしていた一人の男性が、ケチャップと香辛料を間違えてしまって、ケチャップをほんの少し付け足そうと思っていたのに、入れすぎて、しかもそれが香辛料って事態が起こったらしいんだよ」
「なんという、偶然が偶然を呼んだ結果……」
「そのとおり。偶然で生まれたんだ」
クリムゾンソースに香辛料を誤って投入したら、何故か美味しい料理が出来てしまった――。そんな風な歴史秘話があるマドーロムのカレーライスを、稔は食べたくなった。
「でも、『クリムゾン』って言うだけあって、色は赤いよ。辛そうに見える」
「えっ――」
「本当はそんなに辛くないけどね」
ラクトはそう言ったが、それは辛めのカレーライス――否、クリムゾンライスに慣れているからだ。辛く無いと言っているが、それはトマトジュースの中の成分が関係していると考えて良い。ソースやトマトジュースの中に入っている成分が関係して、甘みや酸味を作り出しているのだ。だからこそ、辛味が抑えられているのである。
「まあ、私も香辛料に何を使っているのかは分からないんだよ。でも、トマトジュースとソースが使われているのは事実だ。確か、今は液体状じゃないトマトを使っていた気がする」
「それケチャップじゃ――」
「なんだっけ? ピューレ?」
ラクトが首を傾げながら、記憶を呼び起こす。トマトピューレというのが現実世界に存在するので、ケチャップに近いものと言えばそれと考えるのが妥当だ。ただ、言葉を探している段階とも見て取れるため、最終結論とは言い難い。
「そうだよ! ケチャップだよ!」
「そっか」
最終結論は『ケチャップ』ということだった。トマトジュースまで液体状ではないところが、若干固体のようにも見て取れるところが、現在使われている理由だ。ある程度の材料が有りさえすれば、トマトケチャップが簡単に作れることも大きい。
「要するに、ハンバーグソースに香辛料ぶちこんだもの、ってことだ」
「それってカレーライスとめっきり違うんじゃ……」
「いや、でも味はカレーだぞ?」
「それって魔法使われたんじゃない?」
織桜は黙りこんでしまった。けれど、それは稔が織桜をいじるために言った話であった。あまりに落ち込んでしまうと、本当に使われたような気がしてならず、稔はため息を付いた。
「まあいいや。後で真相を確かめに行こう」
まずは写真撮影。それが終わったら、マドーロムで『カレー』と呼ばれている、「ハンバーグソースに香辛料を混ぜただけ」とまで言われた料理を食べてみようと、稔は織桜とラクトに同意を求めた。




