1-71 メッセ行き臨時列車-Ⅺ
「そんなに落ち込むなよ~」
稔に対して励ましの声を送るマモン。食べてもらった身からすれば、「全部食べたのか」と思われるような素振りをしていればそう思われるわけだったから、完食してもらえただけで嬉しかった。もちろん、それだけでマモンが元気な声を出したわけではないが。
「落ち込んでないけど……」
「――ったく。ため息ついる時点で落ち込んでるって思われても仕方ないでしょうが」
ラクトは、そう言って稔に言った。少しきつめに聞こえるかもしれないが、怒っているわけではない。近寄り難い存在に見えるかもしれないが、決してそんな人――否、召使ではない。
「それもそうか」
稔はラクトが言った言葉を受け入れ、そう言った。稔が人参を食べている間も昼ごはんの入った弁当を食べていたラクトは、稔が受けいれた言葉の返しとして発した言葉を聞いた時にはもう、弁当残量が減っていて、ゼロに近い量へと差し迫っていた。
「愚弟も早く食べろ」
「やっべ……」
二つの目のトンネルが現れており、直進して少し行けばもう入れるくらいだった。ボン・クローネを出発して、旧クローネ・ポートまではそこまで時間が掛るわけではない。だから、早く食べなければ足手まといになってしまう。急ぐことが重要ではないが、ある程度の速度で行動を取る必要があるのは言うまでもなかろう。
「んじゃ、俺は黙々と食べるからお前らで話を――」
「稔が話に入ったほうが話が面白くなる気がする」
そんなことをラクトに言われて、稔は「そうか?」という気分になったが、取り敢えずは弁当を食べ進めることにした。ラクトの意見だと思ったから、その台詞に対して特に返す言葉は無かった。
会話をしろと言われて、即会話が出来るような人が居るかと思った稔だったが、そんなことを考える必要なんか無かった。社会人の織桜とか言う女性が居る。胸はラクトに負けていても、まとめる能力なら負けていない。そんな女性が居る。
「んじゃ、みんな。ゲームしない?」
「どんな?」
「カードゲーム……といっても、トランプとかしかないけど」
「いいね!」
織桜の提案はいい提案だと言われて、織桜はテーブル等がないかマモンに相談した。
「テーブルって無いの?」
「有るよ~」
軽い返答をするマモン。彼女は、電車の仕組みをそれなりに理解していた。何しろ、これでも整備士なのだから。だから、テーブルが列車内の何処にあるのかをきちんと理解していた。
「ラクト。そこ頼んでいい~?」
「どういうこと?」
「そこのボタン押してみて」
マモンが言うが、ラクトは戸惑いの表情を浮かべる。『そこの』と言われても、ラクトには何処に有るかが分からなかったのだ。テーブルがあればゲームの幅が広がるのは言うまでもなかったが、ラクトはそんなことをマモンから聞いておらず。場所もわからず、首を傾げてどうにかなれと切実に願う。
「マモンやってよ」
「えー」
マモンはやる気なさそうな顔をしているが、これでもれっきとした整備士であるから場所を把握しており、そこからテーブルを取り出すことが出来た。そして、テーブルを何処に置くかも彼女走っていたから、すぐにその場所に設置した。
「このテーブルのラクト側から見れば右の方向にはね~、磁石がついているんだよ。それで、電車の車窓のところ、窓じゃなくなるところの一番上から三センチくらいまでにも磁石がついているんだ。だから、それ同士を使っただけだよ~」
「そか」
ラクトは特に困ったような反応はしていなかったが、少し不安気だった。何せ、この眼の前のテーブルは今は安定しているとはいえ、強力な磁石でなければ、手の圧力などで磁石同士がつっくけなくなる可能性が有る。だから、それが不安で心配したい部分だった。
けれど。ラクトのその心配を心を覗いたかのように、マモンは心配しなくていいことを証明する。
「そうだ~。ラクト~、トランプを作ってもらえない~?」
「……」
ラクトは黙りこんだが、仕方が無い。稔がこんな気持ちでさっきまで過ごしていたのかと思うと、軽い殺意に似た衝撃がラクトを襲う。確かにナイフなんざ、他人の心を読めばすぐに作り出せるものだが――今回はそんなことを簡単にしない。
「あれ~?」
マモンは、何故自分の注文を呑んでもらえないのかを考える。けれど、彼女の脳の中では何故そうなったのかが分からなかった。何か、変な圧力か何かでもかかったのではないかという心配すら生まれるが、でも、そんなものがかかっていたら大事である。無言で黙っている以上、それは無いと彼女は確信した。
いつも通りの自分を演じようとは努力するが、流石にここまで重い空気が襲ってくると、それだけで場の空気は相当違うわけで有り、それによっていつもの演技が中々出来ない。加えて重い空気の他に、「やらかしたのではないか」という不安的要素も絡み合い、ダブルパンチがマモンを襲った。
「……」
顔にはあまり表情を出さないマモンではあったが、この時は顔に表情が出てきそうになっていた。演技をしている時はとても軽い言葉遣いで、とても明るい笑顔が印象的な女の子なのだが、稔がそのとき見た彼女の姿は、それとはかけ離れていた。
「なんでそんなに悲しげな表情をして――」
稔は、何かしでかしたかと思って心配した。思い留める程度の心配であれば良かったのだが、そうも行かず、その思いが強くなれば強くなるほど、確認を取りたくなった。
聞かれて、マモンは悲しげな表情の顔に涙を浮かばせた。そして、更に悪化させた上で言った。
「……なんか、悪いことしたかな?」
あざといようだが、別にそれは彼女の建前上での涙なんてものじゃなかった。本心が、そうさせたのである。涙を流せという脳からの伝令に従って、彼女の瞳がキラキラと潤うようになり、大洪水とまではいかなくてもそれなりの涙が出た。
「お前はな、人に対する気配りが無さ過ぎなんだよ。お前の特徴である軽さ、それは全然いいと思う。けど、さっきみたいに頼む時は止めた方がいい」
「止めた方がいいって言われても、さっき言ったことだったとしても――」
稔がさっき言っていたことを思い返してみれば、「そう言っていたな」となれるのは確かだ。でも、それをしっかりと覚えていて、思い返す必要がない程度に出来なかったのも事実である。確かな事である。
「まあ、俺にはラクトに対しての命令権が有るからな。もっとも、その権利をマモンに形にして渡そうとは思わないけどね。まあ、トランプが作って欲しいなら普通に作ってくれるよ」
稔はラクトの主人であるから、原則としてラクトは稔の命令に従う必要がある。他の者から命令には必ずしも従う必要はないが、主人の命令は特に理由なき場合は原則従わなければならない。言い方を変えれば、トランプを作らなければいけない状況を生み出すことが出来る、ということだ。
そこがマモンとラクトの関係と少々異なるところでは有るが、ラクトは、頼み方さえ良ければ即オーケーを出していた。あまり断りすぎて関係を悪化させるのも如何なものかと思ってというのもあるが、何しろマモンとつるんでいて、彼女が面白く無い訳じゃないことは知っていた事が大きい。
「んじゃ、マモン。頼んでみなよ」
「えっ――」
突然の依頼にマモンは動揺した。さっきもこんな感じだったから、そこまで動揺する理由は無いはずなのだが、マモンは建前と本音の区別がつかなくなりそうになっていく自分を思うと、動揺が生まれてしまった。その動揺には葛藤も含まれていた。
『次は、アンダー・ベーグ駅、アンダー・ベーグ駅で御座います――』
線路は直線だった。遠くからトンネルが見えるほどだったわけだが、車両基地とみられる場所が間近に迫ってきているところの駅に来ていた。そして、その駅で停車しそうになるその時に、マモンは大きく息を吸って吐いて整え、言う。
「ラ、ラクト!」
「はい」
「トランプを、作って下さい」
「……作ると思った?」
「え?」
マモンは絶望の表情を浮かばせた。なんでそんなことを言うのか疑問に思った。これが自分を弄るためなのだと思っても、人が折角真剣に頼んだのに作ってもらえないのはどうかと思った。でも、ラクトが言ったのは、マモンを弄るためなんかじゃなかった。
「絶望の表情も可愛いね――じゃなくて、作ってあるんだ」
「あっ、なるほ――」
言い切れなかった。丁度駅に停車した時と重なったからだ。キィィィという軋む音が聞こえ、それによってもみ消されてしまった。頑張っても頑張ってもいいことに繋がらない――。そう思うとマモンは、何処かやる気を失いそうになった。
「まあ、そうやる気を失いさんな。それが無いと、何も始まらないぞ?」
「……」
ラクトがマモンにアドバイスを送っている光景を見ると、稔は二人が姉妹かのように見えてきた。身長、胸の大きさなどはマモンよりもラクトの方が優っているため、姉がラクトで妹がマモンと考えるといい。
「まあ、重い空気なのもどうかと思うし、トランプしよう! 気晴らしも重要だ!」
ラクトは突如として元気になってそう言った。電車の中でガヤガヤしすぎるのはよろしくないという事は、稔の祖国じゃマナーであった。故にラクトが元気よくそう言ったことを、稔は舌打ちしそうになるくらい、いい風には思っていなかった。
「気晴らしもいいけど、トランプで何をするつもりなの?」
「まずは、王道のババ抜きとか?」
「四人だし、丁度いいかもね」
織桜がゲームマスター的なポジションに就きたがっているのをラクトが把握して、取り敢えずラクトは彼女にトランプ五三枚を渡した。渡したジョーカーは、黒ジョーカーだった。言い換えれば黒ピエロである。ラクトの独断だが、「赤いほうがババアに見える」という理由での選考だった。
「織桜ってシャッフル出来んの?」
「愚弟の癖に、なんて生意気なんだ」
織桜は稔にそう言うと、渡された五三枚のトランプカードを二つの束に分けた。そしてそれを、互いの端を噛み合わせるようにしてシャッフルしていく。俗に言うリフルシャッフルである。
「上手いな」
「ハハハ。もっと褒めるんだ、愚弟」
織桜が調子に乗り出そうとするが、これは演技である。でも、稔はそれを見抜くことが出来た。「危ねえ危ねえ」という言葉を心の中や口頭で発することなく演技か否かを見破れて、稔はいい気分になった。
「んじゃ、最後に――」
仕上げに普通のシャッフルを行うと、織桜は一つの束になった五三枚のトランプを四人に分けていった五三枚という事は奇数であり素数であるから、四人分で分けると余りが生じる。そして、その余りの手札を手に入れたのは、織桜だった。もっとも、配り始めた人に戻る前が五二枚であるから、そうなって当然といえば当然だが。
「さあ、ゲーム開始だ。……といきたいところだけど、皆ルール分かる?」
織桜が聞くと、満場一致で答えが返された。
「分かる」
マモンは語尾を伸ばすように、ラクトと稔は単語を言うようにして言った。
分かっていることを確認すると、織桜はゲーム開始の合図を出した。ただ、誰から決めるかを決めていなかったから、織桜は独断でスタートを切る人を決めた。
「んじゃ、ラクトスタートで右回りね」
「分かった」
理解が取れ、ゲームが始まった。もちろん、多すぎる手札でスタートすることはない。そんなのババ抜きなんてものじゃなくて、ただのシャッフル練習である。一方で、新しいゲームを開発しているとも考えられる。
「よし……」
全員が二枚ずつ揃っていたカードを中央のトラッシュに置き終わると、ラクトからスタートという織桜の指示通りにゲームが本当にスタートした。
「まずは……揃わね」
「次は――揃わない」
「次は……あ」
「なんだよお前ら――あ」
全員、揃わなかった。二周目に入ろうとしたが、織桜が一時中断を要求する。
「ダウトしない?」
「俺は別にいいよ。てか、なんで皆合わないカード引くんだよ。凄すぎだろ」
「みんなが心を読める可能性が微粒子レベルで存在する……?」
「知らんがな」
稔がそう言っていると、織桜はトランプ回収を何事もなかったかのように進めた。そして、トランプカードの中の一枚、赤色ジョーカーを省いていたためそれを入れると、織桜は再度シャッフルをした。今度もまた、リフルシャッフルで行った。
織桜がシャッフルをしている裏、稔はラクトに話しかけた。
「ラクト」
「なに?」
「お前、絶対に人の心覗くなよ?」
「えー」
「ダウトの面白みが無くなるだろーが!」
「まあ、そうだけど……」
勝つためにはどんな手段でも使用するとか、そんな馬鹿げた発想の持ち主ではないことは分かっていたが、念には念を入れておくことにした稔。ラクトも、そこまで言われれば流石にため息を付いてでも「はいはい」と言うしかなかった。
シャッフルし終わり、織桜が五四枚のトランプカードを四人に配り終えて準備が完了した時には、いくつかあるトンネルのうち、ボン・クローネ側のトンネルの殆どを通り抜けていた。
「んじゃ、誰から行く?」
「今回は稔からで」
「分かった」
織桜に稔が聞いたことが要因となり、稔スタートで右回りのゲームになろうかとした時だった。色々と自己主張の激しいラクトが、手を挙げて言った。
「私スタートがいい!」
ラクトも加減を知ってはいたから、声の大きさは大きすぎない声だった。大きすぎれば、「さっきと同じ奴がスタートかよ……」とか、そんな印象を持たれかねない。だから、敢えて加減を効かせて言ったのだ。
「んじゃお前から。皆が心読まれて悲しい気持ちになると悪いから、織桜の方向に回せ」
「要するに右回りね。了解」
小刻みに頷き、ラクトは理解したことを示した。そして、ゲームがスタートした。先程は何の面白みもなさそうな展開が待ち受けていそうだったから中断して止めたわけだが、今回はそんなことが無さそうに皆感じた。
「エース、っと」
「ダウト!」
「は?」
左隣りからいい声が聞こえて、ラクトはその方向を見る。見れば、カードの方向を指差す稔。「ダウト」と言えば取り返しは付かないわけだから、嘘であれば裏返してそれを手札に戻さねばならない。
「ちっ」
舌打ちをして、ラクトは手札にカードを戻す。これでは、ただ単に手の内を明かしただけである。一枚だけ明かして済んだのは、不幸中の幸いと言っていい。
「2――」
本来であれば1を出さなければならないのだが、ここでは誰もそれを指摘しなかった。何しろ、また『エースでダウト』が起こってしまうかもしれないのだ。そんなことが続けば、面白みなんか無くなる。
「3」
「4」
稔が「4」のトランプカードを出したと主張した際、やり返そうと思ってラクトが稔の方向を見る。見れば、稔はニヤけていた。心の中を読みたくなったが、そんなことをしたら即退場となってしまう。堂々と闘うのが普通だから、そんな小作な真似は止めた方がいい。
ラクトの中の自制心が機能し、稔の心の中を覗かなかったことで、「ダウト」という言葉はラクトの口から発せられなかった。
「5」
「6」
「7」
「8――」
稔が「8」と主張するトランプカードの番号であるが、今度は織桜が怪しく思った。彼女は人の心なんか読めないから正々堂々と戦うしかなく、怪しく思うに止めればよかったのだが、言ってしまった。
「ダウト!」
「残念!」
「なっ――!」
織桜の手札に六枚のカードが追加された。でも、手札が増えるということは有利になる事も有る。
例えば、同じカードが三枚か四枚揃った時。どちらも共通して、ジョーカーが出たら勝ち目は無いと言って問題ない。けれど、三枚なら四分の三、四枚なら確実に。ジョーカー以外の三枚や四枚、被っている数字のカードが中央に置かれた場合、「ダウト」と言うことで、嘘だと見破ることが出来る可能性が異常に高くなる。
しかし。織桜の手札には二枚までしか同じ数字のカードが被っていなかった為、「ダウト」と言いづらい所持数だった。
織桜が嘘を見破れずに手札に戻された数字は8だった。だから、隣のプレイヤーであるマモンは、8のカードとみられるカードを中央に出して数字を言う。
「8」
「9」
ゲームは続き、「ダウト」と言わぬままにゲームが進んでいく。簡単に上がれるようなシステムではない事から、取り敢えず中央に出来る限り出させておいて、最後の最後で「ダウト」という作戦が、皆の心の中に有ったのだ。




