1-68 メッセ行き臨時列車-Ⅷ
ただ、静かでいるということは誤解を与えかねない。嫉妬しているのではないか、と思われてしまう可能性が否めないためだ。もっとも、鈍感であればさほど問題はないのだが、察しが良いと大問題である。
「それと、今更ながら覗いてしまってすまなかった」
「本当に今更ですね。でも、別に覗いた訳ではないですし別にいいです。許しますよ」
唐突に謝る稔。大事になる前に謝っておこうと思ってのことだったのだが、稔がそんなことをする必要は、結果としては無かった。でも、結果だけを大事にするのはあまり良くない。結果も大事では有るが、経過も大事である。故に、謝ったことは問題にはならない。
「それより、私をこのトイレに監禁されるおつもりですか?」
「そっ、そんなことないよっ!」
稔は動揺しながらそう言った。ただ、そういったものは行動で見せるのが普通であるから、稔はトイレと通路を結ぶ扉の鍵を開けた。すると、ベルフェゴールと名乗る少女はまとった光を透明化魔法に変化させてトイレを出た。
稔の左の手のひらに彼女は自分の右の手のひらをあわせた。もちろん、そこから互いに温かな体温が伝わる。透明化されているので、少し先へ進んでしまえばよく見えなくなる。けれど、それを稔は嫌に思わなかった。なにしろここに入ったのは、織桜とマモンを探すためなのだから。
『――まもなく、エルダ駅行の当列車が出発致します。立ってご乗車されている方などは、手すりに掴まり頂けますよう、ご理解ご協力宜しくお願い致します。時刻は間もなく、一四時二九分であります――』
稔とラクトが二人きりでトイレに居ることになったと同時、まるで狙っていたかのようにアナウンスが流れた。流れた声は男性の声であったが、ラクトは声で男を判別することはしない。男嫌いだと言うラクトであるが、声に関しては違うのである。
「俺らが昼飯を食べる時間はいつになるんだか……」
「疲れたら、すぐに栄養摂らないとまずいよ?」
「けど、列車の中じゃご飯とかは食べられないじゃん。買ってあるならまだしも、買ってないわけだし」
「だよねー。車内販売とかあればいいのにねー」
そんなことを稔とラクトは話した。けれど、トイレの中に居たままなのは如何なものかと感じて、稔が先導する形でトイレを出た。そして、「三号車には織桜もマモンも居ない」という結論を導き出して、二人は四号車へと向かった。
ただ、丁度トイレを出た時だ。電車が走りだした。大きな物音が聞こえたかと思うと、走りだしていた。トイレの目の前には座席が有るから、もちろん車窓が有る。だから、そこから駅を出発したことを稔たちは把握できた。
けれど、それに至るまでがリア充のようだった。
「ひゃっ……」
列車が動き出した時、稔の右腕にラクトが寄りかかったのである。柔らかい胸の感触は無かったが、稔は女体の柔らかさを直に感じて、流石に鼻血を吹き出したりするようなオーバーリアクション気味の漫画演出はなかったが、心臓の鼓動を早めた。
「バカかお前は! なんで公衆の面前で俺の方に寄っかかってくるんだ!」
「仕方ないじゃんか。手すりに掴まってなかったんだし」
「あのなぁ……」
稔は呆れ顔を浮かべるが、通常こんなことをされれば呆れ顔を浮かべる他ない。やはり、ラクトは何処か天然なところがある。敬語を使ってそれを隠そうとかもしないから、自分の欠陥を主人へ見せてくるようなところは、見ようによっては高評価ではあるが――それが累積すると、単にイライラするだけになる。
でも、そこは彼女の容姿がすべてを打ち消す。イライラしそうになっても可愛いと思えれば、すぐそちらの思いが強くなって、イライラなんか打ち消すことが出来るのだ。
「まあいい。こんなところで待機していて何か得するようなことは無いし、四号車へ進むぞ」
「うん!」
平日か休日か。稔は聞かされていなかったからよく分からなかった。けれど、爆弾事件が有った後だから列車の乗客が少なくなってしまう可能性があるのを考慮しても、休日とは考えられない。列車に乗っている乗客は平日の昼間の乗客数と考えて妥当だ。
乗客が少ない……とは言えないのだが、混雑しているだなんて到底言えないような乗客数だった。確かにそれは、織桜やマモンを見つけやすいといえば見つけやすいのだが――。
「居ないな……」
三号車の扉から四号車の列車内を見渡す稔とラクト。だが、四号車の中にも探している二人の姿はない。いよいよ「乗っていないんじゃないか」というような気持ちが募っていく稔。だが、それは無いことを祈ってその気持ちを押し込める。
「四号車にはトイレも無いっぽいし、普通にスルーして良いと思うよ」
「そっか。それじゃそうしよう」
ラクトに言われて稔は決めた。座席は二号車や三号車と同じく、横一列に並んでいたのだ。そのようなところで見つけられないという方がおかしい訳で、それといった障害が目に無ければ、見つけることは容易だ。もちろん乗客も少ないのだから、間違う可能性なんか低い。
運行中であるから、確かに号車と号車とを結ぶ場所は揺れた。けれど、稔とラクトは協力しあって四号車へと向かう。もっとも、何度も言うが端から見れば『リア充カップル』である。爆発してしまえと言って無問題な程のカップルだ。
「てか、俺ら逆走してんな」
「だね。ボン・クローネに戻りたいみたい」
「でも結局、最後は戻るじゃん。あながち間違ってねーな、それ」
四号車へ移り、乗り込んだ稔とラクト。本当に探している二人の姿がないことを確認しながら、二人は五号車へと向かっていく。途中、ラクトが自販機がないものかと探すものの、何処にもなくて悲しげな表情を浮かべた。
「飲み物くらい駅で買えるじゃん。なんで欲しがらなかったんだよ」
「お前マネー持ってないだろ」
「……」
稔は黙り込んだ。理由は単純だ。彼は所持金ゼロであったから黙り込んだのだ。
頼れるのはラクト、次点で織桜やリートなどだが――今現在はラクトにしか頼ることが出来ない。でも稔は、先程の一件が有ったこともあって、ラクトに頼ることに抵抗を感じていた。だが、頼って欲しいのがラクトの本心である。稔だって、あのような事がそう簡単に起こらなければ頼りたかった。
「頼れよー」
「嫌って言ったら?」
「それ本気だったら、結構心に刺さる」
「そっか。んじゃ、言ってあげよっか?」
「主人という立場を悪用し始めたのかっ! さっきまでいい人だったのにっ!」
「バーカ、冗談だって」
冗談だと稔は言うが、ラクトはすっかり稔に疑いの目を持ってしまっていた。けれどラクトは心を読める召使だ。心を読むということが利点として作用したことによって、疑いの目を向けるのはやめることになった。
「本気じゃなかったんだね」
「ぶっちゃけ、タラカルの中じゃお前が一番古参だろ。要するに、俺のことに関しては、この世界じゃお前が知っていることが一番多いってことだ。だから、本気で言ってお前を悲しませてどーすんだよ」
「……」
稔の言葉を聞き、ラクトは黙りこんでしまった。自分が疑いの目を向けてしまったのは、彼が自分を弄っていることをしっかりと考えていなかったことが原因ではないか、と思ったりしていた。けれど、過ぎたことはもうどうでもよかった。それで何かが悪くなったりしなければそれでいいのだ。
「お前がベタついてくるからって、俺は嫌いにならねえよ。過剰になったら嫌いになるかもしれないけど、普通に接している中でであれば無問題だ。むしろ、男の本能的に嬉しい」
「意外とエッチなんだね、稔は」
「サキュバスが何をほざくか……」
「前世は変えられないんだよ。ホント、変えられればいいのに」
「前世か……」
稔は、ラクトが傷ついたのかと思った。けれどそれは違っていて、別にラクトは傷ついてなどいなかった。稔からであれば傷つかないだとか、そういうような類ではない。単に、それくらいでは気が付かないという話だ。
「稔の前世はなんだろうね?」
「前世でいい人と巡り会えたんだろうか」
「悲しいような事を言うな。哀れに聞こえるからやめい」
「分かった」
先程は稔がラクトの言動を非難するような感じになっていたが、今度はラクトが稔の言っていることにツッコミを入れるような――否、若干言動を非難するような言葉を入れるように言った。
「あっという間に五号車だぞ」
「そうだね。でも、今度は横一列とカウンターとあるね」
稔とラクトは、四号車と五号車を結ぶ通路の四号車側の扉から五号車側の方を見ていたのだが、先にラクトがそう言った。寿司屋でよく見かけるような、ああいったカウンター席が置いてある一方、横一列の座席も少しながらあった。
「これは一目じゃ判断できないねー、稔」
「だな」
確かに乗客は少ないが、カウンター席という事は席と席を断つ仕切りが有るということである。家族連れが座りやすいように改良されている座席であるから、他のお客から見えない方がいいのだ。もっとも寝台特急まではいかないから、完全な個室というわけにはいかない。即ち、完全に他のお客と別の座席にいれるわけではないのだ。
「よいしょ」
「そんなに重くないだろ」
「オーバーリアクションに決まってんじゃんか。稔は気づかないと思ったけど気づくんだね」
「そこまで鈍感じゃないわ!」
稔は、自分自身が鈍感である可能性が否めなかった。けれども、オーバーリアクション程度見抜ける。それさえ見抜けなければ、完全にアホの子だとかイジられる要員と化してしまいかねないわけで、稔からしたらそれは地獄と言っていい。
稔は、どちらかというとイジられたくない。イジるのは好きだが、イジられるのが不得意なのだ。嫌いというわけではないが、加減を知らない子供とかがイジると大変な苛立ちを覚えることが現実世界で実際にあって、それ以来加減を知らない者にイジられる恐怖を感じていた。
「イジられたくないとか言ってくるくせに、私が何か言っても怒らないよね」
「精神年齢が子供かも知れないが、お前は大人びた体型してるしな」
「子供じゃないよ! 永遠の一七歳なのに、なんで子供とか言うのさ!」
ラクトが言っているように、子供と大人の境界線はまちまちである。小学生であれば子供扱い、中学生でも大抵は子供扱いだ。確かに大人扱いするようなことも有るが、それはわずかである。電車の切符とかは大人料金の事があるが、大体は子供扱いだ。なにせ、親の保護下なのだから。
その理論で行けば高校生も子供と言って問題はないのだが、一応バイトが出来たりできる事や労働が出来るということを考えた時は大人と言っていい。
「でもそれ、稔の祖国の話じゃないの?」
「まあな。国ごとにそこら辺は違うと思うが」
「じゃあいいじゃん。大人扱いしてよ。まあ、稔と私は同年齢だから、大人扱いされたくない気分は無くないけどね」
「大人扱い」という言葉を、イコールで「敬語を使う」ということにしたのならば、大人扱いされたくないのは稔も同じだった。自分の置かれている立場上では大人扱いして欲しいのは互いに同じだったが、口頭では「同年齢だから気軽に話そう」という事を考えていたのである。
なんだかんだ、それは自分勝手と言われても問題はないかもしれないが、高校生――否、その年代の者はそれが普通なのだ。様々な扱いを受けているからこそ抱える問題というのは、その年代にはよくあるものである。
「まあ、ここで立ち話してるとまた遅れちゃうから急ごう!」
「見落としはすんなよ?」
「したらなんかペナルティあるの?」
「ねーよ。てか、それ変な方向に進みそうだからやめて」
「変な方向?」
「いっ、いやっ、別に――」
稔が考えていた「変な方向」というのは、直球に言えば「エロい要求」である。巧みな言葉遣いで、ラクトがエロいペナルティを押し付けてくるのではないか、という事を考えたのである。もちろん、ラクトはそこまではしない。いくら前世がサキュバスだからといって、それでそんな要求を立ててくることは無い。
「別に、エロい要求を受け付けないわけじゃないけど、それを稔が考えているって思うと複雑だなー」
「……」
捜索を続けている最中での沙汰であったから、ラクトも少し戸惑いの表情を浮かべていた。彼女が言っている通り、嫌ではないのだ。されてもさほど問題はないのだ。ただ、それを稔が考えているということ、主人が考えているということに問題が有ったのだ。
「稔が何を思っているかなんて別にいいけどさ、そういうのは今しちゃだめだろ」
「だな、悪かった」
稔はそう言って、一五度の角度で頭を下げて軽く謝罪した。でも、ラクトはそんなことをしてほしくはなかった。一五度だったから口に出さなかったものの、これがもしも三〇度や九〇度だったりしたらラクトは言っていた。
「てかお前、本当にラクトなのか? そんなに冷静になっちゃって――」
「召使を見抜けないとか、主人失格じゃないのかな? ……まあ、稔は私の主人であって欲しいけど」
ラクトは、稔に対して少々煽りを挿れた。彼が怒らないことを願いつつ挿れたのだが、最終的には心配が募ったので、少々稔に媚を売る程度に言葉を付け足した。少し媚を売ったりすることも、話を潤滑に進めるためには重要だから、ラクトは何の躊躇いもなく言った。
「悪いけど、私にだって恥ずかしいこととかは有るんだよ。叶えられる要求なら、どんな要求でも呑むけどね。まあ、稔が私を変人扱いするのはいいけど、エロさでは稔の方が上の気がする」
「元サキュバスよりもエロさが上とか、俺は一体……」
「誇っていいんじゃない?」
「誇れるかバカ!」
稔は少し大きめの声で言った。大きいと言っても、他のお客に迷惑になると悪いため、迷惑にならない程度の声だった。
「というか、心が読める時点で信じてよ。私は『ラクト』だよ? 魔族の間では『ブラッド』だけどね」
色々と知ってはいる関係だったが、ラクトが名乗りだした事で稔は思い出した。この召使に対して、自分が授けた名前のことを。それを聞けば、この目の前の女が本当にラクトで有るかどうかを確認することが出来る。
「んじゃ聞かせてくれ。俺が与えた、お前が授かった名前の中で漢字表記の名前を」
「そんなの――」
ラクトは少々引っ張った。けれど、しっかりと稔に言った。
「夜城朱夜。ブラッドだから赤い夜。……知ってるんだよ、そんなこと」
「正真正銘のラクトか。良かった」
「誰だと思ったの?」
「ラクトの姿をした別人かと思った」
稔がそう言うと、ラクトは大笑いした。
「そういう魔法が使える人はいなくないけど、取り敢えず私は姉も妹も居ない一人っ子だから、別人だったりするときは、魔法を使っている人だってことを念頭に置いておくといいんじゃないかな」
「分かった」
ラクトに姉や妹などが居ないこと、一人っ子であるということを初めて知った稔。一人っ子同士だとあまり上手くいかないとか言われることが有るが、稔とラクトは上手く行っていたから確信に繋がらなかった。
「よし。安心出来たから五号車へ行くぞ」
「おー!」
話をする為にその場所に留まっていたから、動き出すまでに結構な時間が掛かった。けれど、これまで留まっていたことをバネとして、稔とラクトは急いで五号車へと向かう。四号車側の扉を開け、通路を取ってすぐに五号車の扉を開けようとする。
だが。丁度その時ブレーキが掛かった。同時にアナウンスが入る。各駅停車の列車であるから、駅に停車したのだ。長い間歩いていたわけではなかったが、それでも歩いている途中に揺れが起こると、驚かないほうが難しい。
そして、今稔とラクトが居るのは手すりのない場所だ。暗い空間の中、有るのは左右から来る電灯のみ。ゴム製の通路を囲うものがあるけれど、そこを掴むことは困難だ。もいろん、両方の扉を掴んだりすることは無意味だ。何せ、押してしまう可能性があるのだから。
「稔っ、危な――っ!」
「わ……っ!」
咄嗟の出来事だった。でも、互いに手すりなどがないから捕まることは出来なかった。揺れた方向に居た者が稔だったから、ラクトがその方向へと体重を移動してしまった。即ち、稔の方向へ倒れるような形になったのである。
そうなれば、もちろん当たるものは当たる。
「大丈夫か……?」
ラクトの背中に、稔が手を回した事実はない。けれど、稔に包み込まれるような感じになってしまった。擦ったりはしないが、体温を互いに感じ合っていることによって心臓の鼓動も早まった。
「温かいね……」
「何言ってんだよ。恥ずかしいだろ」
「異性に包み込まれるのは初めてなんだ」
ラクトはそう言うと稔に、照れた顔で笑顔を見せた。




