1-66 メッセ行き臨時列車-Ⅵ
強引に手を繋がされたと言えば、首を縦にふることは出来ない。一方で、横に振るのも難しい。『強引』とは受け取り難かったのである。思春期の青年だったから、稔は大人の女性に手を掴まれて嫌な気分はしなかった。
「稔、そんなこと考えてんだ」
「うっせ」
ラクトに言われて恥ずかしい思いをしそうになるが、稔は唾を吐き捨てるようにそう言った。もちろん、唾なんざ召使に吐くような人では、稔はない。だから、そんなことをするはずがないのだが。
「あれ、居ない……」
織桜とマモンが電車の中に乗っていることも考えられたものの、逸れてしまったのではないかという方向に考えが向かってしまった。ただ、そんなことを深々と考えるのは必要ない事である。そんな事を考えている暇があるのであれば、電車内に乗り込んで待機している方がマシである。
「まあ、乗ろうぜ」
「そうだね」
ラクトに許可をもらい、稔は手を引っ張る。もちろん、手を引っ張っていいなんていうような許可はもらっていないが、乗ろうという台詞にそう答えたことから伺おうとするのなら、ラクトが許可を出したと言っても問題はないはずだ。
しかし丁度稔がテレポートした場所の目の前に有った車輌を見て見る限り、男女比率は大きく偏っていた。女子専用列車なるものがこの世界にあるのかと考えてみる稔だったが、ラクトがそれが有るのか否かを人々の心を覗いて調べてみて、こう答えた。
「それ、あるっぽい。この特急にも、七両目がそれみたい」
「把握した」
稔とラクトが降り立ったのは、どちらかというと階段の近く付近である。彼らがテレポートした場所がここら付近であったことが直接影響しているのかということは、そこまで詳しく分からなかった稔だが、この眼の前にある車両が女子専用列車でないことは、車両を凝視することによって分かることが出来た。
「ここは二両目だぞ。馬鹿か」
「悪いな、頼りがいのない主人で」
「でも、そういうのが母性本能を刺激するんだと思う。なんていうんだろ? こう、守ってあげたいとか包み込んであげたいとか、みたいな? そういうふうな本能を刺激するんだと思う」
ところどころ疑問形だったが、大体何をいいたいか把握したので、稔は首を小刻みに振って理解したことを示した。ただ、そんな事をしているとモタモタしていると思われるわけで、稔の態度に少々イライラを感じて、ラクトが稔を引っ張った。
「ほら、行くぞ」
「うむ。揺れてるな」
「何処見てんだよ、稔は」
笑い混じりに返すラクト。稔はそれを望んでいたため、その返しは全然嫌ではなかった。かといって、とても嬉しいとまではいかなかった。ただ稔は、ラクトとの会話の中で、そのような言葉をどれくらい使えるかのさじ加減を確認することが出来たので、その面では嬉しかった。
「稔が変なこと考えたら、私が心の中を覗いて確認してあげるからね」
「やめて。サキュバスに何かされるとか、後に何が待ち構えてるか大体想像できちゃうからやめて!」
「そういう事は嫌いなの?」
「この年齢の男子にそれを聞くとは……」
一概に言えないなんてものではない。この年齢、即ち思春期の少年に『エロいことに興味はありますか』などと聞いてみれば、九九パーセント以上が手を挙げる。それが普通である。理性で押し殺しているから外見上では見えないが、裏では考えているのである。
「まあ、答えは見え見えなのは私も知ってる」
「聞く意味ねーな、おい!」
そんな会話をしつつ。稔とラクトは二両目の車両に乗り込んでいく。日本でも有るような、ああいった対面式の座席に座っても良かったのだが、悲しいことに二両目にそれは無く。有るのは横一列に人が座るような、ああいった座席だけであった。
「……案外、人多いもんだな」
「臨時列車じゃんか。もしかして、こういう大衆が居る場所は嫌い?」
「まあ、好きとも嫌いとも言えないかな。でも、無理して来るべき場所ではないと思う」
「それ嫌いってことじゃ――」
「まあ、解釈は人それぞれだからどうでもいいよ」
ラクトは稔にそう言われると、「分かった」と一言吐き捨てるようにして言った。
「しっかし、本当に座る場所ねえな」
「それに同じく」
つり革を掴んで、立って乗車するのも別に悪く無いとは思った。けれど稔は、出来ればそれはしてほしくなかった。何せ、目の前のこの召使の大きな胸が強調される可能性があるからだ。一七〇センチ程度あれば、つり革なんて余裕に届く。一六〇センチ前半でも問題はないだろうが、どちらかの手を上に伸ばしているということは、強調される可能性が否定出来ない。
「稔、そんな心配は必要ないよ?」
「そ、そうか……?」
稔は過度な心配をしていたことを聞かされると、赤っ恥をかいたような気分になった。これまでのラクトであれば、ここからもういっちょ浸け込んでくる訳だが――今のラクトはそんなことはしなかった。
「そんなに意識すんなって。こんなん、見てくれる人なんか稔くらいしかいないよ」
「それは嘘だと思うが……」
稔はラクトが、自身の自己主張のある二つのスイカに関してあまり大きな心配をしていないこと、危機感を持っていないことに疑問感と呆れを抱いていた。別に、それが悪いわけではないのだ。彼女は心が読めるわけで、当然人をおちょくったりするのが得意分野――とまではいかなくても、高度なおちょくりが出来ないわけじゃない。
でも、そのおちょくりが全てを覆い尽くした時。本当に心を読めない状況で痴漢行為だとか、そういう目に彼女が遭ってしまった時に稔が対応することになる可能性があり、流石に心配していないわけには行かなかった。無論、そんなことが起きる可能性は無いと言っておきたいものだが。
「それなら、稔が私の後ろから守る感じで立ってればいいじゃん」
「それってどういう――」
「こういうこと……」
稔の手を強引に引っ張ると、ラクトは稔が壁や手すりに当たらないように配慮しつつ、自分の背中の過ぎ近くに配置した。手直しをしないラクトであったが、これは大雑把な彼女を表しているのではなく、位置的なものが完璧だったためにしなかったと捉えて良い。
「それで、私が稔の方を向けば――」
ラクトはそう言うと、引っ張って繋がれていた手を離す。もちろんこうなれば、稔とラクトは目を合わせるわけで。恋愛感情だとか、そういうものを互いにまだ理解していない以上、持っている感情が一体何であるかは分からなかった二人だが、分かる感情は有った。
「……なんか、恥ずかしいな」
「お前が自分からやったんだろうに」
「そうだけど――」
薄っすらと顔を赤く染める二人。照れているのである。これまで目と目を合わせたりした機会は殆ど無かったわけで、そこには気恥ずかしさだとかが有った。もちろん、こんなのを見せられていては、乗客から見れば『カップル』などという誤解を招いてしまいかねない。
「ここ、一応乗り降りする場所だよな」
「そうだね。でも、降りるときのホームは反対側だと思うよ?」
「それ、もしかしてフラ――」
フラグ、と言おうとした時だった。丁度、車内アナウンスが入った。
『本列車は途中、二駅で右より降車可能となりますので、ご理解願います――』
アナウンスが切れたと同時、稔はそれに続けて言う。
「だってよ」
「今知った」
「今、知っ、た」と単語ごとに強調していうラクト。読点のところを改行に変化させれば、さながらネットでよく見かけるような文面になる。そして、ラクトはそれを狙って言っていた。魔法を使えば自由に構築できる故、インターネット環境が無いわけではないから、ラクトもそのような事に乏しいわけではないのである。
「まだまだ時間有るんだね?」
「みたいだな。でも、一〇分以上有るわけではないだろ」
「ごもっともだ」
ラクトはそう言って稔の意見を支持した。ただ支持するだけではなくて、彼女は一つ提案した。
「それでだ。稔、ここから女子専用列車ではないところまで、要するに六号車まで捜索しに行かないか?」
「迷子を探すような言い方はやめなさい」
「えー」
マモンの年齢を聞いていないとはいえ、彼女が老けていないとはいえ。仮に二人共二〇代と仮定すれば、その二十代の二人を迷子として扱っているわけである。ロリコンからしてみればそんなババア、迷子になる価値もない。
「でも、探すのには賛成かな」
「流石、稔。ノリがいい」
「普通にそうするべきだと思っただけなんだが……」
後に言葉を付け足した稔だったが、特に効果はなかった。「補足は後々、行動するよ!」と言わんばかりに、ラクトは稔の右手を再度握った。そして彼女は、痛くない程度に右手を引っ張って三号車へと向かう。
「大体日本と同じなんだな、列車」
「へえ」
「システムに多少の違いは有るけどさ、列車の構造とかは結構似てる」
まとめて言う稔。号車と号車を移動する際に有るような、ああいった連結部分もしっかりとエルフィリア王国鉄道でも採用されていた。日本では灰色のゴム状のようなものに見えるあの連結部分であるが、エルフィリアでもしっかりと使われていた。
とはいえ、それは号車と号車の間にある。それが何を表すかといえば、号車と号車との間を通るためには各号車の一番後ろの扉を開けなくてはならないということである。もちろん、そこまでの距離が異様に長いとはいえない。でも、一応歩く距離はそれなりに有った。
「まだ走りだしてないから、特に問題もないね」
「移動はこういう時にするべきだもんな」
「うん」
二号車と三号車の連結部分へと繋がる扉を開ける稔。特にそれといった風圧の変化だとか、そういうものは身体に感じ取ったりはしなかった。――が、ラクトが微量な魔力を身体に感じた事を稔に訴えた。
「稔。なんか、ここで魔力を感じるんだけど――」
「真面目に言ってるのか?」
「うっ、嘘だって思うって酷いなっ!」
ラクトが少々涙目になりそうになって、稔が自分が悪いことをしたと思って咄嗟に謝る。「悪かった」と一言だけ言ったが、ラクトはそう言ってもらわなくても良かった。敢えて分かりやすいように表現しただけであって、大号泣させられたわけではなかったから、ラクトもそこまで大きな反応をしてほしくなかったのである。
「お……」
ただ。稔がようやく魔力を感じ取ったことに伴い、ラクトの言っていたことは違っていたことではないことが証明された。何しろ、通常では有り得ないような光景が映し出されたのである。扉を開き、目の前を渡ろうとした時、下に見えていた足場は非常に質素なものだった。けれど今、質素なものではなくなっていた。
「壁が白くなったね」
「これも鉄道会社がやってるのかな?」
「さあ?」
首を傾げるラクト。召使といえど、流石に百科事典クラスの情報量を脳内に収めておく事ができるようではない。そんなことが出来るほど彼女の記憶媒体は巨大ではないのだし、知っていない知識だって有る。異世界である地球だとか、日本とか、その他諸々。
「足場も白い」
「ホントだ」
ただ稔はこの時、もしかしたら白色のペンキが上から漏れているんではないかと考えて、自分の髪の毛を触ってみた。でも、白色ではない。髪の毛が白色になったわけではなかったのである。同様に、ラクトも履いていた靴の裏に白色のペンキがついた可能性が有るとして見てみるが、証明不能。
「魔法なんだ、やっぱり……」
魔法が使われた最先端の電車ということを聞くと、電車に関してマニアな知識を持っているわけではない稔でも、少しばかし浸け込んで知っていきたい気分になった。時間の関係上、ヘビーな情報をを聞いて聞いて、また聞くのは苦痛になるし無理だ。でも、少しくらいなら大丈夫だと思った。
「んじゃ、三号車行くぞー」
「オーケーでーす」
軽い会話を済まし、稔とラクトは三号車の扉を開いて入った。ここまでで約一分くらい使用してしまって――はいなかったが、それなりの時間を使用していたので二人は急ぎ目に四号車へ行く前に、この列車の何処かに織桜とマモンが居ないかを調べた。
「居ないな……」
だが、もうここまで来ると迷惑にもなっていた。これは臨時列車であるから、多くの乗客が乗っている。連結している車両が長いからこそ客が分散されるものの、女子専用列車が有るから女子は一般車両にそこまで乗っていないものの――。やはり、多くの客がそれぞれの車両に乗っていた。
見つけるのは困難ではない。特徴さえ知っていれば発見するのは容易である。もっとも、見間違えたりすることも無くはないが、それは僅かなパーセンテージ上の話。殆どの場合であれば、見間違えること無く発見できる。
「ダメだ。やっぱり居ない――」
最後、稔は吐き捨てるようにして結論を導き出した。とはいえ、この列車に乗っていないことは有り得な――否、有り得ないと思いたかった。織桜とマモンが、断りも無しに自分勝手な行動を取るとは思いたくなかった。
「ねえ、稔。二号車は最後に回すとして、トイレを確認してみたらどうなの?」
「別にいいぞ。けど、俺は女じゃない」
「そっ、それくらいちゃんと考えてるよっ!」
「どうだか」
「またバカにしたなぁ~?」
ラクトは少々怒り気味。右頬を膨らまして怒り気味な表情を露わにする他、稔の鼻尖部分に右手の人差し指を当てた。こういう一つ一つのあざといような可愛らしげな表情こそが、彼女が多くの男を虜にした理由であろう。
「まあいいや。取り敢えずトイレの中を――って、ここは開いてるね」
「要するにここには居ないってことか」
「常識的に考えればそうだね。透明化魔法を使用していない限りは、そのように捉えて問題ないでしょ」
一応、この世界では魔法が存在していることになっており、現実世界では「入っても問題ないな」ということになる場合でも、もしかしたら居る可能性があるのである。
「取り敢えず探ってみたら? 誰かの心の反応もないし」
「でも、ここに織桜とかマモンが居るわけじゃないんだし――」
「他人の魔法に巻き込まれてるかもしれないじゃん」
「そんなのとてつもなく少ない確率な気がするが――」
ラクトが心を読めない状況であることを把握した稔は、好奇心に押されてノックなしでトイレのドアを開けた。入ってみれば、そこには誰も居ない。だが、ラクトが後ろから入ってきた時に彼女は気付いてしまった。
「――ここに、気配を感じるんだ」
「えっ……?」
稔は驚きを隠せない。彼女がそう言っているということは、先程までは分からなかったということは。推測されるに、このすぐ近くにその者が居るということである。
「――よし、扉を閉めよう」
「鬼畜な手段やなっ!」
ラクトはそう提案した。狭い密室、隠れられるような場所は限られる。外壁と同化している可能性もあれば、外壁に同化しているのではなく透明化し、姿を隠している可能性も考えられる。でも、考えられる可能性は今のその二つくらいだ。
ただ、どちらにしてもラクトの提案した手段は適当だった。彼女が扉の前で立っている以上、ここを通らずして対象者は自分が居た場所へ戻ることが不可能となる。事実上、抜け道が無くなるのである。
「よし……」
着々と対象者を追い詰める準備を進める稔とラクト。ラクトがトイレと三号車とを結ぶ通路を封鎖したため、対象者はもう包囲網の中に囲まれた。
「……さあ、出てこい!」
稔が声を張り上げて言うと、反響した。――そんな状況説明はどうでもいい。
「――あれ?」
状況説明をするくらいの余裕が、稔には有った。それから窺えるとして、このトイレの中には誰も居ないような結論を稔は導き出そうとした。けれどラクトは、その意見を支持しない。何せ彼女は、このトイレの中に魔力を感じているのである。稔のもの、自分のものではない第三者のものだ。
「しらみつぶしに、色んな場所を触ってみてよ」
「なに指示してんだ、お前! そんなんで変態呼ばわりされたら俺、最悪だぞ!」
しらみつぶしに触るということは危険が伴うと言って問題ない。稔は、そんなことを自分からしていこうだなんて考えるだけでゾッとした。これまで折角、尊敬されるような新国家元首を目指して頑張ってきたというのに、それが無駄になるのである。
「主人は俺だろうに――」
「大丈夫大丈夫」
「マジかよ……」
ラクトが笑顔を見せるが、稔はため息をついている。
「ああもう!」
何を思ったか稔は吹っ切れて、しらみつぶしに触ることにした。手つきは特にいやらしくないが、何処か叩くような感じがしていたのはあまりいい評価を頂けない。
そして、稔が二〇回程度叩いた時だった。三連続で女の子の声が聞こえた。




